巻五:神仙(その五)
〜王次仲、墨子、劉政、孫博、天門子、玉子、茅濛、沈羲、陳安世の軌跡〜
古代中国、天地の理を求め、人を超えようとした者たちの記録。ここでは、圧倒的な才覚や純粋な精神によって神仙の領域へと足を踏み入れた者たちの、美しくも生々しい奇譚を現代の小説のように描いてみよう。
王次仲〜巨大な鳥と化した孤独な天才〜
戦国時代の末期、諸国が血で血を洗う争いを繰り広げていた頃。王次仲は大夏と小夏という山に籠もり、ある作業に没頭していた。
当時の公式な文字である「篆書」は、画数が多く複雑すぎて、戦乱の世で急いで文書を書くにはひどく不便だった。そこで彼は、実用性を極限まで高めた新しい書体を独力で編み出したのだ。
やがて天下を統一した秦の始皇帝は、彼の文字の利便性に目をつけ、都へ出仕するよう命じた。しかし、次仲は三度呼ばれても頑として動かなかった。
激怒した始皇帝は使者に命じた。「天下に私に逆らう者などいてはならない。次仲の首を刎ね、その首を都へ持ち帰れ!」
使者が山に踏み入り、処刑の刃を振り上げようとしたその瞬間——。
王次仲の体がふわりと宙に浮き、巨大な鳥へと姿を変えた。 バサバサと巨大な翼を羽ばたかせ、彼は大空へと舞い上がっていく。
使者は腰を抜かし、地にひれ伏した。「このままでは私が皇帝に殺されてしまいます! どうかお慈悲を!」
空を旋回していた鳥は、哀れな使者を見下ろすと、わざと三枚の大きな羽根を地上に落としてみせた。使者はその羽根を拾い集め、始皇帝に事の顛末を報告した。神仙の術を信じる始皇帝は、無理に殺そうとしたことをひどく後悔したという。
彼が羽根を落とした幽州の山は「落翮山」と呼ばれ、今も人々が祠を建てて祈りを捧げている。
墨子〜戦火を止めた論客、神仙となる〜
宋の国に生まれた墨子(本名:翟)は、孔子の儒教を批判し、「博愛と倹約」を説く一派を立ち上げた偉大な思想家だ。
ある時、天才発明家の公輸般が、楚の王のために「雲梯」という巨大な攻城兵器を開発し、宋を滅ぼそうとしているという噂を耳にした。
墨子はすぐさま故郷を出発し、足の皮が破れても布で縛り、七日七夜歩き続けて楚の国へ駆け込んだ。
墨子は楚の王と公輸般の前に立ち塞がった。
「あなたの国には広大な土地と豊かな資源があるのに、なぜわざわざ貧しい宋を奪おうとするのですか? それは、豪華な服を着た金持ちが、隣の貧乏人のボロボロの服を盗むのと同じ、ただの狂気です」
王が渋ると、墨子は無造作に自分の帯を解いて机に置き、「これを宋の城壁とします」と言った。そして木片を並べ、公輸般と「机上の攻城戦」を始めた。
公輸般が九回にわたって新型兵器の陣形を変えて攻め込んだが、墨子は瞬時にそのすべてを防ぎ切ってみせた。
公輸般は冷や汗を流し、「私には、あなたを倒す方法が一つだけある。だが言わない」と呟いた。
墨子は静かに笑った。「あなたが私をここで殺そうとしているのは分かっています。しかし、私の弟子三百人が、すでに私が設計した防衛兵器を持って宋の城壁で待機しています。私を殺しても、宋は落ちませんよ」
その圧倒的な知略と覚悟の前に、楚の王はついに宋への侵攻を諦めた。
82歳になった墨子は、「世の理はすでに知った。これからは神仙の道を歩もう」と、周の狄山の奥深くに籠もった。
ある夜、彼の寝床に何者かがそっと布団を掛けた。墨子が目を開けると、そこには神人が立っていた。
「お前には仙骨(仙人の素質)がある」
神人から二十五篇の秘術の書を受け取った墨子は、それらを完全にマスターし、永遠の命を持つ「地仙」となった。時代が下り、漢の武帝が彼を招こうとした時も、墨子は50歳ほどの若々しい姿のまま、悠然と各地の山々を放浪していたという。
劉政と孫博〜人智を超える魔術師たち〜
沛の国に生まれた劉政は、墨子の術を極めた男だった。
その年齢は180歳を超えていたが、見た目は少年のようだった。彼の能力は、もはや人間の理解を超えていた。
自分の体を百人、千人と分身させたり、軍隊を丸ごと隠して一つの森に変えてしまったり、種をまいた瞬間に果実を実らせて食べたりすることができた。息を吹けば暴風が起き、指を差せば山や家屋が崩れ落ちた。さらに美女を幻惑で創り出し、水の上を平然と歩き、海から龍や亀を呼び寄せることもできた。最後は空へ向かって数百丈も飛び上がり、そのまま姿を消した。
河東の孫博もまた、恐るべき術の使い手だった。
草木や岩から強烈な火を吹き出させ、口から炎を吐いた。逃げた奴隷が軍の陣地に隠れた時は、赤い玉を投げ込んで火事を起こし、奴隷が飛び出してきたところを捕まえた。そして青い玉を投げ込むと、火は一瞬で消え、建物には焦げ跡ひとつ残っていなかった。
彼は水の上を歩くばかりか、水面に敷物を敷いて宴会を開き、岩壁の中にズブズブと体が沈み込んでいく術も見せた。剣を何本も飲み込むという大道芸のようなこともやってのけ、最後は神仙の丹薬を飲んで天へと去っていった。
天門子と玉子〜五行と気の支配者〜
天門子は、「陰陽と房中術」の極意を究めた男だった。
彼の哲学は冷徹かつ写実的だ。「陽(男)は木であり、陰(女)は金である。木が金にぶつかれば必ず傷つくように、男は女によって精気を奪われる」
彼は女性が白粉を塗るのは「金の白さ」の象徴だと見抜き、常に自分が「青龍」や「玄武」といった有利な気を持つように立ち回った。感情を乱さず、欲望に飲まれず、気をコントロールし続けた彼は、280歳になっても童子のような肌艶を保っていた。
南郡の玉子は、五行(木火土金水)のエネルギーを自在に操る達人だった。
暴風雨を起こし、木や石を虎や龍に変える。泥を丸めて馬の形にし、弟子たちに「目を閉じろ」と命じると、それが本物の巨大な馬になり、一日に千里を駆けた。
息を吹きかければ飛んでいる鳥が落ち、口に含んだ水を吐き出すと、それがすべて真珠や玉に変わった。
彼は器に水を入れて両肘の間に置き、そこに息を吹きかけて輝く赤い水を創り出し、それで人々のあらゆる病を治して回った。
茅濛と沈羲〜天界からの迎え〜
咸陽に住む茅濛は、周王朝が衰退していく泥沼の政治を見限り、華山の奥でただひたすらに静寂と仙術を追求した。
やがて彼が白日昇天(昼間に生きたまま天へ昇ること)を果たすと、町の人々はその奇跡を歌い踊った。これを聞いた秦の始皇帝は、彼にあやかるためにその年の暦の名前を変えたほどだった。
呉郡の沈羲は、仙薬の作り方などは知らなかったが、その心根の優しさと、無償で人々を救う徳の高さが天界の神々を感動させた。
ある日、彼が馬車に乗っていると、道いっぱいに光り輝く車列が現れた。青龍が引く車、白虎が引く車、白鹿が引く車。赤い衣を着た神使たちが降り立ち、沈羲にうやうやしく告げた。
「沈羲どの、あなたは人々のために尽くしました。寿命が尽きる前に、天界があなたをお迎えに上がりました」
驚く間もなく、彼は雲に乗って空へ引き上げられていった。残された彼の牛と車は、主人がいなくなった田んぼで呑気に草を食んでいた。
天界の宮殿は、赤や黄色の雲が混じり合う、息を呑むほど美しい場所だった。
沈羲は黄金の机と翡翠の杯で「神丹(不老不死の薬)」を賜り、天界の果実である巨大な仙棗を食べた。
老君は彼に言った。「人間界へ戻り、さらに多くの人々を病から救いなさい。用がある時は、このお札を竿の先に結べば、いつでも迎えに行こう」
瞬きをした次の瞬間、沈羲は地上に戻っていた。彼が天界で授かった札は、どんな重病人もたちどころに治す奇跡の力を持っていた。
陳安世〜無欲な少年が見た真理〜
長安の都に、陳安世という13、4歳の少年がいた。彼は叔本という男の家で下働きをしていた。
安世はひどく心優しく、道端の虫を踏むことすら避けるような純粋な少年だった。一方、雇い主の叔本は「仙人になりたい」と熱望し、日々修行の真似事をしている俗っぽい男だった。
ある時、二人の神仙が「みすぼらしい書生」の姿に化けて叔本の家を訪ねてきた。叔本は彼らが神仙だとは全く気づかず、最初はもてなしていたものの、次第に「ただのタダ飯食らいだ」と冷たくあしらうようになった。
神仙たちは、主人の代わりに正直に対応する使用人の安世に目をつけた。
「お前、仙術に興味はあるか?」
「興味はありますが、誰に教わればいいのか分かりません」
「ならば明日、道の北にある大きな木の下に来なさい」
翌朝、安世が木の下に行っても誰もいない。夕方になって帰りかけると、横から声がした。「遅いぞ」
「朝からずっといましたよ。あなたたちの姿が見えなかっただけです」
神仙たちは、安世の純粋な誠実さを気に入り、彼に二つの丸薬を与えた。「これを飲んだら、もう人間の食べ物を口にしてはいけない。そして、空き部屋で一人で過ごしなさい」
それから、安世が誰もいないはずの空き部屋で楽しそうに会話しているのを見て、主人の叔本はついに気づいた。
「まさか、あの貧相な書生たちが本物の神仙で、私が冷たくしたせいで、この使用人の少年を弟子に選んだのか……!」
叔本は自分の愚かさを嘆き、プライドを捨てて、13歳の使用人である安世に対して「師匠」として深く頭を下げた。
その後、安世は見事に仙人となり、昼間に空へ昇っていった。彼は去り際に、自分を敬い仕えてくれた元雇い主の叔本に仙術の極意を教え、後に叔本も無事に仙人になることができたという。




