254. 針先の身命(4/7) - 運命の分岐点
騎士達はキルドラグをどこに避難させただろう――考えて、グレイが真っ先に思いついたのは緊急避難室だった。
だが、そこへ向かおうとしていた足は途中で止まった。騎士達の動きに変化があったからだ。
最初は偶然かと思った。そこに追い込まれた暴徒を騎士が追いかけてきただけかと。しかしそれにしてはその暴徒の制圧に時間がかかった。だから応援の騎士がかけつけた。暴徒はただの市民で、大した武力など持っていないのに、いつの間にかそこには三人の騎士が集まった。
そして彼らはその暴徒を始末しても、そこから大きく離れようとはしなかった。
何も知らなければ偶然か、騎士の怠惰だと信じられただろう。しかしグレイは知っていた。ここは避難経路の近くだ。
グレイの抱いた違和感を補強するかのように、各所に散っていたはずの騎士や衛兵がどんどん増えていった。勿論、同じ場所ではない。しかし同じような偶然を装った動きで、避難経路に誰も近付かせないとでも言うかのように人員は増え続けた。そのせいでグレイですらそれ以上進むことができなくなったのだ。
こんなことをすれば、襲撃犯にこれから要人が通ると吹聴するようなものだ。それなのに実行したのは、騎士達は襲撃犯の一部に避難経路を知っている人物がいると考えているのかもしれない。だから今更隠したところで無駄だと、その労力を守りに割くべきだと判断したのかもしれない。
近付けないなりにグレイが更に様子を探ってみれば、この守りは緊急避難室から続いているのだと分かった。ならば避難途中で守りを堅くしたのではなく、これから避難室を出ようとしているのだ。
そうと分かるとグレイは避難室から離れていった。ここで待っていたところでどうせ騎士達に阻まれる。であればその先で守りが今よりも薄くなったところを突くべきだと、グレイは先回りすることにした。
避難路は一部地中を通り、その後は地上へと続く。出口は王宮の外、ミルフォ・ルセティアの下町にある建物だ。そしてそこに控えている馬車に乗り込んで、王族は街の外へと脱出する。
普段ならば、そこまですれば行き交う馬車に紛れることができる。しかしこの時は違った。街はもぬけの殻だった。多くの人々が暴徒と化して王宮へと向かい、それ以外の者達はとばっちりを恐れて家の中に閉じこもっている。荷物を運ぶ馬車までもが暴徒に襲われることを懸念してとうに逃げ出したとくれば、残されるのはいつもよりもずっと寂しく、そのせいで汚れの目立つ景色だけ。そしてその寂れた街は、場違いに蹄鉄の音を響かせる馬車の車列を隠してはくれない。
騎士は予想できなかったのだろうな――王宮から移動してきたグレイは、ミルフォ・ルセティアの街にいた。
その目が捉えるのは、街中を怯えるように走ってくる三台の馬車。それを建物の二階から眺めながら、グレイは小さく笑みを浮かべた。そこに僅かに混ざるのは嘲笑。貴族出身の騎士達は市井の暮らしに疎い。普段の様子こそ見たことはあっても、有事に人々がどんな行動を取るのかまではまるで分かっていない。
だからこの経路で街を脱出するだなんて選択ができた。それも安全のためとはいえ、あんなに目立つ車列を組んで。安全な場所で軍の到着を待てばいいものを、暴徒の蔓延るそこよりも街の外の方が安全だと判断してしまった。
もしくは、キルドラグの指示か。しかしどちらにせよ、民のことをよく理解していないことには変わりない。本当に危険だと思えば、たとえ相手が王であっても止めればいい。下手をすれば文字どおり首が飛ぶが、王を守りきれなかったら同じことなのだからそれくらいの覚悟は持っているだろう。
結局、同じことなのだ。この逃げ道を選んだのが騎士にしろ王にしろ、民の暮らしを知ろうとしていなかったことはこの状況が示している。
今頃騎士達は失敗に気付き、顔を青ざめさせていることだろう。どうかこのあたりには誰もいませんようにと、何事もなく通り抜けられることを祈っているのだろう。
しかし、その祈りは届かない。
グレイが持っていた手榴弾を一つ取り出したのは、車列が彼のいる建物を横切る直前。そして車列がちょうど目の前に来るタイミングを見図らい、先頭めがけて手榴弾を放り投げた。
――ドォン!
爆音が轟く。手榴弾が落ちたのは先頭の馬車の少し前。グレイはそこにすかさず瓶を放り投げた。暴徒が用意したであろう火炎瓶だ。結局使うことをやめたようだが、お陰で楽ができると二本の火炎瓶を馬車に向かって投げつけた。
しかし、まだ目立つ被害は出ていない。出せない。三台の車列であれば真ん中の馬車にキルドラグが乗っているはずだが、騎士がそう考える襲撃者を懸念して位置を変えているかもしれない。
「ッ、落ち着け!!」
御者の叫び声がいくつも響く。三台の馬車それぞれからのものだ。特に先頭の声が一番大きいのは、目の前で起こった爆発に驚いたグイが激しく暴れているから。
馬車を引く二頭がそれぞれ別の方へと動こうとし、御者が必死に手綱を操る。しかし人間よりも遥かに強い力を持つグイを制御しきれるはずがない。普段それが可能なのは、グイの方が協力しているからなのだ。今のように怯え、混乱し、早くここから逃げたいと願う巨獣に人間の声など聞いている余裕はない。
そしてその怯えは後ろの馬車にも伝わっていった。先頭の混乱に呼応するように、二台目、三台目の馬車が揺れ始める。近くで小さな火の手が上がっていることもグイを怯えさせた。ある程度の騒ぎならグイも慣れるものだが、どうやらこの車列に使われているのは戦地を駆け抜けた経験のない個体ばかりらしい。
ならばと、グレイが小銃を構える。狙うは御者だ。今いる位置から一番狙いやすい最後尾の馬車の御者の頭に狙いを定め、引き金を引く。頭を撃ち抜かれた御者が倒れる。すかさず銃口を少し下げ、今度は馬車の車体を狙う。金属でできた頑丈な骨組み部分だ。そこに当たった銃弾はカァンッと甲高い金属音を響かせ、そのすぐ近くにいたグイ達を一層怯えさせた。
「クソ! 早く馬を宥めろ!」
どの馬車からか、苛立った声が漏れ出る。「御者はどこに行った!?」この声は最後尾の馬車からだろう。その直後にキャビンの扉が開き、四名の騎士が飛び出してきた。「狙撃された!」騎士の一人が叫び、残りの三名が二台目の馬車に走る。そのうち一名はそこを通り過ぎると、先頭の馬車のキャビンをドンドンと乱暴に叩いた。
「攻撃されている! 馬車は御者に任せろ!!」
騎士達の動きを見ていたグレイは、あまりの対応の粗末さに小さく溜息を吐いた。騎士は確かに単純な戦闘能力こそ軍の精鋭に匹敵する。しかし統率がまるで取れていない。経験が足りていない。あれではどこに要人がいるか丸分かりだし、知られてから守護体勢に入るまでの時間も長過ぎる。
どこまで減らせるか――グレイは小銃を構え直すと、馬車を守る騎士に狙いを定めた。
一発放てば、真ん中の馬車を守っていた騎士が地面に崩れ落ちた。最後尾の馬車に残っていた騎士が銃を構えて、こちらを探るように銃口を向けてくる。どうやら今までグイを宥めていたらしく、大まかな方向しか分かっていないようだ。だったら、まだ気にする必要はない。
二発目は、先頭の馬車の近くにいた騎士の一人の額を撃ち抜いた。途端、その馬車を引いていたグイの動きが激しくなる。そのせいで馬車が大きく揺れて、零れるような形で五名の騎士が扉から転げ落ちた。
三発目は外れた。無様に転げ回る騎士を狙ったが、意外にもすぐに体勢を立て直したからだ。
そして四発目を撃とうとした時、突如騎士達の銃口が一斉にグレイを向いた。
どうやら指揮官はいるらしい――咄嗟に物陰に隠れ、考える。と同時に溜息が出たのは、思っていたよりも減らせなかったからだ。
騎士の指揮官は騎士団長だけ。恐らく真ん中の馬車に騎士団長は乗っていたのだろう。そしてやっとその指示が他の騎士達に伝わった。
一度統率を取り戻せば、騎士達はそれまでの姿が嘘かのように真ん中の馬車を守り始めた。その馬車のキャビンの四方を囲み、これ以上の攻撃は許さないとばかりに睨みを利かせる。一方で御者は、必死にグイの操縦を取り戻そうとしていた。まずはこの馬車だけでも逃げられるようにしろと指示があったのかもしれない。
先頭と最後尾の馬車にはもう、誰も乗っていない。馬車は大きさから見て全て四人乗り。先頭から五人出てきたことには少々驚いたが、あれは無理矢理詰めて乗ったのだろう。だからもうこれ以上騎士は出てこないはずだし、仮にまだ誰かが残っているのなら、騎士が離れることなんて有り得ない。
つまり残すべきは真ん中の馬車だけ――グレイは建物の中を移動して位置を変えると、騎士達に気付かれる前に構え、グイとその馬車を繋ぐハーネスを撃ち抜いた。
「待て!!」
御者が慌てた声を上げる。制御しようにもハーネスが千切れていては何もできない。暴れるグイに御者の声は届かない。拘束から解放された二頭のグイは、混乱のままバラバラにその場を走り去っていった。
グレイは続いて残りの馬車からもグイを外そうとしたが、いくつもの弾丸が襲いかかってきたせいでそれは実現しなかった。「あそこだ!」誰かの声と共に銃弾が浴びせられるが、全ての銃がこちらを向いているわけではないことは音で分かった。ここにいる狙撃手を狙いつつも、他への警戒を怠っていないのだ。
「早くグイを繋ぎ直せ!」
聞こえる声は二人の御者達へのものだろう。この状況ではキャビンの中からキルドラグを出すのは危険だ。だから彼らは他の馬車からグイを移動させてこようとしている。
しかしまだグイは落ち着きを取り戻していない。御者達はその蹴りや角を食らわないように警戒しているせいで、なかなか作業が進まない。
再び建物の中を移動しながら状況を整理すると、グレイはどうするか、と思考を巡らせた。
ここで取り逃せば、次はもういつ追いつけるか分からない。今回だってたまたま先回りできただけだ。王宮から繋がる避難通路は構造上そう頻繁に変えられずとも、その先の避難先はいくつも用意できる。
だが正直なところ、これ以上は難しかった。正攻法で引き止めるためには人手が足りない。それから準備も。持っているのはいつもどおり銃と剣にナイフ、それから手榴弾が残り一つだけ。今まで使っていた小銃に至ってはもう数発しか弾がない。
キルドラグの命を奪っても良いのなら、どうにかこの手榴弾であの馬車を破壊すればいい。しかし、自分が殺してしまってはいけない。ジルがその手で終わりをもたらしてこそ意味があるのだ。だからこの方法は使えない。
たとえ見逃しても、これならジルも何も言わないかもしれない。理不尽に叱責するようで、実際は実現可能なことか熟慮した上で発言している。だから追わなくても何も問題はない。……いや。
ジルは関係ない。ここまで来たのは自分がそうしたかったからだ。
自嘲するような笑みを零した時、グレイは近くに椅子を見つけた。これはいい――すぐさま掴んで窓から放り投げる。放物線を描いて飛んでいった椅子は、最後尾の馬車の前に落ちた。その馬車を引いていた二頭のグイの間だ。
突然のことにグイが嘶く。御者のいない馬車では彼らを制する者はおらず、制御を失った馬車が元々の進行方向へと消えていく。自分達の横を通り過ぎていった仲間の姿に先頭のグイも続いた。「待て!!」地面に降りていた御者が必死に追いかけるも、追いつくはずもない。
「こちらへ! 決して頭は上げないでください」
馬車の中からはっきりと声が聞こえたのは、その扉が開けられたから。この馬車は既にグイを失い、他の二台の馬車は消えてしまった。動力を失った箱に隠れていてはいけないと判断したのだろう。
しかし、扉が開いても中は見えなかった。開けられたのはグレイと反対側の扉だからだ。
そして中から人が出てきても、グレイの目はその人物を捉えることはできなかった。高いところから狙われても盾になれるよう、騎士達がしっかりと取り囲んでいるのだ。その隙間から辛うじて見える手には白い手袋がある。騎士達が身に付けているものだ。その手が押すのは恐らく背中だろう。屈んだ、低い位置にある背中だ。
その背中を守るように騎士達が更に近付く。背中が、完全に馬車から出る。その後ろからは三名の騎士達が続いて、自らの肉体を壁として背中を守り続けていた。
動く馬車を失った今、移動するためには歩いていくしかない。一〇名の騎士達が取り囲んでいるのはキルドラグだった。そのうち一人は先導し、残りがキルドラグを守る。先導しているのは騎士団長で、彼は呆然とする御者二名に「向こうへ!」と指示を出した。
弾かれたように御者達が示された方へと駆けていく。彼らが無事近くの建物の陰に隠れるのを見届けると、騎士団長は部下達に同じ方を示した。
だがその動きは、目の前の御者達が倒れたことで止まった。




