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第六章 ノキア6630(4)

 それから数日後。帰り支度をしていると携帯メールの着信音が鳴った。

 開けて見ると、

『今夜八時。いつもの場所で』

 とあった。

 私はちょっと顔を上げ、それから、

『了解』

 と返信をした。

 課長のタカヤとはもう三年越しの関係だった。タカヤは私がこの美術館に就職したころにはすでに結婚していて、去年小学校に上がった息子もいる。タカヤは私より七つ上の三十三歳だ。まあいわゆる不倫である。こうしてときおり仕事帰りに待ち合わせてデートをする。もちろんセックスつきだ。ここしばらくは互いの都合――というよりタカヤの都合がつかなかったようで、デートの誘いは一ヶ月ぶりだった。私から誘うことはない。

 了解と返事をして、先に美術館を出て、いつもの店に向かったものの私は迷っていた。

 バスに乗って街へ向かう途中、窓ガラス越しに橋のたもとへ目をやる。いつもイチイと待ち合わせる小さな公園が、さっと通りすぎる。

 何度言ってもイチイは、私がそこにたどり着くまで我慢できなくて橋の上に飛び出てきてしまう。待ち合わせ場所を変えようと言っても、『少しでも長くサキといたいから。サキの仕事が終わったらすぐに会いたいから』と言ってきかない。私はさすがに胸がいっぱいになる。私にはそんなふうに愛される資格などないのに……。

 イチイと出会ってからタカヤとは逢っていなかった。それはたまたまだったけれど、私はホッとしていた。イチイとこんなふうになって、それでもタカヤとも逢い続けていいかどうか。それを自分に問うことすら先延ばしにしてきたのだ。

 しかしもちろん解答は分かっている。逢い続けるべきではないのだ。タカヤとはこれで終わりにすべきなのだ。本当はメールが来た時点で断るべきだったのだろう。

 だが私は、いつものように返事をし、いつもの店に座って、いつものようにタカヤを待っている。

 やがてタカヤがやって来て、いつものようにウイスキーの水割りを頼んだ。いつもの会話が流れるように進む。たいていは仕事のこと。少しだけタカヤの家庭のことも。

 何種類かのつまみとともに三杯目のウイスキーが空になるころ、タカヤが立ち上がる。私も同時に立つ。

 私はドアの外でタカヤが会計をすませるのを待つ。タカヤが現れて私の肩を抱き、歩き始める。

 すべてがいつもどおり。三年間繰り返されたことが今夜も行なわれるだけなのだ。この一ヶ月になかったからといって二度とされないわけではない。

 いったい、私はなにをやっているのだろう?

 私はイチイのことを考えた。あの真っ直ぐな目を。

 しかし私の足は止まらず、タカヤにうながされるまま交互に押し出されてゆく。

 私の心の中はしんとしたままだ。イチイも、そしてタカヤも、それを乱すことはできない。時は同じ場所をただぐるぐると回っている。人だけが入れ替わり通りすぎてゆくだけだ。


A few days later, as I was getting ready to leave, my phone chimed with an email.

I looked at the screen.

“Tonight, eight o’clock. The usual place.”

I looked up briefly, then replied,

“Okay.”

I’d been involved with Takaya for over three years. He was already married when I joined the museum, and he has a son who started elementary school last year. Takaya is seven years older than me—thirty-three. In other words, an affair. From time to time, we meet up after work for dates. Sex included, of course. Lately, for various reasons—mostly on Takaya’s side—we hadn’t been able to meet, and this was the first invitation in a month. I never initiate.

After replying, I left the museum first and headed for our usual place—but I hesitated.

On the bus into town, I glanced through the window toward the foot of the bridge. The small park where I usually meet up with Ichii slipped past.

No matter how many times I tell him, Ichii can’t help but dash out onto the bridge before I reach the meeting place. Even when I suggest changing it, he won’t hear of it, saying, “Because I want to be with you as long as possible. Because I want to see you the moment you’re done with work.” At that, I can’t help but feel my chest fill. I don’t deserve to be loved like that…

Since meeting Ichii, I hadn’t seen Takaya. It just happened that way, but I felt relieved. Whether it was all right to continue seeing Takaya after things had become like this with Ichii—I kept putting off even asking myself that question.

Of course, I knew the answer. I shouldn’t keep seeing him. I should end things with Takaya. Really, I should have declined the moment his message arrived.

And yet, as always, I replied, sat in the usual seat, and waited for Takaya.

He arrived, ordered his usual whiskey and water. Our usual conversation flowed—mostly about work, a little about his family.

By the time his third glass was empty, Takaya stood up. I stood as well.

I waited outside while he paid. When he came out, he put an arm around my shoulders, and we started walking.

Everything as usual. Just a repetition of what we’d done for three years—one more night. A month’s pause didn’t mean it would never happen again.

What am I doing? I thought of Ichii. Of his steady gaze. But my feet didn’t stop, guided forward by Takaya, one step after another.

Inside me, everything was silent.

Neither Ichii nor Takaya could disturb it.

Time simply kept circling the same place. Only the people passing through changed.

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