06 迷子の迷子のお二人さん
ルイスが目を覚ました時、まず目に入ったのは黒く汚れた石の壁だった。そして次に視線を横へと向ければ、これまた黒く汚れた木の天井。これらの汚れについて深く考えるのは止めた。
「あ、起きた?」
ほんの小さく身動きしたルイスに気付いたらしいフェルドが声をかけてきた。
ルイスは答える代わりようやく起き上がり、ここはどこかと見渡す。
ずいぶんと薄暗いと思えば、牢の中だった。さらに言えば建物の中の。おかげずいぶんと湿気がこもっており、不愉快な暑さが肌にまとわりつく。
光源は鉄格子の向こう側に置かれた小さなランタンの魔具だ。そしてその横にはやはり仮面の男。これほどに蒸しているというのに、仮面の男は暑がるような素振りすらなく、厚着のままに木箱に座ってこちらを見ていた。
「……手枷はないのですね」
「ほら、あれが見張っているから」
魔力を封じず、四肢を自由にしても仮面の男には勝てないと認識されているということだ。
良い事である。油断されているということはそこに勝機が隠れているということであるが、今のルイスにはその勝機をこの右目があったとしても見つけることは出来ないような状態だった。
上も横も、下も黒く汚れた檻の中。片足だけ膝を立て、そこに額を乗せた。
首に感じる痛みの度合いから、気絶してからまだそれほど時間が経っていないと判断したルイスは顔をあげ、なるべくいつもと変わらないように振る舞った。
「不甲斐ない姿をお見せしました」
「ルイス……」
しっかりと、言えたはずだ。
だというのに、フェルドはどこか痛ましいものを見るかのような目をルイスに向けてくる。
マティアスのあの憐れんだ目が脳裏の浮かび、ルイスは無意識にきつく手を握りしめる。しかし目の前にいる相手はマティアスではなくフェルドだ。それにフェルドが向けてくるあの瞳はどうしてか、それほどまでに腹立たしいものには感じられなかった。
本当に、純粋にルイスの心情に寄り添おうとしている。そう、ルイスは何故か感じてしまった。
ルイスは握りしめた手を緩め、そのまま顔を手で覆い隠した。
「……俺は、静様をお守りできませんでした」
赦されざることだった。
絶対にお守りするお方であるとヴィンセントにまで言ったというのに、守れなかった。それどころか、ルイスは静に守られた。
気付くべきだった。そして急いであの場から離れていれば、静は命を落とさずにすんだというのに。そして、このような過酷な運命に翻弄されることなんてなかったはずだったのに。
なんと、無様な騎士であろうか。
「だが、生きている」
「……ええ、我らが神の温情によるものです」
静の中に、我らが神が眠られていた。そのおかげで静は生き返った。
生き返った静をルイスは衝動のままに強く抱きしめた。確かに生きているのだと確認をしたかったと共に、本当はあの時、懺悔をしたかった。
この役立たずな騎士をどうか、赦さないでほしい、と。
「静様を守ると……決めたはずだというのに……、俺は」
静はあんなことがあったというのに、ルイスから手を離すどころかよりきつく抱きしめてきた。しかも笑顔で。
罵られ、捨てられるのが当然のことをしたというのに、ただ愛しているからという理由だけでそんなことはなかった。そして無邪気に静はルイスへ、剣と呼んだ。
わたしの騎士。わたしの剣。
赦さないでほしいと静に願い、静はそれを受け入れた。しかし、何に対してなのか静は分かっていない。ルイスが敢えて伝えなかったからだ。
赦さないでほしい。全てを。貴方を奪う己を。守れなかった己を。
静はきっと、ルイスのその願いなんて忘れてしまっている。いや、覚えているだろうが捨て置く程度の事としか捉えていないはずた。
だから、手放さないでくれているのだ。こんな、役立たずを。
「大丈夫だ、ルイス。君はまだ守れている」
この黒い空間に、思考までもルイスの思考は飲み込まれそうになった時、フェルドの声が耳に突き立てられた。
「……フェルド陛下、何をおっしゃっているんですか」
「だってそうだろう? ナユカ達は捕らえられていないんだから」
にかり、とフェルドは大げさに笑ったのを見て、ルイスはまた失態したことを自覚した。
フェルドは神から守れと役目を告げられた立場だ。そして、その役目を全うする為に今やこの国の王となった。役目の為に、己の為に。
フェルドだって気が気ではないはずたというのに、俯くルイスにまで心配りが出来るほどに落ち着きを払っている。
これこそが国王なのだと、己の矮小な器との差をこれでもかと見せつけられた。
「共にいたゴーレムのおかげかもしれない。もしくはイルジナの機転のおかげか。どちらにせよ、僕達が起こした騒ぎのおかげで彼女達はうまく身を隠すことが出来たということだ」
「……良い方向に考えすぎでは?」
「そう考えた方が気が楽だろ?」
ルイスの目の前に詰め寄るフェルドは、強くルイスの両肩を掴んだ。
「よく考えろ、ルイス。側には神に選ばれたナユカがいる。きっとこの国の神々が味方をしてくれるに決まっている」
赤い瞳。
このメシュラルドではよくある色で、ヴィートと同じ色だ。だというのに、フェルドの色はより鮮やかな光が中に宿っていた。
美しく、力強い光をルイスは知っている。
何せ、いつも同じ光を持つ静を見つめていたのだから。
ルイスはほんの僅か、無理やりに口角を上げた。
「確かに、そうですね」
「だろう?」
二度ほどルイスの肩を叩いたフェルドは勢いよく顔を横に向けた。
「な、君もそう思うだろ?」
「フェルド陛下……」
そういえばといたな、とルイスは鉄格子の向こうにいる仮面の男を見る。
恥ではあるが、まるで置物のように気配の無さのおかげで恥は幾分かは和らいでいた。
フェルドに話しかけられた仮面の男はようやく身動きしたかと思うと、ずいぶんと大きく頷いた。
「ほら!」
嬉しそうな声をあげるフェルドはさらに、そしてあまりにも真っすぐすぎる問いを投げかけた。
「というか、君。なんであちら側に加担しているんだ? 名前は?」
躊躇という言葉をどこかに置いてきたらしいフェルドの問いに、仮面の男は一度、ぴたりとまた動かなくなった。が、すぐにまた動き出す。片手に鉄の棒を持って。
ルイスがすぐさまにフェルドの後ろに下がらせ、代わりに前へと出る。
「あ、えぇっと」
「黙ってください」
何か言おうとするフェルドを黙らせ、ルイスは身に宿る魔力を練る。
間に鉄格子があるとは言え、こんなものは紙切れも同然。一度仮面の男が鉄の棒を振るえば破壊され、ルイスとフェルドへ振り下ろしに来るはずだ。
どう出るか。
ルイスはじっとりと相手の動きを見やる。右目の翠玉の中に揺れる光は激しく波打つ。
そして、仮面の男は鉄の棒を強く床に叩きつけた。石が無惨に割れ、周囲に飛び散る。
威嚇か何かかと思いながら、ルイスはいつでも防げるように口の中で小さく結界の詠唱を行う。が、何故か仮面の男は割れた大きめの破片を手に取ると、黒くなった壁に向かい、傷をいれ始めた。
「え……? 何して……?」
フェルドがルイスを横に押しのけ、無理やり前に出ていった。予想外の出来事にルイスは反応を遅れたがすぐにフェルドと並ぶように鉄格子の前に立ち、傷つけられた壁を見た。
「……ルイス!」
「読めません」
「ごめんね!」
文字、だと思われる。一見すれば絵にも見えるが、幼い頃に見た異国の言葉とよく似ているような形をしていた。
「うーん……、たぶん焔瑞の文字なんだろうけど……。君、話は……出来ないんだね」
フェルドの問いに、仮面の男は大きく首を横に振る。そして壁に書かれた文字を目の前に、分かりやすく肩を落とす。
これほどまでに親し気に接してくれるのも、敵対しているのも理由があるらしいが伝えられないことに落ち込んでいるようだった。
ルイスはしばらく壁に書かれた文字を見つめる。
縦書き。そして右から左へと書いている様子から理解出来た。
「書いてもらえませんか。戻り次第、読み方や意味を聞きますので」
「え? ルイス?」
仮面の男は口が聞けないのだから、発音による読み方の会得は不可能。他に出来ることがあるとすれぱ、文字を覚えることだけだ。
おそらく静達が力によって読める可能性があるが、さすがに異国でそのようなことはさせられない。幸いなことに今、焔瑞の王族達がいるから頼むことは可能だろう。
ルイスは魔力を用いてナイフを作り、そのまま書かれた文字を真似るように床にがりがりと書き始めた。
仮面の男が一度手を止めて、鉄格子越しにルイスの様子を見に来たがまたすぐに壁の方へと戻り、続きを書き始めた。
「……よく書けるね……」
「絵のようなものでしょう?」
「いや、それでもだよ」
フェルドがそんなことを言うが、ルイスにとっては特別な事でもなんでもない当たり前のことだった。確かに器用であることは自覚しているし、比較的飲み込みは早い方だが圧倒的に失敗の数が多い自覚も同時にあった。
どれほど慎重に慎重を重ねても思い込みによる失敗は多岐に渡った。一目見ただけ覚えられるほどの能力だってないから、頭の中で何度も繰り返し思い出しては何度も刷り込んでいるだけに過ぎなかった。
事実、今だってそうだった。
「違う……? ああ、こうですか……? そちらの文字は確か数が多いと聞いてはいましたが……」
書き終わったらしい仮面の男がルイスの手元を覗き込み、鉄の棒を隙間から差し込んで三か所ほど軽く叩き、また壁に戻って今度はより大きく、はっきりと書いてくれる。
それを繰り返し行っていくうちに、気付けば壁や床が焔瑞の文字に埋め尽くされていた。
「勉強になりました」
「ねぇ、ルイス。目的分かっている?」
「はい。この者が何を語っているのか後で確認いたします」
「良かった」
フェルドが安心したように息をつく。その理由が分からずにルイスが顔をしかめると、仮面の男がふと小さく尾のような白髪の髪を揺らし、隙間ばかりの木の扉へと顔を向けた。
ルイスとフェルドもつられてそちらを見つめると、隙間から小さなものがぬるり、と入ってきた。そして、ととと、と軽い足取りで向かってくる小さな姿に、ルイスは思考を投げ出しかけた。
「この白猫って……」
「アラレですね」
一体どうしてこんな場所にいるのか。
この薄暗い場所でも良く目立つ白い毛並みは、どこを通って来たのか薄汚れていたが気にするほどの物ではなかった。アラレにとっては大きな鉄格子の隙間を通り抜け、ルイスへと真っすぐに駆け寄ってきた。
「お前、どうして。……まさかとは思うが、探しに来たのか?」
にゃう。
あり得ないであろうことをあえて問いかけたルイスに、アラレは素直に短く鳴く。アラレはどうしてか、ルイスの周りをぐるりと歩き、次にフェルドの周りをぐるりと歩き出した。
まるで無事であるか確認するかのようなそれに、思わずルイスは目元を抑えた。
「……フェルド陛下。我々は迷子扱いになっていますよ」
「迷子? うぅん……、迷子はちょっと違うかなぁ」
迷子扱いではないかもしれないが、それでもその扱いに近いようなものをアラレの様子からルイスは感じ取ってしまった。
満足したらしいアラレは次にルイスの足に体をこすりつける。ルイスは分かっているようにアラレを抱え上げ、鉄格子越しにアラレを見逃してくれた仮面の男へと見せた。
「アラレと言います」
仮面の男は数度頷き、鉄格子に近づきかけ、すぐに後ろに下がって手に持っていた鉄の棒を置き、すぐに鉄格子の前に近寄り、じっくりとアラレを見つめ始めた。
猫を好んでいるらしいが、それにしたって仮面のせいだろうか、少々薄気味悪いさを感じてしまうのは仕方がないとルイスは思いたかった。そして見られているアラレと言えば、毛を膨らまし、ルイスから離れまいと必死に爪を立てていた。
「怖がられていますよ」
正直にルイスが言うと、仮面の男は分かりやすく肩を落とし、最初に座っていた場所へと足取り重く戻っていく。ルイスはアラレの顎の下を軽く撫でつつ、仮面の男から一番遠い場所に抱えたまま座る。
フェルドも何故か隣に座った。その目線の先にはアラレがいた。
「ね、ねぇ、ルイス。触っても大丈夫かな?」
「今は気が立っているので、もう少ししてからの方が良いでしょうね」
「……そっかぁ……」
フェルドも同様に肩を落とし、一先ずはアラレの機嫌が少しでも良くなるまで待つ姿勢をとってくれた。
手癖でルイスはアラレの毛並みをゆっくりと撫でつつ、頭の中で覚えたての文字を反復して思い出し、書いていく。
思考のほとんどが文字で占領される。胸の中の温もりに無自覚にルイスが心落ち着かせる。穏やかな呼吸音に鼓動。程よく体の力が抜けていく。
そして、ルイスは暗闇ばかり移す右の翠玉に、それが映っていたことにようやく知った、と同時、背筋に冷たいものが駆け抜けた。
にゃう。
「……ああ、そうだな。来てくれて感謝する、アラレ」
ルイスは先ほど伝え忘れていた感謝の言葉をアラレに向け、鉄格子越しに見える壁を見るように改めて仮面の男を見つめた。
通常、どんな人間を見るにしても、この翠玉の瞳はその姿をそのままに映す。くわえて、集中すれば魔力も多少は見えるようにはなったがそれだけだ。魔物も、生きているもの全て、同じように見える。
対して魔具といった道具を見ると、分かりやすくどこに魔鉱石、または魔石があり、どのように流れているかが見えやすいわけである。
だからこそ、ルイスは翠玉が映したそれに対して理解が出来なかった。
何せ、仮面の男の胸の中央。そこに煌々と輝く魔力の光がはっきりと見えたのだ。そしてその光が正しく、血流のように四肢と頭に流れていっていたのを。
まさか、とルイスは思考する。
敵の中に、体に魔鉱石を埋めた者がいる。つまり、ヴィンセントが相手をした者が仮面の男なのか。それとも別人であるが、同じように魔鉱石を埋めているかのどちらかと考え、しかしとどうしてかルイスはそれを否定した。
理由は分からない。ただ本能的に、そうではないと思ってしまったのだ。
ルイスは落ち着くために大きく息をつき、天井を仰ぐ。それでも思考はもやばかりで晴れる様子がない。とくれば、やれることは一つだった。
「しばらく寝ます」
「分かった。その間にさ、この子、触っても……」
「アラレに聞いてください」
こういう時は眠った方が良い。
ルイスは少しだけ体制を整え、壁に寄りかかったまま瞼を閉じる。顎にアラレの前足が触れたのでそのままアラレを抑え込んだ。
一呼吸、ふた呼吸のうちにルイスの意識は深く落ちていく。
何やらフェルドの情けない声と、アラレの不機嫌そうな鳴き声が聞こえてきたがルイスは構わずに本格的に小さく寝息を立て始めた。




