12 白銀の花の中で
突如、目の前の黒が清廉とした風と共に光に飲み込まれ、白銀が一面を埋め尽くしていた。
それは花であった。白銀の光を生み出す、光の花の中央には、まだ舞っているナユカの姿があった。光の中で舞うナユカの美しさに静は目を奪われていると、フェルドの声が耳に入り込んだ。
「銀星花」
独り言のように呟かれた言葉に、ルイスが聞き返した。
「銀星花?」
「そう。あれは夜にしか咲かない、美しい白い花なんだ。けども、まさか……」
夜にしか咲かない白い花。白銀の光を発するその花を、静は知っていた。
ルイスは自国の言葉で、その花をフェルドに言う。
我が国では、雪煌草と呼ばれています。
同じ花なのに、呼び名が違うんだね。
そのようですね。
場所が違えば名は変わる。同じものであるはずだが、この国ではあの花を星と例えた。
それもまた美しいことだと静は思えた。
「ルイス」
「はい」
それでも、いつまでもこの光景に目を奪われている場合ではない。
静はルイスを呼ぶ。それだけであるが、ルイスは全てを承知してくれ迷いなく静と、利口に腕の中で大人しくしてくれているアラレを抱えたまま中へと飛び降りた。
「え、ちょっとルイス?!」
慌てるフェルドの声が聞こえてが、そんなものは無視をした。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
ルイスが中へと飛び降り、着地すると白銀の光が綿毛のように周囲に広がった。
この光景にも見惚れてしまいそうだが、これも後回しだ。
静は軽くルイスの腕を叩く。ルイスは眉を少しだけひそめつつも、静を花の中へと下ろしてくれた。ついでに腕の中にいるアラレをルイスに渡そうとしたが、強く爪を立てられ諦めた。
「ナユカ」
まだ、くるりと舞っていたナユカを呼ぶ。
びたり、と綺麗に動きを止めたナユカはだらりと両腕を下ろし、ゆっくりと顔を上げた。
「咲いたね」
「——ああ、咲いた。咲かせたんだ、私が」
ナユカは腕を小さく揺らし、振り向く。
炎の揺らめきのような橙の瞳。指の先、頬にまで伸びた蔦と花模様の痣が、どこか幻想的であり、異質であった。
自分では駄目だと静は理解した。
静は上を見上げ、大きく手を振る。すると待っていたかのようにヘクターが一番に降りてきた。それに続くはフェルドを担いだノーマンだ。エリカは一人で降りてきた。
そこから続々と降りてきたが、キファラとゴーレム達はさすがに降りてはこなかった。
「ナユカ!」
ノーマンから降ろされたフェルドがナユカに駆け寄り、その手を掴んだ。
それに少し遅れてナユカは数度瞬き、炎の揺らぎは消え去り、フェルドの姿を映した。
「フェルド……?」
「うん、僕だよ。ナユカ」
まるで迷子の子供のようなナユカに、フェルドは笑いかけた。安心させるようにナユカの頬を両手で包み込んだフェルドに、ナユカはされるがままだった。
「美しいね」
「……ああ、そうだな。けどまさか、ここまで美しい花が咲くとは」
「違うって、ナユカのことだよ」
少し、拗ねたように言うフェルドは目を見開くナユカに向け、言葉を重ねた。
「白銀の星々に包まれるナユカはそれはもう美しかった。剣を使っているから、ナユカの勇ましさがより際立って、凛とした姿は本当に花のようだった。それに、この文様は蔦と花かな。ナユカの可憐さをさらに彩っているし、それに」
「止めろ」
湯水のように言葉を発するフェルドの口をナユカは無慈悲に上から押さえつけた。
手際のよい躊躇ない手つきだ。そして落ち着いたところを見計らい、ナユカが手を離せばフェルドはうわん、と嘆いた。
「まだ言い足りないよ!」
「しばらく舞を見せないぞ、フェルド」
「やだ。分かった、黙る。けど、この文様のことは聞かせてよ」
まるで子供のように素直に頷いたフェルドはしかし、逃がさないとばかりにしっかりとナユカの手を握りしめた。
「痛くはない? 気になるようなところはある?」
「無い。力を使うと、こうなるんだ。たぶん」
橙の瞳に影が落ち、ナユカは口元を歪めた。
「花を咲かせるには、他の力が必要なんだ」
「力?」
「そう。植物が成長するには養分が必要だろう? それと同じで、ここに満ちていた黒い力を花へと変えたんだ」
「すごいじゃないか!」
「そう、凄まじい力だ。下手をすれば、人の命まで奪いかねないほどの……」
周囲の力を奪うと引き換えに、花は咲く。全ては舞手の思うがまま。
人間の身には余り過ぎる強大な力を身に宿すナユカを前に、フェルドは変わらない笑みを見せた。
「大丈夫だよ、ナユカ。その時は僕が止めるから」
「フェルド……」
「言っただろう? 僕はナユカを守るよって」
「……ああ、そうだな。そう、一方的に言って来たな」
「こういう時さ、約束してくれたなとか、誓ってくれたなって言わない?」
「だから結婚してくれという言い訳だったはずだ。正直、今も呆れている」
「ごめんって! けど、どっちも本気なんだよ!」
「これだからフェルドは……」
先ほどまでの甘さが漂う空気が一変し、一気に緊張感も何もかもが解けた気安い空気が二人を包みこんだ。
息を潜めて二人を見守っていた静はようやく息をつき、さりげなく後ろから腕を回していたルイスを見上げると、眉間の皺が深く刻まれていた。
一体どういう心境なのか、少しばかり気になっているとノーマンがフーリュではない、茶色の何かを抱えて足早に歩み寄ってきていることに気付いた。
「静様、ヘクターが兎見つけたんですけど。どうしれば良いですかね」
「え、何で兎が?」
確かに、ノーマンの腕の中をよく見れば茶色毛の兎が丸くなって抱えられいた。瞼を閉じている様子を見るに、眠っているらしいがそれにしても意味が分からなかった。
何故、こんなところに兎がいるのか。どうやって黒い泥土の中で生きていたのか。
普通の生き物であれ、魔物であれ、あの中にいたらひとたまりもないだろうにだ。
そして、ふと静は白銀の花の合間から見えるものに気付いた。
「え、兎?」
「……ふ、触れても良いだろうか……?」
気づいたフェルドとナユカが兎を抱えるノーマンの側に寄っていく。さらにヴィンセントや煌河達も集まっていき、ノーマンが助けを求めるかのように見てきたが静は放置した。
それよりも確認することが優先だった。
静はその場にしゃがみ、花をかき分ける。花は岩かと思うほどに硬い砂の合間から力強く根付いていた。
それは良いのだ。問題は、この砂地に刻まれた古びた線だ。
「静様、これは……」
「うん、たぶん」
円形状の穴。呪術と忌まわしきものの黒を生み出したであろうもの。それに繋がるこの線。正しくは刻まれた陣が何かなんて、ルイスも静もすぐに思い至った。
「シルドラ」
『なんだ』
静の近くにロバートが控えてくれていた為、迷わずに肩に乗るシルドラを呼んだ。
「ここにあるのは召喚術の陣で間違いないね?」
『そうだ、だからあのような状態になっていた』
「そして、あの兎が召喚された」
『そうなるな』
「この世界のお方?」
『ああ、だから姿を保てていた』
「この召喚術はまだ使えるものなの?」
『否』
「この花がなくなっても?」
『そうだ』
完全にナユカの力によって、召喚術の陣が破壊されたという。なんとも素晴らしく、恐ろしい力であろうかと静は思ったが、すぐに自分も人のことは言えないのではないかと少しだけ思い返した。
『おっと、こいつはどういうことだ?』
突然どこからか、聞き覚えのない深みのある男の声がよく響いた。
一体どこからか、なんて疑問を抱かずとも、集まっていた者達がどよめいたおかげですぐに分かった。
「し、静様! こいつなんかしゃべったんですけど!」
「ヨカゼとかも話すのになんでそんなに驚くの」
「だってこの見た目ですよ!」
珍しく騒ぐノーマンの言わんとしていることぐらい理解は出来た。
分かる。それはもう分かる。とても愛らしい兎てある。というのに、まるで壮年の男の姿が頭に浮かび上がるほどの低音がしっかりときいた声を発したのだから。
『ここはどこだ? というか、俺はあれからどれくらい……』
兎は呑気にノーマンに抱えられながら、鼻をひくひくと動かし、長い耳を立てつつ周囲を見渡し始める。
話せるということは、普通の兎ではない。ましてや、あの中にいた兎である。
この世界の兎なのはシルドラとの問答で把握したがそれ以外はまだ不明だった。
またシルドラと問答をするかと思っていると、その兎に煌河が指先を伸ばし小さな額に触れた。何かを確認するような指先か触れている箇所が淡く瞬いた。
「お前、鉄兎だな?」
『おう、そうだ。ん? うちの国の人間がいるが……本当にどうなってんだ?』
くりくりとした黒い目を瞬かせ、鉄兎と呼ばれた可愛らしい兎は小首を傾げる。なかなかに渋く低く響く男の声というのが妙に惜しいがそのうちに慣れるだろう。
たぶん。
ふと、兎はある一点を見つめた。その先にいるのはノーマンの肩にいるシルドラだった。
『なんでてめぇみたいのが、んな姿になってんだよ』
『無礼だぞ、か弱いくせに』
『踏み潰してやんよ。俺のふわもこの足でな』
どうやら兎はシルドラの元の正体を悟ったようだった。
そのふわもこの足で是非とも踏まれてみたいと静は一瞬願ってしまっていると、兎はようやく状況を把握したらしく立てていた耳を下ろした。
『鉄兎。もしくは神使だ。名前はねぇから好きに呼べ。ってか、鉄兎って分かってんのか?』
「俺から説明する」
先程、兎の正体を見破った煌河はさり気なく撫で続けながら言う。。
「鉄兎って呼ばれる奴等は、鍛治の神の神使だ。昔、自らの体を鉄に変え、刀を打たせたのがこいつらの始まりってわけだ。本当かは知らねえがな」
『おうよ。ま、逸話って奴だがおかげで……ん?』
逸話と言うが、この世界においては近しい何かが実際に起きているはずだ。でなければ逸話は広がっても存在は難しいだろう。
胸を張るような仕草を見せた兎は数度、首をまた傾げ、煌河を見上げた。
『なんか知らねぇが、刀になれねぇ。体ん中が空っぽになっちまったような気がするぜ』
「は? どういう事だよ」
鉄ではなく、刀へと姿を変えられるのが鉄兎の力なようだが、何故か失われていると言う。
前足で器用に顔を洗う兎に、シルドラはその原因を口にした。
『長く、忌まわしきものの中にいたからだろうな』
『あー……確かにそうだわ。あんな大量の忌まわしきものなんて初めてみたぜ。ったく……』
兎は何の疑問も抱かずに納得し、へたりと耳を垂らす。とても分かりやすい可愛らしい仕草を前に、ナユカが耐えるようにフェルドの腕を強く握りしめる。握りしめられているフェルドは小さく呻いたが何とか耐えていた。
しかし、兎にはしっかりと耳に届いたようで、耳をピンと立てて鼻先を二人に向けた。
『お前、良いもの持っているな』
兎が鼻を引くつかせ、前足をちょいちょいと動かした。
とても愛らしいの一言にしかならない仕草を前に、今度はナユカが小さく唸りつつもどうにか気を保ち、片手に持っていた銀の短剣を差し出した。
「これか?」
『ああ、それだ。しかし剥き出しじゃあ危ねえだろう。鞘はどうした?』
「その、元々無くて……」
静が作り、渡した銀の短剣。勢いで作ったようなものでしかない上に、鞘の作りを静はよく分かってはいない。その為、抜き身で渡したわけである。
そんな銀の短剣を確認するように立てた両耳をせわしなく動かし、またナユカを見上げた。
『礼と言っちゃあなんだが、俺がその剣の鞘になってやろうか?』
「鞘に……?」
なんとも良い提案だろうかと静は人知れずに頷く。やはり鞘がなければ扱いに余計注意しなければならないというのは面倒でしかない。しかも可愛らしい兎が鞘となるのだから、ナユカにとっては良いこと尽くしのはずだ。
とはいえ異論がないわけではなかった。静が抱いた懸念を代わりに煌河が問うてくれた。
「おいおい、待てって。お前、ここはメシュラルドで葦原国じゃねぇんだぞ。国に戻らねぇのか?」
『なんか空気が違うと思ったが、異国ってことか。なるほどなぁ』
合点がいったと言わんばかりに力強く頷いた兎は黒い瞳を瞬かせ、大きく左右の耳を揺らした。
『この空気に力、匂い。俺はこのお姫さんに義理を果たさなくちゃならねえ。ってのに刀になれる力は失い、もはや俺は神使としての役割は剥奪された。どうせ国に戻っても腫れ物扱いが良いところ。であれば、ここに残って義理を果たすのが当然だろう? 人間』
呪術も忌まわしきものも、神と呼ばれるもの達にとっては穢れそのもの。そんなものの中に今の今までいたのだ。姿かたちが残っていたことは幸運ではあるが、たったそれだけ。
しかし兎はそれに嘆くことなく、ならばとやるべきことを即座に見定めて貫こうとしているその漢気に静は強く感銘を受け、かけた。
なにせ姿が姿であるから。
「……言ってること、かっこ良いんだけど……」
「似合わんな」
「静様、ヴィンセント様。黙っていてください」
つい、静とヴィンセントがこぼした言葉に、ルイスが鋭く注意する。
そんなやり取りを他所に、兎はナユカに問う。
『なぁ、駄目かい? お姫さん』
狙っているかのように両耳を力なく落とし、首を傾げる姿にナユカは大きくよろめき、フェルドがすかさずに体を支えた。
「良いかな、煌河」
「……仕方がねぇ。鉄兎が決めたことだ、俺があれこれ言える立場じゃねぇよ」
王族である煌河さえ、この小さな兎相手には逆らうことが出来ずに頷く他ない様子だった。
葦原国というのは、神に対してどのように接しているのか静は少しばかり気になるところであった。静の母国と似たような文化はあるようだが、信仰においても似ているのか、やはり違うのか。
落ち着いたころにヨカゼに聞いてみることにしようと静は決めた。
「この、剣は……静が渡してくれたものなんだ」
『静?』
「ああ、あちらにいる」
ナユカはフェルドに支えられながら銀の短剣を差し出し、そしてようやく静へと視線を向けた。
さりげなくずっと兎を抱えているノーマンは見えやすいようにと持ち上げた。兎はされるがままに驚く様子もなく、また両耳をぴんと立てて静へと向けた。
『お前さんか』
「うん」
『良い業物じゃねぇか』
「でしょう?」
『だから俺が鞘となって保ってやろう』
「ありがとう。そのうちに異名がつきそうだね」
『当然。破魔の剣にしてやるよ』
多少は浄化の作用を持っているだけの銀の短剣だが、兎が鞘になることでその力がさらに強めてくれると言う。
この先、ナユカは多くの困難が降りかかるだろう。その守りになるのであれば何も静は言うことはなかった。それどころか、誇らしく思えた。
「ナユカ、良かったね」
「静様? その、おそらくだが何か凄まじい会話をしていなかったか?」
「凄まじいって?」
「え?」
ナユカはもちろん、何故かフェルドや煌河、風宇までもが静を凝視していた。そして何故か、ノーマンは天を仰ぎ、ヘクターは口元を引きつらせているロバートから訳された言葉を聞いて満面の笑みを見せていた。
少し意味が分からずにいると、ヴィンセントが呆れたように大きく息をついた。
「ナユカ殿。あの梟とヘクターの腰にある短剣、それとそこのシルドラだが我が国において神の類だ。そして静はそいつらを全て受け入れている。諦めろ」
「ヴィンセント、諦めろって何?」
だいぶ意味が分からない。
静はルイスを見上げると、何故だろうルイスはかわいそうなものを見る目で静を見ていた。静は少しばかり腹が立ったので足を踏んづけたが、当然軽くだったので反応は無かった。
「よろしく頼む」
『おう、よろしくな。お姫さん』
「それで、どうすれば」
『俺に近づけてくれ』
兎の言う通りにナユカが銀の短剣を兎に近づける。兎はノーマンの手から身を乗り出し、小さな前足を短剣に乗せる。
溢れ出す淡い光が兎と銀の短剣を包み込む。そして、銀の短剣はゆっくりと光に崩れ、兎の中へと入り込んでいった。
『さ、お姫さん。俺を抱っこしておくれよ』
前足をぱたぱたと動かす兎の可愛らしいおねだりに、ナユカはまた変な呻きを零しながら兎をノーマンから受け取る。
そして兎を凝視して言う。
「……どうしよう、潰す」
「ナユカ、落ち着いて。大丈夫、潰れないから」
「柔らかい」
「うん、柔らかいね。そんなに怖いなら僕が持つよ」
「嫌だ」
「そうだね。大事に抱えていようね」
「うん」
兎の可愛さに限界突破したナユカは素直に頷き、フェルドはだらしなく口元を緩めてナユカをさりげなく抱き寄せた。
静は少しだけ気まずくなって、そっと二人から視線を逸らすがふと、自分の腹に回っている腕を見て、またルイスを見上げた。
「何ですか」
「……いや、周りから見るとあんな感じなんだなぁって思って」
「今更ですか?」
ルイスの呆れた視線に静は笑って受け流し、力が込められた手にそっと自分の手を重ねた。




