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果ての銀花と愚者の杭  作者: 丹㑚仁戻
最終章 果ての銀花と愚者の杭
252/269

252. 針先の身命(2/7) - 空っぽの部屋

 ジルはグイに乗ったまま人気(ひとけ)のない森の中を進んでいくと、前方にローゼスタット軍の軍用馬車を見つけた。何台もの馬車が止まっているのは物々しい塀の手前。それらの馬車が敵のものでないとジルが遠目でも分かったのは、馬車の前にイェンスの姿を見つけたからだ。


「――年寄りがこんな寒さの中で待っていて平気なのか」


 相手のすぐ傍まで来ると、ジルはグイの上から嘲るように言った。


「鍛えておりますからな。と言ってもあまり長時間となると節々が痛みますが……王宮に待機させた兵から報告は受けておりましたので」


 グイから降りるジルにイェンスが苦笑を返す。そして彼の足が完全に地面に着くと、「ジル様、良くぞご無事で」と恭しく頭を下げた。

 立場からして普段のイェンスがそうする機会はもう滅多にないだろう。しかしそこにぎこちなさはなく、軍人らしくも貴族らしい洗練された動作だった。下げた頭を滑らかに上げ、ジルに向き直る――だがその時、イェンスの動きがピタリと止まった。


「……それは、どちらの」


 緊張を漂わせながら問う彼の目線の先にあったのは、ジルの腰。剣よりも更に後ろに下げられた麻袋。

 ジルが()()を持ってくることはイェンスも事前に聞いていた。だからジルの姿が見えた段階で部下に合図をし、氷の入った箱を持ってこさせた。

 しかし、そこに入れるべきものが想定とは違う。ジルの腰にほとんど隠されてはいるものの、その麻袋が丸みを帯びていることは嫌でも見て取ることができる。それから、相当な重量があることも。


「知らない方がいい」


 ジルはそれだけ答えると、イェンスの部下が持ってきた箱に麻袋を入れた。「寄越せ」箱を運ぼうとした兵からそれを奪い取る。大きな箱を小脇に抱えて歩いていくジルに、イェンスが部下に下がるように命じる。そして別の部下に目配せすれば、塀にある鉄製の門が開かれた。


「グレイルードはどちらに?」


 前を歩き、ジルを案内しながらイェンスが問う。門の先には岩壁があり、そこに埋められるようにして鉄製の扉があった。その扉を開ければ、今度は地下へと向かう階段が現れる。まるで隠されているかのような造りだ。

 暗いその階段をイェンスが下り始めた頃、後ろを歩くジルがやっと「置いてきた」とどうでも良さそうに答えた。普段の彼らしい、冷たい言動だ。だが今回は、それで終わらなかった。


「王宮の騒ぎが収まっても戻らないようなら迎えを出せ」


 続いた言葉にイェンスが目を見開く。思わず後ろを振り返れば、ジルが不愉快そうに「なんだ」と唸った。


「いえ、ジル様が遅れた者を助け出そうとするのは初めてだなと」

「……あいつの命は俺のものだ。自分のものを回収することがそんなにおかしいか?」


 そう答えたジルは、マフラーに顔の下半分が隠されているといえど、少し苦々しい面持ちをしているのが分かった。その心情を推し量り、イェンスが「いいえ」とゆるく首を振る。

 そんな相手の顔が僅かに笑んでいることに気が付くと、ジルは更に眉間の皺を深くした。しかし彼が何かを言うより先に階段が終わる。靴音の響くそこは暗く、そして広い。列車基地だ。数日前にアルノーが大勢の兵を引き連れてやってきたその場所に、ジルは立っていた。


「準備はできております。補給もせずに行きますので、二日程度であちらへ着くかと」


 既に乗降場に出された列車を示し、イェンスが説明する。「整備はアルノーがしていたか」おかしそうに言ったジルにイェンスも同じ表情で頷いて、「皮肉なものですよ」と目を伏せた。


「本当に兵は必要ありませんか? グレイルードがいないのであれば代わりの護衛をつけますが」

「あいつは別に俺の護衛じゃない。……第一、大義を成すわけじゃないしな」


 ジルの目が小脇に抱えた箱を映す。

 ()()を用意したのはアルノーを絶望させるためだ。予定外に大物となったが、より彼に衝撃を与えられると思えばいくらか気持ちが楽になる。


「…………」


 楽になる――自分が自然とそう考えていたことに気付き、ジルは小さく首を振った。今更後悔しても遅いのだ。退路は自ら崩した。ならば、先に進むしかない。

 列車に乗り込もうとしていたジルは後ろを振り返ると、「お前もこの期を逃すなよ」とイェンスに意地の悪い笑みを向けた。


「お前が失敗したとしても、これ以上は俺にももうどうしようもない。ここまでお膳立てしてやったんだから上手くやるんだな」

「承知しておりますとも。ジル様は既に十分こちらに利を与えてくださった。これで失敗すれば末代までの恥になります」

「それで済めばいいけどな」


 最後に笑みを一つ落として、今度こそ列車の中に踏み込む。外で発車の合図をする声を聞きながら、ジルは簡易的な座席に腰を下ろした。



 § § §



 ローゼスタットの王宮は依然、騒然としたまま。一部では火の手が上がっている。燭台から燃え移ったのか、それとも暴徒の誰かが火を放ったのか。その炎は()()()()()()()にやってきた暴徒の心を燃やし、消火を指示する声は彼らの雄叫びに掻き消されていた。

 しかしその雄叫びも、徐々に聞こえる数が少なくなってきている。騎士が侵入者を捕らえることをやめたからだ。代わりに彼らは粛清を始めた。王の許しを得て、侵入者は()()()()()()と見做されるようになったのだ。


 ローゼスタットの王族に仕える騎士は血筋も重要視されるが、同時に実力も兼ね備えている。評議員となる資格を持たず、けれど腕に覚えのある貴族にとっては、騎士として立派に勤め上げることこそがこの国でやっていくために必要なこと。有能な騎士は王族だけでなく評議会の覚えも良い。そして評議会に気に入られれば、有力な評議員の身内と婚姻関係を結んでその力の一端を得ることもできる。

 だからこそ、騎士に失敗は許されない。騎士に選ばれたとその立場に胡座をかいて自らの守る王族に何かあったとなれば、たとえ明確な非がなくとも一気に家が落ちぶれるきっかけとなり得る。そのためどの家も、自らの子に十分な力がないと確信を持てなければ騎士団に入れることすら躊躇うのだ。


 そして今、騎士達には後がない。王妃が討たれたからだ。更にはその首まで奪われたとあっては、どうにか謀反者を捕らえなければどんな罰が下されるか分からない。

 暴徒を手に掛ける彼らに躊躇いがなくなったのはそのためだろう。一部の騎士は王を守るために動き、残りは王妃の首を奪った者を血眼で探している。その他の有象無象など丁寧に相手にしている余裕はない。


 各所から悲鳴の響き渡る王宮内を走っていたグレイは足を止めると、物陰に隠れて浅い呼吸を整えた。

 ジルを安全に逃がすため、衛兵や騎士達の注意を引くように動き回ってきた。それもただ走り回るのではなく、彼らが分散するように暴徒を避けながら。暴徒が減ればそちらに対処しなければならない騎士が減って、自分が不利になると分かっていたからだ。

 注意を逸らすための行動だから、まだ一度も騎士とはまともにやり合っていない。それでもほとんど止まることなく走り続ければ流石に息も上がる。息が上がれば足の重さまで感じてくるものだから、こうして仕方なく休憩に回ったのだ。

 それでもただ休むわけにはいかないと、グレイは鬼気迫る空気を放つ騎士達の声に耳を傾けた。彼らが口にしているのは王妃が殺されたということ。そしてその実行犯は騎士の格好をした黒髪の男と、銀髪の暴徒だということ。何としても捕らえろとお互いに鼓舞し合うその声を聞きながら、グレイは呆れたように笑みを零した。


「普段は協力なんてしないくせに……」


 騎士は王族を守るという点においては協力するが、今しているように互いを励まし合うような行動はしない。お互いに一定の距離を保っているのは、家という立場で見れば味方ではないからだ。同じ評議員の庇護を受ければ多少変わるが、それでも相手が何かした時に自分まで巻き込まれたらたまらないと、必要以上に深入りはしない。

 そんな騎士達の腹黒さを思い出すことになったが、同時にグレイはジルの無事も知ることができた。未だに実行犯を捕らえたという声が上がらないのは、ジルが逃げ果せたということ。ならば隠してあったグイを使って、今頃はイェンスと合流しているだろう。なんだったらもう、その先へと向かっているかもしれない。アルノーが整えた足を使い、他でもないアルノーに母親の首を届けるために、列車に乗り込んでいるかもしれない。


「……どうか、ご無事で」


 母親の真実に動揺していたジルが心配だった。どうにか前を向かせることはできたが、彼は元々己の非を思い詰めやすい性格だ。合理性を理由に非だと感じることが少ない代わりに、数少ないそれらに直面した時は深く深く考え込んでしまう。

 そんなジルを一人にしておくのは恐ろしかった。だがもう、追うことは叶わないだろう。一度動き出した列車は止まらない。アルノーの元に辿り着き、目的を果たして初めて、ジルはまたローゼスタットに戻るのだ。


 しかしそれは、帰るのではない。アルノーを優先するために逃がしたキルドラグを捕らえ、彼に、父親に全てを懺悔させるためだ。

 キルドラグをあの場で殺して終わりにしなかったのは、ジルは時間をかけて彼に己の過ちを思い知らせようとしているからだ。全ては取れないから優先順位を付けただけで、本当だったら生け捕りにしておきたかっただろう。直接言葉で聞いたわけではないが、ジルもこちらが察していることには気付いているはずだ。


「先に捕まえとかないと文句言われそうですね……」


 『遅い』なのか、『役立たず』なのか。ジルの言いそうな罵倒の句がグレイの頭を巡る。そのくせ彼の思ったとおりに行動しても良くやっただなんて労われることはないのだから、つくづく嫌な人間に仕えてしまったと思う。

 それでも嫌いになれないのは愛した人の弟だからか、それとも彼の態度には嘘がないと実感してしまっているからか。憎らしいその姿さえ可愛らしく思えてしまう最近の自分に一つ苦笑を零して、グレイは頭の中に王宮の地図を思い浮かべた。


 キルドラグが逃げるために使ったのは王族用の避難経路のはずだ。外へ逃げる道と、中でやり過ごすための道。四年の間に安全のために変わった部分もあるだろうが、基本的な方針は変わらないだろう。

 幸い、今いる場所からはそう遠くない。ジルの退避が済めば切り上げるつもりだったが、彼の目的を知るキルドラグが追手を放っても困る。あの様子ではジルに恨みを抱いてはいないだろうが、放っておけば高い王位継承権を持つ息子を二人とも失いかねないことは明白なのだから、何かしら手を打ってきてもおかしくはない。


 結局のところ、他に選択肢はないのだ――グレイはそう納得すると、騎士に見つからないように物陰から出て走り出した。


 かつて騎士として歩いていた道を、侵入者として駆け回る。一人で歩くことは滅多になかった。いつだってそこにはケイラがいた。彼女の護衛騎士なのだから当然のことではあるものの、いつからか彼女と歩くことに喜びを感じるようになっていた。

 その道を一人で行くのは、どうにも居心地が悪い。まるで全く知らない場所のようだ。確かに豪奢な王宮内は季節ごとに飾られている花が変わり、それ以外の装飾も頻繁に入れ替えられる。けれど建物の造り自体は変わらない。壁も柱も、窓枠も、四年前に見た時のまま変わっていない。それなのにここには、ケイラがいない――たったそれだけで、こんなにも違って見える。


 そんなことを考えながら走っていたからだろうか。グレイは自然とケイラの部屋へ続く通路を通っていた。王族が逃げるための経路に向かっているのだから、彼女の部屋がそこから近いのは当然のこと。だが他にも道はあった。騎士達を警戒しながらだったが、ここ以外にも選択肢はあった。

 それなのにここを通ってしまった自分に呆れを感じ、しかし興味本位で動く足を止めることはしなかった。


 この先に敵の気配はない。だから問題はない。


 言い訳のように内心で呟きながら、身体が動くままに歩を進める。何度も何度も通った通路を歩き、見慣れた扉の前で止まって、扉に手をかける。手のひらから伝わる感触と重さが、グレイの記憶を呼び起こす。

 けれど――


「は……はは……そうですよね……」


 思わず乾いた笑いが零れたのは、そこには何もなかったから。ベッドも机も、クローゼットでさえも。ケイラが使っていたものが何一つ残っていない、空の部屋だったから。

 ともすれば部屋を間違えてしまったのかと思うほどに。しかし扉を開けた感触は記憶と寸分違わなくて、グレイに現実から目を背けることを許してくれなかった。


 ケイラは氷の病で命を落としたのだから、何も残っていないのは当然のことかもしれない。彼女が使っていたものは安全のために廃棄されることだってあるかもしれない。


 ――いや、そんなことはない。


 浮かんだ考えに自分で首を振る。伝染病ならともかく、氷の病はそんな対処をする必要がないのだ。ケイラはこの部屋で死んでいないし、そもそも彼女の死後もしばらくの間はこの部屋はそのままだった。それにもしここで命を落としていたとしても、一度夏を越えてしまえば確実に無毒化できる。

 だからこの部屋が空っぽになっているのは、それ以外の理由。彼女がここにいることが良く思われなかったことと、同じ理由。


 ここに、ケイラの居場所はなかったのだ。


「っ……ジル……あなたは正しかった」


 やっていることは決して褒められたことではなくとも。それどころか悪として断罪されかねないことだけれども。

 それでも彼女の死を悲しみ、彼女の尊厳を踏みにじった者達にその罪を自覚させようとする行為は、彼女が生きたことの証明になる。彼女にも味方がいたのだと、他でもない彼女を虐げた者達に証明することができる。

 この部屋を見て胸を襲った虚しさは、悔しさは、彼女の存在を知らしめることで弔わなければ決して癒やされはしないだろう。


 ……たとえそれを、ケイラ本人が望まなくとも。故人の想いに応え続けることだけが、その死を悼む方法ではないのだ。


 ならばこれからすべきことは、自ずとはっきりする。


「――逃がしませんよ、ローゼスタット王」


 ケイラが虐げられるきっかけとなった人物に鉄槌を。主の命令ではなく、己の意志で。


 ジルから獲物を奪うことはしない。あの男を捕らえ、ジルの前に差し出し、断罪を見届けることこそが自分にできるケイラの弔いなのだ。

 そして願わくば、全てを終えたジルの、ケイラの大事な人の心が癒やされて、憎しみとは無縁の人生を歩めるように。


 グレイは顔に厳しさを湛えると、本来の道へと戻っていった。

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