第65話:帝都の黄昏、混沌の厨房 ――覇王の影、黒き麒麟の血脈――
砂漠を抜け、平原を駆け抜け、四人はついにすべての始まりの地――北京へと帰還した。
かつて蓮が覇王に敗れ、全てを失った街。だが、今の北京の空気は、あの時とは明らかに違っていた。覇王という絶対的な「秩序」を失った料理界は、利権と暴力を貪る小悪党たちが跋扈する、混沌の伏魔殿と化していた。
「……蓮。街の匂いが、腐ってる」
リンが鼻をつまみ、顔をしかめた。
「……油が古くて、みんなの心がイライラしてる。……覇王がいた時より、ずっと酷い」
蓮は何も言わず、かつて自分の店があった場所へと向かった。
焼き払われ、黒焦げになった廃墟。そこに、一人の男が佇んでいた。
豪奢な絹の衣服を纏い、顔にはあの砂漠の谷底で見た「黒い仮面」。
「……やはりここに来たか、蓮。……我が兄、覇王を討った不届きな甥よ」
蓮の目が、鋭く細められた。
「……甥だと? あんた、覇王の……」
男が、ゆっくりと仮面を外した。
現れたのは、覇王によく似た、しかし覇王よりもどこか卑俗で、底知れない野心を宿した男の顔だった。
覇王の弟、そして麒麟会の新たなる主。名は『黒曜』。
「……兄上は、完全なる『無』を求めた誇り高き料理人だった。……だが、私は違う。……私はこの料理界の、そしてこの国の、すべての富と権力を握る『支配』を求める」
「……お前が、麒麟会の残党を束ねている黒幕か」
燕が山刀の鯉口を切り、一歩前に出る。
「……そうだ。……そして、お前たちが探している皇太后陛下は、現在、原因不明の『味覚喪失』に陥っておられる。……私の息のかかった宮廷料理人たちが、陛下に毒を盛り、その舌を麻痺させているのだからな」
黒曜が、冷酷に笑った。
「……満漢全席だと? 笑わせるな。……味を失った皇太后に、どんな料理を供したところで、美味いと感じるわけがない。……陛下は、私の作る、味覚を刺激するだけの『薬物の料理』しか受け付けない身体になっているのだ」
蓮は、腰の鉄片を握りしめた。
(……皇太后の味覚喪失。毒。……汚い手を使う)
「……黒曜。お前の理は、料理ではない。……ただの薬物中毒だ」
「……勝てば官軍、負ければ賊軍だ、蓮よ。……一ヶ月後、紫禁城にて『満漢全席の御前試合』が行われる。……そこで私に負ければ、お前たちの命はない。……そして中華の料理界は、永遠に私の、黒い麒麟の軍門に降るのだ」
黒曜はそう言い残し、闇へと消えていった。
後に残された四人。
だが、蓮の瞳には、絶望の色はなかった。
「……みんな。……戦う相手は決まった」
蓮が、静かに仲間たちを見据えた。
「……皇太后の舌を、俺たちの『満漢全席』で、力ずくで叩き起こす。……汚い毒なんて、俺たちの命の旨味で、洗い流してやる」
始まりの地、北京。
血の繋がった叔父との、中華の命運を懸けた最終決戦へのカウントダウンが、今、始まった。




