07 地下の奥
ランスロット達のおかげで、外に漏れ出していた黒い陣やら文字はずいぶんと消え去っていた。
とは言え、あくまでも外。中に入った伊織は思わず、普通の視力でしかない右目を片手で覆った。
「わあ、真っ暗!」
真実を見ることが出来るようになった左目が映すのは、ただの暗闇だった。いや、よく見れば真っ黒い煙の中だった。きっと今までであれば黒い靄としてこの両目には映っていたものだ。もしくは泥。
むしろよく見ようとしなくても良かったのではないかと伊織は思いながら、ランスロットの袖を引いた。
「どうされましたか、伊織様」
「奥に行っても良い?」
「駄目ですよ。敵は全て捕縛はしていますが、まだ力が有り余っている者達がおりますし、魔術を使われては伊織様は動けないでしょう?」
「見えるよ」
「あまり早くは動けないでしょう?」
右目で見るランスロットはヴィンセントとそっくりの顔をしながら、絶対にヴィンセントが見せないような微笑みで聞いてくる。妙に圧のある微笑みと言い方に、伊織はきゅっと口を閉じる。
ヴィンセントだったら迷惑そうに顔をしかめて、聞かずに言い切るはずだ。伊織はどうしてか、ヴィンセントのその反応が見たくなってしまった。
「ねぇ、ちょっと、大丈夫なの?」
『うぅ……、ここ、とっても臭いのよ。本当に嫌な匂い』
伊織の手を握って離さないユリアーナは、何度も頭を大きく上下させているヨカゼに声をかける。本当に嫌そうに唸り声をあげ、きゅうきゅうとまで悲痛そうな鳴き声まで発した。
それほどまでになるというのに、ヨカゼはもちろん、同じ状態の白露は戻ろうというはしなかった。心強いが、それ以上に心配になってしまうくらいだった。
「地下に囚われた者達が多くおります。それと、呪術の残骸となってしまったものがいくつか。呪術が伊織様の目には黒く見えるというのは把握しておりましたが、まだ晴れていないどころか匂いまでも消えないとは……」
ランスロット達が中に入った時に、ついでにいろいろと呪術を壊したらしい。おかげで外に漏れ出ていた黒はずいぶんと減ったが、それ以上にここは濃い黒に満ちていた。
ということは、この中にまだ呪術があるということだ。しかも、おそらくとても強力な。
こんな時に静がいれば、と伊織はつい弱気になってしまいそうだった。
「おっと、なんだ? ああ、伊織様のところに行きてぇのか」
胸の奥がきゅっと縮こまってしまいそうになった時、ロビンの独り言にしては大きな声が聞こえた。かと思えば、ロビンは伊織の前に来て、ウーロがいる籠を差し出した。
「やっぱりウーロは伊織様と一緒が良いみたいですよ」
「持っててくれてありがと、ロビン」
「いえいえ」
伊織は籠を片腕で抱くようにロビンから受け取る。そして籠の中で大人しくとぐろを巻いていたウーロはずいぶんと早い動きで頭をかごの外へと出す。籠の外にでも出たいのだろうかと思っていると、その鼻先はぐっと下へと垂らすように下へと向けた。
「……下?」
そこに、何かがあるのか、と伊織は問うように呟く。蛇であるウーロは鳴き声というもので答えることは出来ない。その代わりすらりとした尾を器用に上げて大きく揺らした。
「下に行かなきゃ」
伊織は誰に言うでもない言葉を零し、周囲にいた者達はそろって無言で頷いた。
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地下には上でランスロットが言った通り、ずいぶんと大きな牢屋があった。中には薄汚れ、とても怯えた様子の人達が集まり、伊織達を見ている。
当然ながら牢の鍵は開けられており、出入りは自由となっている。だが、誰も外に出ようとはしない様子に、騎士達は頭を抱えていた。
左目で怯えている様子をよく見ようと伊織は目を細める。つきり、と左目の奥が痛み、すぐに伊織は瞼を下ろして見ることを止めた。伊織は痛みをどうにか誤魔化そうと、足取りがおぼつかない二頭の狼達へ右目を向けた。
「ヨカゼも白露も。上にいて良いんだよ?」
『いやよ』
『我は行ける』
即座にヨカゼと白露から言葉が返ってきたが、二頭は揃って頭を大きく振ったりして、不愉快な匂いをどうにか誤魔化そうとしている。
真っ暗に見えてしまっているせいで、二頭の様子がはっきりと見えないが、きっと二頭の瞬きは鈍くなっていて刺々しいものになっているはずだ。
「どうした? ガキンチョ共。ってか、ライリーも一緒になって」
どうやって見ることが出来るだろうか、と伊織が考えている間にロビンのそんな声が耳に入り込んできた。
見れば、ジル達が集まって壁の前に集まり、何かを見ていた。
地下の壁は石か、レンガか。それを積んだ壁で、ずいぶんとでこぼこしていた。うっかり転んだら大怪我してしまいそうだと思うほど。
そうしていると、中心にいたジルがひっこんだ場所に触れたかと思うと、子供達が続いて同じ場所に触れる。ジュナと、隼偉もだ。最後にロビンも身を屈めて触れ、手元に小さな明かりを灯して覗き込んだ。
「伊織様、こちらに鍵穴があります」
「え、鍵穴?」
「はい」
ユリアーナの手を引いたまま、伊織はその壁まで駆け寄る。
ロビンが照らしてくれたそこには、本当に小さいが、何の変哲もない鍵穴が一つだけあった。ただ、壁に隠されていたという点だけはおかしなことではあったけども。
ライリー、鍵開ける?
伊織様お願いします!
え、良いの? やった!
鍵穴の大きさからして、ライリーが敵からうっかり抜き取った鍵にぴったり合いそうだった。
せっかくだからとライリーに開けてもらおうとしたが全力で首を横に振られ、押し付けるようにライリーが伊織に鍵を渡してきた。
伊織はユリアーナから手を離して受け取り、つい、大きく首を傾げた。
こんなにもわくわくするような展開だというのに、なんてもったいないことをするのかよく分からなかった。
「じゃ、開けるね」
「伊織様、何普通に開けようとしているんですか」
「待って伊織、一度確認を」
ロビンとユリアーナの言葉を聞き流し、伊織は躊躇なく小さな鍵を差し込んで回した。
小さくかちゃり、と動いた音が聞こえたがそれだけだった。
「あれ?」
伊織はううん、と首を傾げる中、左の視界の端っこに何かの光が見えた。
なんだろうかと伊織はそちらを見る。と、壁の一部のレンガが大きく飛び出していたことに気付いた。
「ねぇ、ロビン。あれ何かな」
「……あー……、ちょいと下がっていてくださいね。ほら、お前達も」
ロビンは何かを察したようで、すぐに伊織達を下がらせる。そして全員がちゃんと下がったことを確認した後、飛び出たレンガを掴み、大きく前へと踏み込み——、壁が動いた。
「なるほど、隠し扉か」
様子をうかがっていたランスロットが呟く。
壁と一体になっていたその扉は、人が二人ほど並んで入れそうなほどの大きさだった。
歪な四角に切り取られたその空間は光すら飲み込むほどの漆黒に満ちており、湿った黴臭い匂いが漂ってきた。
「伊織にはどう見えるの? ……伊織?」
ユリアーナが伊織に問う。伊織は輝く黄金の瞳の漆黒からそらさず、無機質に答えた。
「動いてる」
「動いているって」
「入っちゃ駄目。絶対に」
そして伊織は、籠の中にいるウーロへと視線を向けた。ウーロは真っすぐに伊織を見上げ、ちろり、と小さな舌をのぞかせた。
「うん、そうなんだね。ウーロ」
伊織が頷き、籠を下ろせば、ウーロが外へと這いずり出た。そして足にすり寄ってきたヨカゼへと視線を向けた。
『ねぇ、伊織。あれ』
「ヨカゼ、目、返してね」
『え、ちょっと!』
ちょうど良く近づいてくれたヨカゼの目に触れ、伊織は瞬きの間に目の力を返してもらう。
痛みやらもなく、呼吸するかのように行った伊織に、ヨカゼが文句を言おうと牙を剥いてくるが伊織は気にせずに漆黒の前に立った。
爛々と強く輝く黄金の量の瞳は黒を見つめる。
伊織の視界は黒しか見えない。しかし、両が揃ったことでようやくその輪郭を捕らえた。
行かなければならなかった。
「皆はここで待っててね! 大丈夫、ウーロと一緒だから!」
「伊織様!」
そのまま伊織が中へと踏み込もうとする前に、ランスロットが伊織の手首を掴んだ。が、黒い影のせいでその手はすぐに離された。
「駄目だよ、ウーロ。噛みついたら」
その黒い影、伊織に巻き付くように大きな姿へと変わったウーロが牙をランスロットへと向けた。優しい手つきでウーロを落ち着かせるように頭を撫で、迷いなく、ランスロットを見やった。
「私、駄目って言ったよ。ね? ランスロット」
はっきりと、ランスロットの緊張した表情が見えた。真っすぐに見つめられたランスロットは、琥珀の瞳を丸くし、わずかに口元を引きつらせた。
「見えて、いるのですか?」
「うん。やっぱり片方だけだと暗かったけど、今ならちゃんと見えるよ」
ランスロットの周囲が変化している。暗い青が波打つように揺れていて、見ていて面白いなと伊織は素直にそう思えた。
そして何故、そんなに怯えているのかが理解出来なかった。
「はっきりあれ、見えるよ。それでね、あれは駄目なやつ」
「駄目なやつ、とは」
「分かんない。けど、駄目なやつ」
伊織はそう言って、再度また漆黒を見つめた。
正しくは、その先に蠢くものだ。
うねり、小さくなり、広がる。まるで藻掻くように蠢く黒い輪郭は、この世界のものとは明らかに異なるものだと理解出来た。
正体は全くもって分からない。だが、この目になってからか、まるで囁いてくるように目が教えてくれた。
「ウーロ、大丈夫?」
大丈夫だと応えるように、尾を伊織の足に絡める。
伊織はもう一度、ウーロの頭を撫でた。
「それじゃあ、行ってくるね!」
伊織は振り返らず、そのまま中へと足を踏み入れた。
そしてふと、静の姿が頭の中に浮かんだ。
静もきっと、こうするだろうな、と。
だって伊織はその力を持っているのだから。そして静のように戦えずとも、代わりにウーロが側にいて戦ってくれるのだから問題は何もなかった。
それに、ポケットの中にはお守りがある。これがあるだけでもずいぶんと伊織は落ち着くことが出来た。
ただ、と伊織はヴィンセントの姿を浮かべる。
ヴィンセントがいたら、きっともっと心強いだろうな、だなんて。
きっと叱ってくるのは間違いないし、褒めてもくれないかもしれない。けど、最後はきっと、仕方がなさそうに笑ってくれるはずだ。
そうだと良いな、と伊織は無意識に笑みを深め、さらに奥へと進んだ。




