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11 奴隷市場の底

 奴隷市場の中央の広場。

 そこには捕らえられた商人達を見張るようにキファラが目を光らせて睨みつけている。ように見えるだけで実際は、眺めているだけであった。

 ギークはそんなキファラの鼻先を軽く撫でつつ、困ったように笑った。


「うーん、見事に逃げられたね」

「どうやったって追えねぇよ。ったく……おい! 風宇(フォンユー)! 苛立つんじゃねぇよ!」

「黙ってくれません?」


 煌河は周囲に指示を飛ばしつつ、槍の柄頭を何度も地面に叩く風宇に怒鳴る。風宇は声は荒げないものの、さらに強く地面を叩いた。

 風宇が相手をしていたのは異様な仮面をつけた人間だ。あの姿から察するに焔瑞と縁のある人間だから猶更に、取り逃したことに対して苛立っているのはすぐに分かるところであったし、煌河とギークは理解が出来た。

 とはいえ、周囲が委縮するほどの殺気を垂れ流すのはいただけない。煌河がどうするべきかと頭を抱えそうになったが飛び込んできた声に大きく胸を撫でおろした。


「皆!」


 フェルドがこちらに向かってかけてくる姿が見えた。

 衣服は汚れが目立つが、それ以外に気になるところはない。後ろにはロトアロフの騎士達がいる。どうやらあの二人が守ってくれたのだと煌河は理解し、笑顔でフェルドへと駆け寄った。


「無事だな、フェルド」

「ああ、皆のおかげだよ」


 安堵した表情のフェルドは一変し、表情を曇らせて視線を落とした。


「すまない、いろいろと巻き込んでしまって……」

「気にすんなって! むしろ俺達がいたからこそ、こうやってすぐに助けられたわけだしさ!」


 主に、今回やってきたロトアロフの者達がいたおかげと言っても良いくらいだと煌河は考えている。でなければここまで早く見つけることは不可能に近かった。

 煌河はそんなフェルドの肩へ腕を回し、しっかりと力を込めた。


「イルジナから話聞いているからな」

「……ん?」

「生まれのこと」


 ぴたり、と動きを止めたフェルドに追撃するように煌河は満面の笑顔を向ける。


「戻ったら隠していた理由、全部聞いてやるよ」

「そうだよ、フェルド。全く人のことはあれこれ聞く癖に、自分のことは隠して。ねぇ?」

「母上が知ったら悲しまれるでしょうね」


 次いで、ギークと風宇もそれは素晴らしい笑顔でフェルドに詰め寄った。

 逃げられないフェルドは周囲を急いで見渡し、詰め寄ってくる二人を左右に押して大きく吠えた。


「イルジナ! 何で言ったんだよ!」


 フェルドの視線の先には、船から降りてきたイルジナとナユカがいた。イルジナは困ったように頬に手をあて、呆れたように小首を傾げた。


「堂々と説教が出来るからに決まっているでしょう? ねぇ、フェルド」


 いつもイルジナは、フェルド陛下と呼んでいる。それがどうだ、正体を明かした途端にずいぶんと親し気に呼び捨てする始末だ。

 ただ説教はいつものことではあるが、小言に近いものだった。だからいつもフェルドは笑って謝るのいつもの姿だったが、今のフェルドは大きく焦りを見せている。


「……ナユカぁ!」

「すまない。しっかり怒られてくれ」


 初めて見るフェルドの焦り様に、煌河は大きく笑い、仕方がなく自由にしてやる。フェルドは飛び出すように煌河から離れ、周囲をふいに見渡した。


「あれ、ルイスは?」


 そこで煌河も共にいると思っていたルイスの姿を探す、とすぐに見つかった。

 何故か広場の端に立っていた。周囲を確認しているのかと思っていたら、その腕には何故か静を抱えたままだ。

 なんとも近寄りがたい雰囲気があるというのに、フェルドは笑顔で二人に駆け寄った。

 よく行けるなと思っていると、風宇が後を追いかけて行ってしまった。ギークはキファラがいるから困ったような顔をするだけだ。煌河は一瞬顔をしかめ、仕方がないと同じくその後ろを追った。


「ルイス、どうしたんだ?」


 フェルドに声をかけられたルイスは、広場の中央を見つめていた。抱えられている静に至ってはずいぶんと顔色が悪く、白さが増している。

 一体何が起きたのか、もしくは起きているのか。


「何故、これに気付かなかったのかと自分に呆れている所です」


 煌河はもう一度、ルイスの視線の先を見るがやはり広場の石畳しか見えていなかった。もしや特別な力をルイスは持っているのかと煌河は予想する。

 なにせルイスの右目は左目の色に比べて明るく、宝石のような輝きを宿していた。しかもよく見るとその瞳の中には不思議な光が波をうっているのだ。

 北の鉄壁、ロトアロフ。またの名を神の国。

 極東と呼ばれている葦原国にも名は届いているがしかし、それ以外の実態ははっきりと掴めていなかった。

 葦原国もまた閉ざされている方かもしれないが、それは地理的にも端に位置するのも要因の一つであったがロトアロフは大陸にありながらそれ以上に閉鎖的な国であった。

 異国との貿易は最低限。国民は皆、信心深く、一様に我らが神という言葉を発する。国民全員が神官に近いような気質なのかと思えるくらいだった。

 であるからに、神から何かしらの力が授かっていてもおかしくはないだろうと煌河は考えていた。


「……シルドラ」


 ルイスに抱えられたまま、静は吐息混じりに蜥蜴を呼んだ。共にいるロバートが慌てて駆け寄り、少し離れた位置に控えた。


『なんだ』

「彼らはこの為に協力したんだね?」

『そうだな』

「分かった」


 ルイスに抱えられたまま、静は近くにいるゴーレム達を見る。

 二体の大きなゴーレムは分かっているかのようにそれぞれ動き出し、比べて小柄の方が片腕をあげると広場に小さな丸い突起のようなものが現れた。

 それらはまるで一定の範囲を囲うように連なっており、その範囲にいたキファラがすぐにギークを鼻先で押しながら移動し始める。何をしようとしているのか、キファラは正しく理解しているように見えた。


「そこの範囲から即座に退避させてください。今からそこを割って落とします」


 ルイスが言うと同時、控えていたロトアロフの騎士達がその範囲内にいる者達を移動させる為、即座に動き始めた。



 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 念のため範囲外にいた者達全員が大きく下がったのを見て、静は軽く手をあげる。一番大きなゴーレムが両腕をあげ、地面に拳を叩きつけた。

 地響きが鳴り、突起の印をした場所に大きな亀裂が入る。今度は印をつけたゴーレムも同じように拳を地面に叩きつけ、亀裂が入った箇所を砕き割り、落とした。

 広がる砂埃で一瞬視界が悪くなるが、すぐさまにヴィンセントが魔術を使いって風を巻き起こして取り払い、大きな穴が姿を現した。

 周囲がざわめく中、ルイスは分かっているように穴の縁まで歩み寄ってくれ、静はルイスと共に中を覗き込んだ。 


「……お前達が、これを外に出さないようにしてくれてたんだね?」


 大地を小さく揺らしながら近づくゴーレム達が返事をするようにそれぞれ上半身を上下させる。

 だから奴隷市場に足を踏み入れた途端、一人で身動きするのが難しくなるほどの不調に襲われたのかと理解した。


「これは……いつから、こんな……!」

「何だよ、これ」


 周囲がざわめき、顔を大きく引きつらせる。覗き込みながらも、その足は僅かに後ろに下がっている。

 巨大な穴の底は黒で埋め尽くされていた。

 底が深すぎて見えていないというわけではない。黒い泥のような、霧のような、身の毛がよだつ異質の黒に埋め尽くされていた。

 全身がわずかに痛みはじめる。胸の痛みは病のせいなのかさえ分からないまま、静は体に強く力を入れ、シルドラに問う。


「シルドラ。これは、呪術? それとも忌まわしきもの?」

『そのどちらともだ』

「人間が使われた?」

『見ての通りだ。やはり人間というのは恐ろしいな』

「ああ、うん。本当、これを試すにはちょうど良い場所だろうね」


 奴隷市場だ、人的資源に困ることはない。

 一体いつから行われていたのか。フェルドやヴィートは驚愕している様子だが、この状態を見るに、ずいぶんと昔から行われていた結果のものであるように静は想像した。


「静様、分かっておりますね?」

「……けど」

「浄化しようとした瞬間。貴方を気絶させて即座に戻ります」


 これを前に、何もしないという選択は静にはない。だが、ここは異国であり、静はこの場にいるだけで守ってくれる力がどんどんと削られているのが分かっていた。そして、ルイスも。

 有無を言わせずに船へと戻る選択だって出来るはずなのに、ルイスは静の気持ちを汲み取り、限界までは耐えてくれている。

 静はだから何か出来ないかと急ぎ、思考を回す。せめて助けを求めてきてくれたゴーレム達に応えられる何かを一つ、わずかでも出来ることがないかと。


「良い夜だ」


 突然、この場にそぐわないことを言うナユカの声が良く響き渡った。


「雲は無く、月は美しく輝いている。このような剣はまさしく今、使うにふさわしい業物だ」


 右手には静が渡した短剣が握られている。鞘替わりに巻き付けたショールの切れ端は取り外され、銀が光に当たり瞬いている。

 視線をあげ、姿勢は真っすぐに伸ばされる姿はとても美しかった。


「ナユカ……?」

「フェルド、見ていてくれ。わたしの、神の舞を」


 フェルドに、ナユカは微笑んだ。

 静は理解した。何をしようとしているのか。そしてナユカに全てを任せるしかないことを。

 ナユカは一度静を視線を合わせる。静は頷く。ナユカもまた力強く頷き返し、高く黒に満ちる穴へと向かって高く跳躍した。


「ナユカ!」


 フェルドが飛び込んだナユカに手を伸ばし、後を追おうとする。すぐに近くにいたノーマンがフェルドを抑える。

 その他、誰もナユカの後を追おうとする者がいない。

 静は成し遂げようとするナユカの為に、ささやかな祈りを捧げる為に両手を強く握りしめた。



 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 イルジナの剣士になるのだと、生まれた時から親にそう言われてナユカは育てられた。ナユカはそれに疑うことはなかった。さらに言えば、イルジナが年頃になる頃にはちょうど百年目となる年と重なる。だからいずれは神の舞姫となるイルジナの剣士になることを夢見ていた。

 ある日、ずっと、自分だけのイルジナだと思っていたら、一人の奴隷が増えた。同じくイルジナの護衛として迎えたと聞いた時、とても不愉快だったことをナユカは覚えている。

 今は小さくて、力が弱くても、大きくなったら誰よりも強くなってイルジナを守れると思ったのだ。だというのにどうしてと、両親に泣きついて困らせた。決めたのはイルジナの両親だというのに。

 奴隷には名前がなかった。だからイルジナがフェルド、と奴隷に名を与えた。

 女であるイルジナと違い、男であるフェルドは大きくて力が強かった。けども剣技はナユカの方が上だった。だから必然的にナユカがフェルドに教える立場になった。

 イルジナに強くお願いされてしまったから仕方がなく教えていた。

 そうしていたら何故かフェルドはいつもナユカの後を追ってくるようになった。守るべき相手はイルジナだというのに。


「……触れられないのか」


 身体強化の魔術を身に着けていたおかげで危なげなく穴へ降りたナユカは、思ったよりも深い穴だったことに少し驚いた。

 おかげでナユカの周囲は黒ばかりが埋め尽くしている。泥のようにも見えたが、実際手を伸ばしてみても触れた感触がない。が、すぐに違うと気付いた。


「静様の剣のおかげか」


 指先から順に、自分の体を見ると薄らと銀の膜が張られていることに気付いた。そして手に持っている銀の短剣が淡く銀に瞬き、黒を押しのけていた。

 これが浄化の力なのだとナユカは知った。


「糸は、切れば良い」


 花が咲かないよう、自分で糸を縛り付けた。そしたらすっかり解き方を忘れてしまったが、それならば切れば良いだけ。

 静が、言っていたように。

 短剣をしっかりと握り、持つ手には静が鞘替わりと裂いたショールの切れ端を軽く巻き、舞う時に綺麗になびくようにしておく。

 袖でいつも隠している痣に触れてから大きく息を吸い、吐くと同時に体全体を脱力させる。

 短剣を持つ手をゆっくりと頭上にあげ、かっとナユカは橙の瞳を大きく見開き、大地を強く蹴った。



 いつの間にか三人でいることが当たり前になった。いつまでも続くと思っていた。

 だというのに、神はどうしてかナユカを選んだ。舞はイルジナが遊びで教えてくれたことがある程度で、ほとんど関わってこなかったというのに。

 そこから全てがおかしくなった。

 優しかったイルジナの両親も、一族全員がナユカに剣を向けてきた。ナユカの両親は従うふりをしてナユカとイルジナ、そしてフェルドを逃がした。

 当然ながらイルジナの一存全員はその行いを許しはせず、見せしめと言わんばかりのやり方で命を奪った。

 晒された首。滴る赤。

 ナユカの全てが崩れた瞬間だった。

 あの頃から、イルジナとフェルドが全てになった。

 イルジナに言われて、舞を頑張って習得した。フェルドがいなくなったかと思ったら、どうしてかこの国の王になってしまった。

 側にいたのにいきなり遠くへ行ってしまおうとするフェルドまでも失いたくなくて、ナユカはフェルドの好意を受け入れ、そしてそのまま婚約者となった。

 ナユカは、実を言えば本当の好意で婚約者となったわけではない。ただ、ただ失いたくなくてフェルドを利用しただけに過ぎなかった。

 もちろんイルジナも側にいてほしいことには変わらない。だからイルジナには舞いの他に礼儀作法の先生としても側においてもらえるようにお願いをした。



 手を翻し、地面を叩き、腰を揺らす。心地が良くなってくるのと同じく、痣の箇所の熱が、全身に広がってきていた。

 けど、まだ足りない。もっと、もっと舞わなければ。もっと、深く、伸びやかに。

 あの時のように!



 特別な舞と呼ばれるものは百年に一度、痣を持つ者のみしか舞えないとされているが、形はしっかりと伝わっていた。だからどうして百年に一度だけなのか、ナユカにはその時まで分からなかった。

 綺麗な月夜。復習の為に中庭のガゼボで舞っていた時だった。

 とても調子が良かった。舞うたびに体が軽く、熱くなってきて、心地が良かった。

 夢の中にいるようだった。

 心地よいままに舞終わった時、石畳の隙間から美しく見たこともない大輪の白い花が一輪咲いていた。そして、ガゼボの外のいくつかの植物が枯れていた。

 一体何が起きているのか分からなかった。

 ふと、ナユカは自身の手足を見て、小さく悲鳴を上げた。

 なにせ、手足には蔦や花の痣が広がっていたのだから。



 ナユカは大きく銀の短剣を翻し、落とす。

 まるで、全ての糸を断ち切るように。

 銀の刺繍が施されたショールの切れ端が、銀の光をまとい美しい帯のように見えた。銀の帯の尾は周囲の黒を消してゆく。その際、銀の光がゆっくりと落ちていく。

 見たことがないが、雪というものはこんなに美しかったりするのだろうか。

 なんて夢見心地に思いながら、手の甲まで広がった蔦と花の痣を見て、ナユカは体を旋回させ、大きく大地を踏みしめた。

 視界が黒から白銀へと変わる。

 ナユカは熱に浮かされながら、咲き乱れる視界いっぱいに広がった花々を見て笑みを浮かべた。

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