09 落ちる火蓋
話を聞いたギークは何故か微笑みを消し、一歩静へと歩み寄った。
微笑みがないだけ良いが、それはそれで視線の鋭さに静は思わず背筋を伸ばす。何故かナユカとイルジナがそっと静から離れようとしたので、静は二人を見ずに気配だけで二人の袖を力強く掴んだ。
「よろしいかな、静殿」
「はい」
「常に前を見ているのは良いことだけども、あまりにも向こう見ずではいけないよ」
「そうですね、はい」
「分かっているんだね。分かっているのならば対処は出来るはずだよね?」
さらに一歩、詰め寄りながらギークは最終的に静を見下ろす形となった。その言い方も相まってか、静は慣れぬ男がすぐ目の前にいるという状況に手を震わせてしまった。
その異変にすぐに気づいたイルジナとナユカは慌てて静の手を握り、とくにイルジナはギークに睨み上げた。
「弱っているお方に対して、さらに追い詰めさせるとは異国の王としてどうなのでしょうね?」
「別に怖がらせるつもりはないよ。けど、ほら、娘がいるからつい」
「つい、でここまでさせてしまうのは如何なものかと思いますが?」
一人の父親でもあるギークからの説教は耳に痛いものだが、恐ろしいものではない。むしろ聞き流せるものだ。
ただ、距離か近いのだ。危害を加えようとするつもりはないのは分かるがどうしてか恐怖は湧いて出てくる。どうにか誤魔化そうと静は引きつる喉に力を込め、口を開く。
しかし、それよりも先にヴィンセントが口を開いた。
「説明をしなかった俺に非があるからどうにか収めてくれ」
さり気なくヴィンセントはギークの前に腕を伸ばして、そのまま下がるように動かした。
「静は男が怖いんだ。ルイス相手なら問題無いし、慣れている相手なら多少近くにいても問題ないが囲われたらこうなる。だからこいつらは静の側にいる時はしゃがむか、そうでなければ距離を置いているわけだ」
静の側にいるノーマンとヘクターはそろって片膝をつき、なるべく身を小さくさせている。ロバートは起立したままだが、一歩歩み寄っただけでは届かなそうな場所に控えている。
それぞれの立ち位置を見たギークは大きく下がりながら頷きつつ、その場に片膝をついて微笑みを浮かべた。
「これなら平気かい?」
「……すみません」
「知らなかったとはいえ、怖い思いをさせてしまったのはこちらだから謝罪はいらないよ」
静が落ち着きを取り戻したことに安堵したのか、ギークはさらに笑みを深め、静が羽織っている上着に目を向けた。
「その上着は彼の物かい?」
「はい、そうです」
「そうか」
それだけを確認したギークはさて、と立ち上がりながら振り向いた。
「そろそろ行こう。きっと二人共待ちくたびれているはずだ」
「むしろ大人しく待ってくれているか疑問だけどな」
「そうですね。しかし二人を捕らえているということはそれなりに実力を持つ者がいるということ。楽しみですね」
ギークが足早にキファラにへと向かい、煌河はそそくさと一人先に船に乗り込むため、垂らしてある縄梯子に足をかける。風宇にいたってはそれすら使わずに、高く一度の跳躍で軽々と先に乗り込んだ。
その他、騎士達もすぐに動き出す中、エリカが静に手を差し出した。
静はふっと、笑みを浮かべ、その手を取った。
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立ち上がった静を待っていたかのように、ヴィンセントがまたロトアロフの言葉を発した。
「怒鳴って悪かったな」
「何、急に」
「完全に八つ当たりだった」
珍しくしおらしく、視線を落とすヴィンセントは一つ呼吸を置いた。
「伊織が力を酷使し、目から血を流したと連絡が来た」
視線が合わないヴィンセントに静は一歩近づきかけ、体が強張った。
腕を伸ばせば届く距離であるのにまるで透明の壁があるかのように動かない足に、内心強く舌打ちを零した静はそのままヴィンセントに問う。
「伊織はどこ?」
「王都だ。兄上とヨカゼと共に動いている」
「……ああ、だからヨカゼがいないのか」
何かの理由があってヨカゼは別行動をしているのだろうと静は思っていたが、想像の通りであった。つまりはヨカゼが何か、伊織に言ったのだろうと静はすぐに予想する。
とはいえヨカゼを責めるつもりは毛頭ない。おそらくヨカゼは伊織に選ばせるはずだ。その過程がどうなのか分からないが、結果として伊織は選んだ。
心配はあるが、伊織はそれでしっかりと成し遂げていたのであればせいぜい心配したと伝えるくらいだ。何せ自分が無茶ばかりするのだから他人のあれそれを言える立場ではないのだから。
しかしヴィンセントは違う。
静は何も語らないヴィンセントの血管が浮き出るほどに握られた拳を目にし、それならばと決めた。
「ヴィンセント。ちょっと拳、こうして」
「こうか?」
「反対」
静はヴィンセントによく見せるように顔の前あたりで握った拳をつ作る。ヴィンセントも同じように作ったの確認し、静は自分の拳を軽くぶつけた。
近づけはしないし、触るのも緊張する。しかし拳を入れることに関してはとくに思うことはない。だから静は、拳を使ったやり方をとった。
ヴィンセントの琥珀の瞳が丸くなる。静は小さく笑い、伝えた。
「任した」
伝えた言葉はたった一つだけ。しかし静の悪友であるヴィンセントには十分なものだと分かっていた。
影に沈んでいた琥珀が途端、光が宿る。そしていつもと変わらぬ食えない笑みを浮かべるヴィンセントはぶつけられた拳を下ろし、船へと乗り込むため踵を返した。
「任された」
ヴィンセントから返ってきた来た一言に、静は大きく肩を揺らした。
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僅かな揺れを感じ取り、ルイスは瞼を開けた。
視界に入るのは鉄格子と魔具の明かり。それと鉄格子の前に立つフェルドの姿だった。
「どうされましたか」
「あ、起きたんだね。いや、仮面の彼が急にどこかに行っちゃってさ」
フェルドの言葉通り、鉄格子の向こう側を見れば見張りだった仮面の男の姿はなく、破壊された壁のみが残されているだけだった。
何故壁が破壊されているのかと言うと、理由は単純なもので、他の者達にこのやり取りをバレたくなかったというのことだと思われる。だからルイスが練習して床に書いていた文字も壊すように仮面の男が促してきたのだ。
結果、牢の中の床はぼろぼろで、少し前に食事を運んできた他の見張りが肩を震わせていた。
ちなみに食事はほとんど味のない残飯に近いスープと硬すぎるパンの欠片だった。味が最悪であるのは言うまでもないが、あるだけマシだった。
ルイスは腕の中にいるアラレを抱えたまま立ち上がり、鉄格子の前に立つ。薄らと耳に届く音と、右目に映る光の流星が上に下にと飛び回るのと見て、現状を把握した。
「うーん、聞き覚えのある咆哮だな」
「明らかにドラゴンのそれでは?」
「うん」
どうやら迎えが来たらしい。
フェルドが安堵の笑みを零している横で、ルイスはアラレを片腕に抱えなおし、空いた片手で魔力の剣を作り上げるも何故かすぐに崩れたことに眉をひそめた。
魔力が足りていなかった。否、元の魔力量に戻っている。
何故、という疑問が浮かんだがすぐに理由を思い至り、背筋に冷たいものが奔った。
「出ます。申し訳ありませんがアラレをお願いしても?」
「分かった。ほら、おいで」
アラレは大人しくフェルドの腕の中へと移り、にゃん、と小さく鳴いた。ルイスは軽くアラレの額を撫で、改めて両手で魔力の糸を作り出した。
「けど、どうやって出るんだい?」
「切断します」
「うん?」
そしてルイスは、魔力の糸を操り、目の前の鉄格子を瞬く間に切断した。
金属の音が派手に鳴ったが、外の騒ぎのおかげで気付かれるということはない。
ルイスはさて、と何故か目を丸くしているフェルドへと目を向けた。
「出ますよ」
「もっと早く出られたと思うな」
「一人なら出ています」
「ごめんね、足手まといで」
「……ただ、あの仮面の者が見張りだったので安全を見ても、同じようにしていたとは思います」
「ははっ、ありがと」
ルイスは内心舌打ちを零した。
相手は元の身分がなんであれ、この国の王である。あまりにも気安い言動をしてしまったことと、本音を話してしまったのは非公式な場であっても不敬であることには変わりない。
軽く目元を抑え、大きく息をついたルイスに、フェルドは軽くルイスの肩に手を置いた
「行こう、ルイス」
「はい」
とにもかくにも、まずはここから脱出をしなければならない。
そして、静の側に行かなければならない。会いたいからという理由はある。だがそれ以上に、静が貯めこんでしまう魔力を早く請け負なければいけなかった。
久方ぶりの軽い体が今や不愉快でしかないルイスは、フェルドに促されるまま足早に出口へと向かった。
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奴隷市場の真正面には数多くの船と男達が溢れていた。相手は葦原国の船を見ると、まっすぐに複数の船が向かって来た。
まるで船ごとぶつかってくるかのような勢いであったが、何もこちらは船のみではない。空にはドラゴン、砂の海にはゴーレム達がいた。
ギークを乗せたキファラが大きく旋回し、容赦なくブレスを吐き出し、まずは船を一隻燃やす。他の船はゴーレム達が作り上げた壁や岩にぶつかり、次々と動きを止める。その間を静達が乗った船は素早く前進し、一気に奴隷市場の入り口にまで到達した。
到達すれば次に待ち構えるのは人間達だ。剣を持ち、そして待っていたかのように魔術を放ってくるが素早く船から飛び出した騎士達が防ぎ、次々に相手と倒していく。
聞こえてくるなんとも聞き難い声の数々に、静は思わず顔をしかめる。左右にいるナユカとイルジナはぴったりと静にくっつき、まるで静が前に出ないように抑えているかのようだった。
「お前らな。だから奥にいろと言われただろう?」
「大人しくはしているけど、それはなんか嫌」
「わがままを言うな」
甲板に残っているヴィンセントは軽く手を振り、零れてきた火球の魔術を大きな結界で防ぐ。次いでと言わんばかりに氷の刃が現れ、遠くへと放たれた。
「……あのような魔術を顔色一つ変えず、しかも無詠唱だなんて……」
「すごいの?」
「ええ、そうですわ。これほどの規模の結界を展開しながら他の魔術を使っているのですのよ。なんと羨ましい……」
口元を歪ませるイルジナを見て、そういうものなのかと静は分からずにナユカを見ればどうやら同じらしく、力強く頷いていた。
そういうものと理解した静は顔色が一切変わらないヴィンセントの背中へと声をかけた。
「ヴィンセントがいると楽だね」
「だろう? とはいえ、せいぜいやれることはこの程度だがな」
「そうなんだ」
「確かに俺はこの中で魔術を最も扱えるだろうが、さすがに戦い慣れていないからな。味方を確実に巻き込みかねん」
「それは仕方がないね」
「だろう?」
一応は静もまたヴィンセントの実力を目にしたことはあるが、あくまでもロトアロフの中での話かと思えばどうやらそれも異なると言う。世界は広いが、ヴィンセントはそれ以上に規格外の実力者であったらしい。下手をすれば脅威として見られてもおかしくはない。
とは言え、経験不足である為にこうして後方支援という形に素直に収まっているのだから今は心強い味方であると思われているはずだ。何せこの船の守りをヴィンセントが一手に引き受けているのだから。
耳に入ってくる音が少しずつ減ってくる。この戦闘は後少しで終わるだろう、と静は予想しつつ、ふいに視線を上に向けた。
「ヴィンセント!」
闇に紛れ、影が一つ、勢いよく落ちてきた。
ヴィンセントは素早く氷の盾を作り出し、それを防ぐが接触した瞬間、氷が砕け散り周囲に散らばった。
「ああ、分かっている。にしても驚いたな、単騎で乗り込んでくるとは」
ヴィンセントは落ち着いた声色で周囲に氷の刃を作り出す。静達の前には残っていたエリカが立ち、姿勢を引くし、乗り込んできた影を見据えた。
それは人であるのは間違いがなかった。しかし、異様とも言えたのはずいぶんと派手な赤と白、黒で彩られた顔全体を覆う仮面をつけていたからだ。頭の上で一つに結ばれた腰ほどの長い白髪は大きく揺れ、片手にはずいぶんと重厚な鉄の棒を軽々と持っている。
どうも見たことがある異国の衣服を身にまとっている仮面の者は、ヴィンセントを前に小さく首を傾げる。
一体何のつもりで乗り込んできたのか不明でしかないそれに、静は大きな違和感と共に、得も知れぬ気味の悪いさ、不愉快さを覚えた。
あれは、何か。
人である、はずなのに。どうしてか。何かが違うと本能が告げていた。
仮面の者がゆらりと髪を揺らし、静達へと顔を向ける。
背筋にぞわりとした恐怖が触れた。
「乗り込む許可は与えていませんよ」
その声と共に、この闇に目立つ白い服をはためかせ風宇は迷いなく仮面の者へ向けて槍の切っ先を上から落とした。
仮面の者は片手で鉄の棒をぐわん、と大きく操り防ぎ、そのまま体を回転させて風宇へと蹴りつける。風宇は素早く槍を体へと引き、その足を防ぎながらヴィンセントがいる場所まで下った。
「お下がりください。あの仮面に衣装、我が国の者であることは間違いありません」
「なるほど。では後ろから適当に援護してやろう」
「不本意ですが、今は受け入れましょう」
僅かな攻防で実力を知ったのか、風宇は苦々しくもヴィンセントの申し出を受け入れ、槍を構え直した。
「焔瑞の第三王子、沈 風宇がお相手いたしましょう。仮面の御仁」
名乗り上げた風宇は一息に前へと飛び出し、ヴィンセントは氷の刃を放つ。仮面の者はその場から動かず、困ったと言わんばかりにまた首を傾げる仕草を見せた。




