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四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のままだ  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第48話 華やかな夜のあとで、机に戻る人間だけが書けるもの

帰宅したのは、十一時を少し回った頃だった。


 真由美も結衣も、もう寝ている時間だ。リビングの電気は落ちていて、キッチンの小さな常夜灯だけがついていた。ホテルの宴会場で浴びていたやわらかい光とは比べものにならないほど地味な明かりだが、その地味さに妙にほっとする。


 私は玄関で靴を脱ぎ、ネクタイを緩め、静かに上着をハンガーへかけた。


 その時、上着の内ポケットから、名札が少しだけ覗いた。


 作家の名前。

 今日のホテルでだけ胸についていた紙切れ。


 私はそれを取り出して、しばらく眺めた。

 もう照明はホテルのものではないから、その名札はただの白いカードにしか見えない。だが、そこには確かに今夜の空気が少しだけ残っている気がした。


 アニメ化作家の輪。

 若い受賞者のまっすぐな顔。

 営業の数字の目。

 自分の中の見栄と惨めさ。

 その全部を見た夜の証拠みたいに。


 私は名札を机の上へそっと置いた。

 会社の名刺入れの隣に。


 それから、スーツのままではなく、一度だけ部屋着に着替えた。

 ホテルの余韻を、少しだけ生活へ戻すために。


     ◇


 書斎へ入ると、いつもの机が待っていた。


 見本誌。

 会社の手帳。

 健康診断の紙。

 メモ帳。

 ノートパソコン。


 ホテルの豪華さから見れば、ずいぶん味気ない景色だ。

 でも、今夜の私はその味気なさを少しも軽蔑しなかった。


 むしろ、ここへ戻ってくるためにホテルの夜があったような気さえする。


 私は椅子へ座り、しばらく何も開かなかった。


 今夜の私は、何を持ち帰ったのだろう。


 アニメ化していない現実か。

 若くない現実か。

 シリーズは続いているが、圧倒的ではないという現在地か。

 それとも、成功者にも成功者のしんどさがあるという小さな安心か。


 たぶん、全部だ。


 でも、その全部の中でいちばん大きいのは、やはりこれなのだと思う。


 それでも机へ戻ってきた、ということ。


 華やかな場を見た。

 羨ましいものも、みっともない自分も見た。

 それでも結局、最後に戻ってくるのはここだ。


 若い頃は、それを敗北みたいに思う瞬間もあった。

 ホテルの中心へ行けないから、書斎へ帰るのだと。

 会社を辞められないから、ここで夜中に少しずつ書くしかないのだと。


 でも今は、少し違う。


 ホテルの夜を見たあとで、

 アニメ化作家への憧れも、

 売れていない作家への優越感も、

 自分の中途半端な立ち位置への悔しさも、

 全部抱えたまま机へ戻る人間にしか書けないものがある。


 そう思えた。


 それはきっと、華やかさの向こう側まで見た人間にしか出せない温度なのだろう。


     ◇


 私はパソコンを開き、『再構成_危ない案』を立ち上げた。


 まだ誰にも読まれていない数ページ。

 でも、高梨は“続きが読みたい”と言った。

 前よりずっと“あなた”だとも。


 今夜のホテルの夜は、たぶんこの企画にそのまま流し込める。


 アニメ化作家そのものを出す必要はない。

 ホテルの照明も、出版社の看板も、そのままではなくていい。


 必要なのは、今夜の感情の混ざり方だ。


 見栄。

 羨望。

 優越感。

 惨めさ。

 少しの誇り。

 そして、その全部を抱えたまま翌朝の現実へ戻る感じ。


 私はメモ帳を開き、今夜の核になる一文を探した。


 カーソルを点滅させる。

 少しだけ考える。

 そして、打った。


『人は、憧れと見栄と惨めさの全部を持ったまま、それでも次の朝にはネクタイを締める。』


 打った瞬間、それが今夜の答えだと分かった。


 ホテルの夜は終わる。

 作家の名札は外れる。

 だが、生活は続く。

 会社はある。

 通勤電車もある。

 営業部の強気な数字も、三浦の文面も、本城の一覧も、部長の長い確認も、明日また全部戻ってくる。


 それでも、人はまだ憧れる。

 まだ悔しがる。

 まだ少しだけ上を見てしまう。

 そのみっともなさごと抱えて、ネクタイを締める。


 それが、今の私だ。

 そして、たぶん今の主人公でもある。


 私はその一文を新企画の本文へ移した。

 少しだけ前後の流れを整え、主人公の独白として置いてみる。


 しっくりきた。


 華やかな夜のあとでしか書けない一文だった。

 そして、机に戻る人間にしか書けない一文でもあった。


     ◇


 時計は零時を回っていた。


 私はそれ以上は書きすぎなかった。

 今夜は量ではなく、たしかな一行だけあればよかった。


 パソコンを閉じる前に、最後にメモ帳へ短く残す。


『ホテルのシャンデリアより、書斎のデスクライトのほうが、自分の本音はよく見える。』


 それを書いて、私はようやく静かに息を吐いた。


 第三章は、これで終わってよかったのだと思う。


 アニメ化はしていない。

 賞も取っていない。

 でも、華やかな夜を見て、その全部に少しずつ傷つき、少しずつ羨み、少しずつ自分を知ったうえで、それでも机へ戻ってきた。


 その戻り方が、今の私の作家としての形なのだろう。

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