33 チューか忠告か
(おい、貴様。女神だ……)
(いや、天使だろ……)
俺とガーファスは声を潜めてそう評する。
視線の先には寄り添うようにして眠るフーヴェント姉妹の姿がある。
ちなみに、ガーファスはトルネライトしか見ていない。
俺はシエしか見ていない。
ゆえに、どちらの評価も正しいのである。
女神と天使が寄り添って眠っているというのが、より正確な表現と言えよう。
「ずっと眺めていたいが、惜しいことに明日は決戦の日だ。殺すぞ」
「ああ、殺すぞ。階層主をぶち殺して、あの姉妹の平穏なひと時を守るぞ、ガーファス」
「もちろんだ。殺すぞ」
「殺す殺す」
俺とガーファスは握手でもって協定を交わし、それぞれの寝床に向かった。
しんと静まった薄暗い湖畔。
白亜の神殿はそれ自体が微光しているかのように闇の中に浮かんでいる。
まったく不気味な宿だよ。
ビバーク経験の少ない俺がこんなところで眠れるのか疑問だった。
試しに体を横たえたところで、当然のようにグノンが引っ付いてきた。
「なぜか訊いてもいいか?」
「あたしの一族じゃボスの周りに集まって寝るのよ」
俺をボス猿認定すな。
「お前はともかく、こっちはなんだ?」
「ヴぉ?」
「いや、ヴぉじゃなくて……」
なぜかギガンポスまで俺に添い寝しようとする。
巨体すぎだ。
添い寝しているはずなのに、だいぶ上のほうに顔が見える。
「あー、こいつ? あたしが子分にしたのよ」
グノンが子猫でも拾って来たように言う。
「え、いや、どうやってだよ?」
この小山のようなデカブツを子分にする方法が古今東西津々浦々のどこかに存在しているとでもいうのか?
「ヴぉ! ヴぉ! おら、子分うれしいどぉ! グノン、おらの親分ど! おめえ、大親分ヴぉ! ヴぉ! ヴぉ!」
「うるさいんだが……」
こんなのに添い寝されたら寝返りのたびに扁平状になってしまう。
「お前ら、あっちで寝ろよ……」
俺はその言葉を最後に記憶が飛んでいる。
なんだかんだあっちゅー間に寝られたらしい。
知らず知らずのうちに疲れがたまっていたようだ。
しかし、石畳の硬さと冷たさのダブルパンチで束の間の眠りから揺り起こされ、親指をくわえたグノンの寝顔とご対面することになった。
赤ん坊みたいに丸くなり、俺の服を握りしめている。
グノンのくせに可愛い寝顔しやがって。
グノンのくせに。
「……」
それはそうと、だ。
グノンが握りしめているのは俺の服だけだが、俺はというと体全部を巨大な手によって握りしめられている。
手の寝袋とでも言えばいいか。
「……んヴぉ…………」
ギガンポスだった。
俺の胴体を片手で鷲掴みにし、反対の手の、木の幹みたいな親指に吸い付いて、えげつない排気音を立てながら爆睡している。
吹きつけてくる寝息は嵐のよう。
しかし、口臭は臭くない。
トマトジュースの匂いがした。
あと、こいつも寝顔が地味に可愛い。
俺の可愛い判定、ザルすぎるな……。
ともかく、寝ぼけてトマトにされては困る。
俺はワニの口から脱出するような気分で命からがら抜け出した。
「……」
シエが一人で寝ていた。
姉のほうはどこだ?
見渡すと、一行から離れたところにポツンと寂しげな背中があった。
岸壁に座し、片膝を抱きかかえ、もう一方の脚はワニどもに投げ出している。
水面まで距離があるから危険はないが、俺には危うげな後ろ姿に見えた。
「何かと世間から恐れられる私だが、感傷的になることくらいある。意外に思うかね?」
トルネライトは湖を見つめたまま言った。
振り返るまでもなく俺だとわかっているようだ。
こんこん、と細い指が護岸を打つ。
隣に座りたまえ、という意味に解釈し、俺は横に失敬する。
「まあ、多少は。でも、そのほうが親しみが湧きますよ。完璧超人なんて取っつきにくいだけですからね」
「そうか」
と言ったきり、トルネライトは沈黙した。
しーん。
ナメクジが塩を嫌うように、俺は沈黙を忌む。
かといって黙って立ち去る度胸もなく、気の利いた言葉を思いつくオツムもない。
よって、俺は息を殺して背中を硬くするという一番益体のない現状維持に努めている。
情けない。
そんな俺の指に、にゅっ、と。
トルネライトの指がタコみたいに絡みついてきた。
なにこの恋人繋ぎ……。
あっけに取られて石像と化す俺の手を、トルネライトは自分の頬に導いていった。
ひんやりした感触だった。
よく懐いた猫のように頬をこすりつけてくるトルネライト。
俺は、いつ自分に恋人ができたのか、真っ白になりつつある頭で懸命に考えたわけだが、
「っ」
ある事実に気づいた瞬間、冷や水を浴びせられた気分になった。
耳、頬、顎のライン。
トルネライトがすりすりしているところは、あの豚に舐められたところだ。
気づいてしまえば、胸の高鳴りはどこへやら。
彼女は消したいだけなのだ。
まだ頬に残っている悪寒を。
「すまない」
俺が真相に気づいたことをトルネライトも気づいたようだ。
天啓……というより、普通に勘だろう。
「でも、君はいい雑巾だな。ハルト」
「そこは上質なハンカチーフというべきでしょう」
もっとも上質な自覚はないし、俺の自認なんて雑巾かボロ切れなのだがね。
俺は少しでも気が楽になればと《小さい虫を蛍みたいに光らせるスキル》を使った。
粉雪のように光の粒が乱舞する。
虫が虫を呼び、光の螺旋となって真っ暗な天井に昇っていった。
「綺麗なものだ」
トルネライトの吐息が思ったより近くで聞こえた。
ロマンチックなのは見た目だけで実体は蚊柱ですよ、と言おうとした俺の肩に、ふんわりとした質量が乗る。
翡翠色の髪が焦点の合わない距離にあった。
「あれだな、ハルト」
「どれです?」
「ファースト・キスくらいは人間がいいな」
そりゃ豚よりはそうだろう。
「……ハルト」
肩に乗った重さが消え、しかし、翡翠の髪はさっきよりずっと近くに見える。
花の香りがした。
熱い息とともに。
俺の心臓が勝手に暴れ出す。
『色恋沙汰は時としてパーティーを破綻させる。気をつけねばな』
不意に、かつてのトルネライトの忠告が脳裏に蘇った。
「ホっ!」
俺は《ちょっと速く立ち上がるスキル》で尖った唇をかわした。
危ない危ない。
トルネライトのチューを得られる最初で最後の機会をたった今逃した。
でも、これでよかったのだ。
チューより大事なものをなくすような直感があったから。
俺は脱兎のごとく駆け、気持ちよさげに眠りこけるガーファスに目覚めの飛び蹴りをかました。
「ぐえッ!?」
「ぐえ、じゃない! 起きろ! 殺すぞ!」
「な、なんだ、貴様……。殺すぞ!?」
「見ろ、トルネライト団長があっちで一人で感傷に浸っているぞ。なに気持ちよさげに寝てんだ、てめえ。殺すぞ」
「す、すぐ行きます、団長……!」
ガーファスはよだれを拭いてすっ飛んでいった。
これでよし。
あとは、お若い二人でよろしくやってくれ。
俺は天使の寝顔を朝イチで拝める絶妙な地点に背嚢を据え、寄りかかった。
「ぽらっしゅ、はむと、ひゃん……」
とシエに寝言で呼ばれ、俺は満面の笑みになる。
マシュマロみたいなほっぺがなんとも可愛らしい。
やはり俺の推しはこっちだな。




