第21話 会社員の一週間は、創作に向いていない
月曜日の朝は、だいたい月曜日らしい顔をしている。
それは人間の顔のことだ。通勤電車の中吊り広告がどうとか、駅前の空の色がどうとか、そういう文学的な話ではない。吊り革につかまっているサラリーマンの目元、ホームを早足で渡る若い社員の肩、コンビニのレジ前で無言のままコーヒーを買う人の背中。そういうものが全部、ああ月曜日だなという空気を作る。
私も、たぶんその一人だった。
四十七歳、営業管理課係長、現役ライトノベル作家、発売週にはオリコンに入ることもある男。
肩書きを並べると少し変わって見えるが、月曜朝の私の顔はどう見ても普通の中年会社員だ。むしろ、少しだけ疲れているぶん、同年代の中でも地味なくらいかもしれない。
その日も私は、東西線のドア脇で吊り革につかまりながら、スマホのメモ帳を開いていた。
昨夜、寝る前に思いついた新企画の断片が一つある。
断片というより、ほとんど気配だけだ。
中年の男。
会社。
誰にも言えない別の顔。
でも今の私の現シリーズほど静かではなく、もう少しだけ危うい温度を持っている話。
高梨に言われた「失敗しない企画を考えすぎている」という言葉が、まだ胸に残っている。だから最近は、何か思いついたらとにかく安全運転で整える前に、まず雑なままでもメモに残すようにしていた。
そのほうが、今の自分には必要な気がするからだ。
私は揺れる車内で、親指だけで短く打つ。
『月曜の電車で、自分の人生をまだやり直せると思っている中年は、だいたい少しだけ滑稽だ。でも、その滑稽さがないと、新しい話は始まらない。』
打って、保存する。
それだけだ。
通勤電車の中で書けるのは、せいぜいこれくらいである。
車内アナウンスが流れる。
誰かの肘が軽く腕に当たる。
スマホをしまう。
そして私はまた、係長の顔に戻る。
会社員の一週間は、創作に向いていない。
最近、その当たり前を改めて思い知っていた。
◇
月曜日の午前は、だいたい先週の尻尾から始まる。
営業管理課の島へ着くと、榎本がすでに営業部から上がってきた数字の確認をしていて、三浦は先方とのメールの文面に頭を抱えていた。本城は共有フォルダの資料を静かに並べ替えている。誰も月曜に夢など見ていない。見ているのは締切と見込みと客先の顔色だけだ。
「係長、おはようございます」
本城が顔を上げた。
その一言は相変わらず静かで、しかし仕事のスイッチはすでに入っている声だった。
「おはよう」
私は鞄を置き、ノートパソコンを立ち上げながら返す。
「朝イチで営業部から見込み来てます」
榎本が言う。
「また少し強めです」
「月曜の朝に強気なのは、だいたい午後には削ることになる」
「そうなんですよねえ」
私は受け取った表に目を通す。
案の定、根拠が薄い。希望値が数字の顔をして座っている。
「ここ、前週比でこの伸びはまだ早い」
「営業は“もう手応えあります”って言ってますけど」
「手応えは、たまに妄想の別名だからな」
榎本が笑った。
「朝から辛辣」
「辛辣じゃない。現実的なだけだ」
三浦が横から口を挟む。
「係長の“現実的”って、たまに人の夢を殺すワードですよね」
「夢を見たまま月末締められるなら苦労しない」
「それもそうか」
こういうやり取りをしていると、あっという間に午前が消える。
数字を確認し、文面を直し、会議に出て、また戻る。
月曜日はまだ一日目なのに、気分としてはすでに週の半ばくらいの疲れがある。
それでも、今の私は少しだけ前向きだった。
新企画の断片が、週末からかすかに頭へ戻ってきているからだ。
戻ってきている。
だが、育てる時間がない。
ここが問題だった。
◇
火曜日は会議が長かった。
長かった、というより、同じ話を言い換えながら確認し直す時間が多かった。営業部は少しでも前向きな材料を拾いたがり、部長は現実的な数字を求め、現場は現場で「それ以上は動かせない」と言う。その中間で、営業管理課は毎回、言葉の置き方を一つずつ調整しなければならない。
「ここは“検討中”でいいのか」
部長が資料を見ながら言う。
私は少し考えてから答える。
「“調整中”のほうがいいかもしれません。検討だと、まだ机上の印象が強いので」
「ふむ」
部長が頷く。
検討と調整。
たったそれだけの違いで、相手の受け取り方は案外変わる。
私はそういうことばかりやっている。
会社では。
会議が終わったあと、エレベーターホールで三浦がぼやいた。
「係長って、ほんとそういう言葉の使い分け早いですよね」
「長くいると嫌でも覚える」
「俺なんか、“どっちでも同じじゃないですか”って思っちゃうんですけど」
「その“どっちでも同じ”で後で燃えるから、仕事は面倒なんだよ」
「うわ、リアル」
リアル。
そうだろう。
だが、そのリアルさを夜の原稿へ持ち帰るには、そこからさらに時間と気力が要る。
火曜日の夕方の私は、言葉の違いを見抜く気力はまだ残っていても、それを物語の会話へ変換するだけの余力があるかというと怪しい。
帰りの電車で、私はまたメモ帳を開いた。
『会社の言葉は燃やさないために選ぶ。小説の言葉は燃えるかもしれなくても残すために選ぶ。』
短く打つ。
悪くない。
でも、その先が続かない。
スマホを閉じる。
疲れている。
そして、帰ればまだ家の時間もある。
火曜日の夜に新企画を育てるのは、もう少し若い体力が要るのかもしれない、と私は少しだけ思った。
◇
水曜日は、いちばん中途半端に削れる。
月曜ほどの慌ただしさはない。
金曜ほどの締めもない。
だからこそ、細かい案件がいくつも顔を出す。
誰かの見落としを拾い、
誰かの言い方を直し、
誰かの焦りを少しだけ薄める。
私は昼前、本城の作った会議メモを見ながら「ここ、順番だけ入れ替えたほうが伝わりやすい」と伝えた。本城はすぐに頷き、「たしかにそのほうが先方の意図が先に来ますね」と返した。こういう瞬間、私はやはり会話の順番を考える人間なのだと思う。
順番。
それは仕事でも創作でも、たぶん同じだ。
だが、そんな“たぶん同じ”という気づきがいくつ頭へ浮かんでも、それだけでは新企画は形にならない。形にするには、まとまった時間が必要だ。資料を閉じ、誰にも呼ばれず、途中で部長に「佐伯くん、ちょっといいか」と止められず、電話もメールも来ず、目の前の画面だけを見ていていい時間。
そういう時間が、平日の私にはほとんどない。
昼休み、本城が自席で弁当を広げている横で、私はカロリーメイトを齧っていた。三浦は外へ出て、榎本は営業部へ捕まっているらしい。
「係長、それでお昼ですか」
本城が少しだけ眉を上げる。
「今日はこれでいい」
「よくないと思います」
「そうかもしれないけど」
「そういうところで削ると、夕方に顔に出ますよ」
私は苦笑した。
「最近、みんな顔のことばっかり言うな」
「分かりやすいんですよ」
「そんなにか」
「そんなにです」
彼女はきっぱりと言って、味噌汁の蓋を開けた。
私はその横顔を見ながら、ふと思う。
この人の“そんなにです”の温度まで、新企画の会話へ使えたらいいのに。
だが、そう思うだけでは駄目なのだ。
そこから先へ進めるには、夜の机に座り、疲れた頭でもう一度その温度を思い出し、別の誰かの台詞へ落とし込まなければならない。
会社員の一週間は、そういう意味で創作に向いていない。
素材はある。
いや、素材ばかりある。
だが、調理する時間と火力が足りない。
◇
木曜日の夜、私は久しぶりに新企画のタイトル案だけを十個並べた。
書斎の机。
デスクライト。
日付の変わる少し前。
会社のメールはもう見ないことにした時間。
タイトル案の列は、どれも少しだけ大人しい。
『雨のあと、言えなかったこと』
『四十代の途中で、僕らはまだ』
『係長と、夜にだけ動き出す話』
『誰にも言えない春の続き』
『月曜の電車で人生は変わらない』
私はその五つを見て、すぐに駄目だと思った。
悪くない。
でも、弱い。
弱いというより、安全だ。
少しだけ文学っぽく、
少しだけ人生の苦みがありそうで、
少しだけ読者層に寄せている。
その“少しだけ”が、全部を薄めている。
高梨の言葉が蘇る。
失敗しない企画を考えすぎてます。
私は残りの五つも並べた。
やはり似たようなものだった。
タイトル案だけで、もう自分の守りが見える。
平日の疲れた頭で考えると、人間はどうしても“すでにどこかで見たことがある感じ”へ寄るらしい。
私は十個を全部消した。
メモ帳には空白だけが残る。
それを見て、少しだけ笑ってしまう。
進んでいない。
むしろマイナスかもしれない。
だが、それが現実だ。
四十七歳の会社員兼作家が、木曜の深夜に新シリーズのタイトルをひねろうとした結果は、たいていこんなものだ。
それでも、机の前に座ったこと自体は無駄ではないはずだと、自分に言い聞かせる。
そうでも思わないと続かない。
◇
金曜日の夜、会社を出た時には、もう頭の中がほとんど平坦になっていた。
平坦、というのは悪い意味ではない。
ただ、創作に向く起伏がないのだ。
疲れている。
今週もどうにか回した。
月末の数字は何とか着地した。
榎本も三浦も本城も、それぞれの持ち場でちゃんと働いた。
私も係長としてやるべきことはやった。
そこまではいい。
だが、そのあとで“よし、じゃあ新シリーズの企画を一気に進めるか”という頭にはなかなかならない。
家へ帰り、食事をし、風呂へ入り、家族と言葉を交わし、時計が十一時を回る頃にようやく書斎へ入る。そこから新企画のキャラクターを立ち上げ、物語の核を掴み、タイトルまで考える。そんなことが毎週うまくできるなら、世の中の兼業作家はもっと楽だろう。
私は金曜の夜の机で、メモ帳を開いた。
原稿ではなく、またメモ帳だ。
少しだけ悔しい。
今週も新企画は、タイトル案を消したところから大きくは進んでいない。
通勤電車で断片は拾った。
会議中に使えそうな言葉もいくつか浮かんだ。
会社の会話の温度、家の空気、喫茶店で聞いた知らない読者の雑談、全部どこかでは生きている。
でも、それらはまだ“材料”のままだ。
作品へ変わるところまで辿り着いていない。
私は静かな部屋で、キーボードに向かって打った。
『会社員の一週間は、創作に向いていない。』
それがまず最初の本音だった。
『向いていないのに、私はその一週間の端切れだけで次の物語を考えようとしている。』
続ける。
『朝は通勤電車で断片を書き、昼は会議の隙に台詞を思い出し、夜は疲れた頭で構成をいじる。そんな作り方で、よくここまで本を出してきたと思う。』
そこまで打って、私は少しだけ手を止めた。
よくここまで本を出してきた。
それは、少し自分を甘やかしすぎる言い方だろうか。
いや、でも、事実でもある。
若い頃の私は、会社の合間に書いている自分を“まだ足りない”側の人間として見ていた。もっと時間があれば、もっと若ければ、もっと勢いがあれば、と、ないものばかり数えていた。
でも、今週みたいに月曜から金曜までの現実をちゃんと通り抜けてみると、むしろ“よくこの細切れで書いてきたな”と思ってしまう。
それは自慢ではない。
驚きに近い。
向いていない条件で、ずっと向き合ってきた。
向いていないからこそ、書けたものもきっとある。
だが、向いていないことはやはり向いていない。
そこを美談にはしたくなかった。
私はもう一行、打った。
『問題は時間より先に、気力が削れることだ。』
たしかにそうだ。
平日の一番つらいところは、書く時間が物理的にないことではない。ないのはもちろん困る。でも本当に厄介なのは、時間があったとしても、頭がもう“別のことを考える燃料”を残していない夜があることだ。
会社で人の言葉を整え、
家で生活の話をし、
そこからなお別の物語の言葉を立ち上げる。
それは、やはり三つ目の仕事なのだと思う。
私はそこで、ようやく今週の痛みの輪郭をちゃんと掴んだ気がした。
新シリーズが決まらない苦悩。
中間選考までは行くのに、その先で止まる悔しさ。
そして、その悔しさをすぐには燃料へ変えられないほど、平日の私は会社に削られている。
それを認めるのは、少しだけ情けない。
でも、認めないままでは次へ行けない。
◇
時計はもう零時に近かった。
私はメモ帳を閉じ、少しだけだけ原稿ファイルを開いた。新企画ではなく、現行シリーズの続きのほうだ。こちらはまだ筋がある。読者もいる。高梨も待っている。会社員の一週間の狭間で、私はまずここを落とさないようにしなければならない。
それが現実だ。
その現実の上で、新しい企画も育てたい。
欲張りだと思う。
でも、そうでなければたぶんこの年齢まで書いていない。
私はキーボードに手を置き、今週拾った断片のいくつかを頭の中で並べた。
月曜の電車。
火曜の会議室。
水曜の本城の「そんなにです」。
木曜の消したタイトル案。
金曜の平坦な疲れ。
全部、創作に向いていない一週間のはずだった。
それでも、その一週間の中にしか生まれなかった言葉がたぶんある。
私は少しだけ笑った。
向いていないのに、やめられない。
それがたぶん、今の私の作家としての形なのだろう。
そしてその形が、みっともなくても、少しずつ次の話を作っていくのだ。




