第56話 読者が求めるのは、綺麗な主人公じゃないのかもしれない
その週の金曜、私は帰りの電車で珍しく座れていた。
座れると人は余計なことを考える。
吊り革につかまっている時は、体勢を保つだけで意識の半分が持っていかれる。だが座ってしまうと、窓に映る自分の顔や、膝の上の鞄の重さや、今日一日の言葉の残り方まで、やけに細かく見えてくる。
私は窓ガラスの黒い反射の中に、自分の顔を見ていた。
今週も会社は普通に忙しかった。
営業部は夢を見たがり、榎本はそれを現実へ戻そうとし、三浦は文面で余計な期待を育てそうになり、本城は静かに人の疲れ方を見抜く。部長は長い。先方は曖昧だ。数字はどこかで必ず膨らみたがる。
そういう当たり前の週だった。
でも、その当たり前の中で、新企画は明らかに前へ進んでいた。
ホテルの夜で見た見栄や憧れ。
若い受賞者への眩しさ。
売れていない同業への優越感。
酔った作家の無神経な一言に刺された痛み。
そして、会社で自分の疲れ方を見抜いてくる人間と、家で“いい顔してる”と言う妻。
その全部を混ぜたことで、主人公は急に息をし始めた。
きれいではない。
むしろかなりみっともない。
だが、たぶんそのみっともなさが必要だった。
私は膝の上のスマホを開き、メモ帳の一番上にある一文を見た。
これ、ほとんど俺じゃないか。
数日前は、その一文に少し怯えていた。
いまは少し違う。
ほとんど俺だ。
でも、完全に俺ではない。
その半歩のずれが、ようやく物語として機能し始めている。
問題はここからだ。
この主人公を、どこまで綺麗にしないか。
私はそこを、今まではずっと怖がっていたのだと思う。
◇
若い頃の私は、主人公を“読者に嫌われないように”作ろうとしていた。
もちろん、全員に好かれる人間など書けるはずがない。
そんなことは頭では分かっていた。
でも、それでもどこかで、“この主人公を応援したい”“この人は少し不器用だけどいい人だ”と思ってもらえる着地を、かなり早い段階から探していた。
だから、ずるさは薄めた。
見栄は少しだけきれいにした。
優越感は反省で早めに中和した。
嫉妬はもう少し文学的な悩みに見えるよう、言葉を整えた。
その結果、ちゃんと読めるものにはなる。
でも、最近の私はその“ちゃんと読める”の壁を越えられずにいた。
高梨の言葉を借りるなら、
悪くないけど弱い。
そこへ何度も戻ってしまっていたのだ。
いまの新企画が違うのは、そこを少し諦めたからなのかもしれない。
主人公は見栄っ張りだ。
若い受賞者を見て、まぶしいだけではなく少し刺される。
アニメ化作家を見て、純粋な祝福だけではなく羨望も持つ。
売れていない同業に対して、一瞬だけ自分のほうがまだましだと安心してしまう。
その安心に、あとでうんざりする。
つまり、かなり嫌な人間だ。
少なくとも、綺麗ではない。
でも、それを書いた時に初めて、この主人公はただの“設定”ではなく、生きた人間の顔をし始めた。
私はそのことを、今さらながら認めようとしていた。
◇
帰宅後、夕食を済ませ、風呂を出て、書斎へ入る頃にはもう十一時近かった。
疲れている。
でも今日は、悪い疲れではなかった。
本城ならたぶんそう言うだろう。
私は椅子へ座り、『再構成_危ない案』を開いた。
主人公の人物メモ。
ホテルの夜から朝の電車へ続く数ページ。
職場の同僚の女との会話。
妻に「今のあなたはちょっといい顔してる」と言われる朝の食卓。
そこまでを読み返して、私はようやくはっきり分かった。
この主人公を、私は“好かれるように”整え始めたら駄目なのだ。
好感はあとからついてくるかもしれない。
でも、最初に目指すのはそこではない。
必要なのは、目を離せないことだ。
みっともない。
でも、次のページで何を思うのか気になる。
嫌なところもある。
でも、なぜそんなふうに揺れるのかを見たい。
応援したい、ではなく、放っておけない。
たぶん今の読者が求めているのは、そういう主人公なのかもしれない。
それは少しだけ、いまの漫画やライト文芸寄りの流れとも重なる気がする。
世界を救うより先に、自分の中の見栄や孤独や職場の温度差に振り回されている人間。
半径数メートルの現実の中で、妙に刺さるくらい生々しい人間。
私はノートの余白に大きく書いた。
“好かれる主人公”ではなく、“見ていたくなる主人公”
書いてから、しばらくその文字を見つめる。
それはかなり重要な方針転換だった。
若い頃の私なら、そこでまだ少し怖がっただろう。
読者に嫌われたらどうする。
共感されなかったらどうする。
レビューで主人公が不快だと言われたらどうする。
でも、今の私はもう少しだけ現実的だ。
全員に綺麗に好かれる主人公など、今の自分には書けないし、たぶん書いても弱い。
むしろ、多少の引っかかりがあるほうが次を押される。
投稿サイトで読まれるなら、なおさらそうだろう。
一話ごとの終わりで“うわ、この主人公めんどくさいな。でも続き気になるな”と思わせるほうが、今のこの物語には向いている。
◇
私は人物メモを更新した。
主人公
四十代。会社員。商業作家。
誠実ではあるが、綺麗ではない。
憧れも見栄も優越感も持つ。
それを持ってしまう自分に、少しだけうんざりしている。
でも、そのうんざりしている感じが、最低限の誠実さ。
“いい人”ではなく、“目を離せない人”。
そこまで打ったところで、私はようやく肩の力を抜いた。
これだ。
たぶん、これでいい。
主人公を悪人にしたいわけではない。
ただ、読者の前に出す時に、先回りして“この人は根はいい人です”という保険をかけすぎない。
読者が少しだけざらついたまま、この男のことを追えるようにする。
そのざらつきの中に、いまの私の本音も、ホテルの夜の気配も、会社で削られる平日も、全部ちゃんと残るはずだ。
私は本文へ戻り、主人公の独白を少しだけ削った。
反省を早めに入れていたところを遅らせる。
言い訳を少し減らす。
そのぶん、見栄や優越感がまだ生のまま残る時間を長くする。
すると、不思議なくらい文章が立った。
嫌な時間が長くなったぶんだけ、読んでいる側の呼吸も少し止まる。
それが悪くない。
私はその流れのまま、新企画の仮タイトルをノートへ大きく書いた。
四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のまま
仮タイトルというより、今のところは作品の正体に近い言葉だ。
まだ完成形ではない。
でも、この長くて少し泥臭いタイトルを見ていると、今の主人公と今の自分がようやく同じ方向を向き始めた気がした。
私はその下へ、もう一行だけ小さく書いた。
綺麗じゃないから、読まれる。
そこまで書いてから、さすがに少しだけ笑った。
断言しすぎだ。
でも、今夜はそのくらい思い切った言い方のほうがいい。
ホテルの夜の見栄も、
若い受賞者への焦りも、
売れていない同業への優越感も、
全部、隠さずに持っている主人公。
読者が求めるのは、きっと“立派な人”ではない。
少なくとも今の私が読ませたいのは、そういう人ではなかった。
私はノートを閉じ、パソコンの画面へ戻った。
この企画はまだ荒い。
でも、たぶんもう、以前の“悪くないけど弱い”ところへは戻らない。
そのことだけは、今夜かなり確かだった。




