巻六:神仙(その六)
〜張子房、東方朔、王喬、周隠遥、劉商の軌跡〜
権謀術数が渦巻く人間界の裏側で、ひっそりと、しかし確実に息づいていた神仙たちの世界。『太平広記』巻六では、歴史に名を残した天才軍師や奇人、そして自らの肉体を実験台にして真理を追究した者たちの、生々しくも美しい物語が紐解かれます。
張子房〜流星となった黄石の軍師〜
張子房、またの名を張良。のちに漢の高祖・劉邦を助け、天下を平定することになるこの希代の天才軍師は、若い頃からすでに常人とは異なる道を歩んでいた。
彼がまだ下邳という町に身を隠していた冬のこと。
雪が激しく吹き付ける土手道の橋(圯橋)を通りかかると、粗末な黄色い単衣を着た一人の老人が、わざと自分の靴を橋の下へ蹴り落とした。
「おい小僧、取ってこい」
理不尽な命令だったが、子房は顔色一つ変えずに凍える橋の下へ降り、泥まみれの靴を拾って老人に差し出した。すると老人は、傲慢にも足を突き出して履かせろと要求した。子房はさらに恭しく、老人の足に靴を履かせた。
老人はニヤリと笑った。「見所のある小僧だ。明日の朝、ここへ来い。いいものを教えてやる」
翌朝、まだ星が瞬く夜明け前に子房が橋へ行くと、老人はすでにそこにいた。「人に教えを乞うのに遅れてくるとは何事だ!」と怒られ、これを三度繰り返した後、子房はついに夜中から橋で待ち続けた。
老人は満足そうに一巻の書物を子房に手渡した。
「これを読めば、帝王の師となれる。もし私を探すなら、穀城山の麓にある『黄色い石』が私だ」
これこそが伝説の「黄石公の書」である。子房はこの書で変幻自在の兵法を悟り、天下を動かした。それと同時に、彼は気を練り、肉体を軽くする仙術をも身につけていた。
晩年、子房は俗世の権力をあっさりと捨て、修行に専念した。
彼が死んだ後、赤眉の乱という内戦で暴徒たちが彼の墓を暴いた。しかし、棺の中に遺体はなかった。ただ、枕元に置かれていた一つの「黄色い石」が、眩い光を放ちながら流星のように夜空へと飛んでいったのである。
後に残されたのは、彼が身につけていた衣と冠、そしてあの兵法書だけだった。子房は「太玄童子」という仙官に昇り、今も天界で老子に仕えているという。
東方朔〜宇宙を遊び場にする男〜
前漢の武帝に仕えた東方朔は、一見するとただの冗談好きの道化だったが、その正体は人智を超えた存在だった。
彼は生後三日で母親を亡くしたが、三歳になる頃には天下のあらゆる難解な書物を暗唱し、宙に向かって一人言を呟くような子供だった。
ある日、彼は家を飛び出し、何ヶ月も帰ってこなかった。育ての親である隣の老婆が彼を叱ると、朔は平然とこう言った。
「紫の海で遊んでいたら服が汚れたので、虞泉という泉で洗濯をして、ちょっと冥界の宮殿で休んできただけですよ。向こうの王様から赤い栗や霞のジュースをもらって、食べすぎて死にそうになったので、天の露を飲んで酔いを覚ましてきました。帰りに道端で寝ていた青い虎に乗って帰ってきたんですが、虎に足を噛まれて痛かったなあ」
彼の言う「ちょっとそこまで」は、宇宙規模の旅だったのである。
武帝が晩年、「お気に入りの者たちを不老にしたいのだが、何か薬はないか」と朔に尋ねた。
朔は涼しい顔で答えた。「東北の地に生える芝草と、西南にいる春生の魚を食べれば不老になります」
「なぜそんなことを知っているのだ?」
「太陽に棲む三本足の烏が、その草を食べようと地上へ降りてくるのを、神様が必死に目を塞いで止めているからです。あの草を食べると、あまりの美味さに鳥も獣も気絶して動けなくなりますからね」
またある時、朔は武帝に「声風木」という不思議な枝を献上した。
その枝は百歳の老人が持つと汗をかき、死期が近い者が持つとポキリと折れるという。武帝が「お前はこれを見たことがあるのか?」と問うと、朔は笑って答えた。
「私はこの枝が三回枯れて、三回生き返るのを見てきました。この木は五千年に一度汗をかき、一万年に一度枯れるのですよ」
東方朔が死んだ後、武帝は彼が遺した「私の正体を知っているのは、星占いの太王公だけだ」という言葉を思い出し、太王公を呼び出した。
「お前は星占いが得意だそうだな。今、星はすべて揃っているか?」
太王公は答えた。「すべて揃っております。ただ、歳星(木星)だけが十八年間姿を消しておりましたが、最近になって再び現れました」
武帝は天を仰ぎ、深くため息をついた。
「東方朔は十八年間も私のそばにいたというのに、彼が木星の精霊だったことに気づけなかったとは……」
王喬〜鴨になった靴〜
後漢の時代、葉という土地の県令(長官)だった王喬は、不思議な術の使い手だった。
彼は毎月、新月と満月の日には必ず都の朝廷に姿を現した。しかし、彼が車や馬を使っている形跡は一切ない。不審に思った皇帝が役人に監視させると、奇妙な報告が上がってきた。
「王喬が都へ到着する直前、必ず東南の空から二羽の鴨が飛んできます」
皇帝は役人に命じ、飛んでくる鴨を網で捕らえさせた。
網に掛かった鴨を引き下ろしてみると、バサバサと羽ばたいていたそれは鴨ではなく、片方だけのボロボロの靴(舄:せき)だった。それはなんと、四年前に朝廷から王喬に支給された役人用の靴だったのである。
王喬が赴任している葉の県庁舎では、誰も叩いていない太鼓が勝手にドンドンと鳴り響き、都まで聞こえることがあった。
やがてある日、天から見事な玉の棺が、葉の役所の庭にズシリと降りてきた。役人たちが押しても引いても、棺はピクリとも動かない。
王喬は「天帝が私をお召しになったか」と静かに笑い、体を清めてその棺の中に横たわった。すると、蓋がパタンと自動的に閉まり、翌朝には町の東側に自然と土が盛り上がって彼の立派な墓ができていた。
その夜、町中の牛や羊が一斉に汗をかき、息を切らして倒れ込んだという。動物たちは、目に見えない神仙の葬列を引かされていたのだ。
周隠遥〜死と再生の生々しき実験〜
周隠遥は、洞庭山に住む道士である。彼は「太陰錬形」という、一度死んで肉体を地中で錬成し直すという、極めてグロテスクで危険な仙術を実践していた。
彼は焦山という山の洞窟に入り、弟子にこう言い残して息絶えた。
「私の死体を時々確認しろ。獣や虫に食われないように守るのだ。もし六年後に再生し始めたら、私に新しい服を着せてくれ」
弟子が恐る恐る見守る中、最初のうちは彼の肉体は腐乱し、異臭を放ち、虫が湧いて崩れていった。しかし、不思議なことに五臓(内臓)だけは全く腐らずに原型を留めていた。
約束の六年目。弟子が洞窟へ入ると、白骨化していたはずの肉体が完全に再生し、周隠遥は息を吹き返していた。体を洗い、新しい服を着せた彼の姿は異様だった。髪は烏の濡れ羽のように黒々とし、顎には獣のたてがみのような太く硬い髭が密生していたのだ。
その後、彼は再び死に、今度は七年後に蘇った。これを三度繰り返し、四十年以上の歳月が流れた頃には、八十歳近い年齢でありながら、その肉体は三十歳そこそこの精悍な青年に変貌していた。
彼の噂を聞きつけた隋の煬帝や唐の太宗は、彼を都へ招き、皇帝のための不老長寿の道を尋ねた。
しかし周隠遥はこう答えた。
「私が修めた道は、ただ私個人の肉体を保つための、ちっぽけな利己的な術に過ぎません。皇帝の道とは、一言で万民を救い、天下を潤すことです。私のようなどす黒い執念の術は、天下を治める皇帝が学ぶようなものではありません」
彼は莫大な褒美を断り、再び冷たい山の洞窟へと帰っていった。
劉商〜絵筆に宿る水墨の仙気〜
漢の皇族・中山靖王の末裔である劉商は、役人としての出世よりも、ただ静かに「無為自然」の道を愛する風流人だった。
彼は仙薬の調合に並々ならぬ情熱を注ぎ、薬草や鉱物を探す者には惜しみなく金を払い、他人が薬を作るための道具や資金の援助も喜んで行った。そこに「薬を分けてほしい」というような下心は一切なかった。
彼が武康の上強山に居を構えていた時のこと。
いつものように木こりや薬草売りから材料を買い取っていた彼のもとに、一人の男が「术(オケラ:薬草の一種)」の束を売りに来た。劉商はいつものように高値でそれを買い取り、庭の隅に無造作に積み上げておいた。
ある日、彼が畑の畦道を散歩していると、林の奥から見知らぬ者たちの声が聞こえた。
「中山の劉商には、今日『本物の术』を与えてやった。あいつの純粋な善行が天に届いたのだろう」
驚いた劉商が林に入ると、そこには誰の足跡もなかった。彼は慌てて家に戻り、あの木こりから買った「术」を煎じて飲んだ。
一ヶ月後、彼の抜けていた歯は生え揃い、白髪は黒くなり、肌は赤ん坊のように瑞々しくなった。足取りは走る馬に追いつくほど軽く、険しい岩山を登っても息一つ切らさない。さらに一ヶ月後には、座ったままで世界のあらゆる出来事を見通せるようになった。
仙術を得た彼は、山の洞窟へと入り込んだ。
唐の咸通年間のこと。ある酒屋の主人が、ふらりと現れる不思議な木こりの老人(劉商)を厚くもてなした。劉商は酒屋にこう言った。
「私は中山の劉商だ。昔から水墨画が得意でね。世話になったお礼に、一枚描いてやろう」
筆を取った劉商は、あっという間に千の山と万の水を紙の上に描き出した。その筆致は、到底この世の絵師に描ける代物ではなかった。
描き終えると、劉商は告げた。
「私の先祖である淮南王から、海の水を管理する仙官の位を授かったので、もうここへは来られない」
それから十日ほど後。空一面に瑞祥の雲が広がり、どこからともなく素晴らしい香りの風が山谷に吹き渡った。
木こりたちは、劉商が空を飛び、南の空の彼方へと去っていくのをはっきりと見たという。




