41 泡撃
「止まれ!」
と団長に言われたら、何をおいても止まるのが肝要だ。
なぜなら、それは神のお言葉だから。
目と鼻の先を猛烈な勢いで白いものが横切った。
それは野太い石柱を砂のように削り、痛いほどの水しぶきをあたりにばらまく。
水流ブレス。
影龍がまた撃ってきたらしい。
トルネライトが待ったをかけなければ、俺の肉体はあの円柱と混ざり合って一種のアートになっていたはずだ。
いや、危なかった。
ボス部屋に招き入れた討伐隊を分体のタコで疲弊させ、核を叩くべく神殿の外に出てきた弱った冒険者を本体――影龍が討つ。
二段構えの布陣。
すべては水魔大王の手のひらの上だったってわけだ。
なかなか、陰湿な真似しやがる。
神殿の外に出ると、影龍は目の前にいた。
鎌首を持ち上げ、巨塔のような高みから青い目で見下ろしている。
「ひと回り大きくなってないか?」
「あるいは、我々の恐れがそうさせているのやもしれん」
勇者を思わせるトルネライトの面差しに恐怖の色は見られない。
しかし、畏敬の念すら水魔は糧にしてしまう。
「自分の心と対峙しているみたいですね」
「なればこそ、我らは勝たねばならない。自らのうちに秘めたる魔に負け、惨めにも逃げ帰るなど、冒険者に非ず」
その言葉は、俺たちという馬にとっていい塩梅の鞭となった。
みんな少しの笑みを浮かべ、闘争の意思を新たにする。
トルネライトが剣を前にした。
「散会せよ!」
ドッと動き出す。
影龍の恐るべき威容には、いい面もあった。
ピラニアのように神殿周辺に群がっていたヤツダイルが綺麗さっぱりいなくなっている。
荒れ狂う影龍に恐れをなして文字通り、蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのだろう。
これでギンジェロウが心置きなく泳ぎ回れる。
「ハルト、核の位置を特定しろ! ギンジェは水中を探せ!」
「大殿の御命とあらば、たとえ火の中水の中!」
ギンジェロウがノリノリで水中に吸い込まれていった。
俺のほうは質問。
「ちなみに団長、核の位置はどこだと思いますか!?」
「おそらくは頭か心臓の位置だ」
風の刃を放ちながら、続ける。
「あれは冒険者の思念が生み出したバケモノだ。弱点の位置もおのずから我々のイメージに従うはずだ」
それもそうだな。
俺は前足によるひっかき攻撃をマグレでかわし、右手を突き出した。
狙いは最も肉厚な、――胸部。
「《水面の照り返しを抑えるスキル》!」
屋根がわらのように敷き詰められた煌びやかな龍鱗が揺らぎ、澄み渡る。
胸に窓ができたようだった。
「《指の輪っかを望遠レンズに変えるスキル》!」
俺は人差し指と親指を繋ぎ、その輪に右目を押し当てる。
……窓の向こうには核らしきものは見えない。
胸は空虚なまでに、がらんどう。
大量の水が逆巻いているだけだ。
降って湧いた邪念から、着替え中のナイスバディを想像してみたが、その低俗なイメージが水魔に採用されることはなかった。
残念。
「水中にも! それらしきものはござらん!」
イルカのように高々と跳ね、空中で一回転しながらそう告げると、ギンジェロウは再び水面下に戻っていった。
「なら、頭か!」
俺のスキルが影龍の頭部から塗装を剥ぎ取った。
龍の顔の輪郭を残した水の奥。
翡翠色の一角ヅノの下に、何か揺らめいている。
鮮やかな藍色の光を振りまくそれは、涙の形をしていた。
藍色の涙滴形――。
「核、発見! 角の下!」
と俺が叫んだ瞬間には、核は大量の泡に包まれ見えなくなっていた。
応急処置的に隠したのだと思った。
で、俺は足を止めた。
この判断は糞バカだった。
「ハルト、横に跳べ――!」
トルネライトに怒鳴られ、失態に気づく。
あれは核を隠匿するための目隠しじゃない。
予備動作だ。
なんのって、そりゃ水流ブレスの――
カッ、と。
音よりも速い音が響き、目の前が何もかも真っ白になった。
が、今度は黒くなる。
左側から何か巨大な黒い影が俺の前に飛び出し、壁のように立ちはだかっていた。
「ヴぉおおおぉぉおぉおおお!!」
ギガンポスだった。
大盾が大量の水を上下左右に弾いている。
すまん、助かった、と礼を述べようとした。
その俺にギガンポスの背中が馬車じみた勢いで突っ込んできた。
神殿を斬るほどの水流ブレスだ。
その威力を真正面から受け止めているのだから、押し負けて当然。
いくら巨人族といえども、龍の息吹にステゴロ勝負で勝てるはずもない。
「ぐッ」
背中が硬いものにぶつかった。
壁。
神殿の。
ギガンポスと神殿の間に挟まれて、ぐええええ。
俺はおいしそうなサンドイッチになる寸前。
「ヴぉおおオ! トマドおぉおぉおおお……!」
ああ、そうだな。
このままじゃ俺たちは揃ってトマトサンドだ。
この水の砲撃を止めないことには。
ギンジェロウ!
砲台を斬れ!
と叫ぼうとした。
だが、喉も圧迫されてグエエエエしか言えなかった。
肋骨がメギィ、と嫌な音を立てた、気がする。
滝の下みたいな水音でよくわからない。
「――《風刃》!」
トルネライトが風の刃を放った。
しかし、水かきのついた巨大な前足に阻まれ、首を断つには至らない。
「おい、貴様! 傾斜をつけろ! 真正面から受けるな!」
と怒鳴ったのは、たぶんガーファス。
「ヴぉ!」
ギガンポスが盾を下に滑らせた。
水流ブレスを上に逃がし、少しのゆとりが生まれた。
「《ちょっと猫っぽく動くスキル》……!」
俺はでかい股下を潜り抜け、地面と盾の三角形の隙間から軽やかに飛び出した。
そこに巨大な尾びれが落ちてくる。
どっばああああんん、と噴火じみた衝撃。
大玉の水しぶきが噴石みたいに飛んできて、体のあっちこっちにぶち当たる。
ぶっ飛ばされたが、猫っぽく着地。
死ななかったのは奇跡だ。
縦に裂けた瞳孔の奥から熱視線が俺に注がれている。
俺以外、眼中になし。
俺だけを見ている。
核の位置、暴いちゃったからだな。
完全にマークされている。
むしろ、好都合。
「よし、俺が引き付ける! その隙に、うおおお!? ……核を叩いてくれ!」
俺は前足の叩きつけ攻撃をキャットムーブで避けながら、へっぴり腰で逃走を開始する。
「かっこいいぞ、ハルトよ!」
「な、団長……!? おい、貴様! 貴様は断じてかっこよくなどないぞ! でも、団長がおっしゃるなら、かっこいい! いや、だが、でも、殺……ぶぉおおいいッ!」
神の言葉と自己の心情。
相反する二つの感情に板挟みにされた哀れな副団長の慟哭は、大型犬の鳴き声に似ていた。




