11 早朝のガゼボにて
朝露が大きな雫となり、日差しのあたって宝石のように輝いている。おかげか草花が輝いているように静の瞳には映った。
「こちらの中庭にいた時、伊織様は黒い影のようなものを見た、とのことでした」
「うぅん……黒い影、かぁ」
ヨカゼの鼻と、ルイスの右目の加護。それからスズカの導きを頼りに静が向かった先は中庭だった。
中庭は朝の澄んだ空気に満ちており、静寂に満ちていた。朝日の白い光は早朝ということもあってか柔らかく周囲を照らしている。
のんびりと過ごしたいところではあったが、そうできないのが残念過ぎた。
腕の中にいるアラレを抱えなおし、静は隣にいるルイスを見上げる。
「ルイス。何か見える?」
「残念ながら、何も」
「だよねぇ」
ルイスは顔をしかめながらも首を横に振る。しかし、ここに何かがあるのは確かだった。
ヨカゼは落ち着かずに何度も鼻先を上へと向けるし、スズカはその背中に止まったり、木の枝に止まったりとせわしなく動き回っている。
『ねぇ、静。あそこ、ナユカがいるわ』
ヨカゼが遠くへと鼻先を向ける。その先は昨日、お茶会をした大きなガゼボがあった。そしてその中央には人影。あれがナユカなのだろう。
くるりくるりと回り、薄絹のショールが翻る。
舞っているのだろうか。
「行こ、ルイス」
「はい」
静はよいしょ、とまたアラレを抱えなおし、ルイスとヨカゼ、そしてスズカと共にガゼボへと向かった。
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白い薄絹がナユカの動きに合わせ、大きく膨らみ、ゆったりとナユカの動きを追いかける。指の先にまでしなやかで、ついつい目で追ってしまう。
そして、それ以上に美しかった。その舞もそうだが、その纏う空気というものだろうか。何かが、美しいと静は思えた。
くるり、くるり、と舞うナユカと視線が合ったが、ナユカはそのまま舞を続け、ぴたり、と動きを止めた。
白い薄絹がゆっくりと落ちる。それを待っていたかのようにナユカはようやくガゼボの外にいた静達へと向いた。
「朝早いな」
「おはようございます。邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「大丈夫だ、気にしないでくれ。それよりも中に入れ。そこは眩しいだろうし、また静様が体調を崩されたら大変だ」
「ありがとうございます。失礼いたします」
ルイスはいつものように胸元に手をあてて礼をし、静をガゼボの中へ入るように背中に触れて促す。静はこくり、と頷きありがたく中へと入らせてもらうことにした。
中央にいたナユカは、ショールを腕にかけて無造作に袖で額を拭う。と、ぴたりと動きを止めて慌ててポケットからハンカチを取り出して拭った。そして全ての汗を拭ったのを確認した後、ナユカは早足に静達の元へと歩み寄ってきた。
「静様は回復なされたのだな」
「はい。歩き回れる程度には」
「……と言うことは、あまり無茶は出来ないな」
ナユカは歩ける以上のことは出来ないと受け取ったらしい。だが、ルイスのこの言動の意味は異なり、歩き回る以上のことをしでかすほどに元気だという意味である。
ルイスからの視線が痛い。
静はそれから逃れるために、先ほどのナユカが舞っていた舞について聞いても羅うことにした。
「……今の舞ですが、宴で見たものとは異なる、と静様がおっしゃっていますが」
「ああ、そうなんだ。これは特別な舞で、今回の祭事にわたしが舞うものなんだ」
祭事まで後わずか。三日後だったか、四日後だったか。少し余裕をもって到着したおかげで、静達はこうしてゆっくりと過ごせるが、その間にも王族達は連日重要な会談を行うのだろう。
他人事に大変そうだと静は想像したが、そういう役割の方々なのだから仕方がないと思考を即座に切り替えた。
そしてルイスの袖を軽く引き、一言二言、言葉を交わした。
「静様が、見学したい、と」
「もちろん。好きに見ていってくれ」
困るだろうかと思ったが、ナユカはむしろ嬉しそうに答えた。
静は伝わらないと知りつつも笑顔を浮かべているナユカに礼を言う。どうやら伝わったらしく、ナユカはここに座れというように日差しに当たらない柱の影へと手のひらを向けた。
ナユカが舞う度に、何か美しい、例えるならばシャラリ、とした済んだ金属の音が聞こえてきそうだった。
どうしてか分からない。ただ、静はナユカの舞をとても良いものだと思えた。宴の時もそうだったが、今はより一層強く思えるほどだった。
だから、静は夢中になっているあまりに、その気配に一切気づけなかった。代わりにヨカゼとルイスがその気配へと目を向けていた。
「……何でしょうか。フェルド陛下」
「ずるい。どうして二人して僕より先にナユカの舞を見ているんだ……!」
その声の主、フェルドは少年のようにわめいた。そこでようやく静は近くに、フェルドがいたことに気づき、驚きのあまり肩を大きく跳ねさせた。
フェルドは少し罰が悪そうに口角を下げる。しかしすぐに困り顔で笑みを浮かべた。
おはよう、静殿。体調はもう良いのか?
おはようございます。はい、大丈夫です。
静の為にロトアロフの言葉で挨拶をしたフェルドは、少し離れた場所に胡座で座る。
ナユカの舞は一瞬、止まってしまったがまた再開する。
今は一つずつの動きを確認しているようで、同じ動きをひたすらに繰り返していた。
「ロトアロフには舞いというものはあったりするのか?」
ふと、フェルドが今度はメシュラルドの言葉で、素朴な疑問を投げかけた。メシュラルドの言葉ということは、ルイスに問いかけたのと同義だ。
ルイスは大きく顔をしかめたが、すぐにフェルドを問いに答えた。
「ワルツでしょうか。ラグニフォルスと似たようなものかと思います」
「上流階級とかのものだろ、それは。下町とかは?」
「見たことはありますが、自分は貴族の出ですので」
「ああ、エヴァンハイン家だったね」
「はい。しかし今は神殿に仕えておりますので、籍は外しております」
そうか。下町の踊りは別にあるのかと、静は今になって知った。
何かの催しの時にでも見られるのだろうかと、脇でのほほんと考えいれば、非難めいたフェルドの声が聞こえてきた。
「なんで、わざわざ」
「我らが神の前に、人間が勝手に定めた階級は無意味ですので」
「それは、罪人でも?」
「はい」
「殺人や……。そう、その国家転覆を目論んだ者に対しても、そちらの神は赦すと?」
「いえ。違います」
簡潔でありながら丁寧にルイスは答え、続けた。
「我らが神は天の神。常に我らを見ておられるだけです」
「そんな……。ああ、いや、すまない」
「はい。そんなことしかしない神に、我らは祈りと願いを捧げています」
フェルドの途切れた言葉を異国の言葉だと言うのにルイスは正しく察し、答える。しかも我らが神に対して、そんなことしかしない、とはっきりと言う始末だ。
しかし本当に我らが神は大地に生きる全てに対し、それだけしかしないのだから異論は何もない。
せいぜい神話に語られるように、あの場所で生きれるようにしてくださったというだけだ。とは言え、それだけでも十分な恩恵だと静はそう理解していた。
「我らが神は、我ら人間が生きる為に凍土へ命を運んでくださいました。我ら人間はそれに感謝し、日々を我らが神に見守られながら生きてゆくのです。当然ながら、良き行いをすれば、良きことが。悪しき行いをすれば、悪しきことが訪れるという教えもあります」
「へぇ、そういうものなのか。じゃあ、一心不乱に祈っても意味がないんじゃないか?」
「意味がないというのは?」
「救われないじゃないか」
「何故、神に救われたいのですか?」
「……不条理しかないからだよ。君なら、分かるんじゃないか?」
ルイスは答えず、沈黙する。それは是であった。
誰も助けてくれない。救ってくれない。見て見ぬふりか。それとも助けられない状況であったのか。
だから神に救いを求めた。
この世界には神が存在していて、本当にすぐそばにいる。だから明確に救って欲しいと祈り願えば、必ず届くだろう。
神の気まぐれで本当に救われるかもしれないし、静は事実我らが神にも、自分が仕える愛娘、ユフィアータにも、そして眷属達にも救われた身であった。それは今も変わらない。
そう思い返せば、周りに憎まれるほどに救われてきていることに静は内心苦笑した。
今まで聖女でありながら、ちゃんと祈っていなかったのが申し訳なくなってくる。伊織は日課で祈っているようだから、静もそれにならう必要があるなと、今更になってようやく決めた。
静がその答えを出すと同じくらいに、ルイスはまた口を開いた。
「……確かに、願うことはあります」
「それなら」
「はい。そして神々のご慈悲により、導きくださることもありますが気づかなければ何の意味もなしません」
「神々?」
「複数いるのです」
「ああ、そういうことか。このメシュラルドにもいるよ」
メシュラルドにも多くの神々がいるらしい。
一体どんな神なのか、静はつい気になった。
「今になって思うのです。神に救われていたら、と」
「うん」
「すごく面倒なことになっていたのが目に見えたので、今のままで十分だと結論づけました」
「うん?」
面倒くさがりのルイスらしい回答に、静はつい笑いそうになり堪える。
「面倒でしょう? 人間は結局、愚かにも神へ全てを求める。その中で、一人でも神へ直接救われようならどうなるか。自分にも奇跡の一片をと、人は群がるでしょうし祀り上げられる。そうでなくても、この見目だから余計に面倒なこととなり、命まで脅かされる可能性だってあります」
「いや、考えすぎじゃないか?」
「我らが神に、近しい方々から直接お力をいただいている静様方に対してそのような輩が多いので事実です」
静達は我らが神ではなく、その愛娘と呼ばれる神の娘達から力を授かった。この力がなければ、異世界の人間である静達は生きていけない。
ただ、その為に与えられた力はあまりにも強大で、周囲に多くの影響を与えるに十分なものだった。
聖女という呼称であるが、まるで静達を神のように扱い祈り願う者もいる。静達は例えるならば、大神官であるヴィンセントと同じ立場である。ただ、神に最も近いという存在であるだけの違いでしかない。
静達は神ではない。故に、願われるのは致し方がないにせよ祈られる対象ではない。そうしなければならない。
ロトアロフという国は我らが神たる天の神、アルカポルスが見守る国である為に、それを揺るがしてはならないのだ。
「……確かに。であれば、神からじゃなくって同じ人のほうがマシだな。おかげでナユカにも会えたし」
長い沈黙の後、フェルドは納得したように大きく頷いた。
聞こえてきたナユカと呼んだフェルドの声色はずいぶんと柔らかかった。本当に大切な相手なのだろうと、静はそれだけを聞いてもすぐに理解が出来た。
「けど、えぇっと……ルイス、だっけ?」
「はい」
「うん、ルイス。君はヴィート殿と似てないね」
「今の話を父としたら、倍はやり返されますよ」
「……昨日のあれよりも?」
「まずは神話から話が入るかと。それでも当主よりは優しいです」
「恐ろしいな」
静もうっかりフェルドの言葉に頷きかけ、誤魔化すように膝にいるアラレを撫でまわした。
ここまで二人の話を黙って静は耳を傾けていたが、フェルドはなかなかに遠慮なく聞いてくる。別にそれについて静は眉を顰めるようなことはない。むしろ当然の行動だと思えたし、そこそこ遠慮のない言動は見られたがそれも個性と言われる範疇だと静は思えた。
と、静はぱっと顔を上げる。横に伏せていたヨカゼも立ち上がり、ガゼボの外へと出る。スズカは近くの枝へと移り、姿勢を低くしている。静は毛を逆立てるアラレを抱え、すぐに立ち上がれるように姿勢を直しつつ外を見やった。
「珍しいな。二人そろってくるなんて」
「そうかしら」
フェルドは立ちながら、ガゼボへと歩み寄ってきたナターシャと、後ろにいるイルジナに声をかけた。珍しそうに目を丸くするフェルドに、ナターシャは大きく肩をすくませた。
「おはよう、二人とも」
「おはようございます! 義姉様!」
きゃあ、という声が聞こえてきそうな明るい声でナターシャは笑顔でナユカに挨拶を交わす。しかしイルジナは俯いたまま、無言だった。
「どうしたんだ? イルジナ」
イルジナをよく知るナユカが首を傾げ問いかけると、ナターシャの後ろにいたイルジナが体を揺らしながら前に出てきた。
大きく揺れる片腕。もう片方は長い袖で隠れて見えない。
ナターシャはその場から動かずに笑みを浮かべている。ナユカはそんなイルジナに歩み寄る。
そして、ルイスが駆けだすと同時、イルジナの袖に隠された銀が見えた。
「——これは、どういうことですか?」
イルジナは瞬く間にルイスによって、地面に伏せられ、取り押さえられた。
藻掻くイルジナの手にはナイフ。ルイスに後ろへと押されたナユカは、フェルドが支えており、微笑みを浮かべたままのナターシャを睨みつけた。
「ナターシャ。これは一体どういうことだ」
「どういうことって聞かれても。私には何も。イルジナが勝手にやったことだもの」
こんな時のどういうことか。無垢な少女のように言ってのけるナターシャはイルジナを取り押さえるルイスを見て、頬を薄らと染めた。
「ふふっ、その鋭い瞳を美しいわ」
不愉快だ。
「ヨカゼ!」
静が口を開くよりも前に、ルイスの鋭い声がよく響き、黒銀がナターシャへと襲い掛かった。
『大人しくしときなさいな』
「ひっ……! 誰か! 助けて!」
今にも噛みつかんとばかりに押し倒したナターシャに牙をむくヨカゼに、ナターシャは悲鳴を上げる。その声を聞いてか、近くにいたメシュラルドの騎士達がぞくぞくと集まってくる。
誰もがこの目の前の光景に驚く、というものは無かった。
誰もが、当たり前のように続けて剣を抜き、フェルドやナユカもいるというのに真っすぐに切っ先を向けてきたのだ。
「何をしているんだ! お前達! 剣を下げろ!」
フェルドの言葉には一切従う素振りはない。騎士達がまっすぐにそのまま向かってくる。
イルジナを取り押さえていたルイスは、素早くイルジナを魔力の糸で拘束し肩に担ぐ。そして後ろへと下がる。静はすぐにルイスへと駆け寄り、藻掻くイルジナに触れた。
呪術だ。
お願いできますか。
うん。
静はすぐに藻掻くイルジナに触れたまま、祈る。一人だけならば浄化はすぐに終えられる。
柔らかく、雪のような光がイルジナに降り、消える。そうして、藻掻いていたイルジナはぴたり、と動きを止め、ぐったりと動かなくなった。
「イルジナ!」
「気を失っているだけです」
ナターシャが声をあげる中、ルイスが冷静に言うも表情は険しいままだ。そして、視線を僅か上に向けると、漆黒よ夜明けの色が降ってきた。
ごめんなさいね。少し遅れてしまって。
ジグルド副隊長は。
他の場所でもメシュラルドの騎士が暴れはじめて、他の騎士達と対応中よ。ってことで、あれ片付けてくるわ。さっさと行きなさい。
アイヴィの他、同じく漆黒と、レイメイの騎士達がすぐに目の前の騎士達へと駆け出す。ルイスはすぐさまにフェルドとナユカに告げた。
「王宮内にてメシュラルドの騎士が暴れているとのことです」
「何だって?!」
「今はこの場から離れます」
「っ……! こっちだ!」
フェルドがナユカの手を取り、すぐさまに反対側へと体を向け、ぴたり、と動きを止めた。それは静もルイスも同じだった。
一人の、誰かがいた。
分からない。不明である。ただ、それは人間であることは確かで、何と言い表すのが正しいのか。とにもかくにも。
素朴な、男がいた。
「えーっと、五名様、ごあんなぁい」
ふざけた物言いをしたそれは、強く静達の前に何かを投げつけた。
赤い光。赤い、魔鉱石。
静は無意識にアラレを抱えたまま、右手に銀のナイフを作り出す。そして躊躇なくそれに振り下ろす。
切っ先が、わずかにあたった、気がした。
それと同時、静達は強い光に包まれ、瞬く間にそこから姿を消し去った。
「まぁじでぇ……? 座標ずれてねぇかなぁ……」
残された素朴な男は、灰の瞳を細め大きく息をつく。そうして喧噪の中、くるりとその場から踵を返して悠然と歩き、その場から立ち去った。




