09 大地を走る
広大な砂地を細長い船が走る。
王宮裏手の港に停泊していた船の中で、一番細身の船は葦原国のものだったらしい。他の船よりも速いとのことだった。
確かに体感的には、メシュラルドの船よりも速いように感じる。ヴィンセントは過ぎる変わらない景色から目を反らし、手すりに寄りかかった。
船首にいるスズカは、ずっと先を見ている。方向としては間違ってはいない。だがしかし、どこまで進んでも変わらない景色を前に、せっかく落ち着いてきた焦りがまた膨らみ始めていた。
「ヴィンセント様。こっちの方向ですが、おそらく魔物の巣がありますよ」
「……ほぉ、よく知っているようだな」
そんなヴィンセントの心情は当然ながら分からないだろうヴィートが横に並び、そう告げた。
ルイスとよく似た顔で、全く異なる笑みを浮かべるヴィートは赤い瞳を向けてきた。
「ええ、だからついてきたんですよ」
ヴィンセントは遠慮なく舌打ちし、つい苛立ちのままに魔力を高ぶらせる。気づいたヴィートはさらに笑みを深め、呆れたように大きく肩をすくませた。
「おーい。何してんだよ」
「喧嘩でも始めようとしているのでしたら呼んでいただかなくては」
この船の主である煌河が顔をおおきくしかめながら歩み寄ってくる。少し遅れて風宇が何やら理由のわからないことを至極真面目に言ってくるものだから、ヴィンセントはすぐに苛立ちを沈め、片手で顔を覆った。
「いやいや、俺がちょいとミスっただけですよ。なー?」
ヴィートがへらりと笑い、足元に寄り添っていた銀の狼へと話しかける。銀の狼はきゅう、と小さく鳴き、そのままのそりと丸くなって伏せた。
「ミスったって、何をだよ」
「いやぁ、些細なもんですよ。こっちの道っていうか、経路と何があるのかっていうのを知っていてついてきたってお伝えしただけなんで」
「なんでそれを最初から言わねぇんだよ。そりゃあ少しは苛つくだろ。それに、そっちの方は……」
煌河がヴィンセントの心情を理解しているらしく、先程のヴィンセント同様に小さく舌打ちを零した。
そう、今はとにかく急がねばならないのだ。どこかに消えてしまった静達を見つけなければならないのもそうだが、別で動いている伊織が目から血を流すほどの無茶をしたのだ。あの伊織が、だ。
ヴィンセントは無意識にまた強く握っていた拳を大きく息を吐きながら緩め、顔を覆う手を下ろした。
「伊織の側には兄上がいる。だから、馬鹿みたいな無茶はせんはずだ」
「なぁ、その伊織様はどんな無茶をしたんだよ」
「目から血を流した。見すぎたらしい」
「目から血って……。そりゃあやべぇ奴、だよな?」
「なんとも言えん。なにぶん初めて起きたことだからな」
それに、とヴィンセントは黙って思考を続ける。
一体何を見てそうなったのかは不明だ。ロビンからの報告では、痛みを伴い、目から流血した、というそれだけだ。だが、つまり言えばそれだけなのだ。正直なことを考えれば、静よりもずいぶんとましだと今になって思えるほどには多少落ち着けていた。
伊織はまだ静のように痛みには慣れていない。それに普段からも見えていながら沈黙し続け、動かずにいることが出来るくらいに己の力量を正しく判断しているとヴィンセントは見ている。だから、きっと、大丈夫だと思えば思うほどに、側にいなくても問題ないという正当な理由付けに腹立たしくなってきていた。
不甲斐ない。何が大神官か。一体何のために、我らが神の前で血の誓いまでしたのか。
ヴィンセントはまた苛立ちそうになり、もう一度長く大きく息を吐きだし、視線を上へと無理やりに上げ、ヴィートへと琥珀の瞳を向けた。
「睨まないでくださいよ」
「気のせいだ。それで、どうして知っているんだ。まさか隠すつもりじゃないんだろう?」
「当然です。船に乗る前に言わなかったことに対しては、この通り謝罪いたします」
「謝罪は後にしろ」
謝罪をしようとするヴィートを手で制し、ヴィンセントは続きを促した。
ヴィートは手すりから体を離し、ヴィンセント達を一度見渡してから口を開いた。
「ほら、俺って元は奴隷だったじゃないですか」
「にしては素直に話すぎだと思うがな。良いのか、こいつらの前で話をして」
「問題ないでしょう? 元なので」
話が早いことは良いことだが、それにしたっていきなりが過ぎる。ヴィンセントは思わず額を抑えた。
「それに、これから向かうであろう場所のことを話すにはどうしても話す必要があったんで」
「……まるで、行き先が分かっているかのような言い方だな」
「いやぁ。王都の中だったら話は別だったんですけど、外でこっちとなったらあそこしかないんで」
人知れずに賭けをしていたらしいヴィートの言いぐさに、ヴィンセントは顔を上げて睨むように見やる。ヴヴィートは大袈裟に肩をすくませ、笑みをゆるりと深めた。
「奴隷市場ですよ。それで俺はそこの生まれでして。いやぁ、まさかあそこに里帰りすることになるとは思いませんでした」
けらけらとヴィートは笑う。強がっているようには見えず、当然ながら愉快な話でもない。ただひたすらに困ったような眉を顰めるだけだった。
「なんでそんな顔するんですか」
「……察しろ」
「そんな無茶な」
先ほどまでの笑みが、一気に歪み、ルイスがよく見せるしかめっ面へと変わる。これを見て本当に親子なのだなとヴィンセントは何げなく再認識した。
そんな二人のやり取りの間に入るように、煌河がわざとらしく大きく息を吐きだした。
「あえて言うが、だからって対応は変えねぇからな?」
「ええ、はい。むしろそうしていただければ」
「そんで、だ。お前、何を考えてるんだ?」
「何を、とは?」
「とぼけんな。どういう経緯か知らねぇが、お前はこの国の大陸の奴らが恐れる門番の一族の一人な上に、あの場で堂々と俺達と渡り合うほどに肝が据わっている奴だ。何も考えていないはずはねぇだろう?」
煌河からの探るどころか直球すぎる問いに、ヴィートは無邪気な子供のような笑みを浮かべた。
「いやぁ、実はですね。昨夜ちょいと、ノーマンに協力してもらって前の主人見つけて挨拶しまして」
「おい、何してんだよ。前の主人って、よく会おうと思ったな」
「他は知りませんけど、俺の扱いとか平民と変わらないくらいで、殴りもしないし怒鳴りもしない良いお人だったんですよ。そんで会ったら、泣いて謝られるわ。親善大使でこっちに来ているって言ったら泣いて喜ばれるわで。本当、俺の元主人、良いお人。こっちの市場に来たら何かしら融通する予定です」
いつの間にそんなことをしていたのか、とヴィンセントはつい空を仰いだ。ちょうど上空にいる純白のドラゴン、キファラに乗るギークがヴィンセント達を見下ろしていた。
視線が重なった気がして、軽くてをあげてやれば、ギークも手をあげて応えた。
その間にもヴィートの話は続く。
「で、聞いたんですね、いろいろと。一応言っておくと、元主人はもう奴隷なんてものとは一切関わってはいませんが、商人なんでいろいろと話が入るんですよ」
「どの国に言っても、やっぱり商人ってのは耳が早いな。それで?」
「やはり奴隷という存在はいる、とのことです。それで奴隷市場は今も変わらずに使われている、と」
「……フェルドの目をかいくぐっている、ってわけか」
「やり方は知りませんが、今その管轄はベルナルト殿下が取り仕切っているとのことですよ」
表向きには奴隷はいない。だがそれでも隠れたところでは違う形、名称で存在しているということだろうかとヴィンセントは静かに推察する。その目の前で煌河が分かりやすく苛立ちを表に見せた。
「あいつ、フェルドを堂々と裏切りやがって」
「そのあたりは俺自身、よくは知りませんがずいぶんと因縁があるようですね?」
「何も聞いてねぇのか?」
「触りぐらいは聞いていますよ。それに、俺の息子を同胞呼ばわりしやがるんですから、それなりに父親としては思う所はやっぱりあるんでね?」
「おお、怖い怖い」
「まぁ、俺が何かする前にあいつはあいつで何かやるつもりでいたっぽいんで、ノーマンの他の奴らも喜んで手伝ってくれましたよ」
ルイスを執拗に同胞と呼ぶ頭の硬いベルナルトには、ヴィンセントもまた思うところがあった。
確かに血は半分流れているだろうが、ルイスはロトアロフで産まれ育ち、今回が初めての異国の血であるのだ。本人もまたロトアロフの人間であると認めている以上はそのように扱うべきである。
帰国前に何かしらルイスのことだから動くだろうとヴィンセントは予想していたが、ヴィートもまた裏で動いていたようだった。
「なんだ、煌河殿下」
「お前ら怖くね? いや、うちのシノビ達もそれなりだけどさ?」
「それなり、か」
何がそれなりなのかは気になるところだが、それは後で聞くことにしようとヴィンセントは結果を聞くことにした。
「ヴィート殿。あいつらが動いたということは、当然掴んだんだろう?」
「ええ、もちろん」
機嫌良く頷いたヴィートは、よく通る声で答えた。
「フェルド陛下がいなかったら、次の王は確実にベルナルト殿下だったそうです。それなりに信頼はありますが、可もなく不可もなく。王族にしては平凡らしいです。ただ、血だけは一番濃いらしいんですけど」
「それはまた面倒なことだな。で?」
「本人的には争い事がとても苦手らしい、とのことです。たぶん、そっち方面は向いていないからなんでしょうが」
憶測でしかない事をヴィートは堂々と語るが、ヴィンセントは思わず頷きかける。
それほど関わってはいないが、ずいぶんと真っ直ぐで、少々頑固であるような印象が強かった。互いの立場が異なれば、ヴィンセントは是非とも話をしてみたい相手であった。
残念なことだとヴィンセントは思いながら、また視線で続きを促し、ヴィートは頷いた。
「そして、奴隷廃止を最後まで抵抗した側の御子であったらしいです」
「それなら余計に奴隷市場等々の管轄に据えるなんて悪手にも程があるように思えるんだが」
「そう思うでしょう? だから、らしいですよ。ほら、奴隷商人達をよく知っているからとかどうとかで」
「にしたってな」
「確かに甘い所はあるらしいですけど。ああも分かりやすくナターシャ姫を人質に取っているくらいには肝が座っているお方ですし、一応はそれなりに考えてはいたかもしれませんよ?」
ヴィンセントは思わず、僅かにだが目を見開いた。フェルドやナターシャの様子からは、一切そのようには見えなかったからだ。
しかし共に聞いている煌河と風宇は平然としている様子を前に、事実であることを物語っていた。
「……それ以上は聞かないでおこう。異国の面倒事にこれ以上首を突っ込んではいられん」
「今更かもしれませんけどね」
「それでもだ。それに兄上ならともかく、我らは神に仕えている立場だ。国の政になんぞ関われん」
ここは異国。であるからに、ロトアロフでの話を持ち出すことはあまり良いものではないが、異国であっても立場は何一つ変わることはない。
ヴィンセントはもっともらしい言い訳を口にし、話を切り上げた。
「もはやベルナルト殿下は我々にとって敵であることに変わりありません。フェルド陛下がそれを見抜けなかった点については、正直だろうなとしか思えませんがね。あの方、少し詰めが甘いんですよ」
「そうなんだよなぁ。そんでナユカに怒られて拗ねるんだよ。そうなったら本当に面倒でさ」
つまりは周囲が優秀ということか、とヴィンセントは呆れる風宇と煌河の話を聞いてヴィンセントは納得することにした。
「……まぁ、あれか。おそらくはナユカ殿と、ルイスがいるから問題はない、はずだな」
どうしてか、静の姿が思い浮かびかけ、ヴィンセントは軽く首を横に振る。そして思考を切り替え、控えているノーマンへと振り向いた。




