13 奴隷というもの
ヴィンセントが氷で階段を作ってくれたおかげで、穴の底から登るのに苦労はしなかった。
しかしちょっと下手したら滑り落ちてしまいそうだと今更ながらに疑問に思ったがそこはヴィンセントだ。しっかりと氷の表面はざらりとしていて滑らない仕様になっていた。
これならば安全に登れるというものだが、静はいつものようにルイスに抱えられて地上に戻ってきた。
「戻るにしても、彼らをそのままには……」
「逃げ出されても困るしな」
地上に戻った時、フェルドと煌河は難しい顔をしながら周囲を見ていた。
周囲にはこの奴隷市場にいた奴隷、商人、剣士。見張りの為にこの場に残しておく騎士なんていないどころか、異国の騎士である。メシュラルドの騎士がこの場にいない状況で、その選択は元よりなかった。
このまま放置、という手もある。逃げるだろうが、とくに奴隷はこの場に残されるだろう。生きたままかは、不明だが。
では全員、檻に閉じ込めると考えても魔術を使えば即座に脱走されるだろう。もう船を壊すかという結論になりかけていた。
ルイスに抱えられたままの静は黙ってこの成り行きを見守っていると、小さなゴーレムがころころと転がって遊んでいるのが目に入った。
こんな時でも遊んでいる彼らに心穏やかなに眺めていたが、静は何かがおかしいことに気づいた。
「……多い」
「静様、あちらを」
ルイスに促されるままに遠くへと視線を向けると、大人の背丈の半分ほどのゴーレムが石畳から生えてきていた。
それも一体、二体ではなく、軽く十体は超えていた。中には両手のひらサイズのゴーレムがいて、小さな子供の奴隷達が顔をのぞかせて様子をうかがっていた。
「かわいい」
「ナユカ。見るだけですよ」
「分かっている。かわいい」
イルジナにしっかりと手を握られているナユカは、ゴーレムに夢中なようだ。
体中に浮かんでいた痣は、今はすっかり消え去っている。しかし、どうも体力を多く消費したようで体は少しふらついてる。
『お姫さん。俺のふわもこな毛並みで我慢してくれねぇか?』
「する」
素直に頷いたナユカは、片腕で抱えていた兎を今度は凝視し始める。
たぶん、とても疲れているのだ。ナユカは。
仕方がない事だと静は思いつつ、ルイスと静の近くにやってきた子供の背丈ほどのゴーレムへと目を向けた。
「見張ってくれるの?」
そのゴーレムは是と言うように両腕を振り上げた。この両腕を使っての意思疎通は国が違っても変わらないのだな、と静は国に残っている小さなゴーレムの姿を思い浮かべた。
話し合っていたフェルド達が、静とゴーレムとのやり取りに気付き、正しく把握するとすぐにそれぞれ近くのゴーレム達に感謝を述べ、すぐに船へと踵を返す。
その時、古びたワンピースのような服を身にまとう壮年の女が集団から飛び出してきた。
「あんた! そこのあんた! 弟だろ、あたしの!」
褐色の肌。銀の髪。赤い瞳。メシュラルドでよく見る風貌の女は明確に、ヴィートに向かって声を張る。そしてヴィートは大きく目を見開き、その頬は僅かにほころんだ。
「姉ちゃん……?」
「やっぱり! もうすっかり大きくなって! というか、その恰好はどういうことだい?」
こんな状況だというのに、女は明るい声を響かせて駆け寄ったヴィートの袖を掴んだ。僅かに肩を揺らしたヴィートはその手を包み込む、がすぐにその手を袖から離させた。
「……なぁ、姉ちゃん。今、何してんの?」
「何って、あれらの世話をしてんだよ」
慎重に問うヴィートに、女は後ろを指す。
あれらと呼ばれているのは、奴隷達であった。奴隷が奴隷を管理しているのかと思っていたが、何やらそれを聞いてフェルドが顔をしかめ、数歩前に出た。
そしてヴィートはそっと、肉親であろう相手から一歩、後ろへと下がった。
「……奴隷商人だっけ、姉ちゃんって」
「まさか! まぁ、それに近い手伝いはさせてもらっているよ。おかげで良いものを食わせてもらっているけど、あたしも年だからもう産めなくなってね。だからこうしているってわけさ」
けらりと笑う女。そしてその腰には鞭のようなものを提げていた。
同じ、奴隷であるはずだ。しかし、同じ人間でさえも、立場というものであのようなものを使うという手段は往々にしてあることだ。
女は離れたヴィートに大きく一歩詰め寄った。
「いや、けど。本当に立派になって。ほら、あんたはあたし達の中で一番出来が良かっただろう? だからあっちでさぞ、良くはしてもらっているとは思ったけどさ」
頭の先から、足の先までじっくりとヴィートの姿を確認した女は、ようやく周囲を見渡して真っすぐに静達を見る。そして、歪な、大きな笑みを浮かべた。
「あれはお前の子かい? よく似ているね。良い主人に巡り合えそうじゃないか。いや、あの子が主人ってことか。うーん、しかし……どっちかと言うと、あれは装飾用じゃないか?」
あれは、ルイスを装飾だと言ってのけた。
静が反射的に腕から出ようとしたが、ルイスがそれよりも早くに静をきつく抱きしめ拘束する。ヴィートは素早く、あれとの間に腕を伸ばし、視界を遮った。
「姉ちゃん、俺はもう奴隷じゃないんだよ」
「……うん?」
「そんで、この国には奴隷ってのはいないんだ」
「何言っているのか分かんないが、あたしらは奴隷だろう? ずっと、これからも、この先も。奴隷は人間にはなれないのに、何を言っているんだい?」
穏やかな口調で語り掛けるヴィートに、女は純粋な反応を見せる。何もかもが分からない、理解出来ないと言わんばかりに。
遮るヴィートの腕に力が込められ、強く拳が握られる。そして女に向け、大きく動く。
しかし、その腕をフェルドが掴み、止めた。
「奴隷はいないよ。それに君も、後ろにいる彼らもまた奴隷ではなく人間だ」
「……ん? 見たことがあるような……」
「元々奴隷だったし、ここにもいたことがあるからね。けど今はこの国の王で、名はフェルドだ」
フェルドは自ら名乗りあげながら、ヴィートを押しのけて女のすぐ目の前へと立つ。
「僕を見ろ。下がることは許さない。視線を外すことも許さない。言葉を発するな。黙って王の言葉に耳を傾けろ」
穏やかな口調で、目の前に立っているだけ。
であるはずなのに、フェルドが言葉を発するたびに言葉を向けられていないはずの静さえも口を閉ざし、息をひそめることしか許されないような重圧があった。
真っすぐに向けられた女は後ろに下がりかけるが、それすら許されず、へたりとその場に座り込むしかなかった。
「何を恐れているんだ? 僕は王だが、お前の言葉の通りなら同じ奴隷だ。なんで座り込むんだ? そんな許しを乞おうとして、僕は何もお前に危害を加えていない。ただ話をしているだけだ。そうだろう?」
フェルドが一音、発するたびに空気は重くなる。呼吸すら許されない。そんな風にすら感じられるほどだった。
無意識に静が腕の中にいるアラレをより強く抱きしめていると、何やら上から視線を感じた。見れば、ルイスが真っすぐ、何故か呆れた様な視線を向けていた。
「……なんでこっち見るの」
「静様が静様で良かったと思っております」
「ちょっと静さん分からない」
「はい、どうぞそのままでお願いします」
ルイスは教えてはくれない様子だった。そして今、気付くとヴィンセントはもちろん、ノーマンも静を見ていた。
全くもって意味が分からなかった。
そうしている間にも、フェルドは女から周囲へと赤い瞳を向けた。
「お前達。今、この場に誰がいるのか分かっているよな?」
大きくはない声。しかし静まり返っているこの場にはよく響き、周囲を威圧するには十分すぎるものだった。
「ここは閉鎖をする。そしてゴーレム達の為の場所とする。異論は認めない。逃げるならば逃げるが良い。ゴーレム達が見張っているがな」
誰一人として逃がさない。
言葉だけでフェルドはこの場にいる全員を縛り付けた。
静寂が満ちる中、フェルドは人懐っこい笑顔を静達へと向けた。
「それじゃ皆、早く戻ろう」
先ほどの圧が嘘のように消え去った。まるで幻でも見ていたかのような気分になる中、小さなゴーレム達がフェルドの足元に転がりながら集まった。
フェルドはその中でも殊更に小さなゴーレムを片手ですくい上げ、きちんと察した。
「君達、着いてきてくれるのかい? 嬉しいな」
小さなゴーレムは受け入れられたことを喜ぶように、両腕を何度も振り回していた。
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葦原国の船は、どの国の船の中で一番の速度を誇っている。
だが、今は元来の速度よりもずっと速く進んでいる。それもこれもゴーレムのおかげであった。
船尾に二体の大きなゴーレム達が、先に進む船を追うようにぴったりと続く。正しくはそう見えるだけで、船を押しているのだ。
地上を歩くゴーレムは進むのがとても遅いが、どうやら地中に体を埋めていると速く進むことが出来るという。おかげで一日ほどかかる航路が、半日で済んだのだとルイスの隣にいるヴィートが語った。
「さすがに食ってるな」
「この状況で食事をとらないという選択にはならない」
「そりゃそうか。でも、あっちの飯なんか相当だったんじゃねぇ?」
甲板の隅、ルイスとヴィートは隣り合って座っていた。静はルイスの隣で、狼を枕にアラレを抱えて丸くなって眠っている。
その穏やかな寝顔にルイスはようやく安堵の息をつきつつ、出された食事を摂取していた。
薄く丸いパンに、濃い味付けをされた肉を挟んだ食事。魔術で軽く炙られたおかげで温かく、腹を満たすには少々足りないものだったが、普段から少ない食事で済ませているルイスには十分なものだった。
とはいえ、捕らえられていたときに出された食事を食べた後だからというのもあり、思ったよりもすぐに手の中から消えたのは何とも素直すぎるとルイスは口角を下げた。
「……如何に自分が恵まれているか実感した」
「ははっ! そうか!」
あの食事は、奴隷達にとっては一般的。さらに言うと、ましな方だとフェルドは語っていた。
つまりは、奴隷として過ごしていたヴィートにとっては当たり前のものだったのだろうとルイスは想像してしまった。
つい、素直に思ってしまったことを言うと、ヴィートは大きく笑い飛ばした。
「そうだよなぁ……。本当、恵まれているよなぁ」
もう一度、噛み締めるように言うヴィートに、ルイスは堪らずに口を開いた。
「……父上は……」
「ああ、姉ちゃん? もう二度と会わねぇよ」
「しかし」
「少し期待はしてたんだけど、やっぱり難しいもんだな。あそこまで根深くなってちゃ、どう足掻いても期待する方が苦しむ結果になるだけだ」
育ってきた環境。それが当たり前であるという常識。普通というもの。閉ざされた世界の中での当たり前は、あの中では正義でしかない。
まだ幼ければ正義を塗り替えることは出来ただろう。しかし年を幾重にも重ねてしまった相手であれば、それ相応の労力は必要だ。そしてこちらがどれほど労力を費やそうとも、相手が変わろうとしなければ全ては無意味。
ヴィートはおそらく、だから何をしても無意味と判断したのだろう。しかし、その顔はずいぶんと穏やかなものだった。
「けど、一人。たった一人でも生きていたことを知ることが出来ただけでも良かった」
ヴィートは誰一人として生き残ってはいないと期待をしていなかった。しかし、それは裏切られて姉が一人、生き残っていた。もはや言葉は通じなくなっていたが、それでもヴィートにとっては満足するものだったのだと微笑みを浮かべる横顔が語っていた。
「連れてきてくれてありがとな、ルイス」
「……俺は何もしていない」
「きっかけにはなっただろう?」
ルイスは何も言えなかった。どう思い返しても、何もしていないと断言出来てしまったからだ。
全ては静と共に生きるため。全てはその為だった。
確かに、父に報いたいとは思っている。それでも、このような形ではなかった。
うまくいかないことばかりだった。何もかも。
ルイスは渦巻く胸の内をどうにか発散しようと、よく眠っている静へと目を向ける。そしてすっかり乱れた黒髪が目につき、ルイスは考える間もなく静を引きずるように抱き起こし、自分の体へともたれかけさせた。静の腕の中にいたアラレは一度頭を上げたが、眠る方を優先したようで狼の体の上に移動し、そのまま丸くなった。
「なんだ、父上」
「いや、静様の扱いよ」
隣でなにか言いたげのヴィートに疑問をルイスは抱きつつ、全く起きる様子のない静をそのままに、結んでいた紐を外して黒髪にゆっくりと手で梳かしていく。次からは携帯用の小さな櫛を用意しておくことを決めた。
「よくもまぁ、手慣れているよな」
「そうじゃなきゃ、ここまで伸ばさせてもらえない」
「……うん? え、静様が伸ばしてるんじゃねぇの?」
「短い方が良いらしいが却下した」
王都へついたらすぐに静は身を清めたがるだろう。それと多少の動きやすさを加味し、ひとまずはと簡単な三つ編みにしておく。とは言えそれだけではつまらないので、静の手首に巻き付けてあるレースリボンを外し、それも一緒に編み込んでいく。
「別に俺が全てやるから問題ないだろう?」
「あるわ、馬鹿息子」
「静様には納得していただいている」
「させているの間違いだろうが」
しかし静はルイスの好きなようにさせてくれているのは事実である。多少、強要はしている自覚はあるが、それすらも静は受け入れてくれている為問題はな。だが、それを言ってしまうとまさしく静の言う所のガキであると言わざる得ない自覚は確かにあった。
だからルイスはヴィートを無視したまま、手早く静の髪型を綺麗に整えることだけに集中した。
本当は髪だけではなく、肌も手入れをしてみたい。手套をつけたままであれば背中までは許してくれたが素手はまだ難しいだろう。是非ともあの背中を素手で触れたいが、今はまだ怖がられる可能性がある。どうすべきか。
疲労のせいか、ルイスの思考は煩悩が入り乱れた静の世話のことしか考えられなかった。
「……なぁ、ルイス。変なこと考えてねぇよな?」
「静様の世話について考えていた」
「もうお前、寝ろよ」
捕まっている間も寝ていたが、浅く眠っていたに過ぎない。体力を回復するためにも今一度眠ったほうが良いのは確かだった。
素直にヴィートの言葉を聞き入れたルイスは、静を一度抱え直して眠る体制に入る。静は全く起きる様子がないが、僅かに顔をしかめていた。何か夢見が悪いのか、体制が良くないのか。
ルイスは一度考え、なら横になれば良いかと判断する。アラレには悪いが一度脇にどかし、そのまま狼を枕に静ごと横になった。一度アラレが不満げにルイスの頭に前足を繰り出したが無視し、そのまま瞼を閉じた。
静を抱きしめる体の間にアラレが乗り上げ、そのまま丸くなったのを感じた。ちょうど良いくらいの温かさだったため、ルイスはそのまま深く息を吸い、すぐに寝息を立て始めた。
「……すっげぇ気まずいって」
残されたヴィートは自分の息子とその婚約者である銀の聖女の寝顔を前に、自身の顔を覆い、深く息をついた。




