17 漂着物
突然の水泳大会で背嚢は丸々水没したが、中身のほうは無事だった。
「《撥水性を高めるスキル》と《30秒だけ完全防水にするスキル》、それから、《速乾性を高めるスキル》を併用したから、パンも無事だな」
「なによ、その濡れる前提のスキル配分……」
「あらゆる展開に対応できるなんて、トラッシュハルトさんはさすがすぎますっ!」
女子二人がやんややんやする背後に巨大な龍がアーチを描く。
クジラのジャンプを数十倍にしたような圧倒的スケールの跳躍。
着水の衝撃で水面爆発、津波が勃発。
しかし、あいつはどうも中央神殿には入って来られないらしい。
庭で放し飼いにされた番犬みたいに湖をうろうろするだけ。
神殿の高いところに陣取った我々には関わりのないことだった。
それより、飯だ、飯。
「しかし、グノンが魔法を使えるってびっくりだよな。魔法ってインテリ向きだろうに」
氷結魔法でバナナをフローズンにするお猿っ子を見ながらつくづくそう思う。
「あたし、フローズンバナナが食べたくて氷魔法を勉強したのッ!」
「植撃魔法もか?」
「そうよッ! あたし天才だから、バナナを量産しようと思ったのよ! 魔法ってのはね、考えちゃダメなの。感じるの! 半分はバナナ愛なのよ!」
「なるほど……」
実際、魔法が使えているわけだから謎の説得力がある。
「んッ!」
グノンが冷気漂うバナナを突き出してくる。
「トラッシュ、あんたにあげるわ。最後のフローズンバナナ」
グノンなりの歩み寄りらしい。
ありがたくいただこう。
「でも、半分コよ!」
「そこは4分コで」
《小麦の香りを引き立たせるスキル》でパンのポテンシャルを引き出し、バターを塗って、バナナを挟む。
「フローズンバナナパンの完成だ!」
「キッキ、キッキイッ!」
これにはお猿も大興奮。
水中都市の幻想的景観もランチタイムに花を添えていた。
「腹が膨れると頭の回転率も上がってきたな。やるべきことが見えてきた」
「ム。戦でござるな!」
2頭身のギンジェロウが8頭身になりながら鼻息を荒げる。
「最後はそうなると思うが、俺たちには使命があるだろ?」
俺は紙切れを取り出し、紙面にペンを走らせる。
「俺たちの目的は中層域の空白を埋めることだ」
第4階層の中央神殿は巨大な未踏地帯。
この地を調査しない手はない。
「ですねっ! 絶好の機会です! ここ、トルネ姉さんも来たことがないところですよ、きっと!」
シエも小さな鼻で息を荒げている。
「でも、外苑部をぐるっと回るだけだぞ? 神殿中央の香ばしい匂いがしているところは近づかないからな」
主にグノンに言った。
「そうね。きっと馬鹿でかい魔物がいるわ。あのドラゴンが近づかないくらいだもの」
言うまでもなかったようだ。
グノンは野生の勘でヤバさを悟っているらしい。
各階層には『階層主の間』と呼ばれるボス部屋がある。
その奥にある宝物殿には、目玉が飛び出て跳ね回るようなお宝が眠っている。
だが、今の俺たちでは100パー返り討ちだ。
お宝を持ち帰るより、神殿のマップを持ち帰るほうがトルネライト団長は喜ぶだろう。
「それ、影龍ですか? とってもお上手ですっ!」
とシエが紙片を覗き込んで言う。
「《不安定な場所で綺麗な線を引くスキル》と《ちょっと模写がうまくなるスキル》の合わせ技だ。長いこと正体不明だった影龍の情報も成果として報告できるからな」
情報は質量あたりの価値が最も高いお宝だ。
冒険者の世界では、宝の地図を記した紙切れは宝と同じ額で取引されている。
姿がわかれば攻略の糸口も掴めるってもんだ。
「自分の絵に高値がつくと思えば筆も走っちゃうな。よし、記念にトラッシュハルト画伯のサインを記しておこう」
「あたしがバナナの絵を描いてあげるわ! 貸しなさいよ、そのペン!」
「おい、グノン。貸せっていうパワーじゃないな。手を離せ。ペン、折れちゃうだろ。俺の指ごと」
「どちらも蛇足にござる」
「トラッシュハルト画伯のサインは蛇足じゃないですっ! 錦上添花です! 値打ち倍増ですよっ!」
どばああああんん、と爆発じみた水しぶきが上がる。
影龍が巨大な尾で水面をぶっ叩いたのだ。
楽しげにワイワイやっている俺たちに冷や水をかけたいらしい。
「ギンジェロウ、この湖、渡れると思うか?」
「泳ぎ達者な拙者でさえ無事ではすまぬでござろうな」
「だよな。となると、唯一の帰路は俺たちが出てきたゲートだけだ」
ワニがうじゃうじゃしていた、あそこ。
「あんまり気乗りしないから、少しでも先延ばしにするために、じっくり神殿を調べて回ろう」
「サンセーッ!」
「ござるな」
「さっそく出発しましょうっ!」
◇
中央神殿のマッピングはとんとん拍子で進んだ。
ここは、なぜか魔物がいない。
白の塔には『聖域』と呼ばれる安全エリアもあるが、それとも少し毛色が違う。
ピリピリとした静謐さがある。
階層主を恐れて雑魚が近づかないというのが正解だろう。
「ム?」
波打ち際でギンジェロウが何か見つけた。
丸くて赤いもの。
よく熟れた柿を巨大化させたようにも見えるし、酔っ払いのハゲ頭にも見える。
そんな謎の漂着物。
「面妖な。よもや、あやかしの類ではあるまいな」
翼の先でツンツン。
すると、その柿は波打つように動き出した。
うねうねする触手が水の中から現れ、奇怪なダンスを踊っている。
アッシはこういう者でやんす、という感じで、そいつは振り向いた。
「……ム!? 何奴!」
何奴かと訊かれたら、こう答えるしかあるまい。
タコでやんす、と。
酔い潰れたおっさんみたいな、つぶらな瞳がギンジェロウを見ている。
次の瞬間だった。
――ぶッしゃああああ!!
そいつは赤ワインみたいな液体をギンジェロウに吐きかけた。
翼刀がそれを左右に斬り分ける。
しかし、タコは栓が壊れた酒樽みたいに後から後から赤ワインを吐き続け、
「ム、不覚……!」
ついにギンジェロウを真っ赤に染めてしまった。
そして、立ち込める強烈な熟柿臭……。
「お、お酒臭いです……っ!」
「ウッキィ……。鼻、もげそう」
「こいつ、酒噴蛸だな」
その名の通り、酒を噴くタコ。
墨の代わりに強い酒を噴射し、天敵を酔わせて身を守る。
第4層でしか飲めないこの伝説の珍酒『オクトパ酒』には、酒好きの貴族たちが馬鹿げた懸賞金をかけているとか、いないとか。
「よかったな、ギンジェロウ。至高のタダ酒だぞ」
「……」
「ギンジェロウ?」
「…………ひっく」
とろんとした目のギンジェロウが、ぺたんと尻もちをついた。
溶けたチーズのごとく力なく背を丸め、でかい体がみるみる縮んで2頭身になる。
で、――こてん。
可愛く倒れて目を回す。
「あー、シエ。治癒を頼めるか?」
「は、はいっ! ギンジェロウさん、しっかり!」
「ウッキッキ! ペンギンが白目剥いてるわよキキキ! ギャハヒヒヒ! ……ひっく」
「シエ、小猿のほうも酒気にあてられたぞー」
「ちょ、グノンさぁーん……!」




