巻四:神仙(その四)
〜神話と現実が交錯する、華夏の奇譚集〜
古代中国の息遣いがリアルに迫る『太平広記』巻四。ここでは、俗世の権力や野望をあっさりと捨て去り、大自然の神秘と同化した者たちの生々しくも美しい物語が綴られます。神仙たちの御業を、極彩色の写実的な筆致で紐解いていきましょう。
王子喬〜白鶴に乗って消えた太子〜
周の霊王の太子であった王子喬は、権力の座には目もくれず、ただ笙を吹き鳴らすことを愛した。その音色はまるで本物の鳳凰の鳴き声のように美しく、伊水や洛水といった川のほとりを放浪しては音を響かせていた。
やがて彼は道士・浮丘公に導かれ、嵩山の奥深くへと足を踏み入れた。
それから三十年後。家族が必死に彼を探しに山へ入ると、一人の男に出会った。男は王子喬からの伝言を告げた。
「七月七日、緱氏山の山頂で待っていてくれ、と」
約束の日、家族が山頂を見上げると、抜けるような青空を背に、真っ白な鶴に乗った王子喬の姿があった。彼は天高くから静かに手を振り、数日間にわたって人々の前に姿を見せた後、雲の彼方へと消えていった。
鳳綱〜死を欺く百草の泥〜
漁陽に住む鳳綱は、泥にまみれて生きる男だった。
彼は正月から九月末まで、何百種類もの草花を摘み、水に浸しては泥で封をし、百日間土の中に埋めた。それを掘り出し、九度も火にかけてじっくりと煎じ詰めるのだ。
それはむせ返るような青臭さと土の匂いが混じる黒い薬だったが、息絶えたばかりの者の口に押し込めば、たちまち血の気が戻り蘇生したという。
彼はこの泥臭い秘薬を飲み続け、数百歳になっても若々しい肉体を保ったまま、地肺山へと入っていった。
琴高〜緋色の鯉と水底の秘境〜
趙の国に生まれた琴高は、その名の通り琴の名手だった。彼は不老の術を修め、二百年以上も冀州のあたりを放浪していた。
ある日、彼は「水底に入って龍の子供を捕まえてくる」と言い出し、弟子たちに「川岸に祠を建て、身を清めて待っていろ」と命じて水の中に消えた。
約束の日。波立つ川面から現れたのは、巨大な緋色の鯉だった。
琴高はその鯉の背に跨り、水飛沫をあげながら祠の中に滑り込んできた。その圧倒的な光景を、一万人もの見物人が息を呑んで見つめていた。彼はそこに一ヶ月ほど留まった後、再び冷たい水底へと還っていった。
谷先生〜野望を嗤う一隻の靴〜
清渓山の奥深くに隠棲する谷先生(本名:王栩)のもとには、のちに天下を動かすことになる蘇秦と張儀という二人の若者が学んでいた。
彼らは弁舌で諸侯を操り、権力を手にする野望に燃えていた。谷先生は彼らに「至高の道」を教えようとしたが、血気盛んな若者たちの心には届かない。先生は彼らの俗物ぶりに涙を流して悲しんだが、結局二人は山を下りる決意をした。
別れの日、先生は自分が履いていた一隻の靴をポイと投げた。するとそれは一匹の犬に変わり、二人の若者を道案内して、その日のうちに遠く離れた秦の国へと送り届けてしまった。
後に秦の始皇帝の時代、街道に横たわる死者たちの顔に、鳥が奇妙な草を被せて生き返らせるという事件が起きた。始皇帝の使者が谷先生にその草を鑑定させると、先生は言った。
「それは東海にある祖洲の『不死草(養神芝)』だ。一株あれば千人の命を救うことができるだろう」
蕭史〜龍と鳳凰の調べ〜
見た目は二十歳そこそこの美しい青年、蕭史。彼が簫(しょう:縦笛)を吹くと、大空から鸞や鳳凰が舞い降りるほどの絶技だった。
秦の穆公は彼を気に入り、同じく音楽を愛する娘・弄玉を嫁がせた。蕭史は妻に簫の吹き方を教え込み、十数年後には夫婦の奏でる音色に惹かれ、本物の鳳凰が彼らの屋根に棲みつくようになった。
王が二人のために「鳳台」という高台を建てると、夫婦はそこに昇り、数年間水も食事も摂らずに過ごした。そしてある朝、弄玉は鳳凰に、蕭史は龍に跨り、朝焼けの空へと昇天していった。
徐福〜波濤の果て、千年の孤島〜
始皇帝の命を受け、三千人の少年少女を引き連れて東海の彼方へ「不死草」を探しに出た徐福。彼は二度と戻らなかった。(大和の地に流れて、我々日本人の祖先である説も...)
時は流れ、唐の時代。半身が黒く枯れ果てる奇病に侵された男が、一縷の望みを託して海に出た。十日余り漂流してたどり着いた孤島には、数百人の人々がひざまずき、一人の白髪の老人を拝んでいた。
「あれこそが、あの徐福様です」と島民は言った。
男がひれ伏して治療を乞うと、徐福は彼に飯と少量の酒、そして黒い薬を与えた。男がそれを飲むと、何升もの黒いヘドロのようなものを吐き出し、病は完全に癒えた。
徐福は「まだお前がここに残る時ではない」と男を東風に乗せて故郷へ帰し、万病に効く黄色い薬を授けた。その薬は時の皇帝・玄宗の宮廷でも奇跡を起こしたという。
王母の使者・月支の使者〜驕れる王と無下なる至宝〜
漢の武帝は、神仙を求めながらも物の価値を見抜けない「俗世の王」であった。
ある時、西王母の使者が「霊膠」という青い玉のような接着剤と、水にも火にも耐える「吉光の毛裘(毛皮)」を献上した。しかし武帝は「見た目が地味だ」と蔵に放り込んでしまう。
後に狩猟で弓の弦が切れた際、使者がその膠をほんの少し唾で濡らして弦を繋ぎ合わせたところ、屈強な武士が一日中引っ張っても切れないのを見て、武帝は初めてその凄さに気づき、慌てて褒美を与えた。
また、西域の月支国からは「猛獣」と「神香」が献上された。しかし猛獣は子犬ほどの大きさで、香は黒い桑の実のようだったため、武帝は不機嫌になった。
使者は堂々と王を批判した。
「我が国から十三年も艱難辛苦を越えて献上したというのに、陛下は物の本質を見抜けない。眼は欲にまみれ、口は災いを呼び、心は贅沢に溺れている。あなたは『道』を持たぬ王だ!」
武帝が怒って猛獣を鳴かせると、その小さな獣は雷鳴のような咆哮を上げ、眼から炎を放った。武帝は恐れおののき、獣を虎に食わせようとしたが、虎のほうが震え上がって地に伏せてしまった。
翌日、使者も獣も忽然と姿を消した。後に都で疫病が大流行した際、武帝が蔵に捨て置いたその「神香」を焚いたところ、死後三日以内の者が皆生き返ったという。
衛叔卿〜天界の矜持と王の傲慢〜
雲母を飲んで仙人となった衛叔卿。彼は雲の車に乗り、白鹿に引かれて武帝の宮殿に空から降り立った。
驚いた武帝が名を問うと、「私は中山の衛叔卿だ」と答えた。すると武帝は「お前が中山の人間なら、私の臣下ではないか」と傲慢に言い放った。
「道を求める王だと聞いて来たが、所詮は権力にすがる俗物か」
叔卿は深く失望し、一言も発せずに姿を消した。
後悔した武帝が使者と叔卿の息子(度世)を華山に向かわせると、絶壁の上で紫の雲に包まれ、仙人たちと囲碁を打つ叔卿の姿があった。
叔卿は息子に言った。
「漢の国は滅びる。もはやあの王に教えることはない。お前は家の柱の下にある秘伝書を掘り出し、仙薬を作って私の元へ来なさい。決して漢の臣下などになるな」
息子はその言葉通りに秘伝書を手に入れ、俗世を捨てて父と同じ高みへと去っていった。
張楷と陽翁伯
華山に住む張楷は、「五里霧」と呼ばれる深い霧を自在に操る幻惑の道術を持っていた。彼の教えを乞う者たちが市場のように押し寄せたため、その場所は「霧市」と呼ばれるようになった。
盧龍に住む陽翁伯は、親の墓のそばで昼夜泣き明かすほどの孝行者だった。その誠意に打たれた神が墓の横に泉を湧かせた。
ある日、旅人に馬の水を飲ませてやったところ、お礼に「白玉の種」をもらった。彼がそれを畑に植えると、見事な白璧(白い玉のリング)が次々と実をつけた。
やがて仙人たちが彼を迎えに来た。「お前の孝心と、玉を育てる清らかな心が天に届いたのだ」
彼は実った白璧を結納品として美しい妻を娶り、数年後、夫婦揃って雲の龍に乗って天界へと昇っていった。彼の残した畑には、今も巨大な石柱が立っているという。




