01 行方知らず
王宮は混乱に満ちていた。
突如としてメシュラルドの騎士達が剣を抜き、目につく全てを破壊尽くさんと剣を振るい始めたのだ。そして、それは王宮だけに留まらず、神殿も同様であり、祈りの為に訪れていた信徒へ剣を向けたのである。
彼らは無言である。ただ、破壊を是としているようであった。
混乱は市井まで広がる。逃げる女子供達。盾になろうとした男達が次から次へと倒れてゆく。
その中で、誰かが言った。
凍土からやってきた銀の聖女は破壊の使者である。故に、彼らは狂わされたのだと。
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ヴィンセントはさて、どうすべきかと思考を巡らしながら、横に立つランスロットを横目で見やる。
ランスロットは琥珀の瞳を細め、底冷えのする微笑みを浮かべていた。
「どういう意味かな?」
「言った通りだ」
それに向かい合うのはベルナルトだ。ベルナルトはより鋭い眼光を無遠慮にランスロットに向け、言い放った。
「お前達が、我が国を貶めようとしたのだろう?」
外はまだ喧騒が轟く。暴君となっていないメシュラルドの騎士達と共に、各国の騎士達がそれぞれ相対しているからだ。
さらにはドラゴンの咆哮が轟き、その度に王宮は僅かに揺れた。
その中、ベルナルトはさも敵と相対したかのようにランスロットを見やり、腰に履く剣に触れる。背後には震えるナターシャと、見知らぬ神官。
国賓である王族達が集められた謁見の間だ。玉座に王がいないこの部屋へ守る為にと集められた途端、こんな茶番劇が突如として始まったのだ。
周囲はただ、この茶番劇に対して口を閉ざし、様子を見ている。あくまでも中立である、ということなのだろう。
それでも何かを言いたげなのは葦原国の黒銀の狼、白露であった。身を低くし、警戒を向けている。その鼻先はベルナルトへと向けていた。
理由は簡単だった。この場にヨカゼがいないのだ。ナターシャへ襲い掛かった獣だとして追い出された。そのせいで白露は余計に機嫌が悪そうにヴィンセントには見えた。
「理由が分からないのだけど? それによって僕達に何の利益となるのかな」
「そんなもの知らん。ただ、我が国の王達が消え去り、騎士達が暴徒と化した。これ以上に何がある」
「それを言うなら、我らが銀の聖女と騎士も消えたわけなんだけど」
「連れて行った、の間違いでは? そうだろう、ナターシャ」
ナターシャは顔をしかめ、劈くような声で叫んだ。
「そうよ! いきなりいなくなったんだから!」
連れて行ったとも、連れていかれたともいわず、ナターシャは消えたと言う。
ヴィンセントは後方にいる伊織に目をやると、伊織は両手を握りしめながら不愉快げに大きく顔をしかめた。
嘘とも真ともとれるような言い方だ。伊織の目には何も映らないのだろう。
ヴィンセントは数歩下がり、伊織の隣に並ぶ。
伊織。通じたか。
ううん。出ない。
ベルナルトにはロトアロフの言葉が通じる。だから聞こえないように小声で伊織と言葉を交わした。
祈るように両手を握りしめる手の中には、台に硝子の球体が乗ったような置物にも見える魔具。通信機である。
魔力のない伊織達専用の通信機は一見すればただの置物にしか見えない。おかげで堂々と使えるわけだ。通じればすぐにでもこの場を整えられるが、どうやらそれも難しいらしい。
ヴィンセントは俯く伊織の肩に、軽く手を添えた。
「失礼しまーす。うっわ、なんですかぁ、この空気」
空気が張り詰める中、突如としてそれを破るように扉を開けて入ってきたのは偵察から戻ってきたロビンだった。
周囲を見渡し、わざとらしくゆったりと大きな足取りで入ってきたロビンは、ランスロットへと迷いなく歩み寄った。ランスロットはわざとこの空気を壊したロビンに、困ったように笑いかけた。
「外は?」
「最悪ですね。後、なんか知らないんですけど、全て静様のせいにされています」
「うん?」
ランスロットの笑顔がすぐにぴしり、と動かなくなった。
ロビンは即座に視線を逸らすが、報告の為にと姿勢を正して向き直った。
「破壊の使者だそうですよ。我らが銀の聖女は」
極寒の冬が訪れたように、一気に空気が冷え固まった。しかしその中で、思わずヴィンセントは大きく噴き出した。
「くはっ……! あいつがか!」
「笑う所じゃないと思うんですけどね」
「ルイスが壊すのというなら話は分かるがな!」
「らしいですねー。本当、意味分からないんですけど」
大きく肩を上下させるヴィンセントは、どうにか呼吸を整えながら呆れるロビンへと見やる。ロビンは天井を仰ぎ見て、大きく息を吐きだした。
「通信機は何故か使えないしで、本当どこにいるのかさっぱり。だから伊織様に聞いてみようかと思ったんですけど、そういう感じじゃないみたいですね?」
「そうだな。これではどこにいるのか分からん」
一見すればブローチのように見える魔具。銀の魔鉱石で作られた通信機は、ロビンの胸元に輝いている。もちろんそれは、ヴィンセントとランスロットも服の下に隠し持っている。当然ながらルイスも同じく。
異国だからと使えないわけではないだろうと思ったが、案外そうではないのか。それとも壊れてしまったのか。
なんにせよ、この状況をどうやって打開するか。と思えば、伊織の肩に添えたままの手に、小さな手が重なった。
「方向だけしか分からないよ?」
「もう話すのか」
「だって、こっちの方が早いでしょ?」
すぐに離れてしまった伊織の手に、ヴィンセントは無意識に視線で追いかける。まだまだ子供のような、温かな手だった。
こんな時だというのに、はっきりとヴィンセントは離れたことに惜しみつつ、伊織との会話をメシュラルドの言葉で続けた。
「スズカがいるから後を追えば良いだけなんだけど……」
「そうだった。その為にいるんだったな」
スズカと名付けられた鷹。導く力を持つ真咲が呼び出した鷹だ。どこかへ行くかもしれない静のためにと呼び出しされた。
スズカは伊織の側に寄り添う銀の狼の背に乗り、伊織を見上げていた。今すぐにでも迎えると言わんばかりに翼を羽ばたかせる姿はなんとも力強かった。
しかし、とヴィンセントは腕を組み、わずかに顔を歪めた。
「今すぐに探すとしても、この状況だ。動こうにも動けないわけだが……伊織、あいつらをどう見る」
「真っ黒」
「そうかそうか。どこの奴が?」
「あの神官」
伊織が迷わずにナターシャの隣にいる神官を指し示した。
だから、ヴィンセントは迷わずに無詠唱で凍結の魔術を展開。神官の足元に氷を張り、そのまま鋭い棘の先を神官へと向けた。
が、その棘は綺麗に切り落とされた。
瞬時に、室内だというのに吹き渡った風の魔術によって防がれたのだ。
「ふはっ! ただの神官が止めたか!」
「ヴィンセント、悪役っぽい」
「良いな。それもまた」
ヴィンセントは己を善人とは欠片も思っていない。だが悪人とも思っていない。なんともつまらぬ人間であるという自認があった。
だからこそ、こうもはっきりと伊織から言われるとなかなかに面白いものだと思えてならなかった。
いつものように喉の奥を鳴らすように笑うヴィンセントに、ベルナルトは容赦なく鋭い視線を向けてきた。まさに、今にも殺さんと言わんばかりのものであった。
「ほぉ……。我が国の神官に、堂々と危害を加えようとするとは。ついに本性を現したようだな。それに先ほどから戯言ばかりだが、それで周囲を翻弄させようとでも? しかも、そちらの者は最初から騙していたようだ」
「騙していた、か。まぁ、これについては素直に謝ろう。とは言え、これは些細だろう?」
たかが言葉。されど言葉。
伊織も、そして静も。全ての言葉が理解出来てしまう。たったそれだけであれど、これは使い方によっては強大な力となるだろう。さらに言えば伊織は全てを見る力を持っている。これらを併せれば十二分に脅威にもなり得るものだった。
とはいえ、今はそんなことを考える時ではないとヴィンセントはさっさと思考を切り替え、ベルナルトへと食って掛かるような笑みを向けた。
「既視感があってな。この状況が」
「既視感か」
「ああ、そうだ」
それは、伊織達がロトアロフへと落ちてきた最初の年。後少しで二年は経つだろうかとヴィンセントは当時の出来事を思い出した。
「あの時は大神殿に賊が入り、それを城の騎士達が捕らえてな。状況は多少異なるが、なんとその騎士達は突如として賊を斬り捨て、そして自ら命を絶った。操られて、な。その結果、何故か静を貶める噂が流れたのだ」
まさしく、あの時とよく似ている状況であった。
「殺戮と、混乱を呼ぶ者であると」
だからこそ、対応は十二分に出来るというものであった。そのうえ、ここは異国である。そのような噂が流れたとて、何も影響は出ない。
しかし、あまりにもふざけた、こちらを舐めたようなやり方であったのは間違いなかった。
「全く持って芸がない。やるならば他の方法があるというのに、うまくことが進んだから似たことをしたのだろう? そしてこの後、今操られている奴らを自害させるのだろう? ん? どうなんだ?」
なんとつまらないやり方であろうか。もし、静がこの場にいたならば容赦なく言論で叩き潰すだろうと容易に想像が出来るほどだ。
何せ、静は売られた喧嘩は全て買う主義なのだ。こんな舐めた喧嘩を売って来たのだから、それ相応に買うのが筋という物。ヴィンセントもさて真似をしてみるかと、今度は氷の雨でも降らせてみようかと魔力を練り上げれば、視界に銀が入った。
「……なんだ。邪魔をしおって」
「まぁ、待てって。さすがにあれだ。見ている分には、ちょいとな?」
それは片刃の剣。いや、刀という物か。抜き身の刀がヴィンセントの視界に入り込んでいた。もちろん、斬る為ではなく止める為に煌河は刀を抜いたのだ。
ヴィンセントは背中に冷や汗が流れるのを感じながらも平然を装い、煌河へ文句を向ける。そして内心、強い舌打ちをこぼした。
反応が出来なかったのだ。身体能力を向上させる魔術を使った気配がなかったというだけでこれとは、何たる体たらくであろうか。これは鍛えねばなるまいと、ヴィンセントは確固たる意思で今決めた。
そんなヴィンセントの心情なんて知らないだろう煌河は、刀を鞘へと戻し、ベルナルトとヴィンセントを見比べてた。
「つまりロトアロフが言うには、これは二度目に近い状況であること。そんでメシュラルドが言うには、これはロトアロフ側の仕業であるということ。正直、俺にはどっちが正しいかは全く分からねぇ」
「見る目がないな、お前は」
「俺の代わりに天音がいるから問題ねぇよ。天音、どう見る」
煌河はそして容赦なく、見る目があるからと言わんばかりに天音に話を振る。天音は小さく肩を揺らしてすぐ、大きく頷いた。
「僕も、その神官殿が気になります。鈴乃は」
「私も同意見です」
天音に続いて鈴乃もはっきりと言い切る。煌河はそれに対し、満足げに笑みを深めた。
するとそれを皮切りに、沈黙を貫いていたギークが続けて口を開いた。
「横から口を出して悪いのだけど。あの気難しいキファラが自らの翼の下に休ませた相手だ。だから僕は、そのような人ではないと判断するよ。ミュゼ、ヘルガ。二人もそう思うだろう?」
「もちろん」
「当然だね。キファラだけじゃなく、ドラゴン達が静様が来たことで嬉しがっていたのは事実だ。まぁ、ちょいとはしゃぎすぎだったけども」
ミュゼに続き、ヘルガも頷くが困ったように額を抑えていた。
動物に好かれやすい静の姿がよく映ったらしい。とはいえ、まさかドラゴン相手にまでとは思わなかった。
放置したらどうなるのだろうかと、ヴィンセントは好奇心をそわり、と揺らした。
「私は……」
小さな、しかししっかりとした口調でユリアーナが声を発した。
一斉に集まる視線にユリアーナはすぐ様に口を閉ざす。だが、隣に寄り添うエリアスが微笑みを向けたことで、ユリアーナはまた口を開いた。
「やっぱり、その破壊の使者というのは信じがたい、と思うわ。あんなに体が弱いお方だもの」
確かに静を知らぬ者があの姿を目にすれば、一体どうして破壊につながるのか疑問を抱くのは致し方がないことだろう。
しかし知る者が聞けば、確かにと頷きかける。何せ静は拳で喧嘩することも問わないほどだ。ただ静は物を壊すことはない。壊すのはルイス含めたレイメイの騎士達だ。
「少々お聞きしても?」
「なんだ」
「あの子ども……ジルという少年。あの子はどちらに?」
そして風宇の問いかけに、ヴィンセントはその隣にいる隼偉を見やる。
隼偉はメシュラルドの言葉が不得意だ。だから代わりに聞いてもらったのだろう。似た顔をしているが、片方は落ち着かない様子で、何故か風宇に腕を掴まれていた。
とは言え気にはなるだろう。ジルはまだ子供。この場にいるロトアロフの騎士はライリーと、ロビンのみ。本来であればジルがいてもおかしくはなかった。
しかし、だ。
ヴィンセントが答えようとしたが、それよりも先にロビンが何てことなく、当たり前に答えた。
「ああ、あいつですか? そりゃあ騎士なんで外にいますよ。あいつ、魔術は苦手っぽいんですけど剣の腕はなかなかあるらしいんで」
「まだ子供だというのに、もう出ているんですね」
「これぐらい対処出来なきゃ、騎士なんて名乗れんでしょう?」
ロビンの言葉にあえて足すならば、ジルはルイスの補佐だ。ルイスがいない今、レイメイを取りまとめるのに適任なのはジル以外にいない。
それほどまでにジルは皆から信頼を得ている。おそらく今は、深紅と漆黒の副隊長達と連携して対処しているだろう。
何やら不服そうに隼偉はこちらを見ている。そして天音は納得していないように、子供ながらに鋭い視線を向けてくる。ユーグはヘルガから言葉を訳してもらったようで、今にも外へも飛び出していこうとしていた。
その中、不安げに瞳を揺らすジュナが、思い切ったように前に出てきた。
「ね、ねぇ、ナターシャ。その人、たぶん怖い人よ……? こっち来て」
「なんでそんなこと言うの、ジュナ。この人、とても面白い人よ?」
そんな必死なジュナの呼びかけに、ナターシャは意味が分からないと言わんばかりに首を傾げる。先程まで身体を震わせていたというのに、今はそんな様子がうかがえなかった。
あまりの変わりように、つい演じるのはうまいなとヴィンセントは素直に思ってしまった。
「ねえ、ベルナルト兄様。皆、おかしいわ。悪いのは全部、その銀の聖女なんて呼ばれている子のせいなんでしょう?」
「ああ、その通りだ。もしくは、あわれにも国に利用されているか」
短絡的な思考のままに、妄言のようなものを吐き出す二人。あれもまた王族であることにヴィンセントは信じられなかった。
「別に、あの子やそこの国を信用しているわけではありませんことよ?」
よく通る翠蕾の声が響いた。口元には笑み。しかしその炎のように赤い瞳は、氷のように冷たいものだった。
「ただ、貴方達をそれ以上に信用していないだけですのよ」
ベルナルト達が信用ならないとはっきりと告げた翠蕾は、出方を伺うように目を細める。
ナターシャは何か言いたげにも見えたが、それを神官が抑える。では、ベルナルトが何か言うか、とヴィンセントは目の前の状況を眺め、そして——氷の壁を出現させると同時、伊織の身体を無理やりに腕の中へと引き寄せた。
何度も目にした、呪術の刃が氷の壁をきり裂き、向こう側にいた男が笑った、気がした。
「また会ったな」
「なんだ、元気そうじゃん。あいつに浄化してもらったな?」
「そんな所だな」
何とも過激な挨拶であろうか。
その男。そこにいるのは分かるはずなのに、どうしてか分からない。髪の色も、顔立ちも。ただ分かるのは素朴な男というだけだった。
男は大きく跳躍し神官達がいる方へと下がり、大きく口を開いた。
「本当、うまくいかねぇなぁ。なんでだと思う?」
「そいつらがいるからじゃない?」
「やっぱりそうだよな。ってことで、一回戻るぞ」
「はいはい」
ナターシャの隣にいる神官が親しげに男と言葉を交わした。
ヴィンセント含め、誰もが今にも捕えようとする中、神官は周りが見えていないかのようにナターシャの手を取った。
「お姫様。捕まっていてくださいね」
「ありがと!」
「では、参りましょうか。ほら、ベルナルト殿下、肩を掴んでください」
「ああ」
そうして、誰よりも先に煌河が前に飛び出す。いつの間にか鞘から抜かれた刀の切っ先がまっすぐに神官へと向けられる。
そして、白と、黒の光が目の前に満ちた。
視界がちかちかと瞬く。
ヴィンセントは瞼をようやく細く開け、目の前を見る。
そこには、塵一つない、ただの空間だけがあった。




