08 ドラゴンの翼の下で
タリマ・ジャビのドラゴン達は、王宮の訓練場にいるのだという。
船の近くではうっかり、ドラゴンとぶつかってしまうかもしれないし、何よりも人が多く行き交ってドラゴン達が休めない。王宮の中庭は狭い。とにかく広く、人の数が少ない場所。ということで、ある程度広く、多少周囲が壊れても問題ない訓練場を借りているらしい。
その間、メシュラルドの騎士達はと言うと、各自で思い思いの場所で訓練をしているのだとか。
ついでに見回りも兼ねているとかで、騎士達からはとくに不評はないらしい。何せ、訓練をサボっていても見回りをしているという理由で逃げられるから。
ただ、タリマ・ジャビのドラゴンがいなくなった後、過酷な訓練が待ち構えている為、サボったら一目で分かるようになっているらしい。
一体どんな過酷な訓練なのだろうかと、静はナユカやミュゼが説明してくれる話をこっそりと耳を傾けつつ、額から流れ落ちる汗を手の甲で拭った。
「いつもなら断るくせに、今回は一緒に来るんだね」
「あら、いけませんこと?」
「別に悪いとは言っていないだろう?」
そしてミュゼは共についてきている翠蕾へ、いじわるそうな笑みを向けた。この中でも一番の厚着であるというのに翠蕾は一切汗を滲ませず、涼しい顔でミュゼを見やった。
確か、冷気を放つという魔具だか魔物の素材を使い、暑さをしのいでいるのだったと静は昨日の宴での話を思い出した。
静もまた冷気を放つショールの魔具を使っているが、それでも鋭い日差しのせいか汗はどうしても滲んできた。
静、ちゃんと足元見て。
はぁい。
ちょっと休む? それか部屋戻る?
ううん。わたしもドラゴン見たい。
隣で静の手を握って歩く伊織が言う。静はなるべく素直に返事を返し、ぴりぴりと痛み始めた右膝をそのままにのそのそと足を動かし続けた。
「……何度か、躓かれているようですが……」
「そうなのです。静様は、その、大変転びやすくて……」
静と伊織の前にいる鈴乃がこそり、とアンジェリカに囁いた。アンジェリカが困ったような微笑みを浮かべれば、鈴乃はきゅっと眉をひそめた。
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訓練場には様々なドラゴンがいた。
比べて小柄な灰の鱗のドラゴンは数が多くいた。傍らにはタリマ・ジャビの騎士達がおり、戯れている様子だった。
初めて会った夏の海のような青い鱗を持つドラゴン、サーリは駆け寄るジュナを向かい入れる。少し遅れてユーグと、天音。その二人にしっかりと手を掴まれて引きずられるように連れて行かれるジルの姿。
仕方がなさそうに隼偉と白露が後を追った。
すっかり仲良くなった彼らの姿を静は微笑ましく眺めつつ、何となく、目の前のドラゴン達からそっと視線を外した。
「ごめんよ。今日はなんだか皆、あまり落ち着かなくって」
ドラゴン達は背中の翼を動かしたり、その場で足踏みをしたりしている。中には隣のドラゴンに向けて、大きく口を開けてみせたりして、周囲の騎士達が慌てて宥めている。
ミュゼが困り顔で言う中、伊織とヴィンセントは無言で静を見た。
これはきっと気のせい。そう、偶然。確かに動物に何故か好かれやすいわけだが、まさかそんな、ドラゴンにまで。
静はいやいやと、今度は大きく視線を後ろに向け、舌打ちをこぼしかけた。
何せ視線の先にいるのは、ルイス。そして、無遠慮にルイスの袖を掴んでいるナターシャ。
腹の底がぐらぐらとしてきそうになり、静はすぐ様に視線を前へと戻した。ルイスがまっすぐに静を見ていたが、そんなものは知らないと無視した。
「おっと、キファラがこっちに来るね」
さり気なく、ヘルガは黒いドラゴンの鼻先を撫でながら、視線をドラゴンの集団に向けた。
よく目立つ、純白のドラゴンだった。
「あの子はキファラ。ギークの相棒で、皆のまとめ役。いわばドラゴンの中の王だよ」
ミュゼが説明をする間にもゆっくりとした動きで一歩ず進むキファラは周囲にいる騒がしいドラゴン達に向けて、小さく唸るように鳴く。
するとドラゴン達はようやく騒ぐのを止め、傍らにいる人間へと寄り添った。
キファラは満足げに尾を揺らす。そしてミュゼの元へと歩み寄り、挨拶を交わすように顔を寄せた。ミュゼは慣れた手つきで鼻先を撫でる。
唸るような、ぐるるという鳴き声がよく響く。
そうして、顔をあげる、次にまっすぐに静がいる方向を見やり、一歩歩み寄った。
なぁ、静。お前、ドラゴンにも好かれているんじゃないか?
そんな馬鹿なこと。
ほら、来たぞ。
ヴィンセントと話す間にも、キファラはミュゼにしたように顔を近づけてきた。
静は一度、伊織を見る。伊織は笑顔を向けてくるだけだったが、それはつまり見えている範囲においては心配ないと言うことだ。
静は覚悟を決めた。
恐る恐る、静はキファラの鼻先に触れる。ヨカゼや他の狼達と同じように、けどもずいぶんと優しく静の掌をほんの少しだけ押し返す。
ぐるる、とずいぶんと機嫌良さげに鳴き、静はさらに一歩近づき、今度は両手で固い鱗を撫でた。
すると、キファラは翼を大きく広げた。
静は驚き、肩を大きく跳ねさせた。けども、翼は広げられただけでとくにはばたくといったような動きはなかった。ただ、ちょうど良い日陰を作ってくれていた。
どうやら気を使ってくれたらしい。
確かに静は寒がりではあるが、別に暑い方が良いと言うわけではない。特にロトアロフとは違って鋭い日光の下にいれば、それなりに疲労は確かに思っていたよりも溜まっていた。
そして今は痛みはないが、心臓のそれや右膝の痛みのせいかちょっとだけ立っているのが辛いと思えてしまう程度の状態だったからこそ、日陰に入るだけでも幾分か楽になれた。
どうやら、キファラは静のその状態を察したのかもしれない。次にキファラはその場に伏せて、前足を差し出す。そしてぎゃう、と鳴いた。
これはどういう意味か。
静が察するよりも早く、ヨカゼが後ろから静を押してきた。慌てて静はそこに手をつき、半分座っているような、そんな恰好で急ぎ振り返った。
ねぇ、アンジェリカ。静ってばまた膝痛いの隠していたし、体調良くないわ。
そして静がヨカゼへ文句を言う前に、さっさと静が隠していたことを目の前でばらした。
慌ててライリーとエリカはもちろん、アンジェリカと伊織まで駆け寄ってきた。
一応はロトアロフの言葉で言ってくれたので良かったかもしれないが、すぐにヴィンセントが後ろの方で事情を周囲に説明しているのが見えたので、静はいろいろと諦めることにした。
「大丈夫かい?!」
「ちょっと、もうどうして隠していらっしゃるのです?」
声色からして本心から心配してくれているミュゼと、何故か笑顔かうっすらと怖い翠蕾がとても対照的で、静は迷いなくライリーの服を掴んだ。
一瞬、ライリーは笑顔を浮かべたが二人の様子に気づき、大きく肩を跳ねさせた。
エリカが何事かと顔を上げ、理由が分かるとすぐにまた静へと視線を向けかけ、立ち上がった。
どうしたのかと見れば、いつの間にか静の目の前にルイスが立っていた。
視線は鋭い。機嫌はそこそこ良くはないようだった。
静様、馬鹿ですか。
うっさい。
どうせこうなるとは思っていましたが。
そしてこの遠慮ない言葉である。
深い息とともに片膝をついたルイスは、静の頬へと手を伸ばした。
ねぇ、ルイスさ。もしかしてだけど、こうなるって分かっていたから側にいたの?
はい。
別に姿消していればよかったんじゃないの?
周囲に面倒な他の騎士もいる中で、不審な行動は出来ないでしょう?
ルイスの言うことは最もだった。
ここは異国であり、今は各国の王族が集まっている。一定の距離を保って各国の騎士達が各自護衛として立っている。その他にも、姿を隠している者も近くにいることぐらい、静はとうに気づいていた。
それでも、と静は口を開きかけ、閉じる。
また、ルイスのため息が聞こえた。
さすがに羽虫の相手は疲れました。
そして、聞こえてきた言葉に静は銀の瞳を丸くし、ルイスを見やった。
……それはちょっと言いすぎだと思います。
ただの虫でしょう? 雑音ばかりの。それに見ていたでしょう? 俺があれに見向きもしないことぐらい。
呆れたようにルイスは言葉を続けながら、右の手套を外した。
首のレース、外しますよ。
はぁい。
そしてルイスは静の首に巻いている白のレースリボンを外し、手を添えてきた。
少し休まれたらお部屋に戻りましょう。
ん。
しかめているルイスの表情を見るに、思ったよりも良くはなかったらしい。
静はほんの少しの罪悪感と共に、小さく素直に頷いた。
その近く。
静の周りに騎士達が集まって、自国の言葉で会話しているのを見ていたミュゼと翠蕾はそっと顔を寄せた。
「ねぇ、ミュゼ。どう思いますこと? あれ」
「騎士、にしてはねぇ?」
二人が視線を向けるのは、その中心の男。ルイスという騎士である。
キファラが静の体調不良に気づき、自身の前足に座らせている上に翼で陽射しを翼で遮ってくれているおかげか、静の表情はずいぶんと柔らかいものになっていた。
しかしきっと、それだけではないと二人の勘は働いた。
昨日の宴の時から、静は控えめに笑みを浮かべるばかりだった。そして今日はルイスという騎士の隣にナターシャがずっと居座っているのもあってか、ずっと不機嫌そうに菓子をよく食べていた。
遠慮がちで、しかしながらあの騎士に対して特別なものを抱いているのだろうと見当をつけていたのだ。
だから、今の状況は静にとってはきっと嬉しく、そして安心するものであるはずなのは間違いないだろう。だが、と二人は思う。
あの騎士だ。あの騎士が輪に入った途端、側にいた女騎士二人が下がり、さらには伊織の側にいる侍女も手を出さずに控えたままだったのだ。
ヨカゼという狼の他に、二頭の銀の狼達でさえもぴたり、と慌ただしく動くのを止めて今は大人しく座っている。
もしや、と思ったのだ。
あの二人は、何か、特別な関係なのか、と。
「おっと二人には見えなかったのかい?」
「何をですの? ヘルガ」
「何がだい?」
探るように視線を向けるミュゼと翠蕾の横から、ヘルガが声をかけて肩をすくませる。そして器用に顎で指す。神職という立場でありながら粗暴な仕草は相変わらずだとミュゼは自身のことを棚にあげつつ、また騎士の男を見やった。
「彼の右手。ほら、もうちょっとこっち」
ヘルガに言われ、二人は横へと移動して改めて見る。
右手。騎士の男は片方だけ手套を外していたが、その手がどうしたのかと思ったが、その右手の薬指にあるものを見て、ミュゼは目を丸くし、翠蕾は笑みを深めた。
「……あれって」
「指輪、ですわね」
指輪だった。別に、それについては何も思うまい。
だが、静の右手の薬指にも指輪があったのだ。ずいぶんと簡素に見える銀の指輪だ。まさに、騎士の男がつけているような。
「ふふ……。ああ、いけないですわ。同じとは決まっておりませんのに」
「そうそう。いやけど、ねぇ?」
「ええ。それに、あんなにも触れて」
騎士の男は静の汗をハンカチで拭いながら、頬や首に触れるのを止めない。静はされるがままで、むしろ気持ちよさそうに目を細めている。それどころか自分から手にすり寄っているようにさえ見える。
なるほど、なるほど。と、ミュゼと翠蕾は視線を合わせてそろって微笑んだ。
「イルジナ。どう思う?」
さりげなく、言うだけ言って後ろに下がったヘルガが顔をしかめるイルジナへと声をかけた。
「わざと、でしょうね。あれ」
「だよねぇ? ああ、恐ろしいや恐ろしや。この後も平穏であることを祈らなければ」
「わたくしも祈りを捧げなければ」
あの騎士の男はわざと、右の手套を外した。そしてこれ見よがしに、よく見えるようにその手を動かし、さらには静に自ら触れている。
そちらの方向にいる、一人残されたナターシャによく見えるように。
振り返るのさえ恐ろしいと思いつつ、ヘルガは空を仰ぐついでにそちらを見やる。
可愛らしい顔が台無しだ。
ヘルガが素直にそう思ってしまうほどに、ナターシャは大きく口元を歪め、これでもかと睨みつけていた姿がそこにあった。
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不愉快だ。とにかく、全てが不愉快過ぎた。
自室に戻ったナターシャは苛立ちのままに、柔らかなクッションを床に叩きつけた。中から羽根が出てきているが、そんなものは些細なことだった。
「ナターシャ。侍女達が困っているだろう」
今度は右手にあるクッションを叩きつけようと思い、振り上げればその手を横からベルナルトが掴んで止めてきた。
ナターシャはすぐに見やり、怒りで上がっていた肩をゆっくりと下げた。
「入る前に一声かけて、ベルナルト兄様」
「かけても入るなと言うだろう?」
当たり前のことを言うベルナルトに、またナターシャは怒りで肩が上がりそうになった。
その前に、ベルナルトはほんのわずかに目元を和らげ、ナターシャにしか向けてこない柔らかな声で問いかけてきた。
「どうした。兄に話して見なさい、ナターシャ」
愛しい、実兄の言葉に、ナターシャの荒んだ心は瞬く間に落ち着いた。
そしてナターシャはベルナルトがいない間に起きた出来事を事細かに説明し始めた。
絨毯の上に隣り合って座るベルナルトは重く、深い息を吐いた。
「見る目がないんだな。あれは」
「そうよね。やっぱり」
肯定するベルナルトに、ナターシャはようやく満面の笑みを浮かべる。ベルナルトはナターシャへ、また柔らかなな視線を向け、そしてすぐに眉間に深いしわを刻んだ。
「しかしどうして、あの同胞が欲しくなったんだ?」
「だってね、ベルナルト兄様。ルイスの右目、とても綺麗なのよ?」
「……ああ、確かに色合いは違っていたな」
「もう。それだけ?」
容姿のそれについて興味がないベルナルトにとってはその程度の認識でいることぐらい、ナターシャは分かっていながらもついつい頬を膨らませてしまった。
左の方はどうでも良いが、右は本当に美しいものだった。翠玉がそのままはめ込んだような、そんな瞳だったのだ。生きている宝石とはきっとああいうものを指すのだろう。
「それにね、他の騎士よりもずっと丁寧なの。強いかはちょっと分からないし、言葉とかちょっとおかしなところがあるけども、側に置いておくにはちょうど良いでしょ?」
「ああ、そうだな。ナターシャの良さがより際立つ」
宝石は持ち主を飾り、際立たせるものだ。だから、生ける宝石のような騎士を側に置いておきたくなるのは自然な事だった。
ナターシャのそんな考えを、ベルナルトはちゃんと理解してくれて頷いた。
さらに心が弾むナターシャだったが、生ける宝石と、鈍い黒のような女の姿を思い出し、大きく肩を落とした。
「なのにね、ベルナルト兄様。ルイスの右手に指輪があったの」
「指輪?」
「そう。たぶんだけど、あの子と一緒の指輪だったわ」
生ける宝石はどうしてか、指輪をナターシャに見せつけた。さらにはあんなのに触れていた。
ナターシャがあれほど生ける宝石の袖を引いたり、ちょっとだけ寄りかかってみたりしたというのに触れてこようとせず、最終的にはお控えください、と言って下がられたというのに、だ。
「あの二人がどのような関係なのかは聞かなかったのか?」
「聞いていないわ」
「そうか。それなら別に婚姻をしているわけではないということだろう? していたらきっと今頃、何かしら言ってくるだろうし」
「そうよね。そうだわ、きっと」
ナターシャだって、ちゃんと理解して弁えられる。さすがに婚姻している相手がいるならば、ちゃんと謝れるし、宝石でもなんでもお詫びとしての物を差し出せる。
だが、そうでないのなら別に問題ない。例え、婚約をしていたとしても婚姻ではないのだから問題ない。何せここはメシュラルド。婚約程度は砂のようにさらりと消え去る程度の約束事でしかないのだから。
「ところでベルナルト兄様。何か用事があって来たの?」
「ああ、そうだ。紹介したい者がいてな」
「紹介したい?」
一体誰を紹介したいのか。ナターシャは大きく首を傾げるが、すぐにナターシャは思い至った。
「分かったわ! 最近聞く、良い人でしょう?」
侍女達の間でも噂になっている。
あの堅物の王兄にようやく花がやってきた、と。
昨夜もどうやら、とある神官と抱き合っていたとか、どうとか。
妹としては是非とも会いたい相手である。そしてちゃんとベルナルトに見合う相手かどうか、見定めなければとナターシャは意気込んでいた。
「ああ、あの噂か。確かに、その噂が広まるようにはしていたが事実は違うな」
「そうなの?」
「そうだ」
ベルナルトはわざとだと、素直に白状した。ということは、何か目的があるということだ。
「何か面白いことが起きるの?」
「そうなるようにするために、ナターシャの力を借りたいんだが良いか?」
「もちろんよ!」
ベルナルトからの頼まれごとならば、ナターシャは何だって嬉しかった。
だって小さい頃からずっと不器用な兄はナターシャを守ってきてくれたのだ。そして、今この時も。
「うまくすれば同胞だって手に入るかもしれない」
「そしてベルナルト兄様の願いも叶う、かも?」
「そうだと良いな」
口角をあげ、ベルナルトは薄く微笑んだ。ナターシャはその微笑みを見ることが出来ただけでも嬉しくて、もう十六歳を迎えるというのに幼い子供のように兄へ思い切り抱き着いた。




