42 すべて束ねて
影龍の、最大のアドバンテージは広大なホームステージにある。
水中に潜んでいれば事実上、無敵。
こちらの攻撃が届かない沖合から水流ブレスを連射するという必勝戦法もある。
無敵地帯から必殺技連発。
王都中の冒険者と国軍が束になっても勝ち目はないだろう。
ある意味、最強の階層主だ。
だが、こいつは意外と短気な奴であるらしい。
核の位置を暴いた俺がどうしても許せないようで、躍起になって潰しに来る。
俺は猫っぽく走り回って回避に専念する。
避けきれない攻撃はギガンポスが大盾で防いでくれる。
すると、影龍は台風の日の川みたいに猛り狂い、青みがかった体をところどころ赤変させながら、ますます無茶苦茶に攻撃してくる。
たかだか蚊を潰すためにご苦労なこって。
大人げないぞ。
だが、我々討伐隊にとっては、射程圏内に的があるこの状況は絶好機だった。
「ハルト! 息の続く限り、逃げまくれ!」
ブレスを避けた拍子にスッ転んだ俺を、トルネライトの風剣技が吹っ飛ばした。
今の今まで俺がいたところに、影龍の前足が残酷な爪痕を刻み込む。
俺は猫さながらの軟着地で回避運動を再開する。
こうして、俺が生きている限り、影龍は護岸を離れない。
超重要な役目だ。
《ちょっと息を整えるスキル》
《蓄積した疲労を少し取り除くスキル》
《気のせい程度に運をよくするスキル》
ゴミと呼ばれるCランクスキルも、モグラ叩きのモグラ役という地獄みたいな状況だと心強いことこの上なし。
「せエ――ッ!!」
無様ながら懸命に逃げ惑う俺の頭上を不可視のギロチンが飛んでいく。
トルネライトの《風刃》。
射程・速度・威力、そのどれもSランク。
しかし、さすがに核を覆う水の壁は堅い。
今ひとつ届いていない。
そのうえ、斬り裂いた次の瞬間には傷口が塞がってしまう。
斬撃も打撃もすべてを受け止める、水の柔軟性。
普通のドラゴンなら致命傷になる傷でも、何事もなかったように元の形に戻る。
ある種の超回復能力。
厄介すぎる。
「届かん。直接斬りつけるしかないか。しかし……」
そう、影龍はとにかくでかい。
地上を這う我々小兵にとって、天守閣は遥かなる高みだ。
攻撃するすべがない。
大砲でもあれば話は別だが、その火力担当はというと、
「くそ! 僕が魔力切れでなければ……!」
と自分の膝に拳を打ち付けている。
もう少し早く遠隔操作のからくりに気づいていれば、割とあっさり討伐できていたかもしれない。
だがまあ、タラレバは愚者の思考回路だ。
俺たちは賢いから、前を向こうぜ。
どおおおんん、と尾びれが重い音を轟かせる。
盾を持ったギガンポスの背中はデッガードナーのお株を奪いかねない安心感がある。
影龍はなおも俺ばかり狙う。
「これほどまでに私を無視する魔物は久方ぶりだな。ハルトに夢中ではないか」
トルネライトは足を止め、やきもちにも似たため息をこぼした。
で、剣を大上段に振り上げる。
「少し溜めるか」
……風向きが、変わった。
剣に風が集まっていく。
なに? 必殺技?
ぜひぜひ溜めてくれ。
俺もそろそろ足腰の悲鳴がうるさめになってきた。
その一撃で決めちゃってくれ。
俺がトマトになる前に。
牙が並び立つ口の奥で泡がぽこぽこ、と弾けた。
こちらも必殺技の予備動作。
水流ブレスがくる。
大技は、すなわち大きな隙でもあるわけで、
「受けろ! ギガンポス!」
「ヴぉ!」
俺に放たれた滂沱の息吹を亀甲の大盾が受け止めた。
水流を上に逃がす。
それでもギガンポスの足はわだちを作りつつズリズリと押し込まれている。
俺も壁みたいな背中を押して蚊ほどの助力をする。
こうしてブレスを撃っている間、砲門たる頭部は固定される。
動かない的だ。
うちの団長なら絶対に外さない。
「その想い、答えてやらねばな」
トルネライトはまるで俺の心を見透かしたように勇ましく微笑んだ。
そんでもって、ドえらい風をまとった剣に必殺の力を込め、一歩踏み出す。
ぽこ、ぽこぽこ……。
どこからか、小さな、だが、死神のささやきにも似た恐ろしい音が聞こえた気がした。
大開きになった口から水流ブレスを吐き続ける影龍。
その肩口が煮立った鍋のように泡立っている。
――大技は、すなわち大きな隙。
それは影龍だけでなく、俺たちにも言えることだった。
そもそも、奴は龍じゃない。
水魔……水の塊に過ぎない。
口という概念などなく、全身どこでも口になりえるし、それは、どこからでもブレスを吐けるってことだ。
足でも腹でも尾でも、目ン玉でもケツからでも、当然、肩であろうとも。
全身が砲門。
トルネライトとガーファスもそれに気づいたようだった。
「ギンジェロウ! 足を狙――
俺の叫びを砲声が塗り潰した。
水の砲弾が直撃する寸前、ガーファスがトルネライトをかばったのが見えた。
そのガーファスが吹っ飛ぶ。
トルネライトが彼を突き飛ばしていた。
ズオオオオオオ、と凄まじい水流。
猛烈な水しぶきが俺のまぶたをめくった。
開けた薄目に、神殿の壁にジグザグを刻む水流が見えた。
こちらを襲っていたブレスも狙いを外れ、あらぬ方向にさまよっている。
影龍がバランスを崩していた。
その前足にはバッテン傷。
ギンジェロウがやってくれたらしい。
「団ちよおおおおおおお……!!」
ひざまずいて泣き叫ぶガーファスの前にトルネライトはいた。
白亜の石床に水で薄まった赤が広がっている。
トルネライトの左脇腹が消えていた。
まるで大きな狼に噛みちぎられたみたいに。
強力な水流が削り取った痕跡。
心臓の下から腰骨の上までごっそり消失している。
やぶ医者にだって確かな診断を下せる。
致命傷だ。
それでも、トルネライトは笑っていた。
「嬉しかったぞ、ガーファス。君ならば身を挺して私を助けると思った。勘でなくともわかった。それを許す私ではないがな」
「ぼ、僕が、僕がかばおうとしたから団長は……」
「そうではない」
ずぶ濡れのガーファスを赤い手がなでた。
トルネライトは困ったように眉を歪めた。
「ハルト」
翡翠色の目が俺を映す。
血の気を失った目の下が真っ黒になっていた。
俺にはそれが死の色に見えた。
「やるべきことをやれ」
「やるべき、こと」
「そうだ。言っただろう、私は。階層主を倒すのは君だと思っている、と」
トルネライトは不思議な目をしていた。
そこにあるのは、勝ち筋を読み切った策士のような自信。
そして、何か余裕にも似た奇妙なもの。
彼女の目には一体何が見えているのだろう。
「トルネ、姉さん……?」
今、一番聞きたくない声がした。
振り返ると、シエがいた。
神殿を見上げる踊り場に立ち、大きな目を見開いている。
「来てくれたか。私の天使」
トルネライトが微笑んだ。
その面差しにも不思議なものがあった。
アテが当たったような、ホッとしたような。
「トルネ姉さん……!」
悲鳴を上げ、シエが駆けてくる。
「班長殿おお!」
ギンジェロウの咆哮を聞き、俺は我に返った。
水面が黒く染まり、その中から影龍が大きな体を持ち上げた。
夜の闇みたいな口の奥で、泡の白だけが火花みたいに目立っている。
狙いは……シエ。
俺は走った。
時間の流れがひどくゆっくりに感じられた。
俺の歩みもカタツムリみたいに遅かった。
今にも目の前でシエが真っ赤に弾けるんじゃないかとゾッとした。
走馬灯まで頭をよぎった。
ゴミを頭からかぶせられた俺に、ただ一人、寄り添ってくれたシエ。
ゴミを自認する俺に、いつも宝石のような瞳を向けてくれたシエ。
宝の山だと言ってくれたシエ。
ダメだな。
ほかの誰が死んでも、この天使だけは死んじゃダメだ。
ゆるさん。
俺がそれだけはゆるさん。
水の中を走るようなじれったい時間を経て、俺はシエの小さな体を抱き止めた。
影龍を見る。
すでに、その口は砲弾を放っていた。
トラッシュハルトさん!
胸の中でそう聞こえ、胸がぎゅっと締め付けられる。
どうすればいい?
それを考える間すらなく、俺は半ば無意識に右手を突き出していた。
何かスキルを。
思案する時間さえない。
だから、全部だ。
全部いっぺんに押し出した。
持っている100個のスキル、すべて束ねて、全部。
そこから先のことは、昔、誰かから聞いた話のような、ひどく他人事のように感じられた。
ふーん、って感じだ。
俺の右手から真っ白な光の奔流が出ていた。
それが水流ブレスと繋がった。
繋がって鍔迫り合いになり、そして、光が水を打ち負かした。
影龍の顔に大穴があいていた。
その先にある天井にも。
水流ブレスよりももっとヤバイ砲弾が俺の右手からぶっ放たれたようだった。
なんで俺の腕からそんなもんが出ているんだろう。
理屈をこねてみよう。
100個すべてのスキルの、同時発動。
1つ1つはゴミでも、大量のゴミ山が濁流のように押し寄せれば、それはある種の災害だ。
で、こうなりました、と。
そんなところだろう。
曲がりなりにも、Sランクスキルってこったな。
まあ、詳しくは専門家にでも聞いてみないことにはわからない。
ゴミスキルを100個同時に撃ち出す分野に専門家がいるのかどうかがこの場合、ネックだが。
名付けて、《スキル・バースト/百神与砲》――。
戦力にカウントされないのが俺の一番のコンプレックスだったが、これがあれば、俺も主力級の活躍ができる。
でも、あと1回しか使えないっぽい。
大砲には反動ってやつがあるのだ。
腕がミシッと音を立てた。
内側から焼かれるような痛みがあって、それはやがて炎に変わった。
やめてやめてと思っているうちに、俺の腕は木炭みたいな黒いひび割れをこしらえて、そして、無惨にも崩れ落ちた。
ぼろり、ってな。
いや、代償デカすぎだろ。
ワンチャン足からも撃てるならあと3発いけるが、その都度、四肢が三肢とか二肢とかになる。
「ぐはっ」
と俺が言った。
口から血のシャワー。
鼻血と耳血も出て、これはたぶん、トイレに行けば血尿と血便も出るやつだ。
腕だけじゃなくて全身にも反動があるのか。
さすがゴミと呼ばれし俺のスキルだ。
ろくでもねえ。
目も、充血を越えて流血の域に達しているらしい。
視界、真っ赤っか。
意識も勝手に遠のいていく。
おーい、戻ってこいコラ。
「トラッシュハルトさあああんん!」
誰かが俺を呼び、そして、俺は光に包まれた。
世界から赤が消え、森羅万象が純白と化す。
まばゆい光の中に、天使がいた。
……ここ、天国?
そんな温もりに俺は包まれていた。
治癒魔法の安らぎに似ていた。
「死なせません! トルネ姉さんも! トラッシュハルトさんも! わたしが絶対に!」
右手の感覚が戻ってくる。
とびっきりキュートな天使に抱かれている気がする。
だが、俺はゴミ野郎なので、こんな夢のようなシチュエーションでカックシと。
深い眠りに落ちたのであった。




