03 奴隷市場
奴隷市場の正面には、いくつもの船が停泊していた。
静達はそれを横目に奴隷市場の裏側へと周り、高い壁の下へと移動した。
首が痛くなるほどの高い壁は石で作られているようだった。当然ながら魔術を用いて建設されたのだろうが、こんな砂ばかりの場所によく出来たものだと感心してしまう。
静は壁を見上げたまま、大きく顔を歪ませた。
「ねぇ、ルイス。ここさぁ」
「ついでに呪術の実験でもしていたのでは?」
「何が見えてるの?」
「黒い霧に近いものが見えています」
「そっかぁ」
どれほどの分厚い壁だろうと、近くにいるだけで静は息苦しさとなんとも言えぬ吐き気を覚えた。それほどまでにここが呪術によって淀んでいた。
この壁越しでも、右目を通して黒い霧が見えるというルイスの言葉から想像するに、中は相当穢れている可能性があった。
「気になっていたけども、ルイスのその力は一体……?」
ゴーレムの手から降りたフェルドは、ルイスに問う。が、ルイスは至極面倒と言わんばかりに僅かに顔をしかめた。
「見えるだけです」
「いや、見えるだけにしては……」
「今、聞くことですか?」
しっかりと説明する気はないルイスに、フェルドは何故か小さく肩を揺らした。
「そうだね。それについては今聞くことじゃなかったよ」
フェルドはそれ以上、ルイスに問うことはしなかった。逆に今度はルイスがフェルドに問いかけた。
「一つ確認ですが」
「なんだい?」
「わざわざ侵入しなくても、表にある船を奪えばよろしいのでは?」
そこで静も今更ながらに気付いた。
確かに、わざわざ中へ潜入しなくても正面の船を奪えば良いだけの話だ。それなりに大きな戦闘になりかねないが、こちらにはルイスがいるし、静だって多少の無茶はあるが戦える。
中に入って危険を冒すよりは絶対的に安全であるはずだと考えるが、フェルドは緩く首を横に振った。
「残念ながら僕は操作が分からない」
「わたくしもですわ」
「すまない。わたしもだ」
続けて、ゴーレムの手に座ったままのイルジナとナユカも答えた。ということは、あれを操れる人間が必要と言う事だった。
「だから操縦士を一人、ついでに連れて行く必要があってさ」
「乗組員を脅せば早いと思うのですが」
「そうかもだけどさぁ。ついでに中の様子、ちらっと見たいというか……うん。後、そう! 食料探さなきゃだし!」
つまり、フェルドの私的な用事ということであった。
急いで王都へと戻らねばならないが、それを後回しにしてでも中を確認したいことがあるのだろう。
ルイスは少しの沈黙の後、再度フェルドに確認した。
「……中に侵入するのはフェルド陛下のみですか?」
「その予定だけど」
当然と言わんばかりの答えが返ってきた。ルイスはそれに対し、さらに眉間の皺を深くし、静を見やった。
「さすがにちゃんと大人しく、祈って待っているよ」
ルイスの言わんとしていることを正しく理解している静は、それならばと言う。
仕方がないから待ってやる。ただしただ待っているだけだと思うなよ。という意味を込めて。
鋭さを増したルイスの視線から逃れるように静はひょい、と視線を逸らせば上から小さなため息が聞こえてきた。
「俺も行きます」
「良いのかい? 中はあまり良いものではないと思うけど」
「承知しています」
分かっているからこそ、一人では行かせられないとルイスは判断をしたのだ。
意見を変える様子の無いルイスをしばらく見やるフェルドは、困ったような笑顔を浮かべて頷いた。
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侵入は想像していたものよりもずっと楽なものだった。
この高い壁に囲われた奴隷市場の唯一の出入りが出来る箇所は正面のみ。さすがに正面には人が多く行き交っている他、見張りの人間がいる。それなら、この壁を登るかというと現実的ではない。不可能ではないが。
では、どこから入るのかというと、抜け道である。いや、抜け穴か。
ルイス達がいた場所から正面に向かって移動する途中、壁の一部が異なっていた。石造りの壁ではなくレンガ造りで明らかに塞がれたような場所だ。
そこの箇所をフェルドは迷うことなく手を置き、思い切り押すと呆気なく崩れた。つまり固定も何もなく、積み上げられていただけだったのだ。
「あそこはずっと前からあんな状態だったんだよ。逃げようとして穴を開けたみたいだけど、周囲は砂ばかり。奴隷がまともに魔術なんて使えるわけがない。だから一応は塞いで、後は放置されているんだよ」
分厚い壁を通り抜けながら、フェルドはそう説明をした。
だから監獄なのだとルイスは納得し、左目で壁の向こう側を見やった。
まず、目に入ったのは壁だ。どうやら建物の裏手らしい。見上げると、ボロボロの木の屋根の端。そして晴天が見えた。
右目から見れば、ほとんどが黒に覆われていて、今回ばかりは使い物にならなそうだったが、導く光の流星はより見えるようになっているのでこれはこれで良いかと判断した。
「一先ず、この恰好は目立つから外套か何かもらおう」
「奪うの間違いでは?」
「丁寧に言えば大丈夫!」
建物の裏から表の様子を伺うフェルドに、ルイスは呆れて言うと曇りのない笑顔が向けられた。
「それか、適当に置いてあるのをこっそり拝借しよう」
ただ、変に正義感を抱かれるよりはずっと良いのでルイスは黙って頷いた。
ボロの布はそのあたりに投げられていた。匂いはそれなりだが、身を覆うにはちょうど良いものだった。
「ずいぶんと複雑ですね」
「だろう? 慣れないとすぐに迷うから気をつけて」
とは言え、自由に動きまわれる者は奴隷商人か、見張りの者ぐらいだ。せいぜい誰か判別出来ない程度に出来れば御の字。
移動はなるべく人目を避けつつ、フェルドが先導して進んでいく。
円形状の奴隷市場は正面の大きな広場を中心に建物がいくつも並んでいる。掘っ立て小屋のようなそれらは無計画に増やされたのだろう、いつ崩れてもおかしくないような状態野ものがいくつも散見した。
しかしおかげで身を隠すにはうってつけであった。
「よく、こんな場所で奴隷を管理できますね」
「ここで調教するんたよ。奴隷なんだから、ちゃんと檻の中にいなきゃいけないこととか。主人の言葉が全てだとか」
フェルドは答えながら、建物の屋根に上がる。ルイスを続けて登り、そこでようやく青空が広くなったことに小さく息をついた。
「聞かないんだな。王族なのに奴隷だったこと」
「聞いても良いのであれば聞きますが」
「普通そこは遠慮しない?」
「情報はあるだけ良いです」
「情報扱いか」
フェルドは小さく笑みをこぼし、ルイスに振り返らずにまた進み始めた。
「とはいっても、本当によくある話なんだよ。そういう奴隷だっているから、うっかり僕みたいに子が出来てしまってさ」
「出来た子は、フェルド陛下のように奴隷として扱われるのですか?」
「そう。後は余計な火種にならないように、存在全てを消したりね」
つまりは処分。何かしらの方法で命を終わらせてしまうということだろう。もしかしたらスライムのあの牧場にでも連れて行かれてしまうのかもしれない。
ルイスは口を閉ざしたまま思考を回している間にも、フェルドの話は続いた。
「それで、僕は王都で生まれた。僕を生んだ女は消されて、僕はこの奴隷市場へと厄介払いされた」
「ナユカ殿とイルジナ殿とは、どのように出会ったのですか?」
「イルジナの家族に買われたんだよ」
フェルドはさらにもう一段、屋根をよじ登る。ルイスは対して軽く跳躍し、その隣に着地する。
何か言いたげにフェルドはルイスに視線を向けるが、さらに話を続けた。
「イルジナの家は名家で、舞手の一族でもあった。そしてナユカはその家を守る剣士の一族だった」
フェルドは屋根の端へと歩み寄り、そこでようやく足を止めた。
「ほら、あの広場。あそこで売買するんだ」
フェルドが指した先は、正面の広場だ。下からでは分からなかったが、円形状になっており、周囲には鎖が適当に放置されている。
売買する時、あの鎖に繋がれることは明白だった。
まるで家畜のそれだった。
「僕、王になるつもりはなかったんだよ。奴隷という身分が無くなって、そのまま平民として生きるつもりだったんだ」
「……では、何故」
しかし、フェルドは王座に座した。そして王として逃げず、成果をあげ続けているほどだというのにだ。
フェルドは空を見上げる。眩し気に瞳を細め、憎々し気に短く、吐き捨てるように笑った。
「我が国の神、ソールが導いてきたんだよ」
メシュラルドの主神、太陽の神ソール。その神が自ら導いたことにルイスは純粋に驚くとともに、とても名誉なことだと思った。しかしフェルドの様子を見るに、どうもそれとは程遠いものであることを知った。
「夢の中で、僕は空の中にいたんだ。そして、目の前に神がいた。姿かたちは不思議と覚えていないんだけど、あの輝きだけは覚えている。そして僕に告げたことも」
そしてフェルドはその宣託された言葉を口にした。
「守れ。そう、神は僕に告げた」
とても分かりやすい言葉であると同時、一体何を、何からというものが一切なかった。
またロトアロフの神々の方が親切だとつい、ルイスはそう思えてならなかった。
「一体何から、とか本当に何も言わなかったんだ。困るよね」
「そうですね」
「けど、すぐに分かったんだよ。何から、何を守らないといけないのかって」
ようやく空を見上げるのを止めたフェルドは、ルイスへと振り返った。
「ナユカが舞手として選ばれたんだ」
「選ばれた、というのは」
「百年に一度の祭事で舞う舞手は、神によって選ばれるんだよ。実はね」
元から決まっているということだ。では、静達がこの王宮に来てすぐに行われた舞手の選別は一体どういう意味だったいうのか。
ルイスはこれについてどう問うべきかと思考を回そうとするよりも早く、フェルドがその答えを言った。
「どうせ聞いているだろうから話すけど。君達が来た初日にどの舞手がふさわしいかっていうのを実際に見て選んでもらったわけなんだけどさ、あれって実はただの芝居だったんだよ」
「……なるほど。であれば、理解できます」
「ナターシャや周囲が本当にうるさいし、来てくれている皆にはそんなことは教えていないから、イルジナと僕、ナユカで一芝居を打ったんだ。けどまさか、二人してナユカを選んでくれるとは思わなくって……」
たった三人だけで企てた芝居はあまりにも不確定要素が大きすぎるように思えた。だが、相手が静と伊織である。あの二人が相手では、知らずともに選ぶことはあまりにも当然のことであった。
「ナユカが選ばれた時、それはもう大変だった。イルジナの家族は信じられないとか、嘘だとか言ってナユカを殺そうとしてきたんだ。僕とイルジナはナユカと一緒に逃げて、神殿に駆け込んだ。ナユカの家族はそれを助けてくれたけど、おかげで一族共々あらぬ罪を着せられて燃やされた」
大変と片付けられるような話ではないというのに、フェルドは懐かしむように笑みを浮かべていた。
「イルジナはそのまま神官になった。僕は守る為にどうすれば良いのかと思っていたら、魔具で王族の一族だと知られてすぐに王宮につれていかれてさ。それでそのまま最低限の王族の勉強やらさせられて、前王にむりやり王位を押し付けられた」
「……は?」
「うん、そうなるよね。今だって僕も信じられないよ」
そこで大きく肩を揺らして笑うフェルドは、数度深呼吸をして話を続けた。
「理由を聞きたかったんだけど、その前に前王はその翌日に死んだ。自死だった。ちなみに言うと、僕は良い王だとは思っている。奴隷っていうのを無くしたお方だしね」
一体、何がどうしてフェルドを選んだのか。さらに言えば、どうして奴隷というものを無くしたのか。
きっと、もうその真相にたどり着くことは困難なことになってしまったのだろう。
それか、もしかしたら神に準ずる何かから真実を教えてもらうかになるが、この国においてそれが可能なのかは不明だった。
「それで、いろいろとあって。ナユカと婚約した。本当、イルジナには頭があがらないよ」
「それは守る為に、ですか?」
「守る為でもあるし、単純に好きだから。好きな人と一緒にいたいのは当然だろう? ルイスは違うのかい?」
あまりにも単純で、しかしとても大切な理由にルイスは迷いなく答えた。
「違いません」
「それは良かった」
満面の笑顔を浮かべたフェルドは再度、奴隷市場を見下ろした。
「にしても……良い思い出がないからと、ここの管理をベルナルトに投げてしまっていたのが間違いだった。本当に自分が不甲斐ない」
打って変わり、ずいぶんと苛立ちが混じった低い声を発したフェルドの背付近の空気がゆらりと揺れた。
「ナターシャを軟禁するだけでは足りなかった。もっと制限するべきだった。いや、言葉を取り上げれば良かった。喉を潰すべきだったな。それとも動けないように腱を切るべきだったか。人の手がなければ生きられないようにするべきだった。そう、それで——」
ルイスはフェルドの腕を掴み、力づくて強く引く。フェルドは反応に遅れた様子だが、すぐに無機質な赤い瞳をルイスに向けてきた。
瞬時にぱっと掴んだ手を離し、掌をフェルドへと向けた。
「何、ルイス」
「少し落ち着いてください。無駄に魔力を高ぶらせても仕方がないでしょうに」
「……ああ、うん。そっか、そうだね」
苛立ちのまま分かりやすく魔力を垂れ流し始めていたフェルドは、一呼吸のうちに魔力を整える。
その間にルイスは先程のフェルド同様に広場を中心に奴隷市場内を把握する為にみつめ、正面から新たに入ってきた人物達を見て、両の瞳を細めた。
「……どうやら、本来はこの場所に落とさせる予定だった可能性がありますね」
「うん? まぁ、そうだろうとは思ったけど」
首を僅かに傾げるフェルドに、ルイスは指先を広場へと向けた。正しくは今、入ってきた人物達だ。
「あそこに異国人がいますが、見えますか」
「……いるね」
「先頭にいるお方が我が国を貶めようとした元王族、マティアス殿になります」
先頭を歩くのは姿を消したマティアスだった。その後ろには、同じく異国の人間の姿があり仲間であると見て取れた。
「……一先ず、食料を見つけてから戻ろう」
「そうですね」
フェルドは冷静に判断を下した。
そして二人は静かにその場を後にし、薄暗い奥へと潜り込んだ。
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広場の隅で、屋根の上の人影を眺めていた者がいた。薄汚れた布を頭までかぶり、身動き一つしない。
二つの人影が消えしばらくし、置物のようなその者がようやく、のそり、と動いた。傍らに置かれた背丈ほどの長い金属の棒を手に取って。




