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果ての銀花と愚者の杭  作者: 丹㑚仁戻
最終章 果ての銀花と愚者の杭
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263. 浮遊する澱み(6/7) - 善意の否定

『アンタ、コイツ殺した時正気だったろ?』


 意図的に、他の仲間から隠れるように。それは冷静でなければ到底できないような殺し方。更にはその傷痕を隠すかのように巻かれたマフラーもイヒカにそうだと確信を与える。

 この場所だってそうだ。植物のせいで分かりづらいが、ここは周りの氷が岩のように突き出ているから人目につきにくい。植物がここまで育ったのは偶然かもしれなくとも、こんな場所に押し込めるように死体を置いたのは隠したいからだ。


 つまりハルゼは、正気だったのに仲間を殺した――その事実にイヒカが嫌悪感を持って尋ねれば、近くにいたヒューが「何言ってんだよ、イヒカ」と声を上げた。


「正気だったのに殺した? そんなワケねェだろ。第一、ハルゼがやったとは限らな――」

「そうよ。それが何か?」

「ッ、ハルゼ……!」


 ハルゼを擁護するヒューの言葉は、他でもないハルゼが否定した。「お前、なんで……」ヒューが悲痛な面持ちを浮かべる。イヒカの問いに無表情でいたハルゼは同じ表情のままヒューを一瞥すると、「確かにアタシは正気だった」とイヒカに向き直った。


「だけどケルニックは正気じゃなかった。ここのものを食べないようにしてても、幻覚に依存してヘルグラータの花畑も見て、自分もあの花の養分になるんだって怯えてたのよ」


 そこまで言って、目を落とす。その先にはケルニックの亡骸がある。光の落ちたハルゼの瞳は憐れな仲間を見つめ、「あのままじゃ完全に気が触れるのも時間の問題だった」と続いた声は暗くなった。


「そうなったらもうここじゃあ生きていけない。しかもアタシやミランを巻き添えにし得る。一人で勝手に死ぬならいいけど、そうじゃないなら手を打たなきゃならない。だから殺した。放っといてみんな仲良く死ねば、ここまでに死んだ全員の命が無駄になるから」


 他を生かすために、一人を犠牲にした――それを示すハルゼの話に反応したのは、イヒカではなかった。


「それは違うだろ」


 ヒューがハルゼに詰め寄る。その表情は険しい。


「お前の言うことも分からなくもねェよ。けどそれで切り捨てるのはおかしいだろ。もうお前ら三人だけだったんじゃねェのか? だったらどうにかしてケルニックを上に連れ帰るべきだった! ンで回復するのを待って仕切り直せばよかったんだ! それが思いつかなかったんならお前も正気じゃなかったんだよ。だから……だからそんなふうに言うな。正気じゃなかったんなら責めやしねェよ。記憶があるってだけでそんな、自分が悪いみたく言うな」


 悲痛な声だった。ハルゼの両肩を手で掴み、直前の彼女の発言は違うのだと訴えかける。そうされたハルゼもまた眉根を寄せて、「ヒュー……」と苦しげに声を漏らす。


 正気ではなかったのだから、罪の意識を感じる必要はない。物事が正しく判断できなかったのだから、その記憶に苦しむべきではない。


 ヒューの主張する考えがその場の空気に溶けていく。亡骸だけでなく手を下した者も憐れむべきだと、そこに漂う厳しさを憐憫に塗り替えようとする。けれど――


「正気じゃない奴が殺したことまで隠すワケねェだろ」


 イヒカの嫌悪に満ちた声が、ヒューを否定した。


「ッ……そんなの分からねェだろ。変に冷静な部分が残ってることだってあるかもしれねェじゃねェか!」


 ハルゼに触れていた手を離し、ヒューがイヒカに向かって声を荒らげる。だが慌てたようにも見えるヒューの一方で、イヒカの様子はそれまでと一切変わらない。


「冷静ならそもそも殺してない」

「……意地でもハルゼを悪者にする気か」

「ヒューみたいに善人だって思い込みたい理由もねェからな」


 吐き捨てるようなそれに、ヒューはぐっと眉間に皺を作った。


「お前……変わったな。そんな奴じゃなかった。たとえ相手が嫌いでも、そいつの良いところを見ようとする奴だった」


 悔しげに、悲しげに。同情すらも混ざるヒューの顔を見て、イヒカは「はっ」と嘲り笑いをした。


「見た結果が()()だろ。それでもまだ善人っぽく振る舞えってか? 仲間を殺すワケねェっつって、明らかに考えた上で殺してるのに見ないフリして、ンでそのババアがやったこと肯定すんのかよ!? ケルニックって奴はいきなり殺されたんだぞ? しかもコイツがどれだけ本当のこと言ってるかも分からねェ。本当はケルニックって奴は正気で、ただ単にこのババアは自分が気に入らなかったから殺しただけかも――」

「イヒカ!!」


 ヒューの怒声がその場にいた者達の鼓膜を貫く。狭い空間で彼の声は強く反響し、ビリビリと、肌にすら刺激を与える。


「それ以上好き勝手言ったらお前でも許さねェぞ」


 怒りを耐えた声だった。直前のものとは違って反響するほどの大きさもない。

 しかし、重かった。強い怒りを凝縮したようなその声は、肌を突き刺したそれよりも重く周囲の者達の腹の奥まで響き渡る。


 それでもイヒカは、態度を変えなかった。


「人間は嘘を吐くぞ」

「それ以上言うなっつったろ」

「ヒューだって銀狼の正体をオレに隠してた。オレのためだって言ってな」

「…………」

「他人の言葉なんて信じるモンじゃねェ。相手が誰でも、何も考えずに鵜呑みにしたら馬鹿を見るのはこっちだ」


 イヒカの声に怒りはない。あるのは失望だけだ。


「そんなこと知りたくなかった。他人を信じるのは馬鹿のすることだって、期待するのは駄目なことなんだって知らなきゃ良かった。……あの時知ってたら、母さんもミカネも、親父だって死なずに済んだかもしれないのに」


 話しながら、イヒカの声には無念が染み出していった。

 他人を信じるのは愚かでしかないのだ。それを知った今、かつての自分や父親の行動は無駄でしかなかったと分かる。

 氷の女神症候群(スカジシンドローム)という理不尽な病に対して、行儀の良い真っ当な方法なんて選ぶべきではなかった。実現不可能なそれにのみ希望を見出した自分達は、ただいたずらに時間を浪費しただけだ。必死に目標に向かって努力していると思い込んで、実際のところはその場でもがいていただけ。あの努力は、苦しみは、何の意味もなかった。

 けれど今更そう気付いたところで、もうどうしようもない。


 だったら知らない方が良かった。自分達の行動の無意味さも、そして、家族を()()()()()()()()()()()方法も。

 真っ当な方法が駄目なら、誰かから奪えば良かっただなんて。その方が地道に金を掻き集めるよりもずっと現実的で、今の自分なら迷わずできそうだなんて。

 そんな、他人を蔑ろにする解決手段なんて知らないままでいたかった。知らなければこうして新たな後悔を感じることだってなかった。

 信じていた人達を平気で疑うような、冷たい人間にはならなかったかもしれなかった。


 後悔に表情を歪めたイヒカに、ヒューが愕然とした面持ちとなった。


「死なずに済んだって……まさか他人から力尽くで奪えば良かったって言ってんのか? お前自分が何言ってるか分かってるのかよ。そんなのただの悪人と同じだ。思っても口にするモンじゃねェ」


 そうイヒカに言うヒューからは、もうほとんど怒りは感じられなかった。険しい目元は相手を睨むようなものではなく、問いかける声に責めるような音はない。

 ただ、諭すように。それは間違っていると、良くない考え方だと教えるかのように。


 今まで何度かヒューに向けられてきたそれをイヒカは受け入れてきた。その時は反発しても後でもう一度考えて、そうかもしれないと、そういう考え方もあるのだと自分の中に落とし込んできた。

 だが今はもう、〝そうかもしれない〟だなんて思えない。思えそうにない。


「善人じゃなけりゃ悪人なんじゃねェの?」

「……そうとは限らねェだろ。お前はまだ行動に移してない。昔の俺みたいに悪いことが何か分からないワケでも、ジルみてェに悪いって分かった上でやろうとしてるワケでもない。だったらお前は悪人じゃない」

「でもやろうと思えばできる。隊商(キャラバン)での殺しだって軍が許してるってだけで、殺された側からしたら悪でしかねェだろ。昔は躊躇ったけど、今はもう何も感じない」

「…………」

「オレをこっち側で生かしたのはお前だぞ、ヒュー」


 言葉が、視線が、ヒューを責め立てる。自分がこうなったのはお前のせいだと、相手に突きつけたくてたまらない。


「あの時死んでりゃ良かった」


 あそこで終わっていれば何も知らずに済んだ。自分は変わらずに済んだ。


 それは相手との時間の全てを否定する言葉だった。命を救われたばかりの頃に勢いのまま口にしたものとは違い、これまで共有したもの全てを拒絶する言葉。

 その言葉を、イヒカは意図して相手に突きつけた。


「っ……」


 ヒューの顔に動揺が浮かぶ。悲痛と困惑と、後悔と。何かを言おうと開きかけた口が声を発することはなく、ただ震える吐息だけがひゅうひゅうと微かな音を奏でる。

 しかしそんな相手を見ても、イヒカは何も思わなかった。思えないのだと気付いてまた口端が上がるものの、何かを言う気も起こらない。


 その視界の外ではハルゼは冷たい目でイヒカを見つめ、黙って彼らのやり取りを聞いていたリタは不意に顔を上げて遠くに目を凝らした。だが、暗闇の続くそこには何も見えない。


「……何か聞こえない?」


 見えなくとも、聞こえる。リタに言われて周りの者達が耳を澄ませる。

 すると遠く、暗闇の中から低い音が聞こえた。反響していて判別しづらいが、固い物を削るような音にも聞こえる。


「氷が軋む音……じゃないよね。ヒルデルがどこかで氷を削ってるのかも」


 リタがはっきりと言えば、その場に緊張が走った。


「リタ、アンタ連中を止められないの?」


 氷の壁に触れながらハルゼが問いかける。指先から振動は伝わらない。だから削っているにしてもまだ遠くなのだろうと判断することはできたが、楽観的には考えられない。


「無理だろうね。ラルフのことはしっかり裏切っちゃったから、この血の価値が罪を上回ったと思う。できてもちょっとした交渉までだよ。それだって少しでも変なことを言えば何をされるか分からない。一応もうスペアもいるみたいだから、ラルフ本人が気にしてなくても秘書達が私を処分したがってるんじゃないかな」

「……なんで秘書がそんなこと思うんだよ」


 そう嫌そうに呟いたのはヒューだ。どうにか気持ちを切り替えたらしい彼にリタは目を向けると、「別に不思議なことじゃない」と首を振った。


「彼らもレヴァスの傍系から選ばれるからね。基本的にはレヴァスのために動く」


 そこまで言うと、リタはヒューからイヒカに視線を移した。


「まだ揉めたいなら後にして欲しい。できればヒルデルとは会わずに全部済ませたい。攻撃されればどんな被害が出るか分からないから」


 この下を荒らしたくないと、リタが言外に訴えかける。イヒカは無表情でその言葉を聞くと、小さく頷いてヒューから離れた。

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