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四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のままだ  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第45話 名前を覚えられる作家、忘れられる作家

自分から名刺を差し出した、その数秒のあいだだけ、私は少しだけ身体の中心が戻るのを感じていた。


 はじめまして。

 佐伯と申します。


 それだけのことだ。

 でも、受け身で会場に立ち尽くしているのと、自分の足で一歩だけ輪へ入るのとでは、心の持ち方が少し違う。少なくとも今夜の私には、その違いがはっきり分かった。


 名刺を受け取った女性作家は、三十代後半くらいだろうか。黒のワンピースに薄いジャケットを羽織っている。眼鏡の奥の目は理知的で、笑うと口元だけが少しやわらかくなる。名札と名刺の作品名には見覚えがあった。近年、じわじわ読者を増やしているタイプの人だ。派手な受賞歴やメディア展開ではないが、書店員の推薦コメントでよく見る。


「はじめまして」


 彼女はそう言って名刺を返してきた。

「お名前、拝見しています」


 この場で何度も交わされる文句だ。

 だが、彼女の言い方には少しだけ具体性の気配があった。たぶん本当に、書店か営業資料か何かで私の名前を見ているのだろう。


 横にいた若い編集も名刺を出した。

「担当しております、△△です」


 私はそれぞれと簡単に挨拶を交わした。

 会話は長くない。

 それでも、さっきより自然に息ができている自分がいる。


「今のシリーズ、続いてますよね」


 女性作家が言った。


「なんとか」


 私は少し笑って答えた。


「続くって大変ですよね」


 その一言に、私は少しだけ目を上げた。

 さっき若い受賞者やアニメ化作家と話した時とは違う種類の共感がそこにあったからだ。


「大変ですね」


「ですよね」


 彼女はうなずく。

「新刊ごとに読者の期待も変わるし、編集も営業も前の数字を知ってるし」


 私は思わず小さく笑った。

「そこ、かなりリアルですね」


「だってリアルですし」


 編集の男性が横で苦笑する。

 その三人の温度は、さっきまでのどの会話とも少し違っていた。


 成功者への憧れではない。

 若い人への眩しさでもない。

 売れていない作家への優越感でもない。


 もっと、平場の現実だ。

 シリーズを続ける人間同士の、地味で具体的な生存の話。


 だからだろうか。

 私はその輪の中で、少しだけ肩の力を抜けた。


     ◇


 数分ほど話して、私は軽く頭を下げて輪を離れた。


 それだけで、また一つ気づくことがある。


 会話が続く人と、続かない人がいる。


 それは人格の良し悪しではない。

 面白い人かどうかだけでもない。

 場慣れの差ももちろんあるだろうが、それだけでは説明しきれない。


 名前を聞いた時に、相手の中に何かしらの“引っかかり”があるかどうか。

 作品名が頭にあるか。

 書店で見た記憶があるか。

 営業会議で話題に出たことがあるか。

 SNSで感想を見たか。

 そういう断片の積み重ねが、名刺交換のあとにもう一歩話が続くかどうかを、静かに分けている。


 私はグラスを持ったまま、会場を見回した。


 笑い声。

 グラスの触れ合う音。

 「またぜひ」という挨拶。

 そのどれもがやわらかい。

 でも、流れをよく見ると、ちゃんと差がある。


 ある作家のところには、人が自然と残る。

 挨拶が終わっても、もう一言二言、何かを話したくなる空気がある。

 別の作家のところでは、名刺交換が終わると、そのまま会話が薄くほどけていく。

 誰も失礼ではない。

 でも、次の輪へ移る速度が少しだけ早い。


 それは、怖いほど露骨ではない。

 だからこそ、余計に生々しい。


 私はそこで、ようやく言葉にできた。


 名前を覚えられる作家と、忘れられる作家がいる。


 しかも、その差は、この場では人格より少し冷たいところで決まる。

 作品の残り方。

 数字。

 印象。

 “この人と話しておくと、あとでまたどこかで繋がりそうだ”という予感。


 そういうものが、会話の長さを決める。


     ◇


 私は壁際のテーブルへグラスを置き、スマホを出しかけてやめた。

 今夜この場でメモを取るのは、さすがに少し露骨だ。

 でも、頭の中ではもう文章になりかけている。


 名前を覚えられる作家。

 忘れられる作家。


 自分はどちらだろう。


 その問いが、思ったより静かに重かった。


 アニメ化作家は、当然覚えられる側だろう。

 若い受賞者も、しばらくは覚えられる。

 話題があり、勢いがあり、周囲の目線を引きつける。


 では、私は。


 今のシリーズは続いている。

 営業には“いい位置”と言われた。

 若い受賞者は“ちゃんと続いてる人”として見た。

 アニメ化作家も名前は知っていた。

 つまり完全に忘れられる側ではないはずだ。


 でも、会場全体の流れの中で、私の名前がどれくらい残るのかと考えると、急に心もとなくなる。


 この場を去ったあと、

 営業は私を思い出すだろうか。

 書店関係者は、名刺を見て「ああ、あの人」となるだろうか。

 作家たちは、また次の会で会った時、私の作品を一つでも思い出せるだろうか。


 そう考え始めると、胸のどこかが少しざわつく。


 私は会社員として、名前を覚えられることにそれほど執着してこなかった。

 むしろ、営業管理課係長としては“無難に仕事を収める人”くらいの認識で十分だ。目立たなくても困らない。目立たないまま、ちゃんとやるほうが楽なことも多い。


 だが、作家は少し違う。


 作品が残ること。

 名前が残ること。

 それは、結局かなり本質に近い。


 名前を覚えられなければ、次に手に取ってもらえる確率は下がる。

 名刺交換のあとに何も残らなければ、その会話はその場限りで終わる。

 作品が記憶に引っかからなければ、数字もそのうち静かに消える。


 そういう世界に自分はいるのだと、ホテルの照明の下で改めて思い知らされる。


     ◇


 その時、少し離れたところで小さな笑い声が上がった。


 アニメ化作家の輪ではない。

 若い受賞者のところでもない。

 五十代くらいのベテラン作家の周りに、編集と営業が数人集まっていた。


 私はその輪をしばらく見ていた。


 派手な中心ではない。

 だが、妙に人が離れない。

 誰かが話し終えるたびに、別の人間が自然と次の一言を重ねる。

 そこには明らかな“場の記憶”みたいなものがあった。


 この人の名前は、たぶんちゃんと残るのだろうと思った。

 アニメ化や受賞とは別の仕方で。

 長く出してきたこと、何作かが確実に人の中へ入っていること、仕事の相手として信頼されていること。そういう積み重ねが、人を“忘れられにくい作家”へしていくのかもしれない。


 私はそこで少しだけ、胸のざわつきが別の方向へ動くのを感じた。


 そうか。

 覚えられる、には何種類かあるのだ。


 アニメ化して強く覚えられる人。

 受賞して鮮やかに覚えられる人。

 そして、長く出し続けることで、じわじわ忘れられにくくなる人。


 私が今どこに向かっているのかは分からない。

 たぶん三つ目に少し近いのだろう。

 それは派手ではない。

 若い頃の私が夢見た“勝ち方”とも少し違う。


 でも、悪いばかりではないのかもしれない。


 名前が残る方法は、一つではない。

 そう思えた瞬間、少しだけ息がしやすくなった。


     ◇


 それでも、不安が完全に消えるわけではない。


 シリーズはいずれ終わる。

 今の“いい位置”だって永遠ではない。

 新企画が立ち上がらなければ、じわじわ忘れられていく側へ寄っていくかもしれない。


 その意味で、今の私はかなり際どい場所に立っている。


 既刊の実績はある。

 でも、それだけでは足りない。

 次が要る。

 次の話を、次の温度で、もう一度名前へ結びつけなければならない。


 私はそこまで考えて、ふと『再構成_危ない案』のことを思い出していた。


 いま誰にも見せていない新企画。

 高梨は前向きだった。

 続きが読みたいと言ってくれた。

 前よりずっと“あなた”だとも。


 このホテルの夜で見た憧れや見栄や惨めさまで、あの企画へ流し込めたらどうなるだろう。


 アニメ化作家への羨望。

 売れていない作家への優越感。

 若い受賞者の未来の顔。

 営業の数字の目。

 名前を覚えられるか、忘れられるかという静かな怖さ。


 どれも、生々しい。

 どれも、たぶん少し醜い。

 でも、だからこそ、ちゃんと小説の材料になる気がした。


 私はグラスを取り上げ、会場のざわめきの中で静かに思った。


 今夜ここで見たものは、たぶん全部、次の話の輪郭へ入る。

 そうでなければ、この居心地の悪さが少し報われない。


     ◇


 高梨がこちらへ戻ってきた時、私はもう会場の空気に少しだけ慣れていた。


「どうですか」


 彼はいつものように短く聞く。


「見えてきた気がする」


 私がそう言うと、高梨は少しだけ首を傾げる。

「何がですか」


「この場の仕組み、みたいなもの」


 高梨はそれを聞いて小さく笑った。

「嫌なもの、見えますよね」


「かなりな」


「でも、それが分かると少し楽になる時もあります」


「そうかもな」


 私はうなずいた。


「名前を覚えられる人と、流れていく人がいる」


 ぽつりと言うと、高梨は一瞬だけ私を見た。

 それから、すぐに理解したようにうなずいた。


「いますね」


「自分がどっちか、考えてしまう」


「考えますよね」


 その返しが、いかにも高梨らしかった。

 慰めでも否定でもなく、ただ事実として共有する感じ。


「でも、佐伯先生は少なくとも“いない人”ではないです」


 彼は少しだけ言葉を選んで続ける。


「ちゃんと会場の中で名前が通る側です。あとは、それをどう残していくか、なんだと思います」


 私はその言葉を聞きながら、胸のどこかで少しだけ熱が戻るのを感じた。


 どう残していくか。

 たぶん、その問いが今の私には必要なのだろう。


 受賞するかどうか、

 アニメ化するかどうか、

 シリーズがどこまで続くか、

 そういう大きなことももちろんある。


 でもその前に、作家として自分の名前がどういう仕方で残るのか。

 それを決めるのは、結局また次の作品なのだ。


 私は会場の中央を見た。

 人は相変わらず笑い、挨拶し、少しずつ輪を変えていく。

 ホテルの照明はやわらかい。

 でも、そのやわらかさの下にある競争の感じも、今夜はもう少しだけ直視できそうだった。

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