第64話:砂塵の別れ、北京への鉄路 ――四つの牙、黒い包囲網を裂く――
千砂城の重い鉄門が開き、蓮、リン、燕、乾の四人は白き砂漠へと足を踏み出した。
背後では、敗れた白虎が静かにその巨躯を見送っている。
目指すは東、すべての始まりの地にして、皇太后が待つ帝都・北京。
だが、砂漠の出口である『絶望の枯れ谷』に差し掛かった時、リンが足を止めた。鼻をひくつかせ、顔をしかめる。
「……蓮、嫌な匂い。……鉄と、火薬と、冷たい油の匂い。たくさんいる」
谷の斜面から、黒い衣服を纏った手練れたちが音もなく滑り降りてきた。
麒麟会、紅竜会、そして白虎会の「主を失った残党たち」。彼らを束ねるのは、黒い仮面をつけた男だった。
「……白虎を倒したからと、生きて帰れると思うな。……お前たちの首を、北京の新たな『真の黒幕(黒き麒麟)』への手土産にする」
数十人の刺客が、抜き身の刃を煌めかせて包囲網を狭める。
蓮は静かに鉄片を抜き、仲間たちを見た。
「……燕、乾、リン。……手は貸してくれるか」
「……当たり前だ。……俺の火鍋は、まだ煮え滾ってるぜ」
燕が山刀の鯉口を切り、不敵に笑う。
「……裏切り者の汚名、ここで返上させてもらう」
乾が、懐から何十種類ものスパイスを調合した、黒い乾燥粉末の袋を取り出した。
戦闘の火蓋が切られた。
刺客たちが一斉に斬りかかる。だが、今の四人はかつての烏合の衆ではない。
「……右から三人、足音が重い! 左の二人は、刃が短い!」
リンの超嗅覚と聴覚が、暗闇に近い谷底で敵の死角を正確に暴き出す。
「……そこだッ!」
燕が山刀を振るい、蓮の右側面を突いた敵の武器を弾き飛ばす。彼女の振るう刃は、まるで火鍋の炎のように苛烈で、一切の迷いがない。
「……乾、頼む!」
蓮が叫ぶ。
「……応ッ! **『砂塵の目潰し(黒煙のスパイス)』**だ!」
乾が、自慢の乾燥技術で極限まで粒子を細かくした、唐辛子と黒胡椒の粉末を風上に投げつけた。
ブワァァァッ!!
谷底に、一瞬にして視界を奪う「激痛の黒煙」が立ち込める。
刺客たちが、目を押さえて呻き声を上げ、蹲った。
「……バカな! 視界が……!?」
「……俺たちには、リンの『鼻』がある。……視界なんて、最初からいらないんだよ!」
蓮が、黒煙の中を迷いなく駆け抜けた。
鉄片が空気を切り裂き、不揃いのリズムで敵の武器を、そして戦意を正確に粉砕していく。
数分後。
谷底に立っていたのは、四人の料理人だけだった。
仮面の男は、部下たちが倒れるのを見て、舌打ちをして砂煙の中に消えていった。
「……ふぅ。……俺たちの連携、悪くないな」
燕が山刀を鞘に収め、汗を拭う。
「……ああ。……一人では、あの包囲網は突破できなかった。……感謝する」
蓮が、三人に頭を下げた。
「……お礼なんていいよ。……蓮の料理が、また食べたいだけだし」
リンが、屈託のない笑顔で言った。乾も、静かに頷いている。
四人は、砂漠を抜けた。
目の前には、どこまでも続く、北京へと至る大平原の道が伸びている。
蓮は、懐にある母のレシピの断片――『萬里帰一、和合の宴』の文字を、そっと指でなぞった。
――北京。紫禁城。
そこには、すべての理を飲み込む、中華の頂点が待っている。




