01 砂の海の中
——時は、朝まで遡る。
気づいた時、周りは砂の海の中だった。
体が重く、目の奥からの痛みにルイスはその場にうずくまる。
どういうことか、静が多く魔力を受けたようだった。
この身に合わない魔力量に、ルイスは手を強く握りしめながら耐え、無理やりに顔を上げる。そして一瞬、呼吸が止まった。
静様!
砂ばかりの中に、ぐったりと倒れている静がいた。
ルイスは飛びつくように静へと手を伸ばし、急いで抱きかかえた。
閉じられた瞼と、唇が微かに動き、ルイスは息をつく。
静様、聞こえていますか。静様。
……手、が……。
手が?
手がどうしたのか、と思いルイスはショールの下に隠れていた手を見て、ルイスはぴたり、と動きを止め、両の瞳を見開いた。
静の右手が、まるで火傷でも追ったかのように皮膚が爛れていた。
痛みに耐えるかのように静は眉間に深い皺をよせ、ルイスの胸元に頭を押し付けてくる。ルイスはきつくそんな静を抱きしめ、どうにか宥めるしかなかった。
何をすれば、しなければいけないのか。普段ならばすぐに分かることだというのに、砂ばかりの大地と傷ついた静を前に、ルイスの思考は止まったままだった。
「無事か?!」
ルイスの凍りついた思考を砕くかのように、その声が耳に飛び込んできた。
勢い良く顔を上げたルイスが見た先には、イルジナを背負うフェルドとナユカの三人。そしてなんとナユカの腕の中にはアラレの姿まであった。
気を失っていたはずのイルジナは今は目覚めているようで、ルイス達の姿を見て表情をずいぶんと和らげていた。
ルイス……?
静様、皆様無事です。それとアラレも一緒です。
よかった。
顔を僅かに上げた静は、ルイスの言葉を聞き、ふっと表情を和らげた。
無意識につめていた息を吐きだしたルイスは静の額に掛かる髪を横へと流した。
薄らと汗が額に滲んでいる。発熱の症状が出ているのかと、魔具のショールで静を包み込もうとしたが、装飾と兼用していた銀の魔鉱石の姿が無くなっていたことに気付いた。
理由は分からないが、これでは体を冷やすことが出来ない。取り急ぎショールに魔力を流すがどうしてかうまく流れていかない。すぐにルイスは自身の上着を脱いで静をくるみ、魔力を流す。
ルイスに至急された魔具付きの隊服の品質は最悪である。実用実験という名目があるから仕方がないが、それにしたってひどいものだった。
ついでに手套を片方外し、魔具の冷気と静の体温を確認すれば、はっきりと発熱の症状が出ていた。
「ルイス、聖女殿は……」
「発熱と、右手が負傷しております」
「負傷だって?」
駆け寄ったフェルドがルイスの腕の中にいる静を見つめ、大きく顔をしかめた。
「一体どうして」
「分かりません、が……」
そういえば直前に、静が魔鉱石に向けてナイフを振り下ろしていたことをルイスは思い出す。おそらくはそのせいなのだろうと、容易に想像が出来、ルイスは眉間に深いしわを刻んだ。
と、急に厳しい陽射しが消え去り、代わりに影が上から覆ってきた。見上げてみれば、ルイス達がいる場所を中心に、半ドーム状の土の壁が形成されていた。
「さすがだね、イルジナ」
「全く……、わたくしがいなかったらどうしていたのです?」
土の壁を作り上げたイルジナは薄く笑みを浮かべる。そしてフェルドの背から下ろされると、右手をかばいながらルイスと静の傍らに寄ってきた。
「静様に触れても」
「はい。しかし、その手は……」
「あの女に折られまして」
吐き捨てるように言うイルジナが指す人物が誰か、ルイスは見当もつかなかった。だが、イルジナに傀儡の呪術を仕向けた相手であろうということは推察した。
ルイスはそれならばと手套をはめたままの手をイルジナに差し出した。
「治癒をいたします。応急処置程度ですが」
「わたくしよりも静様が先かと」
イルジナの右手は赤く腫れあがっており、痛みがひどいのか顔を歪めたままだ。そのままイルジナは静の額に触れ、さらに顔をしかませた。
知らぬ誰かに触れられた静が、閉じかけていた瞼を開け、きょろりと銀の瞳を動かした。その手の主がイルジナと知ると、また瞼を下ろした。
静様、右手以外に不調は。
えー……? んー……。
発熱といつものですね。
ん。
先にイルジナ殿を治療してもよろしいでしょうか。早く済ませますので。
うん、先にわたしにしたら殴る。
あえて負傷している右手で拳を握る動きを見せたあたり、本気のものだろうとルイスは察した。
ロトアロフの言葉を理解しているフェルドが静を凝視していたがルイスは無視した。
「失礼します」
改めてルイスはイルジナの手をすくい取り、そのまま治癒の魔術を展開する。
骨折ともなれば、さすがのルイスも無詠唱では治癒が出来ないが今は無駄に魔力が身に宿っている。無理やりに魔力を練り上げ、正しく骨の位置を調整して治すことは造作もないことだった。
「……少し回りを見てくるよ。ナユカ、よろしく」
「ああ、待っている」
淡く光る治癒の光をしばらく黙って見つめていたフェルドは、ナユカに告げると影の外へと出て行った。
周囲には砂ばかりの場所だというのに躊躇なく飛び出したことに、ルイスは無言で目を丸くする。その姿にナユカは僅かに首を傾げ、ああ、と小さく声を漏らした。
「安心してほしい。フェルドはちゃんと戻ってくる」
「……そうですか」
ルイスは一先ずは素直に頷き、治癒に集中をすることにした。
煌々と瞬く魔術の淡い光の具合と、循環する魔力の流れを感じ取り、頃合いを見て治癒を止めた。
「いかがでしょうか」
「十分です。というより、応急処置にしてはずいぶんとよくしていただいて……。不要に魔力を使いすぎてしまっていませんこと?」
「問題ありません」
苦悶の表情が消えたイルジナは確認するように右手を動かし、呆れたような表情を見せた。
その動きからちゃんと治癒することが出来たことが伺え、ルイスは内心安堵し、続いて素手の方の手で静の右手を手に取った。
静様。それで、どうして魔鉱石にナイフを突き立てたのですか。
……つい?
ああ、はい。無意識に、ですね。
ん。
同じように治癒の魔術を展開させ、爛れている右手を治していく。
ただこれに関しては治癒をしたところでひどい痕が残りそうだった。それほどまでに右手全体、手首まで赤く血が滲んでいた。
ユフィアータから授かった銀の指輪が無事であったことは喜ばしいことだが、それが余計に痛々しさを強調してきた。
せめて最低限、痛みの元を絶やせば良い。国に戻った時、もしかしたら奈緒が治してくれる可能性があると期待を無理やりに抱く。
そうでなければ、ルイスは今、自身の無力さに押しつぶされてしまいそうだったからだ。
重い瞬きを繰り返す静は、小さく唇を動かした。
ねぇ、ルイス。もうさ、普通におしゃべりして良いと思う?
このような状況下ですし、むしろそちらにしなければいけないかと。
だよねぇ。
右手の負傷と発熱の症状がありながら、静は変わらずにいつものように思考し続けている。
少しばかり虚ろ気な瞳はルイスを見上げ、ゆるりと細くなる。そして左手がルイスの額に触れてきた。
暑いよねぇ、ルイス。
今は静様が優先です。寒くはありませんか。
大丈夫、ちょうど良いよ。ねぇ、アラレは?
ナユカ殿の腕の中におります。さすがに大人しくはしているようです。
そっかぁ。
ルイスの額に滲む汗を冷たい指先で拭い、静は微笑む。
くらり、と眩暈のようなものをルイスは覚えた。無意識に口づけを送りそうになり、代わりに静を強く抱き寄せるだけに留めた。
腕の中で静の小さな笑い声が聞こえてきた。
何となく面白くなくて、ルイスは静の頭を抑え込み、横二人からの視線に気付かないふりをした。
「あのお二人は……」
「婚約者だそうだ。ほら、右手の指輪……」
「そういう意味でしたのね。にしては……」
「……ほら、異国だから」
「このような状況なのに?」
これは別にルイスにとってはいつものことだし、いつもよりも抑えていると自覚はしている。だというのに、ここまで言われるとは思わずにルイスは内心困惑した。
気づかないふりをするにしても限度はある。ルイスはつい、こそこそと顔を寄せる二人に目を向けた。
「何か」
「仲睦まじいと思いまして」
「……そうですか」
美しく微笑むイルジナを前に、ルイスはそっと視線を逸らした。
「あら、どうされました?」
「何でもありません」
ルイスの反応が面白いものだと思ったのか、イルジナはさらに笑みを深くした。
「しかし何故、おっしゃらなかったのです?」
「……不要な面倒事を避ける為でしたので」
「ですが、黙っていたせいで昨日は静様にご迷惑をおかけしてしまいましたわ」
「まさか、あれほどしつこいお方とは思いませんでした」
「この国では、あれぐらいはよく見るものですわよ?」
ナターシャが特別にそういうものではないことを知ったルイスは、少しばかり気が遠くなりかけた。
まだロトアロフの女達は一応はそれなるに距離を保っていたが、なるほど異国ともなるとその距離というのは皆無になるということか。
なんて恐ろしいことか。
ルイスは眉間に深い皺を寄せ、今後はさらに気を付けなければと身を引き締めた。
どうしたの、ルイス。
何でもありません、静様。
そっかぁ。頭撫でて良い?
お止めください。
右手からある程度の痛みが引いたことで、静は多少元気を取り戻したらしい。治癒の魔術を止め、それでも頭を撫でようとする手を掴み、上着の中へとしまわせる。
それの何が面白いのか、静は小さく肩を揺らしていた。いつもであれば、口づけなりして大人しくさせるわけだが人目がある。いや、むしろするべきかとルイスが思案し始めたのと同時、その声が耳に入ってきた。
「聖女様、少しは元気になられたのかな?」
見れば、そこには戻ってきたフェルドの姿があった。
だんだんと陽射しが強くなってきているというのに汗一つかいていない。こちらの涼し気な衣服だからなのか、それと体質的なものなのか。
つい、そんな余計なことにルイスは思考を回してしまった。
「フェルド、早かったな」
「ここが、どのあたりか分かったからね」
土の壁の日陰に入ったフェルドは表情を歪めながらナユカに答える。その表情を見て、イルジナはすぐさまに微笑みを消しさった。
「イルジナ、右手は?」
「ええ、この通りに治していただきましたわ」
「……すごいな。ほぼ完治しているんじゃないか?」
「このお方にとっては応急処置とのことですわよ」
「それは恐ろしいな」
右手を開閉させながら話すイルジナに、フェルドは分かりやすく口元を引きつらせる。そしてイルジナは手を下ろして問いかけた。
「その様子を見るに、状況はよろしくなさそうですわね」
「最悪ってことは確かだよ。けど、向かわないといけない場所だ」
「どこです?」
「奴隷市場。遠目からでも船がいくつも見えたよ」
ナユカが小さく息を飲み、イルジナは鋭い視線をフェルドへと向けた。
「船が?」
「そうだね」
「……全く、貴方というお方は」
「今は説教しないでよ。確かに僕が甘かったのは事実だけどさ?」
今すぐにでもイルジナが説教を始めようとする勢いで口を開くが、フェルドが慌てて両手をあげて抑えようとする。
どうやらイルジナとフェルドはだいぶ気心を知れた仲のようにルイスには見えた。
奴隷市場だそうですよ、静様。
まぁ、そう簡単にはなくならないってことかぁ。
そうでしょうね。
ルイスは声を潜め、静と言葉を交わす。
やはり、奴隷というのは表向きにはいなくなったが今も実際に存在していたということだ。
ただ、その奴隷市場についてはフェルドが何かをやらかしていたせいで見逃されていたような状況になっているということだろうかとルイスは推察する。
静も似たようなことを察したらしく、じっとりとフェルドを見つめている。そしてその唇が小さく動いた。
「それは分かりました。で、向かわなければいけないということですが、理由を教えていただいても?」
流暢なメシュラルドの言葉を発した静に、フェルド達はぴたり、と動きを止めた。
思考を回せ。よく見ろ。
ルイスは最良の選択を取る為、静の思考を推測し始める。と、右目の視界に瞬く流星のような光が幾度か流れ、ルイスは砂の海へと視線を向け、翠玉の瞳を細めた。




