14 帰還
夜の風は涼しいというよりも肌寒いものだったが、ロトアロフの夜に比べればまだ温かいと思えるものだった。
ヴィンセントは通り過ぎる涼やかな風の心地よさに、琥珀の瞳を細め、広大な砂の海を見つめる。その近く、同じく甲板から砂の海を眺めていたギークの側に煌河が歩み寄ってきていた。
「で、お前は何で戻りは船に乗っているんだよ」
「寂しいじゃないか。それにやっぱり僕が乗っていると自由に飛べないのが肩苦しいようなんだよ。それで、三人は?」
「奥で寝ている。なんつうか、フェルド達の昔のこと聞いたから納得出来たわ、いろいろと」
「そうだね。妙にイルジナ殿に弱い理由とかも理解したよ」
頭上にはギークと共に飛んできたキファラが気ままに大きく翼を羽ばたかせて飛んでいる。時折くるりと体を回し、船と追いかけっこをするように船を越したり、越されたりしている。
甲板にいなかったフェルド達三人はさすがに眠りについたとの話が聞こえ、ヴィンセントは人知れずに安堵した。そして甲板に残っていた静とルイスがもはや人目をはばからずに共に狼を枕にして寝入っている姿を目撃し、安堵して良いのか呆れて良いのか分からなくなっていた。しかも隣にいるヴィートは顔を手で覆っている始末だ。
そんなことを思案していればまるで考えを呼んでいたかのように煌河がヴィンセントに聞いてきた。
「で、あれは放置かよ。大神官殿」
「いつものことだ」
「婚約しているからってなぁ」
「する前からだ」
煌河はもちろん、ギークも目を丸くした。
状況としては仕方のないことだったとは言える。雪が降り積もる冬の中、静達は旅をした。その中で暖を取る為にあのように眠るのは許容出来るものではあった。何せ静は一人で動くことすら難しい状況だったのだから。
ではあるものの、だからと人目を気にせずにああも大っぴらにするのは如何なものかとついヴィンセントは頭を悩ませる。ついでに腹も痛くなってきそうだった。
「おい、寝ていたんじゃないのか?」
「精神を統一していただけですよ?」
そして一人静かに隅にいた風宇がすぐ側に寄ってきていた。人の良い笑みを浮かべ、そのまま話の輪に入ってくる。
「しかも先程、髪を結われていましたが」
「静の世話が趣味なんだ。何も言うな」
「ずいぶんと奇特な……ああ、これは失礼」
異国の人間からもルイスの趣味は奇特というのだからヴィンセントは呆れるばかりだった。
しかしあれでルイスの機嫌が保たれているのだから静には犠牲になってもらう必要があったし、なんだかんだと静は受け入れているので何も問題はない。おそらく。
そして次にギークが眠っている二人を眺めつつ、口を開いた。
「にしても、本当にヴィンセント殿よりも彼女の方が戦えるのかい?」
「嘘じゃない。ただ今回、相手は人間が多数だったからあいつには下がってもらった」
「ということは人間以外だったら?」
「聞かんでくれ」
確実に、一人で飛び出している姿が容易に想像出来た。
目元を抑えるヴィンセントを他所に、煌河が問う。
「そういや、ナユカがもっていた銀の短剣。静……ああ、もう呼び捨てで呼ぶけど、静からもらったって言っていたな。あれが武器ってことだろう? 大丈夫なのかよ」
「おそらくあれは静が作ったものだから心配無用だ。静は我が国の聖女の中で唯一、戦える力を持っている。その類のものだ」
「へぇ。でも使い過ぎたら命の危険になるんだったな」
「そうだ。ギーク殿には話したが、あの馬鹿は右膝が悪いんだ。そのせいで長く走ることが出来んし、よく転ぶ。それにあの体調の悪さだ。本当に、心の底から大人しくしてもらいたい」
「苦労してんなあ」
例え他人事であろうが、煌河からの言葉はヴィンセントの心に深く染み入った。しかし、とヴィンセントは大きく息をつく。
「だが、あいつは相手が魔物か。もしくは神の類であれば一番に出るだろうな」
「何かそれらに恨みがおありなのですか?」
「いや、言葉が通じない相手だから拳で鎮める選択をする恐れがあるというだけだ」
「なるほど。とはいえ、神に拳が効くとは思いませんが」
風宇の疑問はその通りの物であった。何せ神である。が、それが静が相手をしているのであれば話は別だ。後、ルイスも。
話過ぎているとは一瞬思ったが、もはや今更だった。それにこちらの本来の目的の為には、これでもまだ話したりない事ばかりだった。
「ロバート」
「はい」
ヴィンセントは休憩していたロバートを呼ぶ。ロバートはすぐに返事をして立ち上がり、ヴィンセントの側に控えた。
「いや、用があるのはシルドラなんだがな。お前、静の拳を受けただろ。どうだった」
『ああ、あの時か。人間にしては良い一撃だった』
「だ、そうだ」
神すらも良いと評される拳であることに、ヴィンセントは良い事なのかと疑問を思いながら告げれば、風宇は口元を大きく引きつらせた。
「この蜥蜴を殴ったのですか?」
『以前の我は人の姿であった』
「では、何故そのようなお姿に?」
『摂理というものよ。人間』
シルドラとなる前の話は、この先、未来永劫語り継がれる事のない出来事だ。
全ては人間によって起きたこと。しかしロトアロフの神々は人間の祈りと願いによって顕現された方々。どちらが欠けてはいけないもの。
それをヴィンセントは強く理解しているがしかし、わずかばかりの罪悪感というものは今もしこりのように残っている。
シルドラはそれを摂理だと言ってのけた。あれほど狂いながら。原因が人間が起こした召喚術であるというのに。
そう、召喚術。
ヴィンセントは一度、琥珀の瞳を瞬かせて浮かんだ疑問をそのまま問いかけた。
「シルドラよ」
『なんだ?』
「何故、あの兎は狂わずに済んだんだ?」
人の姿であった、彼の神であった時、召喚術により狂わされたと語っていた。あれは毒であると。
もちろん呪術等々はあっただろうが、大きな要因はそれであった。
だというのに、鉄兎は狂わずに正気であったのだ。
『ヨカゼも狂ってはおらんだろう?』
「奴は確かに召喚術を使われ、我が国へとやってきた。しかしあのように呪術と忌まわしきものの影響下にあったとは考えにくい」
『ああ、そうだな』
確かにヨカゼのことも気になる。ヨカゼもまた、召喚術を使われた存在だが百年も前のこと。もしかしたら他の神々が正気を取り戻させた可能性もあった。
「ナユカ殿のあの力のおかげか?」
『どうだろうな』
「違うか」
はぐらかすシルドラであるが、これが限度であることをヴィンセントは理解していた。
理によって真実は制限させている。故に、神々は真実を伏せる。ただし、この世界の人間は解き明かすことが赦されている。そうであれと言わんばかりに。
こういった事は静が適任であるが、異世界の人間は余計に赦される立場にない。
だからヴィンセントが解き明かす他にないのだ。
「ゴーレムが守っていたそうだな」
『ああ、そうだ』
「どうやって?」
奴隷市場の周りには多くのゴーレム達がいた。あの中のものを外に広がらないようにしていたというのは容易に想像が出来る。
とはいえ、いるだけで防ぐことは出来るはずがない。ならば壁か。地中に壁を作ったところで防げるのか。
『あの中はとても固いものだったな』
シルドラが言う。
確かに、あの穴の中の壁や地面は岩のようにも見えた。その壁と地面を作った、だけであればシルドラはここまで曖昧な言い方をしない。
ヴィンセントは思考を回す。
そしてふと、ロトアロフで出会った眠るゴーレムの姿を思い出す。
白銀の光の中、巨体なゴーレムの体は砂のように崩れ、風の中へと消えていった。そう、大地に、戻っていった。
まさか、とヴィンセントは答え合わせをする。
「……ゴーレム自らが、盾となっていた、と?」
『ああ、そうだ。それとついでにあの兎を守っていたというわけだ』
人間に例えたら、肉の壁と地面。
それでようやく防いでいたようなあの場所に対し、ヴィンセントは強い畏れを抱いた。
「何故最初から答えを言わないんですか、この蜥蜴は」
「なんでこんなに面倒なんだよ」
風宇と煌河がシルドラに詰め寄ろうとし、巻き込まれているロバートが小さく一歩後ろに下がった。
ヴィンセントは強く拳を握りしめ、無理やりに声を絞り出した。
「……これでもおそらくは素直に答えてくれている方だ。それに神々というのは、問わねば答えることはせん。さらに答えてくれたとて、全てではない」
それが理であるから。
しかし、とヴィンセントはシルドラにまた疑問を投げかけた。
「しかし、それならゴーレム自らがあの陣を破壊すれば良かったのではないのか?」
『これだから人間は』
「おい、フーリュの遊び相手にさせるぞ」
『止めろ。奴は加減が出来ん』
ロバートの襟の後ろに隠れたシルドラは、頭だけ出した。
『我らには出来ぬ。あれは人間でなければならぬ』
「理か」
『如何にも』
ここでも理と来た。
『人間が生み出したものだ。であれば、人間が対処しなければならぬ』
「厄介なものだが、道理だ」
『そうだろう? 以前、どこかで我らの何者かが手を下したら人間は愚かにも滅ぼそうとするわ。別の祈りと願いを捧げてくるわ。何をしても存在を崩そうとしてきたから何も出来ぬ』
「人間が愚かすぎているせいだったか」
『しかし、それが人間というものだ』
そこまで答えたシルドラは、役目を終えたと言わんばかりにロバートの服の中へと完全に姿を消した。
慌てるロバートを落ち着かせるためにヴィンセントは軽く肩に手を置き、手だけで下がるように指示をすればロバートは素直に一礼し、また船の隅に戻っていった。
「うーん、いろいろと聞いたらまずいような話を聞いた気がするよ」
「いったん鈴乃に言っとくか」
「母上の耳に念のため、入れておく必要がありそうですね」
その間にもギークと煌河、風宇がそれぞれ顔を見合わせて整理をする。
慌てている様子もなく、冷静に見える三人にヴィンセントは胸を撫でおろす。
「たまに鈴乃が理がどうのって言う時はあるが、よく分かんねぇんだよなぁ。なぁ、そいつと話をしていたってことはある程度は理について知っているんだよな?」
顔を大きくしかめる煌河に問われたヴィンセントもまた、わずかに眉をひそめた。
どこまで話すべきか。もういっそ、全てを話すにはちょうど良いのではないかと思い、ヴィンセントは素直に答えることにした。
「あれは明確な意思がある」
「理に? 神が定めた法じゃねぇのか?」
「詳しいことは知らん。だが、我らが神は理を説き伏せ、静を理から守ってくださっている」
「は?」
問いかけた煌河もだが、風宇もギークも同様に目を丸くする反応を見せた。その反応を他所に、ヴィンセントはさらに続けた。
「理は静を抹消することを決められた。しかし我らが神とその他神々がそれを是としなかったおかげで今、そこにいる。しかし、あの命が終わりを迎えた瞬間、理によって全てが消え去ると定められた」
言い終わると同時か、それよりも一拍速く、ギークがヴィンセントの肩を強く掴んだ。
「何故?」
「静がこの世界にとって危険と判断された、らしい」
「あの子、たった一人の存在が?」
「ああ、そうだ。故に、我らはこうして異国へと赴くことに決めたというわけだ」
言葉を無くしたように茫然と見つめるギークに、ヴィンセントは困ったように笑った。
「笑うか、俺達を」
「まさか」
即答するギークはゆっくりと手の力を緩め、肩から手を下ろしてくれた。
そこそこ力が強かったから痕が残っているかもしれないほどだが、それほどまでに動揺するほどに静を気にかけているギークに感謝の念を強く抱いた。
「けど、異国に来たからってそれだけじゃないんだろう? まさか、この国の神に何かしら願ったりするのかい?」
「いや。はじまりの神に通ずる何かを探しに来た」
「はじまりの神? それは一体……」
「知らん。理が静を抹消しない条件に、はじまりの神を見つけろと言ってきたから探しているんだ」
ギークの様子から、やはりその神を聞いたことがないのはすぐに分かった。そして煌河と風宇も同じ様子だった。
「理すらも分からない存在を? ふざけておりません?」
「っていうか、本当にいるのか? そんな神」
不愉快極まりない、と言わんばかりの様子だった。
それにギークは理解しているように数度頷いた。
「一先ず、ヘルガに聞いてみることにするよ。キファラが……何か知っているかは分からないけど、後で聞いてみようかな」
三人の反応はそれぞれ異なるものだった。特にギークに至ってはずいぶんと自発的に協力するような言い方に、ヴィンセントは思わず呆気に取られてしまった。
「うん? どうしたんだい?」
「……いや、こちらはただ、事実を述べただけなんだが」
「それで困っているという事なんだろう?」
正しく、ヴィンセント達は頭を悩ましていた。
静には時間がない。心臓の病が悪化する前にどうしても見つけ出さねばならないほどなのだから。
銀の聖女。最も神に近い存在であり、心を通わせる存在の、同じ人間。そしてヴィンセントの悪友。
己の立場を抜き、友を救いたいと願っていることは変わらない。であるが、こうもするりと協力を得られることに対し、どうしても疑いの目を向けたくなる。何せこの場にいるのは王族だ。今まで政に関わってこなかったツケがここに来たかと、ヴィンセントはつい己の認識の甘さに内心舌打ちをした。
すると、警戒するヴィンセントに、ギークは朗に笑って小さく肩をすくめた。
「君が警戒するのは分かるよ。けど、安心をしてほしい」
「何故だ?」
率直に問うヴィンセントに、ギークは夜空を見上げた。そこには純白のドラゴンが悠々と翼を広げて星々の中を飛翔する。
「タリマ・ジャビはドラゴンと共に生きる民だ。そしてドラゴンは僕達にとって神であり、友であり、愛しき存在だ」
キファラを見つめるギークの目は、まさに神へと向ける信徒そのものであった。
視線を落とし、またヴィンセントを見るギークは微笑みを深める。ほんの少し、眉をひそめて。
「ドラゴンの数が減っているんだ」
「……それは」
「原因は分からない。けども、今回のことで神々や理に関わってくる可能性があると判断した」
タリマ・ジャビの神たるドラゴンが減っている。
異国のことであるが、氷の剣が突き立てられるような感覚をヴィンセントは覚えた。
横で、張り詰める空気を破るように煌河が口を開いた。
「おーい、それ俺達が聞いても良いのかよ」
「もう良いかなって思って。ほら、いろいろと敵の姿が見えてきたわけだし、ここは同盟を組みたいじゃないか。政なんて神々の前には無意味。今はとにかく、共に戦う相手が欲しいんだ」
綺麗に言い切るギルバートに、煌河が深い笑みを浮かべる。さらにその横にいる風宇がヴィンセントに問いかけた。
「あの敵は、貴方方を狙っているのです?」
「俺達というより、静だ。だから理が絡んでくる」
「それはそれは。つまり、貴方方と共に行動すれば、あの仮面の御仁とまた相まみえるということですよね?」
「可能性はある」
「そうですか」
風宇は満足げに頷いた。風宇にとって、あの仮面の者を取り逃したことがよっぽど不愉快な出来事であったのだとヴィンセントはそう理解した。
そして最後、煌河が笑みを浮かべたまま言う。
「ヨカゼと鉄兎のことがある。もうすでに俺達の国は巻き込まれているってわけだ。今更知らねぇふりなんざ出来ねぇよ。はじまりの神とか、理とか、知らねぇが正直今の話を聞いて気分が良いもんじゃないのは確かだしな」
確かに、この召喚術により葦原国の神使が巻き込まれてしまっている。今後も巻き込まれる可能性が十分にあるということだ。
しかしそれ以上に、煌河はずいぶんと感情を織り交ぜているようだった。
それぞれの言い分を前に、ヴィンセントがやることは一つだった。
「感謝する」
純粋な感謝を伝えれば、三人はそろって柔らかな眼差しを向けてくれた。
本当に有難いことであり、なんとも恵まれていることかとヴィンセントは同時に我らが神に大きな感謝の念を向ける。
そして、この場にいない二か国の王族について思考を向ける。
おそらく、フェルドはきっと協力してくれるだろう。あの性格だ。ただラグニフォルスの王族であるエリアスがどう判断するかは不明だが、こちらは話し合いが必要になりそうだと想像する。
なるようにしかならない。静が言った言葉の通り、その時にまた考えるべきかとヴィンセントは早々に思考を止め、もう一つの目的をここまできたのだからと追加で打ち明けることにした。
「ついでにもう一つ聞いてくれると有難いんだが」
「聞くだけならね。後は内容によるかな」
「そうだろうな。何、お前達の国に心臓の病に関する薬はあるかと思ってな」
微笑みを浮かべていたギークが一変し、大きく顔をしかめた。
「心臓の……。なかなかに難しい病だろうけど、身内にいるのかい?」
「静だ」
ギークがぱっと、視線を甲板の隅で穏やかに眠っている静へと向けた。ヴィンセントもその後を追うように見る。
そこにはルイスに抱きしめられ、狼を枕にして眠る静の変わらぬ姿がある。
「悪いな。時間がないから余計に、気が急いていてな」
いつまで、あの穏やかな二人の姿を見ることが出来るだろうか。
せめて、二人が婚姻を果たすまで。それまでは変わらずにいてほしいとヴィンセントは願うばかりだった。




