23 朝ラン
中層探索から戻った俺は、暇を見つけては走るようになった。
尻についた火を消すためだ。
とにかく俺にはパワーが足りない。
スタミナが足りない。
フィジカルが弱い。
強力な魔物をバッタバッタと倒すグノンやギンジェロウを見て、つくづくそう思った。
そこで体力作りのド定番、ランニングで焦燥の火を慌てて消そうとしているわけだ。
今朝もまだ暗いうちに目が覚めた。
俺は日課の朝ランに出るべく体を起こした。
否、起こそうとした。
起こそうとして、……できなかった。
鉛製の服でも着ているみたいに体が重い。
これが世に言う金縛りか……。
戦慄する俺の耳に、んふぅ、と。
生暖かい風が吹く。
「……」
横を見て、絶句。
誰かいる。
俺に抱き着く感じで、何かが。
そいつは蛇みたいに俺に絡みつき、熟したバナナ風味の吐息を断続的に吹き付けてくる。
なんだ、この魔物は……。
サムライの国にいるというヨーカイか?
俺は《布の表面をぼんやり光らせるスキル》を発動した。
ベッドのシーツと寝間着が光を帯び、妖怪の正体を闇の中から暴き出した。
「んふぅ……んん」
気持ちよさそうに身をよじる妖怪。
そいつは俺も知っている顔をしていた。
皿みたいなデカ耳を持つ、猿っぽい少女。
グノン・アッフェアープ。
我が班の遊撃手である。
恐怖心の退潮と入れ替わりに、怒りとあきれの入り混じった波が寄せてきた。
「何やってんだ、お前……」
俺は木の幹じゃねえ、と言いたくなるような見事な抱き着きっぷりだ。
尻尾まで絡めてやがる。
妖怪とやらがどんな連中かは知らん。
だが、こいつよりマシな貞操観念の持ち主なのは確定的だろう。
「……」
うん、でもまあ、寝顔は馬鹿可愛い。
馬鹿の寝顔はたいてい可愛いものだが、グノンは中でも特級品だ。
寝息がバナナ臭くなければ100点をあげたのに。
「おはようございますっ! トラッシュハルトさん!」
ばがん!
元気よく部屋のドアが開いた。
入ってきたのは薄闇を吹っ飛ばすほどの、まばゆい少女。
ノックぐらいしろ、というのはともかく、事ここに至っては、俺はこういうリアクションをするしかない。
「し、シエ!? い、いや、これは違うんだ……。こいつが勝手に俺のベッドに」
そう。
浮気でも見つかったような反応だ。
「あー、ずるいですよ、グノンさんっ! わたしもトラッシュハルトさんと添い寝したいのに!」
驚愕……。
シエはランチの輪に加わるような気軽さで俺のベッドに潜り込もうとしてきた。
当然その顔面を鷲掴みにしてでも潜り込ませまいとする俺。
これはひどい……。
シエの天然は周知の事実だが、さすがに添い寝する男女の間に入り込もうとするのはアウトすぎる。
俺とグノンが裸だったらどうするつもりだ?
実際、グノンは裸同然の薄着なわけで、うちのパーティーの女子二人は貞操観念に致命的な欠落を抱えているらしい。
「今度みんなで一緒に寝ませんかっ!? ギンジェロウさんも一緒に!」
純な笑顔でそんなことを言っている。
もはや俺に返す言葉はなかった。
「で、なんでお前が俺のベッドにいる?」
剣呑な顔でまぶたをこすっているグノンに問うてみた。
「んむぅ……。むれのボスんとこで、寝るの、普通れしょ? いっしょに寝たら、あったかいんらし」
「お前の一族の普通を俺のベッドに導入するな」
テラスに投げ出しておく。
うちのパーティーメンバー、本当に問題児揃いだ。
◇
ギルド本部を出る。
「ふ、ふっ!」
「はぁ、はぁ」
軽快な足取りでまだ暗い王都を走る。
早朝ランニングは体力作りの一環であり、同時に、スキル探しの時間でもある。
この時間、まだ町は眠っている。
みんなベッドの中だ。
人の流れがない。
ということは、スキルの流れもないということ。
俺が走るに合わせてスキルが更新されていくから、どこにどのスキルがあるか知ることができる。
たとえば、ここの角を曲がると《3秒間足音を消すスキル》が舞い込んでくる。
不意打ちに役立ちそうなスキルだ。
肉屋の前では《少し動体視力が上がるスキル》が手に入るし、花屋のおばさんは《足跡の向きを逆にするスキル》を持っている。
これも使い方次第で、塔探索では役に立つ。
「はぁっ! はあ!」
遅れがちだったシエがペースを上げて俺の隣につけた。
彼女も体力不足を痛感したらしい。
俺のトレーニングについてくるようになった。
小さな肩で懸命に闇を切る姿は、応援歌でも歌ってやりたいほどに健気だ。
「わたしも、トラッシュハルトさんの、はあっ、背中を追いかけている、だけでは、ダメですから! 肩を、並べられるよう、頑張ります!」
そっかそっか。
追い越さないように気をつけてくれ。
さすがに年下女子の小さな背中を追いかけて走るのは、俺のチンケなプライドがな。
「この時間は、まだ暗くて、不気味ですねっ」
「そうか? 俺はこの時間が一番好きだ」
まず、空気がうまい。
露の湿った香りを鼻から胸いっぱいに吸い込むのがいいのだ。
ひんやりしていて、火照った体が内側から冷やされていく。
なにより素晴らしいのが、俺という惨めな人間の輪郭を曖昧にしてくれるこの暗さだ。
純・光属性のシエにはわからないだろうなぁ。
とはいえ、闇属性にもなりきれない半端ものの俺には、白く染まった東の空が必要だ。
一日の始まりという、希望に向かって走る感じがいいんだ、これが。
「何か物語の序章にも似た、期待感が、あるだろ?」
「あっ、それはわかりますっ!」
ひとつ笑顔を交わし合ったところで、まあ、現実問題、朝っぱらから物語なんて起きてほしくないよな、ってのが実際だ。
ここでいう物語は、たいてい事件・トラブル・一大事だ。
そう相場が決まっているのだ。
「あっ」
シエが何かに気づいたような声を上げ、ペースを落とした。
その瞳が見つめる先。
青い闇が立ち込めた通りの向こう側から影がひとつ近づいてくる。
右へフラフラ、左へヨロヨロ。
蹌踉とした足取りの女。
酔っ払いというふうでもない。
倒れる前の行き倒れみたいな、力ない歩み。
そいつは、見るからに物語――いや、トラブルの香りがする奴だった。
しかも、俺の知っている奴と同じ顔をしてやがる。
「……ゾフィオーネ?」
疑問形にする必要がないくらい明らかにゾフィオーネなのだが、違っていてくれたら嬉しいという思いでクエスチョンマークをつけてみた。
胸元が大きく引き裂かれた高そうなドレスを、すり切れたボロカーテンのように引きずって歩くお嬢様。
化粧は乱れ、目は虚ろ。
どこか色っぽくもあり、手折られた花のように儚くもある。
普段の受付嬢スタイルではないせいか、冷凍たんぽぽみたいな雰囲気も鳴りを潜めていた。
「トラッシュハルトさん……」
ゾフィオーネは俺を見るやどこかホッとした表情になり、――ぷつん。
糸を切られた操り人形みたいに崩れ落ちた。
とっさにその体を支えて、ちょっと後悔。
こいつのことだ、またなんぞ企んでいるに違いない。
今に、キャアアア痴漢ヨオオオ、などと大声を上げて狂ったニワトリみたいに叫び出すかもしれない。
ごくり。
「……」
と思ったが、ゾフィオーネは静かだった。
目を閉じ、口を半開きで、死んだみたいに俺に体を預けている。
小さく寝息が聞こえた。
「寝ちゃい、ましたね……」
まだ荒い息のままシエが言う。
眠いならここでゆっくり寝かせてやろう!
俺たちはランニングの続きだ!
と心の中で本心を叫びつつ、俺は口の中に綺麗ごとを用意した。
「この時間は衛兵詰所も診療所も開いていない。ひとまず、ギルド本部に連れ帰ろう」
「はいっ! この方はとても幸運です! トラッシュハルトさんみたいな優しい方に出会えたのですから!」
いや、幸運なのはシエがこの場にいたことだろう。
俺一人なら、ポイしていたと思う。
朝からゾフィオーネ級の厄介者を抱え込むのは、一日の序章としては最悪と言わざるを得ない。
なんだか知らんが、シエに感謝しろよ、お前。
俺は冷えた体を担ぎ上げ、踵を返すのだった。




