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果ての銀花と愚者の杭  作者: 丹㑚仁戻
最終章 果ての銀花と愚者の杭
261/264

261. 浮遊する澱み(4/7) - 拾うもの

 来る時と同じ列車に揺られ、ジルはローゼスタットに戻った。けれど、手ぶらではない。持ち物自体は行きと変わらないが、無骨な列車からはぞろぞろと大勢が降りてきた。アルノーが連れていた兵と、ヒルデルに囚われていた子供達だ。

 彼らを列車基地で待っていたイェンスの部下に任せたジルは一人で王都に戻ろうとしたが、イェンスから言付けを受けた兵士が彼を止めた。曰く、グレイを発見し、軍が王都に設置した仮設病院で預かっているという。しかしながらその兵士はそれ以上は知らなかった。だからジルも聞かなかった。

 彼が詳細を尋ねようと動いたのは、仮設病院で待っていたイクセルに出迎えられた時だ。


「お待ちしておりました」


 そう深々と頭を下げたイクセルの顔をジルは見損ねた。周囲の状況に目を配っていたからだ。

 仮設病院というだけあって、そこは野外。住民の憩いの場として造られた広場にいくつものテントが張られ、怪我人やその対応に当たる軍人が行き交っている。


「暴動は鎮圧されましたが、規模が大きかったため病院が満杯なんです。王宮勤めの者は王宮の医務官が対応していますが、暴動で怪我を負った多くの市民はこちらで治療を受けています」


 顔を前に戻したイクセルがジルに説明する。ジルはちらりと相手の表情を見ようとしたが、説明のために周りを視線で示していたイクセルのそれは見ることができなかった。


「あいつは深追いして大怪我でもしたか」


 ふっと、鼻で笑う。意識しての行動だった。イクセルの表情を確認しようとすることも、グレイを嗤うことも。

 だからグレイを嘲笑った自分にイクセルが何も言わないことも、ジルは気付かなかったふりをした。


「……こちらです」


 それまでの会話がなかったかのようにイクセルが歩き出す。その後ろを、ジルは黙ってついて行った。目立たない服装をしていることもあって、怪我人は誰もジルを見ない。イクセルは佐官であるためか、軍人は彼に気付くと彼に小さく礼をした。そして次にジルを見て、はっと顔を強張らせる。それは、敬礼をするかしまいかを悩んでいるだけの反応ではない。

 そんな彼らを、ジルはやはり見なかったことにした。


 しかしそれも長くは続けられなかった。彼の前にイェンスが現れたからだ。

 そこは小さなテントの前。ここがイクセルの目的地だということは聞かずとも分かる。何故ならイェンスだけでなく、大勢の兵もいたからだ。彼らはぐるりとテントを守るように囲んで立っていた。イェンスがいるからか、それともジルの正体を知って彼を出迎えるためか。もしくは――ジルにとってはそこまで珍しい光景でもなかったが、今は考えたくなかった。

 だからジルは彼らを視界から追い出した。見えるのはイクセルが無言で開けたテントの入口と、その先を示すイェンスの手だけ。それ以外は見たくなかったが、立ち止まっていることもできなかった。


 テントの中に一歩、足を踏み入れる。そこには冷たい空気が漂っていた。テントの中だというのに外気温と変わらない。それどころか隅には氷が置かれ、気温が上がることを意図して妨げているらしい。

 他には、簡易ベッドが一台だけ。その上には誰かが寝ているようだが、全身を覆い隠すように布がかけられていて誰なのかは判別できない。しかしジルには、それで十分だった。


「……我々が発見した時には、既に」


 イェンスとイクセルが、ジルの後ろに控えるようにして中へと続く。そのイェンスの声を遠くに感じながら、ジルはベッドに歩いていって布を捲った。


「…………」


 そこにいたのはグレイだった。目を閉じ、血色はなく、けれどたった今眠りに就いたかのように生前と変わらない姿。

 ただ、肌の一部は赤かった。血の汚れではない。回復者(スタネイド)の血は外気に触れれば凍る。それを溶かすだけの気温がない以上、自身の流した血の汚れはあまり付かない。

 赤いのは、火傷のせいだ。最後に見た時と同じ服は一部が焼け焦げ、その下の皮膚が爛れている。他とは別に腹部にだけ被せられた小さな布にジルが手を伸ばそうとすれば、イクセルが「それはっ……!」と制止の声を上げた。

 けれどジルは、手を止めなかった。


「っ……」


 布の下にあったのは目も当てられないような激しい損傷。凍っているが、何がこの傷を作ったのか、ジルは考えずとも分かった。

 何度も見た。回復者(スタネイド)のものではないが、数え切れないほど似たような傷を負った者は見てきた。そしてこの傷を持った者に、生存者がいたことはなかった。


「経緯は分かりません。近くにあった遺体の方が損傷が激しかったことから、その者の自爆に巻き込まれたか、それか、グレイルード自身が狙って逃げきれなかったか……」


 イクセルが説明するも、ジルは何も言わない。そんなジルにイクセルは悲痛な面持ちを浮かべると、「早く埋葬してやるべきだということは分かっています」と続けた。


「しかし、グレイルード本人の意志です。もし自分が死んだら、殿下が死体を見るまでは埋めないでくれと……今回の計画を聞いた時に……」


 ジルに語りかけるイクセルは、そこまで言うとそっと目を伏せた。その脳裏にあったのは、死を覚悟したグレイの姿だ。


『……少しでも失敗すれば殺されるぞ。この国の王妃に手を出そうとして無事に済むわけがない』


 グレイからこの計画を聞いた時、イクセルは彼に苦言を呈した。これがグレイの考えではないことは分かっていたが、二つ返事で頷くことなんてできるわけがない。

 王宮を襲うだなんて馬鹿げた計画はどう考えても実行させてはいけないのだ。そんなことをすればグレイだけでなくジルの命だって危ない。

 しかしグレイは全て承知していると言わんばかりに頷いて、穏やかに、柔らかく笑った。


『分かってますよ。だからもし私が死んだら死体の面倒を頼めますか? ジルが直接見るまでは埋葬しないで欲しいんです。ついでに騎士達に処分されそうだったら首だけでもどうにか拾ってきてください。回復者(スタネイド)でも多分死体は残ると思うので』

『は……? お前、何言って……』

『どうかお願いします。相手が私でも、死体がないのはもう嫌でしょうから』


 そう頼んできたグレイの真意はイクセルには分からない。分からないが、無駄ではなかったと感じる。何故なら彼が気にかけていたジルが、未だその遺体を見つめたまま何も言わないからだ。

 だからイクセルは話を続けることにした。そうしなければならないと感じた。


「周囲には無数の騎士の遺体がありました。恐らく一人で殲滅したものと思われます」


 グレイの最期を彼の主君に伝えねばと、イクセルが口を動かし続ける。けれどそれを聞いてやっと反応を示したジルは、イクセルの期待とは違うことを口にした。


「っ……馬鹿が……一人で先走って犬死にしたか……」


 それはグレイへの暴言だった。しかも彼は自身の腰に手を伸ばし、そこにあった剣を引き抜いた。

 一体何をするのだろうと、イクセルが疑問に思ったのは一瞬だけ。答えはすぐに示された。


 ジルは、その剣でグレイの胸を刺したのだ。


「ッ、殿下!? 何を……!」


 イクセルが慌ててジルの元へ駆け寄る。それ以上遺体を損壊させてなるものかと友人の胸に突き立てられた剣に手を伸ばしかけ、しかしその刃が小さく震えていることに気が付いた。


「これで命令を守ったつもりか……!」


 そのジルの声もまた震えていた。「殿下……」イクセルが苦しげに彼を見つめる。だがその時間も長くは続かなかった。ざわめきが空気を乱したのだ。


 それはテントの周りにいた兵達のものだった。ジルの行動に驚いたイクセルの声で、兵達がテントの中に駆けつけたのだ。

 しかし、それ以上は何もしない。動かない。二人の会話を見守っていたイェンスが手で制したからだ。軍のトップである彼の指示に従えない者は勿論いなかったが、彼らもその感情までもはすぐに抑えきることはできない。


 そこに漂う感情は、失望だった。


 ジルに対してではない。彼らの目はグレイに向いていた。「やはり……」誰かが零す。その先に続くであろう言葉を、ジルは知っていた。


 ――やはりグレイルードは、王女を殺した悪人なのだ。だからこそ王女の弟にその胸を貫かれているのだ。


 納得と、そんな者の死体を自分達は守らされていたのだという不満と。一度は乱された空気はもう落ち着きを取り戻していたが、元には戻っていなかった。落胆が空気を重くしていた。


「っ……」


 それがあまりにも不快で、ジルは奥歯を噛み締めた。感じるのは怒りだけ。何も知らない者達が今この場の状況を見ただけでグレイを判断するなと、怒りを声に乗せてぶつけたくなる。

 ジルの手は、先程までとは違う感情で震えていた。


「殿下、もう……」


 イクセルがジルに声をかける。彼の声にはグレイへの労りがあった。その音が、ジルを冷静にさせた。


 ジルがグレイの胸から剣を引き抜く。しかし鞘には収めずに、くるりと一回転させて自身の胸の前に掲げ、口を開く。


「私、イリス・ヴァルト・ストラスルージュがここに宣言する――」


 ジルの名乗りにその場にいた者達は息を呑んだ。もしかしたら彼らの中には、ジルをイリスだと信じ切っていない者がいたのかもしれない。もしくはその姿を目にしたからかもしれない。この剣の構えは、戦うためのものではない。


 そんな周りの反応がジルにはおかしかった。所詮人はこの程度なのだと内心で嘲笑する。だから自分もまた彼らに合わせてやるのだと、剣を握る手に力が入る。

 彼らがここで見たものでしか判断できないのなら見せつけてやろう。誰にも文句は言わせない。誰にもこの男のことは、貶めさせない。


 そのためなら、忌々しいこの名も立場も利用してやる。


「――グレイルード・モリナージェ。貴殿はその命を賭して圧政に抗おうとする民を元凶の元まで導いた。そして同時に亡き王女、ケイラの尊厳を守り抜いた。その働きは救国の英雄、イストラート・スルージュの双肩に並ぶものである。かの者の血を継ぎ、国の従僕として民を守る責を負う者として、貴殿の貢献に心からの感謝を。貴殿は、英雄である」


 ジルの言葉にその場にいた者達が息を震わせる。イェンスでさえも目を見開き、イクセルに至ってはその目を潤ませていた。何故なら今ジルが紡いだ言葉は、ローゼスタットの軍人ならば誰もが一度は憧れるものだったからだ。そしてこれ以上ないほどの誉れだったからだ。


 しかし一方でジルの心は凪いでいた。こんなものでいいのかと、嘲りたくなった。

 かつて何度も練習させられたこの口上には意味なんてないと思っていた。形を繕うだけの見せかけだと思っていた。だから無数にある儀式の一つでしかないと考えていたし、その立場を受け入れていた時は一度も口にする機会はなかった。

 それなのに名前を捨て、国の象徴である王宮を破壊し、王妃と王子を殺した今になって役に立つだなんてなんという皮肉か。


 そして、不十分だった。こんな作られた言葉は、飾られた言葉は、この男の労をねぎらうのには相応しくない。


 ジルは剣を下ろすと、空いている手をグレイの胸の上に乗せた。それは先程この剣で貫いたばかりの傷があるところ。周りには理解されなかった、グレイとの約束の痕。


「お前は姉上の誇りを守ってくれた。姉上の最期の時を満たしてくれた。姉上の遺志を継ぎ、俺と共にいてくれた。……もう、十分だ」


 ジルの手に力が入る。グレイの服に、皺ができる。


 いつの間にか周りの兵達がグレイに向かって敬礼していたとジルが気が付いたのは、テントの入口から慌ただしい足音が聞こえてきた時だった。


「イリス王子殿下にご報告が」


 やってきた兵が口にすれば、イェンスが「後にしろ」と彼を睨んだ。しかし「いい」とジルが言えば、イェンスが引き下がる。止められていた兵士は困惑したように周囲を見渡して、けれど決意したようにジルへと向き直った。


「ミクラーシュ子爵がお見えです」

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