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四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のままだ  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第22話 若い受賞者、遅い帰宅

若い受賞者の報告を見る時、私は自分でも驚くほど静かな気持ちになる。


 いや、正確には静か“すぎる”のかもしれない。

 二十代の頃の私なら、もっと露骨にざわついていただろう。焦って、羨んで、苛立って、勝手に落ち込んで、「いやでも俺は俺だし」みたいな雑な強がりまで一通りやって、それから深夜の机へ戻ったはずだ。


 いまは、そこまで若くない。

 四十七歳にもなると、他人の成功に対して見せる感情も少しずつ年を取る。


 露骨な嫉妬にはならない。

 だからといって平気でもない。


 そのあいだの、どうにも説明しづらいところに、私はよく立っている。


 その夜もそうだった。


 会社を出たのは、八時少し前。

 営業管理課のフロアにはまだ数人残っていて、榎本は営業部との数字の擦り合わせを引きずっていたし、本城は明日の会議資料を最後まで整えていた。三浦は先に客先直帰扱いで帰っていたが、たぶん家でも今日のやり取りを思い返しているだろう。


 私は「お先に」と言ってフロアを出て、エレベーターを待ち、夜のビルの外へ出た。

 風は少し湿っていた。朝の予報どおり、明日は雨かもしれない。月末が近いオフィス街は、夜になっても人通りが多い。スーツ姿の群れの中へ混ざると、自分が何者でもなくなる感じがする。係長でも、作家でもなく、ただその日を消費し終えた会社員の一人。


 そういう匿名性は嫌いではない。

 ただ、その夜は少しだけ心の置き場が悪かった。


 会社では会社の現実がある。

 新シリーズは決まっていない。

 webコンテストは中間まで通ったが、その先に届く保証はない。

 今のシリーズはありがたいことに動いている。

 でも、その“ありがたい”と“次がまだない”は、きれいに相殺されるものではない。


 そんなことを考えながら、駅までの信号待ちで私はなんとなくスマホを開いた。

 やめておけばよかったのかもしれない。

 でも、こういう夜ほど人は何か別の光を探してしまう。


 開いたのはSNSだった。


 タイムラインを少し流しただけで、それはすぐ目に入った。


『第◯回web小説コンテスト受賞しました!』

『書籍化決定です』

『人生変わりました』

『応援してくださった皆さま、本当にありがとうございます!』


 投稿者のプロフィール写真は若い。

 文体も若い。

 文章の端にある勢いが、もう若い。


 大学生。

 二十四歳。

 社会人一年目。

 「仕事辞めます」。

 「夢だったデビュー」。

 「これから全力で書きます」。


 私は信号が青になるまで、その画面を見つめたまま動けなかった。


 羨ましい、と思った。

 それは嘘ではない。


 だが、その羨ましさは、自分でも扱いにくい種類のものだった。


 若いことが羨ましいのか。

 受賞そのものが羨ましいのか。

 “人生変わりました”と、いまこの瞬間にちゃんと言い切れることが羨ましいのか。


 たぶん全部だ。

 でも、そこへまっすぐ「悔しい」と行ききれない自分もいる。


 なぜなら私は、もう若い受賞者たちのいる場所へ戻れないことを知っているからだ。


 大学生のまま夜を全部創作に使うことはできない。

 新卒の勢いで仕事も生活もいったん横へ置いて、作品に賭けることもできない。

 会社を辞めます、と一行で書いたあとに、そのまま飛べるほど身軽ではない。


 私には会社がある。

 家がある。

 家計簿がある。

 健康診断の紙がある。

 娘の進学があり、親の老いも少しずつ現実になってきている。


 若さという武器は、たぶんそこにある。


 時間そのものではない。

 失っていいものが、まだ少ないこと。

 飛び込んだ後の怖さを、今の私ほど具体的に想像しなくて済むこと。


 私はその事実を、羨望と諦めが半分ずつ混じったような気持ちで見ていた。


     ◇


 電車に乗ってからも、私はしばらくスマホを閉じられなかった。


 タイムラインには、似たような報告がいくつも流れていた。たまたま受賞シーズンが重なっているのか、それとも私がそういう情報を拾いやすい位置にいるだけなのか。どちらにしても、今日は妙によく目につく。


『商業デビュー決まりました』

『担当さんと初打ち合わせ』

『夢みたいです』

『これからは書くこと一本で』


 一本で。

 その言葉が、いちいち胸のどこかへ触る。


 私はいま、二本で生きている。

 いや、二本というほどきれいでもないのかもしれない。

 会社員としての生活と、商業作家としての継続と、その隙間で次回作やコンテスト用の新作を考える時間まで含めると、三重くらいの生活だ。


 その生活を否定したいわけではない。

 ここまで来るのに、私はかなりの時間をかけた。

 そしてその時間の中で、自分なりの戦い方も身につけてきた。


 でも、若い受賞者の言葉を読んでいると、一度くらいはそういう一本化の人生をやってみたかった気持ちも、まだ胸のどこかに残っているのだと分かる。


 私は二十四歳の受賞者の投稿を一つ開いた。

 プロフィールには「大学卒業前に受賞」「春から専業作家として挑戦」とある。添えられた写真には、新品のノートパソコンとコーヒーと受賞通知のスクリーンショット。希望の構図として、あまりに完成されていた。


 私はそこでようやくスマホを閉じた。


 閉じても、画像の明るさはしばらく目の裏に残る。


 羨ましい。

 でも、自分がそこへ戻りたいかと言われると、それも少し違う。


 いまの私は、二十四歳の自分には戻れない。

 戻れないだけではない。戻ったところで、今の私が書けるものは書けなくなるだろうとも思う。


 会社で人の言葉を丸くし、

 家で生活の会話をし、

 遅い時間にようやく机へ向かう。


 その消耗の上にしか立たない会話の温度があることを、私はもう知っている。

 読者が「ちゃんと優しくない」と言ってくれたあの感覚も、たぶん若い頃の私にはまだ出せなかった。


 だから、単純に若さへ戻りたいわけではない。


 ただ、若さが持つ“飛べる感じ”が少しだけ眩しいのだ。


 それがいちばん近い。


     ◇


 最寄り駅に着く頃には、雨がほんの少し落ち始めていた。


 細い雨だ。

 傘を差すほどでもないが、顔に触れると分かる程度の湿り気がある。私は駅前のコンビニで炭酸水を一本買い、ついでに家用の牛乳もカゴへ入れた。こういう買い物をしている時、どれだけタイムラインで若い受賞者を見ても、生活はきわめて普通の顔でこちらへ戻ってくる。


 牛乳。

 炭酸水。

 食パンが安かったので一袋。

 それだけだ。


 レジで会計をしながら、私は妙に落ち着くのを感じていた。

 若い受賞者たちの“人生変わりました”は眩しい。

 でも、今夜の私には牛乳も必要なのだ。

 その現実は、たぶんみっともなくない。


 家へ帰ると、リビングにはまだ灯りがついていた。


「おかえり」


 真由美がソファで洗濯物を畳みながら言う。テレビでは旅番組が流れていて、結衣はダイニングテーブルで何かの問題集を開いたままスマホを見ていた。


「雨、降ってきた?」


「少しだけ」


 私はコンビニ袋をテーブルへ置く。

 牛乳を見た真由美が「あ、助かる」と言った。


 その一言で、私はさっきまでのSNSの光景が少し遠ざかるのを感じた。

 人生変わりました、の投稿のすぐあとに、牛乳ありがとう、がある。

 これが今の私の生活だ。


「お父さん、今日遅かったね」


 結衣が顔を上げる。


「会議が長かった」


「会社って毎日会議してるね」


「毎日してる」


「それでよくみんな嫌にならないね」


「嫌にはなってると思う」


 結衣が笑った。

 真由美も小さく吹き出す。


 私は上着を脱ぎながら、その笑いの温度に少しだけ救われた。

 若い受賞者のタイムラインは眩しかった。

 だが、いまこのリビングの笑いも、たぶん別の意味で私を救っている。


 飛べる感じはない。

 でも、落ち着く。

 安心する。

 生活は、こういう重さを持っている。


 それを捨ててまで飛べなかったことを、昔の私は弱さだと思っていた。

 今も、全くそう思わないわけではない。

 でも、弱さだけでは説明しきれない何かも、ここにはある。


     ◇


 食後、風呂を済ませて書斎へ入る頃には、もう十一時を回っていた。


 いつもの時間だ。

 会社員兼作家としては、ごく普通の遅さとも言える。


 机の上には見本誌と会社の手帳と健康診断の紙。

 相変わらず仲良く並んでいる。どれか一つだけの人生なら、もっと机はすっきりしているのかもしれない。だが、私の机はいつも少し雑然としていて、それが今の自分には案外しっくり来る。


 私は椅子へ座り、まずはメモ帳を開いた。


 今日のうちに書いておきたいことがある。

 タイムラインで見た若い受賞者たちの明るさと、それを見た時の自分のやや扱いにくい感情だ。


『若いことは武器だ。』


 まずそう打つ。

 続ける。


『時間があることより、失っていいものがまだ少ないことのほうが、たぶん武器として大きい。』


 そこで少し止まる。

 これは少し冷たい言い方だろうか、と一瞬思う。

 でも、今の私にはそれがいちばん近い。


 若さは、単純に体力や感性の話だけではない。

 生活の固定がまだ少ないこと。

 家計や家族や健康の不安が、今の私ほど具体的な重さを持っていないこと。

 だからこそ、少し無茶な熱量のまま作品へ飛び込める。


 私はそのことを羨む。

 羨むが、同時に、自分にはもう別のものがあるとも思う。


『でも、武器がないまま戦う方法もあるはずだ。』


 その一行を打った時、私は少しだけ救われた気がした。


 若さを失った。

 それは事実だ。

 少なくとも創作へ使える自由時間や、生活の身軽さという意味では、私はもうかなり条件が悪い。


 だが、条件が悪いから書けないと決めるには、ここまで来た時間が長すぎる。

 会社を続けながらでも本を出してきた。

 オリコンへ入る週もあった。

 読者はゼロではない。

 職場のすぐ近くに、私の本を読んでくれる人までいた。


 ならば、若い受賞者たちと同じ武器がないからといって、そこで終わる必要もないのだろう。


 私はメモ帳へもう一行だけ加えた。


『若さで飛べないなら、重さを抱えたまま進むしかない。』


 それは決意というほど立派なものではない。

 むしろ、静かな諦めに近い。

 でも、今夜の私にはそれで十分だった。


     ◇


 原稿ファイルを開く前に、私はもう一度だけ深く息を吸った。


 会社員の一週間は創作に向いていない。

 それは昨日、かなりはっきり言葉にした。

 そして今日は、その向いていない人生で新しい賞を取る若い人たちを見た。


 落ち込んで当然だ。

 少しは羨んで当然だ。

 でも、その感情に飲まれたまま終わるのは、たぶん違う。


 私は若さを持っていない。

 その代わりに、別のものを持っているはずだ。


 うまく言えない会話の感触。

 仕事で人の期待を整える時の痛み。

 生活を壊さないようにしながら、でも少しだけ壊したくなる瞬間。

 そういうものは、たぶん今の私にしか書けない。


 私はカーソルを置き、一行だけ打った。


『彼は、若い受賞者の報告をまぶしいと思った。まぶしいと思う自分を、みっともないとも思った。けれど、その両方を感じる年齢まで来たからこそ、書けるものもあるのだと、まだ完全には諦めていなかった。』


 打ち終えて、私は少しだけ肩の力を抜いた。


 まだ完全には諦めていない。

 その言い方が、今夜の自分にはちょうどよかった。


 夢を捨てていない、では少し気恥ずかしい。

 負けていない、では少し大げさだ。

 でも、まだ完全には諦めていない、なら、四十七歳の会社員兼作家としてかなり正確な気がする。


 私はそのまま、次の一行へ手を伸ばした。


 帰宅は遅い。

 若い受賞者のように、明るい写真とともに人生の転換点を宣言できるわけでもない。

 それでも、夜の机で続きを書けるなら、それはまだ負けきっていないのだろう。


 そう思いながら。

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