05 鉄錆
完全に失態だとルイスは強く己を叱責した。
奴隷市場に反響する鐘の音。崩れる建物。合間を駆けるフェルドとルイスのその後ろを一人が追いかけてくる。
ぼろの布をまとうその者は、顔を覆う黒と白に赤とずいぶんと派手な仮面をつけ、手には重厚な鉄の棒を持っているというのに身軽な身のこなしで着実に二人との距離を縮めていた。
「正面をつっきる!」
先を行くフェルドが向かうのは、奴隷市場の正面。すでにそこには警鐘により集まった見張り達が剣を持ち、待ち構えている。
厄介と言えば厄介だが、正面から戦うわけではない。翻弄し、どうにか外に出ることが出来ればこちらの勝利だ。
本当であれば、あの抜け道を使いたいところだが、その付近の建物はすでに崩れてしまい塞がれている為、脱出は不可能。否、あそこから脱出してしまえば静達にまで脅威に晒される可能性があると思えばむしろ良いことであった。
とはいえ、だ。
やはり、不注意に魔術で姿を隠さなかったことが原因であるのは明白であった。
突如として目の前に降ってきた仮面の者。ほとんど気配と言う気配がない、不気味なその存在は一目見て脅威そのものであると本能で理解した。
そして今、その脅威がすぐ後ろにまで迫ってきている。
ここはあの見張り達に紛れて逃げる他ない。
後僅かであった。
この時、ルイスもフェルドも、気を緩んではいなかった。ただ脅威にばかり気を取られ過ぎて、他の敵に気付けなかったのだ。
右の暗闇の中に、一筋の光の流星が下へと指す。そして、その揺れがはっきりと見えた。
「っ……フェルド陛下!」
ルイスはさらに先へと前へ進もうとするフェルドへ魔力の糸を巻き付け、強く引く。勢いが良すぎて、真っすぐにルイスにぶつかるが耐えられないほどではない。
「ルイス! 何を!」
フェルドが怒鳴るような声をあげると同時、地面から鋭い杭が並んで突き出した。まさにちょうど、フェルドが踏み込もうとした場所だった。
「……助かった、けども……」
すぐに落ち着きを取り戻したフェルドは大きく肩を落とし、息を吐きだす。そして背後にいる脅威へと目を向けた。
「大人しく捕まってあげるよ。だから手荒なことはしないでほしいんだけどな」
人の良い笑顔を見せるフェルドに対し、仮面の者はどうやら言葉は分かるようで小さく頷くような仕草を見せた。
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存外、仮面の者は礼儀のある者だった。
体を覆う布と、頭の上で一つに束ねられた腰ほどまでに長い白髪のせいで性別が分かりにくく、手はもちろん首すら覆われているのもあったが肩幅や動き等から男だろうと推察した。
仮面の男は丁寧に、しかし隙なくルイスとフェルドを広場の隅へと追いやる。その先で待ち構えていた見張りの男達がすぐさまに力づくで両手首を後ろに回し、錆ばかりの鉄の手枷をはめてきた。
熱をため込んだ鉄の手枷は熱いが、まだ火傷をするほどではなかった。しかし錆のせいで多少の痛みを感じた。
大人しく繋がれた二人に男達は力づくで地面に押しやり、わざとらしくルイスの足に蹴りをいれる者や、フェルドの顔に拳を入れる者がいたがそれだけであった。
「ここに繋がれるのは二度目だよ」
「俺は初めてです」
「だよね」
ルイスは当然ながら衝撃が軽くなるようにわざと体を大きくそらしたわけだが、フェルドも同じように衝撃をいなしたようで傷跡はほぼないに等しい。
フェルドが出来るかは不明だが、ルイスにとってこの拘束は無いに等しい。何せ魔力封じも何も施されていないただの手枷なのだから。
無理やり魔力をぶつけて破壊するにしても、今はその時ではない。一先ずは外にいる静達がしっかりとここから離れられるように時間を稼ぐ必要があった。
そして、情報を一つでも多く取得しなければならない。
ルイスは人混みの合間から姿を現した、その男を見上げた。
「お久しぶりですね、マティアス殿」
「……殿下、とは呼ばないんだな」
「呼べないでしょう? 罪人である貴方に対して」
メシュラルドの言葉で試しに話しかければ、その男、マティアスは問題なく返答した。そして事実を重ねて言えば、顔の横にマティアスの足が迫った。
ルイスはすぐさまに衝撃を減らすために身を僅かに引き、顔を受け流す。おかげで衝撃はほとんどないが擦り傷が出来た程度の引きつきは感じた。
「蹴り方が甘いですね。後ろの方にご指導受けたらいかがです?」
すぐさまに姿勢をわざとらしく正して、丁寧に、くわえて滅多に見せない笑顔もつけてルイスはマティアスに助言をした。マティアスの後ろにはもう一人の異国人がいる。肌は白く、顔の火傷が余計によく目立っていた。青の瞳は動揺を見せることなく、感情無くルイスを見ている。
一体何を考えているのか。
どうやって読み取ろうかとルイスは別で思考を回していると、上からマティアスの舌打ちがずいぶんと遅れて降ってきた。
「それなら変わってもらうとするよ」
何をそう考えることがあったのか。反応が遅いマティアスを見上げようとしたが、それよりも早くにその火傷の男がルイスの目の前に立っていた。
ある程度は予想していたことだ。だからルイスはすぐに魔術で身体強化を施すが、それすら無意味と言わんばかりに男はわざわざ魔力をこめた拳をルイスの頭へと振り下ろしてきた。そして逃さないと言わんばかりに今度は足が腹部に飛んでくる。ご丁寧にこれも魔力がこめられたものだ。
うっかり身体強化の魔術をといてしまえば、骨なんて簡単に砕けてしまうだろう。気絶しないようルイスは全身に力を込め、唇を強く噛んで耐える。
そして突然、隣に繋がれていたフェルドがルイスの上に覆いかぶさるようにして乗りかかってきた。
「おい! 止めろ!」
フェルドが間に入ってきたことで、火傷の男はぴたり、と振り上げた足を止めて下ろす。
様子を見ていた仮面のおそらく男は、そそそ、と近づいてきてルイスのすぐ隣にしゃがみこみ顔を覗き込んでくる。
本当に気配が一切ない為、フェルドはもちろん飛び跳ねるように驚いたせいで鉄の鎖を大きく鳴らした。もれなくルイスもまた緊張感が緩んでいたこともあり、小さく肩を跳ねた。
ぱっと手套に包まれた両手を上げて、何もしないと言うような仕草を見せた仮面の男はルイスが受けた箇所を確認するかのように遠慮がちに触れてくる。
全く持って理解できない仮面の男の行動にルイスはどうにか呼吸を整えようとしながら観察していれば、マティアスが上からまた喚いてきた。
「僕は君をひどい目にあわせたくはないんだよ」
「っ……、はっ……このようなことを、なさっているというのに……?」
「まだ元気そうで良かったよ」
何が良かったというのか。
マティアスは仮面の男の行動を一瞥するが、とくに何か言うこともなくルイスに問いかけてきた。
「君、どうしてあの国に肩入れするんだ? 異国嫌いで、神に祈るしか能がなく、その神は何もせずに見ているばかりのあの国に。どうして」
「どうして……?」
「そうだろう? 君は特に見目が異なる。たったそれだけで、排除してこようとする者だって多かったはずだ」
ルイスは呆気にとられた。本当に、意味が分からない問いだったからだ。
何故、ロトアロフにいながらそんな疑問を抱いているのか。むしろ、何故そのような思考になったのか。多くの疑問符がルイスの思考を埋め尽くそうとする中、一先ずはと答えられることを答えることにした。
「……ええ、そうですね。食事に異物を混ぜられたり、暴力やらなにやらありましたが、全てやり返したので今更です」
ルイスの身に流れている血の半分はこのメシュラルドの血だ。しかし、産まれも育ちもロトアロフであった。そして今に至るまで異国の地へ足を踏み入れたことなんて一度もなかった。
以前であれば、マティアスの問いに対して迷いやある程度の理解をしたかもしれない。けども今は違った。
漆黒へと入隊し、戦い方を覚えた。静と出会い、己を見つめ直した。そして今、神がしっかりと己を見てくださっているのだと確信していた。
「何故、そんなくだらないことをお聞きなさるのか理解に苦しみます」
「ルイス、うん。ちょっと落ち着こう?」
フェルドが何故か話を遮ろうとするが、ルイスは無視して答えた。ヴィートとは似つかぬ、美しい微笑みと共に。
「貴方はロトアロフの、しかも王族という生まれでありながら何故理解していないのでしょうか。我らが神が見守りくださることを。我らが何故祈るのかを。是非とも一からお教えしたいのですが、きっと貴方は理解なさらないのでしょうね。その理解できるほどの頭なんて、おそらくなかったのでしょう。だから、利用されるだけされた」
時間をかけ、ゆっくりと、しっかりと。一音も漏らさずにマティアスの耳に届ける。
囁くように、痛ましく、仕方がなく、慈悲をこめて。
「なんと、おいたわしい」
漆黒に所属してすぐ、当然ながら異国の見目をしているルイスは分かりやすく標的になった。そして同時に、面白がられて多くを教わった。
これもそのうちの一つだった。
滅多に使わない顔を筋肉を使わなければならないが、どうもこれが効くらしい。だからそのようにしてみたが、マティアスは怒りを見せることはせず、しかし苦悶の表情を見せてきた。
「あの女のせいか。あの女が、君をそんな風にさせたのか?」
「……静様のことを愚弄する気ですか?」
この男はどうも、ルイスに対して何かしらの幻想を抱いているらしい。そして幻想にそぐわければ、全て静が原因と言わんばかり。
微笑みを消し去ったルイスに気づかない様子で、マティアスは虚ろな瞳を彷徨わせる。
「あいつらが来たせいで、今までのが台無しになった。とくにあの女だ。後少しだったというのに」
あの企てが、完璧なものだと思っているのか。なんと愚かしい男か。
にしても、マティアスのこの状態は良いものではないのは明白だった。
一体何があったのか、されたのか。
呪術によるもののようには右目からは見えない。ともすれば、魔術すら使わない薬による催眠のようなものか。
それとも、元からなのか。
ルイスが思考をさらに深めようとする中、あの火傷の男がルイスの前に出てくると、むんずと無理に髪を掴み、上へと顔を向けさせられた。
先程から横についていた仮面の男が両手をあげて抑えるような仕草をするが、そんなものは無視された。
「答えろ。銀の聖女は何故生きている」
「何故、とは」
「あの時、銀の聖女は心臓を貫かれて死んだはずだ。だというのに、何故」
ひゅう、とルイスの呼吸が乱れた。
脳裏にはっきりと、色鮮やかに浮かび上がるのは白と赤。そして貫かれました静の笑顔。
どくどくと打つ脈が耳まで届く。視界が歪みそうになり、口の中が異様に乾いていくのを感じながら、ルイスは必死に声を絞り出した。
「あの、杭は」
「一人では寂しいだろうからと、お前と共に貫こうとしたんだが」
視界が赤に染まる。
衝動的に濃い魔力をまとい、手枷を破壊する。そしてルイスはそのまま火傷の男へと魔力を固めた剣の切っ先を向ける。
が、その先は瞬きの間に折られ、仮面の男がルイスを頭ごと地面に強く押さえつけた。
「初めて聞いたぞ。あの女が死んだなんて」
「しかし生きている。理由は分からん」
「……だが、一度死んだのであれば」
「魂は離れやすいだろう」
「素晴らしいことを聞いた」
頭上でマティアスと火傷の男が他人事に言葉を交わしている。
上の仮面の男を退かそうと力を込めるも、ぴくりとも動かせない。
退け!
母国の言葉で声を荒げるルイスに、二人はようやく見下ろす。マティアスはそんなルイスに憐れんだ視線を向けてきた。
「檻に入れておけ」
逆転。
不愉快過ぎるこの状況に、ルイスは意識を奪われる最後の瞬間まで殺意を持ってしてマティアスと火傷の男を睨み続けた。




