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四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のままだ  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第33話 招待状は、少しだけ自尊心をくすぐる

 そのメールは、水曜の午後三時四十分に来た。


 営業管理課の島では、ちょうど空気が少しだけ荒れていた。月初の見込み調整が思ったより長引いていて、営業部は楽観寄りの数字を押し込みたがり、榎本はそれを現実的な線へ戻そうとして眉間に薄く皺を寄せていた。三浦は先方とのやり取りで使う語尾を何度も変え、本城は会議用の一覧を整えながら、その横で起きている小さな火種をたぶん全部把握している顔をしていた。


 私はその真ん中で、例によって“いちばん角が立たない修正”を選び続けていた。


「係長、ここ“前向きに再調整します”だと、ちょっと強いですか」


 三浦がモニター越しに聞いてくる。


「強いな」


「やっぱりですか」


「前向き、を入れると相手が勝手に期待値を上げる。今は“再確認します”くらいでいい」


「うわあ、夢がない」


「仕事に夢を入れると後で面倒なんだよ」


 三浦が笑い、本城が横で小さくだけ口元を緩める。


 そのタイミングで、私の社用ではないほうのスマホが震えた。


 机の右奥、ノートパソコンの陰。会社の人間から見れば、たぶん家族か宅配か、せいぜいそんなところだと思われる通知の場所。私はすぐには見なかった。営業管理課係長としての顔をしている最中に、別の人生の入口を開けるのは少し危うい気がしたからだ。


 だが、数分後、榎本の見込み表の数字を一段落させたあとで、私はさりげなく画面をのぞいた。


 高梨からだった。


『お疲れさまです。

 出版社の周年パーティーの案内が出ました。

 よろしければご参加いただければと思います。

 詳細お送りします。』


 私はその文面を見た瞬間、指先が少しだけ止まった。


 周年パーティー。

 出版社主催。

 参加いただければ。


 たったそれだけの事務的な文面なのに、胸の奥へ落ちる時には、妙に違う重さを持った。


 招待、なのだ。

 呼ばれている。

 “作家”として。


 私はスマホを一度伏せた。

 なぜか、すぐに読み返すのが気恥ずかしかった。


「係長?」


 榎本が声をかける。

「ここの数字、先方の反応待ちで一回留めます?」


「あ、ああ。そうしよう」


 私はすぐに仕事の画面へ視線を戻したが、頭の片隅にはもうホテルのシャンデリアみたいな光景が勝手に差し込み始めていた。


 都内の一流ホテル。

 立食形式。

 出版社ロゴの入った看板。

 作家、編集、営業、書店関係者。

 ペンネームで印字された名札。


 会社では、私はただの佐伯係長だ。

 名字で呼ばれ、数字を見て、文面の温度を整えて、夕方には疲れた顔でコピー機の前を通る。

 その私が、ホテルのパーティーでは“作家”として名札をつける。


 そのねじれが、少しだけ眩しくて、少しだけ落ち着かない。


     ◇


 高梨から送られてきた詳細は、その日の夕方に改めて確認した。


 場所は都内の一流ホテル。

 出版社の周年記念も兼ねた大きめの会で、作家、編集、営業、宣伝、書店関係者の一部が参加するらしい。会の趣旨そのものはごく穏当だ。日頃の感謝、情報交換、懇親。そういう、業界にありがちな社交の場である。


 だが、作家という生き物にとって、そういう場は穏当な顔をしていても中身はかなりざわつく。

 少なくとも私はそうだ。


 新刊の数字がいい作家もいれば、鳴かず飛ばずの作家もいる。

 アニメ化が決まった作家もいれば、中間選考止まりを何度も繰り返している人間もいる。

 若い受賞者もいれば、私みたいに会社の名刺と作家の名前のあいだで生活している人間もいる。


 そういう人間が、一つのホテルの広間へ集められる。


 華やかだ。

 そして、たぶん少し残酷だ。


 私はその案内文を、帰りの電車で何度も見返した。


『ご都合が合いましたらぜひ』

『参加作家の皆さまとの懇親の機会として』

『ぜひお気軽にご参加ください』


 お気軽に、という言い方が少し可笑しかった。

 作家がこういう場をお気軽に受け取れるなら、たぶんもう少し人生は単純だろう。


 私は吊り革につかまりながら、自分に問いかけていた。


 行くのか。

 行かないのか。


 若い頃の私なら、たぶん迷わず行った。

 業界の空気を吸いたかったし、有名な作家を遠目にでも見たかったし、“呼ばれる側”になったこと自体を少し大げさに喜んだだろう。


 今の私は、もう少し面倒だ。


 行けば、比べてしまう。

 アニメ化作家、売れている作家、若い受賞者、自分より明らかに苦戦している同業。

 私はその全部を見て、きっと内心でいろいろな感情を動かす。


 憧れも。

 焦りも。

 優越感も。

 劣等感も。


 そういう、自分の少し嫌な部分まで見せられそうな気がした。


 だったら行かなければいい。

 そういう考え方もある。


 だが同時に、行かないことにも別の負い目がある。

 せっかく呼ばれているのに。

 現役でシリーズを出していて、ちゃんと出版社との関係もあるのに。

 そういう場へ背を向けるのは、どこかで自分から“業界の外”へ寄っていく感じもする。


 私は結局、最寄り駅へ着くまでに答えを出せなかった。


     ◇


 家へ帰ると、夕食は鯖の塩焼きだった。


 真由美が味噌汁をよそい、結衣がスマホを見ながら「今日ちょっと暑かった」と言い、私はネクタイを外しながら「そうかもな」と返す。どこにでもある平日の食卓。都内一流ホテルのパーティーとは、あまりにも温度が違う。


 その落差に、私は少しだけ安心する。

 華やかな世界は、こういう普通の夕食の上には乗らない。

 少なくとも、何も言わなければ。


「何かあった?」


 真由美が不意に聞いた。


 私は箸を持つ手を少しだけ止めた。

「何が」


「ちょっと考えてる顔してる」


 最近、本当に顔ばかり見抜かれる。

 昔はもう少し隠せた気がするのだが、年齢のせいか家族の観察力のせいか、最近の私はどうも分かりやすいらしい。


「出版社の会があるらしい」


 私は曖昧にそう言った。


「会?」


「周年のパーティーみたいなやつ」


 結衣が顔を上げる。

「パーティーって、ホテルとかでやるやつ?」


「たぶんそういうやつ」


「へえ」


 彼女は少しだけ面白そうな顔をした。

「お父さん、そういうの行くんだ」


「まだ行くとは言ってない」


「でも誘われたんでしょ」


 真由美がさらりと言う。

「なら、行けばいいじゃない」


 私は味噌汁を一口飲んだ。

 熱い。

 その熱さで少しだけ時間を稼ぐ。


「そう簡単でもないんだよ」


「何が?」


 結衣がストレートに聞く。


 私は少し考えてから答えた。


「そういうところって、行くといろいろ見えるから」


「いろいろって」


「自分よりすごい人とか、自分より若い人とか、自分より売れてない人とか」


 言葉にしてみると、だいぶ嫌な人間みたいだと思った。

 いや、実際そういう嫌な部分はあるのだろう。


 結衣は少しだけ目を丸くしてから、正直に言った。

「うわ、めんどくさいね」


 私は笑ってしまった。

「そうなんだよ。めんどくさい」


 真由美も小さく笑う。

「でも、それって行く前から分かってるなら、逆に行ったほうがいいんじゃない?」


「なんで」


「自分がそういうの感じる人間だって分かってるなら、別に今さら綺麗な顔しなくていいでしょ」


 私は少しだけ黙った。


 綺麗な顔をしなくていい。

 その言い方は、思ったより深く入った。


 若い頃の私は、こういう場へ行く時、もっと“作家らしい顔”をしたがっていたかもしれない。業界人らしく、落ち着いて、変に浮かれず、でも萎縮もしない。そういう理想の立ち方をイメージしていた。


 でも今の私は、もう少し正直だ。

 憧れる。

 比べる。

 ちょっと落ち込む。

 少し優越感も持つ。

 そういう全部が出るだろうと、最初から分かっている。


 ならば、その自分ごと行けばいいのかもしれない。


「服とかどうするの?」


 結衣が聞いた。


「スーツだろうな」


「普段の会社のやつ?」


「たぶん」


「なんか、そういう時用の、ちょっといいやつとかないの」


 私は思わず苦笑した。

 そういう時用のちょっといいやつ。

 ないこともない。だが、それを今すぐ出して着る自分を想像すると、少しだけ気恥ずかしい。


「クローゼット見て決めるよ」


 そう答えると、真由美が「それがいい」と頷いた。

 結衣は「ホテルなら靴もちゃんとしたほうがいいよ」と言う。

 まるで私が初めて会社の外へ出るみたいな扱いだが、少しありがたくもある。


     ◇


 食後、風呂を済ませ、書斎へ入る前に、私は本当にクローゼットの前へ立った。


 会社用のスーツが並んでいる。

 ネイビー、チャコールグレー、少し古い黒。

 その中に、一着だけ、普段あまり着ない濃いめのスーツがある。結婚式や、もう少し改まった場に着る用のやつだ。


 私はハンガーを少しずつずらしながら、考える。


 都内一流ホテル。

 出版社のパーティー。

 作家としての名札。


 何を着ていくかなんて、本来そこまで大きな問題ではない。

 清潔で、場違いでなければ、それでいいはずだ。


 でも、こういう時、人は服へ少しだけ気持ちを預ける。


 会社のスーツそのままで行けば、普段の自分の延長でいられる気がする。

 少しだけいいスーツを着れば、作家の場へ行く自分を少しだけ立派に見せられる気もする。


 私はネイビーの一着を手前へ引いた。

 普段より少しだけ艶がある。派手ではない。年齢的にも無理はない。

 たぶん、これでいい。


 そう思った瞬間、胸の奥に妙な感覚があった。


 少しだけ、誇らしいのだ。

 そしてその誇らしさが、少しだけ気恥ずかしい。


 私はこの歳になっても、まだ“作家として招かれる場”というものに心が動くらしい。会社ではただの係長で、家では牛乳を買って帰る父親で、夜は書きかけの企画の前で新人みたいに怖がっている人間が、一流ホテルのパーティーへ“呼ばれる側”として行く。


 その事実は、たしかに少しだけ自尊心をくすぐる。


 たぶん、それでいいのだろう。

 そういう自分のわかりやすい部分を、今さら否定しなくても。


 私はハンガーを戻し、スマホを取り出して高梨へ短く返した。


『ご案内ありがとうございます。出席でお願いします。』


 送信する。

 すぐに既読がついた。


 それだけで、妙に現実味が増した。


 私はパソコンを開き、メモ帳へ一行だけ残す。


『招待状は、少しだけ自尊心をくすぐる。それをみっともないと思うほど、私はまだ完全に枯れていない。』


 打ってから、少しだけ笑った。


 そうだ。

 たぶん、私はまだ枯れていない。

 だからホテルの照明を想像して少し浮かれ、

 そこで会う作家たちを思って少し気後れし、

 何を着るかで少しだけ迷う。


 その面倒くささごと持って、次の章へ入ればいいのだろう。

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