08 かくれんぼ
明かりが一つもない、漆黒が満ちている空間は思ったよりも広い場所だった。
五段くらいの階段を降り、その先に描かれている丸い陣を伊織は見つめた。
「これが、召喚の?」
ウーロがシャー、と返答してきた。
「そっか」
伊織はぴたり、と足を止め、大きくなったウーロを見る。
最初、出会った時よりは小さく、伊織が見上げなくても良いくらいの大きさになってくれているウーロ。赤い瞳がとても綺麗で、苺の飴玉みたいだと思ってしまった。
「ウーロって、蛇じゃないよね?」
ウーロは反応をしない。そうだろうなと、伊織は分かっていた。
いつも伊織が見えているウーロの姿は、泥に塗れた蛇に近い何かだった。
そして今、見えているものはずいぶんとすっきりとしていて、ごちゃごちゃとしていた。
「いろいろと混ざっているんだね」
それは蛇であった。しかし体の一部は蛇には無い毛並みがあったり、歪な獣の足や爪が体からはみ出していた。後、羽もちらほらと見える。
まるで無理やりに蛇の姿へと押し込んだようにさえ見え、玩具箱みたいだと伊織は思った。
ウーロは伊織達と同じく、異世界から来た何か。だから、この世界にとっては異物で、排除されても仕方のない存在。
そして事実、ウーロは拒絶された。けどもどうにかして生きようとして、たくさん食べてきた。命も、魔力も、呪術も。痛かったはずなのに。
本当のウーロの姿のままでは難しかったのだろう。だから蛇の姿になって、全てを押し込んで、暗闇にいたのだ。
伊織達の目の前にいるそれと、同じように。
「助けようね」
また、シャーとウーロが応えた。
伊織達の目の前にいるそれは、近づくたびに奥ヘ奥ヘと下がっていく。その度に、ねちょり、とした黒い何かが溢れ、床に描かれた陣を壊していく。
この陣は壊れて良いものだ。だからついでにウーロなんかは進みながら、尾を床に強く叩きつけて割っている。少し楽しそうにも見えるが、ウーロの周囲が赤くなっているから怒ってはいるようだ。
「食べちゃったんだ。けど、仕方がないもんね。痛いもんね」
大きくなって、広がって。また小さくなろうとして苦しそうに大きく藻掻いている。
その周囲に、歪な魂達が漂っている。それらは宥めるように指が少ない手を差し出したり、小さな足先が傍らに見えている。
食べられてしまったのか、それともこの足元の陣に使われてしまったのか。
よくよくと歪な魂達の中には拳を握って振り下ろし、他は強く掴んで離そうとしない手がいくつもあった。
それを見て両方なのだと伊織は理解した。
「あのね? 聞いてほしいんだけど」
さらに一歩、伊織は声を向けながら近づく。と、それが大きくなって伊織へと覆いかぶさろうとした。
すかさずにウーロがさらに大きくなり、体全体を使い、それを縛り上げる。
大丈夫だとは分かっていたとしても、伊織は大きく肩を跳ね、後ろに後ずさってしまった。声を出さないだけ良かった、と伊織はそう思った。
落ち着こうと、伊織は大きく深呼吸をして、ふと、足に何かが触れたことに気づいた。
見下ろせば、いくつもの手が伊織の足を掴んでいた。そのどれもが、前へと進もうとする伊織を止めようとしているようだった。
「大丈夫、ウーロ。そのまま抑えていてね」
それを縛り上げながら、頭を伊織へと向けるウーロに伊織は声をかけ、そこに立ち止まったまま話しかけた。
「聞いて。私達、貴方を助けたいの」
伊織は数度、細かく瞬きをする。
少しだけ目の奥から痛みを感じ始めた。けども、そのぐらいだからと伊織は慣れない痛みを誤魔化すように強く手を握りしめた。
「今からね、ウーロが頑張って良くないのを食べてくれるから。それと」
伊織はポケットからお守り、として持っていた素焼きの小さなハニワを取り出した。
ゴズが無茶ばかりする静の為に作ってくれた、力をこめた人形だ。これがあれば力が回復するらしいが、どうやって使うのかはさっぱり分からない。
念の為にと伊織の他にも、何人かで分けて持つことになったが、まさかこうして使うことになるとは思わなかった。
「これね、たぶん浄化の力が込められているの。だからきっと、綺麗になるよ」
ユフィアータの力は剣と盾、それと浄化。雪が全てを覆い隠して綺麗にしてくれるように、黒いそれは消えてなくなる。
そんな力が込められたハニワだ。だからきっと、少しでも苦しみから解放させられると伊織は確信をしていた。
「じっとしていてね」
伊織はそれ以上進まず、その場に両膝をつき、小さなハニワの人形を包み込むようにして両手を胸の前で握りしめた。
伊織が知るやり方は、これしかない。
ただ祈ること。神に、そして目の前のそれに。
どうか、どうか。
「どうか、見せて。本当の姿を」
ウーロが大きく口を開き、黒いそれに噛みついた。
藻掻き苦しみだすが、ウーロの巨体な体に強く締め付けられているせいで逃げることは不可能だった。
歪な手や、足がそれらの周囲に集まっていく。
その最中、両手で包み込むように握りしめていたハニワが熱を持ち始めたことに気付いた。
「……うん!」
伊織は一つ、気合を入れるように頷いて立ち上がり、右手に持つ。そして大きく振りかぶり、勢いよく投げた。
素焼きの小さなハニワは想像していたよりもずっと綺麗な弧を描き、暴れるそれにぶつかった。かと思うと、一気に視界が白に塗りつぶされた。
伊織は反射的に目を閉じかけたが、それよりも吹き飛んだ黒の中から見えた姿を前に、逆に黄金の瞳を丸くさせた。
「わ! かっこいい!」
とても目が痛くなったが、それでもちゃんと見えたことに伊織はようやく満面の笑顔を浮かべた。
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壁に手をつき、転ばないように慎重に足を進めながらようやく入ってきた隠し扉までたどり着いた伊織は外で待っていた面々を見て、ぱっと笑顔を輝かせた。
「ただいま!」
誰もが、伊織の姿を見て目を丸くし、そして一瞬の静けさが訪れた。かと思えばそれをユリアーナとランスロットが打ち破った。
「伊織!」
「伊織様、よくご無事で。しかし、ウーロは」
「中にいるよ。あ、でね? 虫平気で、力持ちな人に手伝ってほしくって」
勢いあまったように抱き着いてくるユリアーナの力強い腕に苦しさを覚えながら、伊織はランスロットを見上げ言う。
ぼやける視界の中、ランスロットが顔を大きくしかめたのが見えた。
「おっしゃられている理由が……」
「あのね? ここで異世界のたぶん、神様に近い存在を召喚しちゃったみたいでね。その子、おっきな百足なの。それで、今は動けないから運んでほしくって」
伊織に抱き着いていたユリアーナは、ばっと離れ、すでに一歩だけ中に入ろうとしていた。
「私が運ぶわ。ええ、大丈夫。身体強化の魔術を使えば問題ないから」
「おっきいよ? もう一人いると思う。引きずっちゃうし」
「誰か早く来なさい。伊織、少し良く分からないのだけど、大きな百足がいるのよね?」
「そう。でね? 違う世界から無理やり連れてこられた子だから、私達と一緒で毒にやられちゃっていて動けないの」
「そうなの。一先ず後からゆっくり聞かせて」
もうすでに体の半分が中に入っていたユリアーナは、中を覗き込み、片手に眩しい光を灯した。
その大きな百足の姿が見られる、と思ったのだろうユリアーナはその先を目にし、ひゅっと口角を下げた。
「……大きくなったわね?」
「うん。あ、ウーロ。その子、運ぶからね。後、頑張ってちっちゃくなって」
そこには出会った時と同じぐらいに大きくなったウーロの姿があった。ウーロは大きく頭を傾げ、のそりと大きく長い体を動かすと、ずず、と体を少しずつ小さくさせた。
そして、その下にいたらしいツヤツヤとした黒く大きな百足の姿がようやく見えた。
大きさから見て、大人が二人抱えて運べるくらいだ。
後ろから覗き込んでいたジル達が、そっと後ろに下がる中、ユリアーナは黄色い声を上げた。
「本当に百足だわ……! ああ、今まではレンズ越しだったというのに、そんなものが無くても体の構造を見られるだなんて……!」
頬は薄く赤に染まり、歓喜の声を上げ、何とも軽い足取りで早速中へと入って行った。少し遅れて隼偉がのそのそと続き、他の騎士達もぞろぞろと続いた。
あの百足の他に、元の小ささに戻れずに同じぐらいの大きさになったウーロもついでに運んでくれるだろう。
そう思った伊織は、改めてランスロットを見上げた。
「それでね、ランスロット」
「はい、何でしょうか」
「お目々、すっごく痛いから力使うの止めて良いと思う?」
「是非、今すぐにお止めください」
言うや否や、ランスロットは有無を言わせずに伊織を抱き上げてきた。伊織はそれに甘えたまま、瞼を閉じ、一呼吸のうちに力を解く。
途端、どこに潜んでいたのか。焼かれるような痛みが両目に襲ってきた。
「いたーい……!」
「また血が……! 急ぎ戻りますよ!」
「けど……、ナターシャ……」
「ご心配無く。今、副隊長達の指示のもと、他の者達が捜索しておりますから。さすがにこれ以上はご負担を強いるわけにはいきません」
体が僅かに揺れるを感じ、そのままランスロットが進み始めたのを伊織は感じた。
伊織は血に濡れるのを構わず、痛みに耐えるように瞼を両手で抑えながら、それでも、と口を開こうとする。
だが、それよりも先に近くからジュナの声が聞こえてきた。
「そうよ、早く戻らないと! ヘルガに薬、用意してもらうから!」
焦ったようなジュナの声に、伊織は素直に頷くしかなかった。
それにこの目だ。今、探そうにも探すことが出来ない。
悔しくて、しかし心のどこかでは充実したものを感じていた。
救えたのだ、結果的に。
本来の目的とは大きく違っていたが、それでも異世界から勝手に召喚されたものを救ったことには変わりなかった。
そして次こそは、と伊織は痛みに耐えながらも決意する。
次こそ、ちゃんとナターシャを探さないといけない。その為にすぐにでも瞼を開けて、見なければ。
「伊織様。何を考えているのかは分かりませんが、ヴィンセント達が戻ってくるまでは安静にお願いいたします」
「え……、でも」
「でも、ではありませんよ。それに静様だって心配なさるでしょう?」
伊織は耳に入り込むランスロットの言葉にぐっと口を閉じた。
静の名前を出すのはずるい。
確かに静自身は無茶ばかりするが、レイメイ以外に対しては無茶を一切押し付けようとはしなかった。むしろ嫌がる。場合によっては無自覚なのかもしれないが、ほんの少しだけ機嫌が悪くなる。
そんな静は見たくないし、面倒なことになるのは間違いない。
きっと、余計に無茶なことをするはずだ。
そう考えたら大人しくしておいた方が一番良いという考えになるのは当然だった。
「大人しく待ってる」
「ありがとうございます」
聞き分けの良く頷けば、安心したような声色でランスロットから感謝を告げられた。
一体どんな顔をしているのかと伊織は、少し試しにと瞼を僅かに上げる。と眩しすぎる光が視界に飛び込んできて、慌てて瞼を強く閉じた。
「伊織様?」
「だいじょうぶ」
「では、ありませんね」
上からランスロットが周囲にあれこれと指示を飛ばし始め、一気に騒がしい音が耳に届き始めた。
伊織は周囲の騒がしい音に耳を傾けながら、国にいるはずのリディアータのことを思った。
きっと、こうなってしまうと分かっていたらリディアータは伊織に力を隠していたのだろう。それがこうして力を使ってしまったのだから、リディアータは悲しんでいるんじゃないか、と想像してしまった。
この後、リディアータの為だけにたくさん祈ろうと決めた。
確かにこんな痛い目にあっているが、この力のおかげで役立てたのは間違いないのだ。だからたくさんのありがとうを届けるつもりだ。
痛みがようやく和らぐ中、意識が変わりに遠のき始めた。伊織はそれを拒む理由もなく受け入れる。
次、目覚めるとき、ヴィンセントと静は戻ってきているだろうか。ちょっと難しいだろうか。けど、いたらな良いな、なんて。
伊織はそんなことが起きない、ささやかな願いを小さく抱き、意識を手放した。




