26 交わした手
「今、戻ったぞー」
と俺は自室に帰り、へなへなとソファーに沈み込んだ。
なんかドッと疲れた。
何を見せられていたんだ、俺は。
「ど、どうでした?」
ギンジェロウの脇の下からゾフィオーネ嬢が片目だけ覗かせておっかなびっくり偵察結果を尋ねる。
俺は肩をすくめた。
「ベギアード中爵はどうもお前とは別件で来たっぽいな。ゾフィオーネのゾの字も出なかった」
つか、愛妾が3ケタ単位でいるのなら、1匹逃げたところで痛痒を感じないだろう。
いやマジで。
「あのっ! トラッシュハルトさん、トルネ姉さんは大丈夫でしたか……!?」
シエが泣きそうな顔でしがみついてくる。
「あの方が来ると、トルネ姉さんはいつも辛そうにしているんです。理由はわからなくて。わたしは蚊帳の外ですから」
うんまあ、そりゃ、あの大人の、それも上級者向けの場に天使シエを同席させるわけにはいかないよな。
教育に悪い、とても。
「大丈夫だ」
俺は気休めを言う。
実際、大丈夫かどうかはトルネライトのみぞ知るところだ。
しかし、俺たちのお頭は豚にベロベロされたくらいでへこたれるほどヤワじゃないさ。
なんといっても『天啓』のトルネライト様だからな。
そんなやりとりをしているうちに、玄関ホールから出てくるベギアードの姿が見えた。
お帰りらしい。
「シエ、馬車が見えなくなるまで見張っておいてくれるか?」
「はい、トラッシュハルトさん」
そういう体でシエを追い出し、ここからは大人の話だ。
ギンジェロウ君は耳を塞いでおくように。
「ゾフィオーネ、お前の旦那、うちの団長にセクハラしていたぞ? 全裸で」
「旦那じゃありませんよ。ま、セクハラくらいするでしょうねぇ。あの豚、フーヴェント家の借金を肩代わりしているみたいですし」
やはり、金絡みか。
「フーヴェント家というと、団長とシエの家だよな。もしかして、貴族だったりするのか?」
「元ですけどね。それなりの名家でしたよ?」
「没落貴族ってやつか」
成金豚男が没落令嬢を手籠めにする構図。
貴族の世界も弱肉強食か。
「返せない場合は体で支払うことになるんでしょうねぇ。ちょっといいですよねぇ、あの気高いトルネライト団長が豚の子孕まされるの想像すると。私の嫌いな子も愛妾になってましてぇ、この間、お腹大きくして歩いてたんですよねぇ。笑えましたよ、ホント。ニヤニヤしながら顔覗き込んだら、その子泣きだしちゃってフフ……」
ゾフィオーネの顔が悪い魔女みたいになっている。
「それ、お前の未来かもしれないぞ? 割と高率で」
「そこは大丈夫です! ギンジェロウさんが切腹の所作、教えてくださったのでぇー」
「思い切りが大事でござる」
ギンジェロウが力強く頷く。
その経験者みたいな口振り、なんなん?
「団長が誰の子孕もうがどうでもいいんですよ。それより、トラッシュハルトさん、私を嫁にしませんか? もうお前でいいや。あの豚にのしかかられるくらいなら」
「俺が嫌なわけだが?」
「でも、Sランギルド所属とはいえ、パーティーリーダーごときじゃ弱いんですよねぇ。さくっと新団長とかになれないんです? 私は安くないですよ?」
安くてもいらねえんだわ。
「早く出てけ」
「まあま、そう言わず。私、行くあてがないんですよぉ」
「そうか。出てけ」
がちゃり、と扉が開く音がして、威圧的な足音が響く。
入ってきたのは眼鏡の奥に剣呑な光をたたえた青年。
我らが副団長、ガーファスだ。
「きゃあああぁん! ガーファス様ぁん!」
ゾフィオーネがギンジェロウと俺を突き飛ばし、優良物件ガーファスに抱き着く。
「私ぃ! ずっとぉ、ガーファス様ぁんのことをお慕いし――」
「死ね、ブス」
今が旬とばかりに咲き誇っていたたんぽぽがカラスの鳴き声みたいな悲鳴を上げて吹っ飛んだ。
ガーファスの肘鉄を浴びたのだ。
「うん。わかるぞ、気持ちは。あのたんぽぽ、ムカつくもんな。でも、殴ることはないだろう」
目の前で敬愛すべきトルネライト団長を凌辱されたのは同情する。
だが、それとこれとは別だ。
「たんぽぽに謝れ」
俺は目にぐっと力を入れ、ガーファスを見つめた。
相手はSラン目前と言われる一流冒険者だ。
戦馬車に斧を振り上げているカマキリの気分だが、正論ってのはそんな弱者にもパワーを与えるものだ。
ガーファスは目を泳がせた。
「……悪かった。今のは僕の八つ当たりだ。お前はブスだが、それも気にするな。僕の目には団長以外の全人類がブスに見えている」
「あ、はい。私も急に抱き着いてしまって申し訳ありませんでした」
ゾフィオーネは殊勝に謝った後、女豹の目になる。
「でも、悪いと思っているなら私をこのギルドで雇ってくださいよ。じゃないと、言いふらしますよ? トルネライト団長の腹心にベッドに押し倒されたって」
ベッドに寄りかかってなまめかしく大腿部をチラ見せするゾフィオーネである。
「お前、組合職員だろ」
と俺。
「そんなの親の圧力で辞めさせられますよ。その点、冒険者ギルドは独立性高いですからね。宗旨替えです」
そのギルドのトップはベギアードに頭が上がらないから、差し出すよう言われたら、お前なんて女体盛りにされるだけだぞ?
「で、どうなんですか!」
「……善処しよう」
トルネライトの名を出されたガーファスがあっさり折れ、『星風の団』は厄介者を抱え込むことになった。
◇
「おい、貴様! 盗み聞きをしていたな!」
俺は廊下の隅に押しつけられてグエッとなる。
ブチギレ気味のガーファスがレンズを割らんばかりの眼力をぶつけてくる。
「聞くだけじゃなく見てもいたが」
「おい、貴様! 見てもいたのか!? 油断も隙もない奴め! 殺してやる!」
「グエェェ……」
ここまでは威勢のよかったガーファスだが、泣きそうな顔で下を向いてしまった。
「団長が……。僕の団長が」
「あんたのじゃないと思うが。まあ、深刻だよな」
お家没落で借金の山を背負わされ、返済できなければ豚の欲を受け止めるだけの肉人形にされる。
あんまりだ。
「団長のお父君……フーヴェント家のご当主様は塔災で命を落とされたのだ」
塔災――。
その名の通り、塔による災害。
5年前、突如王城に突き刺さった白の塔は、当時そこにいた人々を虫のように圧殺し、地下深くにめり込んだ。
サムライの国では黒の塔が海に落下し、大津波が町を呑み込んだと聞く。
「あの一件で名だたる貴族たちが死に、勢力図も変わってしまった。まだ少女にすぎなかった団長が山のような借金を背負い込まされ、ベギアードみたいな豚野郎が大出世だ。なあ、この世界は糞か!? あんまりだろ。あんまりだと思えよ! 殺すぞ、貴様!」
「あんまりだなぁ」
「軽々しく言うな! 殺すぞ!」
「グエェェ……」
ガーファスは頭を抱えてへたり込んだ。
「今月中に借金を返しきれなければ、団長はあの豚のものになる。ギルマスの座も奪われ、『星風の団』の全権はベギアードに渡る。借金のカタでな。僕らはあの豚を団長と呼ばなければならなくなるんだ」
「え、それは嫌だな……。なんとかならないのか?」
「貴様がそれを訊くか。遺憾なことだが、事態打開の機会を作ってくれたのは貴様だろう」
「俺? ……ああ」
俺に関する功績と言えば、中央神殿へのルート発見くらいのものだ。
「なるほど。第4層の階層主を倒して宝物殿からお宝を持ち帰ろうって魂胆か」
「シッ! 馬鹿が。声がデカイ」
ガーファスが杖で床を打った。
七色の火花がバチチチチ、と恐ろしい音を立てる。
「高位の諜報系スキルがあれば、王都の反対側からでもこちらの会話を聞くことができる。迂闊なことを言うな」
当然、『星風の団』でも妨害系スキルで対抗しているはずだが、どこに耳が生えているかわかったもんじゃない。
「その話、本当なんですか?」
第三の声が響き、俺たちはハッと息を呑んだ。
いつの間にか、シエが立っていた。
「トルネ姉さんが団長を辞めさせられるって本当ですか?」
「……」
「……」
俺たちマヌケ二人は揃って黙り込むハメになった。
シエの顔が曇っていく。
今にも雨を降らせそうだ。
俺はガーファスの首を絞める。
いたいけない天使になんちゅー話を聞かせてんだ、てめえ。
殺すぞ!
ガーファスも俺の首を絞める。
僕の団長の妹を悲しませるな、殺すぞ、とレンズに書いてある。
「おい、眼鏡!」
「なんだ、ゴミ山!」
「その階層主討伐作戦とやら、絶対に成功させるぞ!」
「だから、声を落とせ! 殺すぞ! だが、その通りだ! 絶対に成功させるぞ! 殺すぞ、一緒に!」
「ああ、殺そう! 一緒に!」
俺たちは固く握手を交わし合った。




