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四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のままだ  作者: 御上常陸介寛浩


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第20話 おめでとうと言われるほどではない

中間通過の通知を受け取った翌日も、会社は何ひとつ祝ってくれなかった。


 当たり前だ。

 祝う理由を誰も知らないのだから。


 私は朝、いつも通りにスーツへ袖を通し、ネクタイを締め、通勤電車に乗り、会社の最寄り駅で少しぬるい缶コーヒーを買ってからビルへ入った。エレベーターの中には見慣れた顔が数人いて、そのうちの一人が「今日、午後から雨らしいですね」と言った。私は「そうらしいですね」と返した。


 その時点で、昨日の通知はもうずいぶん遠い場所の出来事みたいに感じられた。


 一次・中間選考通過。

 作品タイトル。

 定型文。

 あの通知画面は、たしかに昨夜まで私の胸の中でそこそこの重さを持っていた。だが、会社の朝に混ざると、その重さは妙に行き場を失う。


 言えないからだ。


 言えばいいのかもしれない、と一瞬だけ考えることはある。

 少なくとも家では。

 真由美に「中間まで残った」とだけ言えば、「よかったじゃない」と言ってくれるだろう。結衣なら「それってどれくらいすごいの」と率直に聞いてくるかもしれない。高梨に伝えれば、たぶん営業的な意味ではなく、書き手として「おめでとうございます」と言ってくれるはずだ。


 でも、その“おめでとうございます”を私は受け取りきれるだろうか。


 そこが、昨日からずっと引っかかっていた。


 中間通過はうれしい。

 たしかにうれしい。

 何も届かなかったわけではないからだ。


 けれど、受賞ではない。

 受賞していない以上、それはまだ“結果”の途中に過ぎない。途中に過ぎないものを、どの温度で人へ伝えればいいのか、私はもう若い頃のようには分からなかった。


 若い頃なら、もっと無邪気に喜べた気がする。

 一次通過でも、二次通過でも、「残った」という事実だけで夜のコンビニへ酒を買いに行った。誰に言うわけでもないのに、一人で「まだいけるかもしれない」と思えた。


 いまは違う。

 “まだいけるかもしれない”のすぐ横に、“またここで終わるかもしれない”が立っている。


 経験というのは、時々ひどく冷静だ。


     ◇


 営業管理課の朝は、月末らしい細かなざわつきに満ちていた。


 榎本は営業部から上がってきた数字の上振れ見込みへ眉をひそめ、三浦は先方の文面のトーンを読み違えないように、いつもより慎重にメールを組み立てている。本城はその間で黙々と会議用の資料を揃え、部長はまだ始業直後だというのに二度ほど「この件、あとで確認したい」と顔を出した。


 私はそれらを、いつものように一つずつ拾っていく。


「榎本、その数字は来週の返答が見えてからでいい」


「でも営業は今月の見込みに乗せたいって」


「気持ちはわかる。でも、気持ちで数字は締まらない」


「……ですよね」


「三浦、それ“前向きに”は削れ」


「やっぱ強いですか」


「相手が勝手に期待を膨らませる言葉は、若いうちは便利に見えるんだよ」


「うわ、刺さるなあ」


「刺さっとけ」


 本城が横から「資料の最新版、共有に入れました」とだけ言う。

 私は「助かる」と返す。


 仕事の言葉は具体的だ。

 だから助かる。

 中間通過みたいな曖昧な成果より、営業管理課の朝の仕事のほうが、よほど扱い方が明確だ。


 数字が強すぎれば戻せばいい。

 文面が危うければ直せばいい。

 資料が足りなければ足せばいい。


 だが、“中間までは届いた”という事実は、どう扱えばいいのかが分からない。

 喜ぶには早い。

 無視するには惜しい。


 その半端さが、今日は妙に体のどこかへ残っていた。


     ◇


 午前十時過ぎ、私は部長へ提出する簡易報告をまとめながら、ふと昨日の通知を思い出していた。


 中間通過。

 そこまで行ける。

 だが、その先へは行けないかもしれない。


 “行ける”と“行けない”が同時にある場所。

 それは、今の私の人生そのものに少し似ていた。


 売れている。

 でも専業にはなれない。

 現役だ。

 でも次の企画はまだ決まらない。

 書いている。

 でも賞は取れない。


 何もないわけではない。

 でも、胸を張って「ここまで来ました」と言い切れるほどでもない。


 若い頃の私は、そういう中間地点をひどく嫌っていた。

 成功でも失敗でもない場所は、何だか宙ぶらりんで、みっともない気がしていた。

 勝つなら勝つ、駄目なら駄目。そのほうがわかりやすいと思っていた。


 だが四十七歳のいま、私はもう、その“わかりやすさ”を信じていない。

 人の人生はたいてい、受賞か落選かみたいにはきれいに割れない。

 会社を辞めるか残るか、だけでもない。

 夢を叶えたか諦めたか、だけでもない。


 むしろ大半はその途中で、曖昧な成果と曖昧な不安を抱えながら生活している。


 問題は、その曖昧さをどう受け止めるかだ。


「係長」


 本城が静かに声をかけてきた。

 私は顔を上げる。


「この文面、先方へ出す前に一度見ていただけますか」


「いいよ」


 受け取って目を通す。

 丁寧だ。情報も足りている。だが、最後の一文だけ、少しだけ硬い。


「ここ、“ご了承ください”より“ご確認いただけますと幸いです”のほうがいい」


「やっぱり、強いですか」


「相手が責められてる感じになる」


 本城は頷きながら修正へ戻った。

 私はその横顔を見て、ふと思う。

 職場での言葉は、強すぎても弱すぎてもいけない。ぴったりの温度へ合わせる必要がある。だから会社員は、案外いつも微調整ばかりしている。


 創作も、少し似ている。

 ただし、賞へ届く作品は、たぶんどこかで“ぴったり”を外してでも残る強さを持っている。


 私は今、その“ぴったり”の中で上手く立ち回りすぎているのかもしれない。


 その考えが頭に浮かぶたび、昨日の通知が少し違う形で痛みを持つ。

 中間まで残るということは、整ってはいるのだ。

 でも、そこで止まるということは、何かが足りない。


 それはたぶん、技術ではない。

 もっと、熱の形みたいなものだ。


     ◇


 昼休み、私は一人で近くのコンビニへ行った。


 食欲はあるが、食堂で人と話す気分ではなかった。中間通過の通知一つでここまで面倒になる自分も我ながら大概だと思うが、仕方ない。創作のことは、たいてい自分の中で勝手に重たくなる。


 おにぎりとサラダを買って、会社裏のベンチへ座る。

 春とも初夏ともつかない中途半端な風が吹く。曇っているが、雨まではまだ少しあるらしい。空の色も、今日の自分には妙にしっくり来る。晴れきらず、かといって完全な雨でもない。


 スマホを取り出す。

 通知画面は昨夜と変わらない。

 当然だ。

 それでも、もう一度開いてしまう。


『一次選考・中間選考通過のお知らせ』


 私はその文字列を見つめながら、ふと考える。

 もしこれが最終候補だったら、どうだろう。

 もっと喜べるだろうか。

 もし受賞だったら。

 私はようやく誰かに言えるのだろうか。


 たぶん、言える。

 少なくとも、真由美には言うだろう。高梨にも報告する。少し迷いながらも、自分の中で“結果”として扱える。

 だが中間通過は、その手前にある。

 期待していいのか、期待しすぎてはいけないのか、その線引きがとにかく難しい。


 私は不意に、自分がこの“線引きの難しさ”自体に長く生きてきたことを思い出した。


 作家としても、会社員としても、ずっとそうだ。

 結果が出ていないわけではない。

 でも、人生が一気に変わるほどではない。

 褒められる場面はある。

 でも、それだけで安心はできない。


 つまり私は、いつも「おめでとうと言われるほどではない」場所にいるのかもしれない。


 売上がよくても。

 企画が通っても。

 中間選考まで残っても。


 ゼロではない。

 だが、祝福としては少し半端だ。


 私はベンチに座ったまま、メモ帳アプリを開いた。


『おめでとうと言われるほどではない場所に、私は何度も立ってきた。』


 打つ。

 そして続ける。


『そこは不幸ではない。でも、手放しで喜べる場所でもない。』


 その二行を見て、私は少しだけ救われた気がした。


 そうだ。

 私は別に不幸ではない。

 むしろ、恵まれているほうだ。

 現役で本を出している。読者もいる。新刊も動いている。会社もある。家もある。


 だから、この中間通過を“惜しかった”とだけ言うのも違う。

 かといって、“やった”と叫ぶほど無邪気でもいられない。


 そのどっちでもない場所に、自分はもう慣れてしまったのかもしれない。

 慣れたくはなかったのに。


     ◇


 午後、本城が資料の束を持ってきた時、私はまだそのことを考えていた。


「係長、会議用の一覧、これで大丈夫そうです」


「ありがとう」


 私は受け取りながら、何気なく尋ねた。


「本城、たとえば何かの途中結果だけ出た時って、誰かに言うか」


 本城は少しだけ首を傾げた。

 唐突な質問だっただろう。


「途中結果、ですか」


「まだ終わってないけど、一応残った、みたいな」


 彼女は資料の端を指先で揃えながら少し考えた。


「相手によるかもしれません」


「相手」


「一緒に喜んでくれても、自分がまだ喜びきれないなら、たぶん言わないです」


 私は思わず、その答えをそのまま胸へ受け取ってしまった。


「……そうか」


「でも、結果そのものより、途中まででもちゃんと見てもらえたことを誰かと共有したいなら、言うかもしれません」


 本城は私を見ているわけではなかった。

 あくまで、質問に対して静かに答えているだけだ。


 だからこそ、その言葉が妙に正確に刺さる。


 一緒に喜んでくれても、自分がまだ喜びきれないなら、たぶん言わない。

 その通りだ。

 たぶん今の私は、それなのだ。


 言われれば嬉しい。

 でも、受け取りきれない。

 受け取りきれない祝福は、少しだけ申し訳ない。


「なるほどな」


 私はそれだけ言った。


 本城は小さく頷き、「じゃあ、会議室の方へ先に入れておきますね」と言って去っていった。


 私はその後ろ姿を見送りながら、ふと考える。

 途中まででもちゃんと見てもらえたこと。

 それは、本当はもう少し大事にしていいのかもしれない。


 中間通過は、受賞ではない。

 でも、少なくとも“誰かに読まれた”証ではある。

 数多くの応募作の中で、途中まではちゃんと立ち止まってもらえたということだ。


 それを何でもなかったみたいに扱うのも、たぶん違う。


 私はそこでようやく、少しだけ肩の力を抜けた。


 おめでとうと言われるほどではない。

 でも、無意味ではない。


 そのあいだの場所を、今日はちゃんと受け取って帰ろう。

 そう思えた。


     ◇


 夜、書斎へ入ると、私はまずメモ帳を開いた。


 今日は原稿より先に、もう少しだけこの感情へ形を与えておきたかった。


『途中結果を祝えないのは、贅沢なのだろうか。』


 打つ。

 少し考える。

 続ける。


『たぶん違う。人は、自分の中でまだ終わっていないものを、終わったみたいには喜べないだけだ。』


 そこまで書いて、私は深く息を吐いた。


 それでいいのだと思う。

 中間通過を大騒ぎしなくてもいい。

 でも、無視してしまうのも違う。


 今夜の私は、その曖昧さごと抱えたまま、ちゃんと次の一行へ向かいたかった。


 パソコンの画面には、現行シリーズの原稿ファイルと、新企画メモのフォルダが並んでいる。いまの私の人生も、たぶんそういう並び方をしている。今あるものと、次に行きたいもの。そのどちらも完全には手放せない。


 私は原稿ファイルを開いた。


 カーソルの点滅を見つめながら、今日は妙に静かな気持ちだった。昨日までの苛立ちとも、若い頃のようなわかりやすい高揚とも少し違う。


 おめでとうと言われるほどではない。

 でも、ゼロではない。


 その半端さを、今日は少しだけ丁寧に扱ってみたいと思った。


 私は一行、打った。


『途中まで届いたことを、彼はうまく喜べなかった。けれど、届かなかったことにしてしまうには、そこまでの道のりがあまりにも静かに、しかし確かに自分のものだった。』


 少しだけ考え、さらに続ける。


『祝福になりきらない結果にも、人を次へ向かわせるだけの力はあるのかもしれない。そう思えた夜だけは、まだ自分を見失わずに済む。』


 打ち終えて、私は小さく息を吐いた。


 たぶん今日は、それで十分だった。

 賞はまだない。

 でも、問いは残った。

 そしてその問いが、次の章のはじまりになる気がした。


 私はキーボードへ手を戻し、そのまま少しずつ続きを打ち始めた。続きを書けるうちは、まだ終わっていない。少なくとも今夜の私には、それがいちばん確かなことだった。

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