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第十二章 ゴディバ・レジェンデール・トリュフ(20)

 *


 俺の後ろで、音をたててドアが閉まった。

 もう、ここに来ることは、二度と、ない。

 ほんのひと月前、犬コロみたいにこのドアの前にうずくまっていたことを思い出す。あの時の俺は、どんなことを考えていたんだっけ。どんな気持ちだったんだっけ。なにも、分からない。

 サキの言葉が、何度も何度も頭の中で響く。

『彼女と、お子さんを幸せにしてあげて』

 そうだ。幸せにしてやらなくちゃ。俺には、待っている家族がいる。あんなに望んでいた家族が……。

 でも、家族って、なんだっけ? 幸せって、なんだっけ?

 サキ。君は、俺がいなくても幸せになれるか? ……いや、そんなことを問う資格すら、俺にはない。分かっている。

 夕暮れの街を、やみくもに歩く。

 曲がりくねった小路を進むのと歩調を合わせるように、記憶がよみがえる。

 サキと初めてすごした夜。あのくちびるの感触。

 何度も愛し合い、でも終わったとたんに、また欲しくなって、次を心待ちにした日々。

 そして、サキを失いたくなくて、ただ、もがいていたこと。

『さよなら』

 サキが、言った。

 それは、本当は俺が言わなくてはいけない言葉だった。分かっている。俺が帰るべき場所は、ほかにあるってことを。ここじゃないってことを。サキは教えてくれたんだ。俺がまた間違わないように。分かっている。

 でも、どうしてここは、こんなにも暗いのだろう……?

 気づくと俺は、橋の前まで来ていた。今夜もミワのところへ行くことになっていたのに、間違えて自分の家の方向へ歩いて来てしまった。

 真正面に美術館の大きな姿が、オレンジの空を背景にして浮かび上がっていた。

 それに背を向け、ふたたび歩き出す。

 引っ越さなければと考える。忘れなければと思う。一瞬ごとに、一足ごとに。

 そうしなければ、今にも自分がバラバラに千切れていきそうな気がした。


*


The door closed behind me with a sound.

I will never come here again.

I remember crouching in front of this door like a stray dog just a month ago. What was I thinking then? What was I feeling? I do not know.

Saki’s words echo in my head again and again.

“Please make her and your child happy.”

That’s right. I have to make them happy. I have a family waiting for me. The family I had wanted so much…

But what is a family? What is happiness?

Saki. Can you be happy even without me? …No. I do not even have the right to ask such a thing. I know.

I walk aimlessly through the evening city.

As I move along the winding alley, memories come back in step with my pace.

The first night with Saki. The feel of those lips.

The days when we made love time after time, and yet as soon as it ended I wanted her again and waited eagerly for the next time.

And how I just struggled, not wanting to lose Saki.

“Goodbye.”

Saki said.

That was a word I should have said. I know. That the place I should return to is somewhere else. Not here. Saki showed me. So that I would not make a mistake again. I know.

But why is it so dark here…?

Before I knew it, I had come up to the bridge. Even though I was supposed to go to Miwa’s place again tonight, I had walked by mistake toward my own house.

Directly in front of me, the large shape of the museum rose against the orange sky.

Turning my back on it, I start walking again.

I think I have to move. I think I have to forget. With every moment, with every step.

If I did not do that, I felt as if I might be torn to pieces any second.

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