10 金の髪の神官
良い月夜。こんな夜はつい舞いたくなる。
ナターシャは軽い足取りでとん、と中庭の石畳を小さく鳴らした。
「貴方のお話、とても面白いわ」
「気に入っていただけて光栄です」
ナターシャの隣に歩くのはメシュラルドの神官。ナターシャよりも背が頭一つ分くらい高く、話すには見上げなければならないが、男女共に神官達は白い布をかぶっているから、ちょうど良かった。
その神官の女は、存在自体が面白い人間だった。わざわざ肌の色を変えているのだが、何よりも隠されている金の髪が美しかった。あの白い布を外したくなるが、これはこれで独り占めに出来るからナターシャは良しとした。何せメシュラルドでは珍しい色だったからだ。
「それで、その人はどうなったの?」
「そのご令嬢と狂ったように叫んで、自ら外へと飛び降りてしまいました。その夜会はもちろん騒然。残されたご子息と婚約者様はおかわいそうに、周囲はその二人を使って人形劇をはじめまして」
「人形劇?」
「はい。もちろん、罪に問われるのはそのご令嬢。ご子息と婚姻をしたいがために行ってきたことは赦しがたい事なのです。もちろん、この国からしたら罪ではないのでしょうが」
「そうね。婚約程度は些細な事だわ。それに何人も娶る人を夫とするなら余計にそうね」
婚姻ならともかくも、婚約程度で何故そんな騒ぎになるのか。
確かに愛が狂わすことぐらい、ナターシャも知っていることだがまさか気狂いになったあげくに身投げをするなんて過激すぎる。
全くもって意味が分からないことで、続く神官の話に耳を傾けた。
「しかし、そのご令嬢が目の前で命を落としたのです。一体、誰が彼女を死へと追い込んだのでしょう?」
「その二人だわ。けど断罪ってことなら、当然の結果でしょう?」
「もちろん。しかし、それは面白くもありませんし、なにより彼女は命を奪ってはいないのです」
「そうなの?」
「ええ、誰一人。それと言うならば、ご令嬢は知らないことが多かったのです。つまり言うと無知。無知ながら何が罰になるかと分からず、しかしご子息と結ばれる日を夢見ていただけなのです」
なんて可愛らしい横恋慕なのだろう。
メシュラルドであれば毒殺なんて当たり前だし、家の人間と、さらには助けになりそうな人間を排除するのは当然。侍女がいるなら金で買収すれば良い。使えるものは全て使わなくては。
それにしても、とナターシャは首を傾げた。
「どうしてその子、飛び降りちゃったの?」
「さぁ? 結果的に狂ってしまったのですから、誰にも理由は分かりませんよ」
「ふぅん……。それで、なんで人形劇?」
「面白いからですよ」
神官は口元に笑みを浮かべて続けた。
「もちろん正義感、なんてものもあったんでしょうが。貴族というのは暇なお方が多くて、そういうよく分からない、とくに人の汚い面が見える話を好むんですよ」
ナターシャにはよく分からない感覚だった。だってナターシャは常に綺麗なものを見ていたかったからだ。美しく、綺麗なものだけを見て、そして周りをそれで飾って。そうすればもっと美しく、綺麗になれると信じていたから。
眉をひそめるナターシャに構わず、神官はうっそり、と囁く。
「幼稚な断罪ごっこの結果、いたいげな令嬢の尊厳を傷つけた」
神官はまるで演者のように手を夜空へと伸ばす。広がる白い布が、ナターシャの視界を覆い隠してしまいそうだった。
「かわいそうに。わざわざ大勢の貴族達がいる夜会で、断罪ごっこをしてしまったが為に起きた悲劇はすぐさまに広まりました。当然ながら二人に罪はありません。ただ、その場で罪をつまびらかにしたというだけで」
確かに、かわいそうだとナターシャは素直に頷いた。
だって、その令嬢はちょっと頭がお馬鹿だっただけなのだ。無知でしかなかったのだ。であれば教えなかった周りが悪いだけのことだ。加えて断罪なんてするならば、知らないところで消し去るべきだったのだ。
見世物にさせられて、なんてかわいそうなのだろうか。
腕を下ろした神官は、落ち着いた声で最後の結末を語った。
「ご子息と婚約者は両家からは勘当。貴族ではなくなった二人は婚姻をしたとか、しなかったとか」
「え? どうなったとか分からないの?」
「はい。ただ、そこに住んでいたであろう廃屋にはあるものが残されていたそうです」
「あるもの?」
「はい」
神官はナターシャに顔を寄せる。まるで、秘密の話をするように。
「神への呪詛を綴った本が」
神へ、だなんて。
結局、神なんて依怙贔屓ばかりするのだ。そんなものに期待した方が悪いというのに、呪詛を吐くだなんて愚かしい。
途端につまらなさを感じたナターシャは小さく息をついて、ふと、後ろを振り向いた。
「何の用? イルジナ」
隣の神官と同じく、白い布が特徴的な神官の服をまとったイルジナが立っていた。
一体いつからそこにいたのだろうか。それとも最初から、だろうか。とはいえナターシャには関係のない事だった。だって神官が何も言わなかったのだから、その程度ということだ。
「ナターシャ様に用はありません。用があるのは、その隣にいる神官です」
「そうなのね」
ほら、どうでも良いことだった。しかしイルジナの続く言いぐさに、ナターシャはつい眉をひそめた。
「ようやくベルナルト殿下から離れたと思えば……」
「ベルナルト兄様から離れた? どうしてそんなひどいことを言うの? だって二人は良い仲なのだから一緒にいてもおかしくは無いでしょう?」
「良い仲、と」
不愉快そうにイルジナは顔をしかめる。隣の神官と違い、イルジナは顔が良く見えるように布をかぶっているおかげで表情が分かりやすかった。
「本当に、そうだと言い切るのです?」
「あら、疑うの?」
「ええ、もちろん」
確信があるイルジナの様子に、ナターシャは分かりやすく肩をすくませた。
「ひどいわ。もしかして嫉妬? 愛されないから」
「虫唾が走るような戯言はお止めください」
「はあ? ベルナルト兄様に愛されるのが戯言? 素晴らしい事ではないの?」
敬愛する兄が愛するというのだ。これほどまでに素晴らしいことはないというのに、まるで汚らわしいと言わんばかりに吐き捨てたイルジナに、ナターシャは声を荒げる。
衝動のままに詰め寄ろうとしたが、神官がナターシャの前に腕を出して留めた。
「ねぇ、そこの貴方。お名前を聞きしても?」
「フルールよ」
「そう。フルール。お名前もそうですけども、変装するならば髪の色も変えるべきではありませんこと? 我が国において、金の髪というのは珍しいのですよ?」
神官は布の下で軽やかな笑い声を響かせた。この状況をとても楽しんでいるようだった。
「肌の色だけ変えるだけで十分だと思ったのだけど」
「他の神官ならば通用するでしょうけども。残念ながらわたくし、顔と名前をしっかりと覚えておりますの」
神官はイルジナにそう言われるが、全く驚く様子を見せずに落ち着いた声色で問いかけた。
「そう。それで、私に何の用かしら? 私、何もしていないわよ?」
「何も? 神殿内でおいたをしているようですけども、あれは何もしていないと?」
「あら、思ったよりも有能なのがいるのね。ただの踊り子か何かだと思ったわ」
今の一言はさすがにイルジナを怒らせるのに十分なものだった。何せ、ナターシャも自分に向けられていないと分かっていながら、不愉快に思えたから。
イルジナは一瞬だけ沈黙し、ずいぶんと低い声を発した。
「……それで、王宮で一体何をなさっておいでで?」
「夜の散歩よ。心地良いもの」
「ええ、そうですわね。今宵は良い月夜。舞うのにも良い頃合いですわ」
やはりイルジナも、今宵は良い月夜だと思ってくれたようだった。何せイルジナも素晴らしい舞手の一人であるのだから。でも、惜しいとイルジナは思う。
だってイルジナはそこまで美しい人間ではないのだから。もう一人、泥被りがいるが、橙の瞳だけは美しいからまだ良かったけども、評価するならそれだけ。何故、今回の祭事であんな舞が選ばれたのか、ナターシャはまだ納得はしていなかった。
「しかし、舞うには貴方を捕らえてから、ではければ」
「困ったわ」
全く困っている様子が見えない神官に、ナターシャは問いかける。
「どうするの?」
「面白いものをお見せしますわ。ナターシャ様」
「面白いもの?」
「ええ」
そう言うと、神官は軽い音と共に駆け出し、あっという間にイルジナへと詰め寄った。
「遅いわね、貴方」
白い布がイルジナを包み込む。イルジナはすぐにそれをどかそうとするが、何故か無様に藻掻いている。右手にイルジナが得意とする水の魔術の陣が見えたが、神官は金の美しく長い髪をふわりと広げながら、その手を掴み、そして、反対に捻じ曲げた。
声にならない悲鳴が響きそうだったが、どうしてか一切聞こえなかった。よくよくと見れば神官は強く顔のあたりを掴んでいた。どうやら口を塞いでいるらしい。
「私のお人形に迎え入れてあげるわね」
そう神官が言うと、知らない言語の言葉を発し始めた。
まるで歌うようなそれは、どこかの国の詠唱だとナターシャは理解し、思わず、後ろへと下がった。
神官の足元には黒い光のようなものが湧き出る。それはゆっくりと、白い布に包まれたイルジナの姿を飲み込み始める。そこだけは真っ黒い闇のようで、どうしてか近寄りがたく、汚らわしいと思ってしまう物だった。
しかしナターシャはそれから目を離すことはなかった。
何となく、異国の貴族達がどうして汚らわしいものを見るのか理解してしまったからだ。
白が、黒に染まる。その消えさる月光に照らされた白の美しさに目を奪われたからだ。
「……そう、そういうことなの」
知ってしまったナターシャは今度は歩み寄る。もっと、近くで見ようと。
もっと、もっと汚いものを見て。そしたらもっと美しくなれる。そんな気がしたから。
白が完全に黒に包まれる。その頃には、ナターシャは花がほころぶような可愛らしい笑顔を浮かべていた。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
ベッドから飛び起きた静は慌てて窓へと歩み寄った。
『静』
「大丈夫。いかないよ」
外は綺麗な月夜。この国から見える月は銀よりも金に近い色のように見えた。また、見える星もどこか異なっている、ように見えた。
メシュラルドはロトアロフよりも標高が低い、と思われるからそのせいだろうか。もしくは神が異なるせいなのか。
いや、今はそんなことどうでも良かった。
強い、嫌な気配を感じたのだ。まさしく呪術の。
「……お相手さん、動き出したってことかな……」
『そうかもしれないわ』
本当なら、今すぐにでもその場所へと向かうべきだが、今は夜。しかも異国である。変に動けば騒ぎになるのは間違いがなかった。
静はもどかし気持ちをどうにか落ち着かせようと胸元を抑え、大きく息を吐く。
「……早朝。ルイス呼んで行かなきゃ」
『そうね』
静はすり寄るヨカゼの頭を一度撫で、もう一度月を見上げた。
とにかく、早く事を片付けよう。
そう決めた静は一つ頷き、ヨカゼと共にベッドに戻る。待っていたアラレが早く寝ろ、と言わんばかりに顔に乗ってきた。
大変嬉しいが、顔全体にのしかかってくるため静はすぐにアラレをどかし、かけて手を止めた。
もしかしてこれは、いつもルイスが静を寝かすために、目元を手で覆ってくるのを真似ているのだろうか。
であればと、静はアラレの体を両目を隠すような位置へと動かした。不満げに尾がベッドを叩いたが、退かされないのが分かったらしく、アラレは小さくゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
静はその音ともふもふと温かさに心地よさを感じる。隣にはヨカゼのもふもふ。枕元にはスズカがいる為、遠慮なく手を突っ込んで羽毛を楽しむ。
すぐに寝付けるかは不明だが、心は落ち着きそうだと静は体から力を抜く。
そうして、静はあっという間にまた眠りについたのだった。




