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果ての銀花と愚者の杭  作者: 丹㑚仁戻
最終章 果ての銀花と愚者の杭
251/269

251. 針先の身命(1/7) - 綱渡りの関係

 王宮を出て、隠してあったグイを駆り、ジルがやってきたのは王都郊外にある森の中だった。このあたりは国有地で、軍の古い実践訓練場跡地として閉鎖されている。しかし軍に所属していてもここに足を踏み入れることはできない。閉鎖されているのは旧時代的な訓練を行っていた名残で安全が確保できないからというのが表向きの理由だが、実際は違うからだ。

 しかし誰も入らないはずの森の中には、つい最近大勢が移動したと思われる痕跡があった。春の近い今の季節の雪は固く凍り、その上から多少新たなものが降っても、木々が邪魔をして簡単には全てを覆い隠すには至らない。

 無数の足跡に、草木から不自然に剥がれ落ちた氷、折れた枝の数々――それらはジルの想定どおりのものだった。この先に自分を待つ人間はいるが、その者の移動方法を思えばこんなに多くの痕跡は残せない。


 道は前にしか続いていないのだ。その先が暗闇の中で途絶えていようとも、引き返す道はもう残っていない。


『やめたいなら、今ここで私を殺しなさい』


 グレイの声が、ジルの耳の奥に蘇る。彼がそう言ってきた理由はジルにもなんとなく理解できていた。あそこで止まれば全て終わってしまうのだ。道が残っていない背後に倒れ込むしかなく、そうなってしまえばもうどこにも行くことはできない。

 だからグレイは二択を迫ってきた。だからジルは、彼の意を汲むしかなかった。


 今はまだ、グレイを殺せないから。それどころかもう二度と、彼の命を奪おうとすることはできないだろうから。

 まんまと乗せられたと分かっていても、選べるものなど最初から一つしかなかった。


「っ……クソ……」


 ムカムカとしたものが込み上げたが、口から出たのは弱々しい悪態だけ。

 ジルは手綱を握る手を固く握り締めると、森の中にできた道を進んでいった。



 § § §



 イヒカ達はイースヘルムの大地を歩いていた。ニムリスの隠れ家から更に数日分ほど氷の世界を奥に進んだところだ。

 捕らえられていたのにこうして目的地へと向かって進むことができているのは、ニムリスの民がイヒカの考えに理解を示したから。これから先何度も回復者(スタネイド)にこの地を荒らされるくらいならば、その疎ましい存在を失くすために、一度だけ氷の下に足を踏み入れさせて欲しいという者を受け入れるべきかもしれない――そんな意見がニムリスの中で反対を上回ったため、イヒカ達は無事に解放されたのだ。

 とはいえ完全に信用されたわけではなかった。隠れ家を出る時に向けられた目には、確かに疑念や敵意があった。


 それが、イヒカを安心させた。自分のしようとしていることはただの我儘で、決して正しいものではないと感じられたからだ。自分は氷の下にとっては異物だと実感することができたから、()()()()()()()()()()()と思えた。


 ただ、この場所の安寧が続けばいい。この土地に住まう者としてではなく、自分が守らねばという押し付けがましい義務感からではなく。

 ただただ、ここが今のままで続いて欲しい――それを確かめるように一歩一歩氷と雪を踏み締めていたイヒカだったが、ふとうなじのあたりが何かに撫でられたように感じた。

 だが、実際には何も触れていない。顔にかかる雪を防ぐためにゆるくマフラーを巻いているから、その慣れた柔らかい布の感触はある。けれど、いや、だからこそ、それ以外の感覚などしないはずなのだ。


 これは――イヒカはそこで立ち止まると、振り返って遠くに目を凝らした。


「イヒカ?」


 急に止まったイヒカに気が付いて、先頭を歩いていたヒューが首を傾げる。イヒカの視線の先を目で追うも、そこに広がるのは氷の大地だけ。林もなければ、大きな氷の塊もない。

 ヒューがそこまで確認できた時、イヒカが「見られてる」と遠くを見たまま呟いた。


「あ? ニムリスか?」

「違う。アイツらならオレなんかに気取られない」

「じゃァ誰が……」


 ヒューが零した時、その後ろにいたハルゼが「今更?」と呆れたように言った。


「つけられてるわよ。フィーリマーニからずっとね」


 その言葉に反応したのはイヒカだった。「なんで言わなかった」ハルゼに向けた声は低く、怒りが滲んでいる。そんなイヒカの態度にハルゼが「気付いてると思ってたのよ」と肩を竦めれば、イヒカはキッと目を吊り上げた。


「そう思っても言うべきだっただろ!? きっとニムリスの隠れ家が知られた! 気付かなかったオレも(わり)ィけど、アンタだってニムリスが外の人間に見つかったらマズいってことくらい分かってるはずだ!!」


 ニムリスは外の人間とは違う。その特徴的な外見は、欲深い人間にとっては格好の獲物となり得る。

 それだけなら確かにハルゼが気にする理由としては不十分だろう。しかしニムリスを狙って大勢が押し寄せれば、治療薬に使う薬草の採取に影響が出るかもしれない。

 だからイヒカはハルゼの態度を責めたが、そうされたハルゼは「そこは大丈夫よ」と鼻で笑った。


「アタシが言わなくても、アタシ達を隠れ家に連れてったニムリスは気付いて上手く撒いてたから。でもあそこを出てしばらくしたらまたついてきた。多分どこかでアタシ達が通るのを見張ってたのね」


 その言葉にイヒカの勢いが収まる。ハルゼの言動は不服だが、追跡者にニムリスの隠れ家を知られたわけではないと安心できたからだ。

 しかし、どう対応するか――イヒカが考え始めた時、会話を聞いていたリタが「フィーリマーニからならヒルデルかな」と考えるように言った。


「流石に瞳を襲った後でローゼスタットの間者が新たに街に来たとは考えにくい。元々忍んでいたんだとしても、ヒルデルの動向を探るために残しておきたいはずだ。そのヒルデルが追いたいのは瞳か私達か、それとも銀狼そのものか……どれも有り得そうだね」


 つまりは現時点でその理由を断定することはできないということ。だがイヒカには一つだけ思い浮かぶものがあった。これも断定できるわけではないが、一番起こって欲しくないことでもある。


「なんで言わなかった」


 同じ問いをハルゼに向けたのは、その理由を思ってのこと。しかし言葉足らずなそれでは当然相手には伝わらず、ハルゼは「さっき答えたでしょ」と怪訝な顔をした。


「意味が違うんだよ。ヒルデルならオレらの動きで氷の下への入口を探そうとしてるかもしれないだろ。だったらもっと早く対処しておくべきだった」


 ヒルデルがリタ達と同じ物を求めていることは知っている。場所にあたりはついていても確実ではないことも。

 そしてそのことはハルゼも知っているのだ。その不満を込めてイヒカが指摘すれば、ハルゼははっきりと嘲り笑いを浮かべた。


「ただ見張ってるだけのクセに口は出してくるワケ?」


 ハルゼとイヒカが睨み合う。お互いがお互いへの嫌悪感を既に明確に口していたからか、どちらの目にも敵意があった。

 そんな二人の姿にヒューは眉尻を下げると、「おい、ハルゼ」と一歩彼女の方へと近付いた。


「イヒカの言うことも一理あるぞ。ヒルデルより先に花を見つけなきゃいけないなら、連中の道案内なんてさせられてる場合じゃない。つーかここまで進めたのだってイヒカがニムリスを説得したからだろ。いがみ合うのは仕方ねェが、そこんとこ忘れるな」

「そもそも坊やが馬鹿正直に言わなきゃニムリスに捕まらなかったんだけど……まあ、確かに見張る以外にも役に立ってると言えば立ってるか」


 ヒューに指摘され、ハルゼはふうと溜息を吐いた。不承不承といった様子だ。その感情を隠さないままイヒカを見て、「保険が欲しかったのよ」と少し前の問いに答え始めた。


「ヒルデルってローゼスタットの回復者(スタネイド)兵部隊を連れているんでしょう? ニムリスが敵対してくるならそっちに目を逸らしたら楽じゃない」


 しかしその答えを得ても、イヒカは納得できなかった。


「ニムリスを軍隊に襲わせるつもりだったのか!?」

「そうよ、悪い?」


 笑うハルゼに後ろめたさは感じられない。そんな彼女に愕然としたのはイヒカだけではなかった。ヒューもまた「お前……」と呆然とハルゼを見つめ、リタですらその眉間が僅かに強張っているように見える。

 ハルゼは好意的とは言い難い目を向けてくる彼らに「アンタ達は甘いのよ」と口端を上げると、「使えるものは何でも使う」と再びイヒカに視線を戻した。


「アンタはニムリスに情があるんでしょうけど、アタシにはそんなものはないの。自分より強い相手と真っ当な手で戦うなんて御免よ」

「お前っ……!」


 イヒカは気色ばんで言い返そうとしたが、すぐに口を噤んだ。「っ……」何かを振り払うように首を乱暴に一回振って、眉間に怒りを留める。そしてそのマフラーから耐えるような吐息を一つ零すと、くるりと踵を返して来た道を引き返そうとし始めた。


「待てイヒカ! お前何しに……!」

「隠れてる奴をどうにかするに決まってるだろ!」


 制止するヒューに吠える。このまま自分達を追う者を放置し続ければ、ハルゼの知る氷の下への入口まで案内することになってしまう。それにもし追跡者がヒルデルならば、いつハルゼの罠によって彼らがニムリスを襲うよう仕向けられるか分からない。

 ヒューもイヒカの懸念が分かったのか、それ以上は止めようとしなかった。ハルゼも「好きにすれば?」と笑っている。だからイヒカは再び歩き出そうとしたが、別の方からの「もう無駄だよ」という声がその足を止めた。


「ここまで近くまで来たなら、本隊への連絡を少し遅らせることくらいしかできない。元々ヒルデルが場所の見当もついてないならまだしも、そうじゃないなら何の意味もないよ。それに――」

「リタ」


 イヒカに向かって話していたリタをハルゼが止める。その視線は鋭く、何かを咎めるかのよう。


「アンタは花を探すためにアタシを雇ったんでしょう? だったらその目的において指示を出すのはアタシよ。アンタじゃない」


 その言葉もまた、リタの行動を批難するようなものだった。


「…………」


 リタが無表情でハルゼを見つめる。ハルゼもまた、強い目で彼を見返す。その空気にヒューが「どうしたんだよ」とリタに声をかければ、リタは小さく息を吐いた。


「……ハルゼの言うとおりだ。この旅路においては、私はハルゼに従う立場だよ」


 そこまで言って、イヒカに目を移す。「お前もね」諭すように、けれど同時に、何かを伝えるように。


「無理に従う必要はないけど、見張りが目的なら私達から目を逸らすべきじゃない」


 自分を見つめるリタにイヒカが怪訝そうに眉を顰める。しかしリタはそれ以上付け加えることはなく、「先を急ごう」とハルゼに向き直った。

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