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第8軍団後記(10年後)  作者: 青山


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第六話 戦友と貸切の酒場

 メグ様を新市街の境界まで送り届けたのは、日が落ちきる少し前だった。

 もつ煮は、やはり相当に辛かったらしい。境界までの道のあいだじゅう、メグ様は唇を真っ赤に腫らして、ひいひい言いながら水筒の水を飲んでいた。


「辛いの、大好きだったんです。今日までは」

「明日からは」

「……ほどほどに、好きです」


 境界の向こうは、道が急に広くなり、石畳の継ぎ目から泥が消える。水道の通った通りには、井戸も、井戸にたむろする走り使いの子どもたちもいない。ドロシーの網は、ここで切れる。

 境界の角に、ホッパー家の紋の入った馬車が待っていた。御者のほかに、護衛が二人。サムは近づくついでに、車軸の継ぎ目にちらりと目をやった。去年の春のことは、ドロシーから聞いている。

 馬車に乗る前に、メグ様はくるりと振り返り、深々と頭を下げた。


「サミュエル主任。今日は一日、ありがとうございました! 明日も、よろしくお願いします!」

「こちらこそ。今夜は、まっすぐお休みください」

「はい! ……あの、主任」

「はい」

「足、本当に大丈夫ですか?」


 塩樽のことだ。忘れていた。サムは、わざとらしく頬を歪め、間をおいてから答えた。


「頑丈にできていますので」


 荷運びたちの台詞を、そのまま借りた。メグ様は小さく吹きだして、馬車に乗りこんだ。護衛が黙って扉を閉め、馬車は広い道を奥へ遠ざかっていく。ここから先は、長官の護衛の持ち場だ。夜の間は、俺の出る幕ではない。

 サムは踵を返した。

 俺の出る幕は、ここからだ。


 ◇


 ラスト・コールの扉には、「本日貸切」の札が下がっていた。

 この店が貸切になった場合、この地区の住人は荒事を予感し、外出を控える。

 中に入ると、卓はすべて壁際に寄せられ、灯りは半分落としてあった。カウンターの内側でヘイムが腕を組み、その前の丸椅子に、ドロシーが脚を組んで座っている。ネルは扉の脇の壁にもたれていた。サムの顔を見るなり、ネルは舌打ちをした。


「遅ぇ」

「すまない、お嬢様を送ってきた」

「んなこたぁわかるよ。当たり前だろうが。走ってきやがれ」


 いや、厳しすぎない?いくらおっさんでも、こんなに若者に嫌われるのは傷つくぞ?

 ヘイムは何も言わずに、奥の棚から缶を下ろした。湯を沸かし、茶葉を量り、白い陶器の杯に注ぐ。こんな夜でも、葦牙を淹れる手つきだけは変わらない。


「じゃあ始めるわよ」


 ドロシーが、紙ナプキンを一枚、カウンターに広げた。もう線が引いてある。北の倉庫街の外れ。運河沿いに、細長い建物が一つ。


「ネル、坊やたちに説明を」

「はい、姐様!喜んで」


 ネルの声が、一瞬で春の日だまりに戻った。こいつの喉は、どうなっているんだ。


「灰色の外套は、東区の東の端から、境界沿いに北へ回りました。走り使いのいない道を選んで、網の切れ目を一度も踏み外さずに」


 ネルは、ナプキンの一点を、指で叩いた。


「慣れてます。あれは、この街の網の形を知ってる歩き方です。……ここに入りました。運河沿いの下宿屋、鴎亭(かもめてい)」

「鴎亭」


 サムは繰り返した。聞き覚えがあった。


「ベルタ婆さんの店か」

「そう」


 ドロシーが、細い紙巻きに火を点けた。甘く焦げた葦の匂いが、カウンターに流れてくる。


「荷役の独り者を八人ばかり置いて、大皿の飯を出してる店よ。下宿人はみんな、西の組を通して河岸の荷場に出てた。……その八人が、十日前から一人も手配に顔を出してない」

「十日」

「西の組は、北の荷場に鞍替えしたんだろうって、気にもしてなかったわ。荷役が雇い先を替えるのは、珍しくもないから」


 ドロシーは、煙を細く吐いた。


「でもね。ベルタ婆さんは、毎朝必ず川沿いの市場に葱を買いに来てたの。三十年、雨の日も雪の日も。それが、十日前からぱったり」


 サムは、冷めかけた茶を一口すすった。


「ネルが場所を割ったあと、目を入れたわ」


 ドロシーが、カウンターの端を顎でしゃくった。小さな籠の中で、鼠が一匹、丸くなって眠っていた。背中の毛が一か所だけ不自然に盛り上がり、その下で、極小のコアが鈍く光っている。片方の目が、少し外側にずれていた。ドロシーが目とする動物にコアを埋めると、獣は形が歪む。見る者が見れば、すぐに分かる。


「床下から入れて、半刻だけ覗けた。それ以上は気配で気づかれそうだったから、引かせたけど」

「中は」

「十人」


 ヘイムが、組んでいた腕をほどいた。


「下に四人、二階に四人、屋根裏に二人。言葉は、南。祈りをささげていたわ」

「オルファリーズか」

「たぶんね。当然、ジェンタ連れよ」


 ドロシーは、紙巻きの先を小皿の縁でくるりと回した。

 ヘイムが、低く唸った。

 オムラスには、もうジェンタはいない。二十年前、開戦の日に、この国のジェンタは一匹残らず敵に回った。多くの者が自分の相棒に殺され、生き残った者も相棒を失った。それからこの国では、コアはジェンタという相棒として顕現する前に、オムラスの独自技術ですべて去勢される。今のオムラスで、生きたジェンタを連れて歩く人間は、それだけで、よその国の者だと分かる。

 

 とはいえ、ジェンタ連れのよそ者が珍しいわけではない。新市街には、南の商人も巡礼も、各国の使節も出入りしている。その中に間者が混じるのも、毎年のことだ。去勢コアの技術を盗みに来る者は、後を絶たない。それを捌くのは公安の仕事で、普段なら、旧市街の出る幕ではない。


「十人とも、か」

「十人とも。炎の蜥蜴が二匹、砂の犬が一匹、鷹が一羽、霧みたいなのが一つ。あとは私の目じゃ、形まで追えなかった。コアの光り方からすると、等級はどれも高いわね。末端の兵にまで高いコアを配るのが、あの国のやり方だから。……間者にしちゃ、数が多すぎるわ。それと、二階の奥の何人かには、鼠が近寄りたがらなかった。気配が、ほかと違う」


 サムは、杯を置いた。


「……婆さんと、下宿人たちは」


 ドロシーは答えなかった。紙巻きの火が、じりじりと短くなった。

 それで、十分だった。

 ヘイムが、カウンターの縁を握った。分厚い指の関節が、白くなる。


「……人と人とで争う時代とはなぁ」


 サムもドロシーも、答えはしなかった。

 旧市街に巣を作ったジェンタ連れを片づけるのは、これが初めてではない。この十年で、三度目か、四度目か。数えるのは、とうにやめた。

 最初は、東区の井戸に、ヴァーレを呼びこむ囁きを仕込もうとした連中だった。公安は、そいつらを国境まで送り返した。ひと月後、同じ顔が西区で見つかった。その冬、西区の井戸から湧いたヴァーレに、子どもが三人食われた。

 生きたジェンタは、見たものを抱えたまま残る。牢に入れても、送り返しても、いつかは御方のもとへ持ち帰られる。この国には、ジェンタ連れを裁く法がない。

 だから、旧市街の顔役たちは、自分たちで決めた。この街の人間に手をかけたジェンタ連れは、生かして帰さない。


 ◇


「公安に投げる手もある」


 サムは言った。言いながら、自分でもそうする気がないのは分かっていた。


「投げたらどうなるか、言ってみなさい、坊や」

「長官の娘が狙われた事件として、記録に残る。テッドの耳に入る。連中の雇い主には、こっちが気づいたことが伝わる」

「それに」


 ネルが、壁にもたれたまま口を挟んだ。声は、また三段下がっていた。


「あの灰色の外套、串が曲がったとき、一度も振り返らなかった。なのに、何かに当たって曲がったのは、ちゃんと分かってた。背中で見てたんだよ。ジェンタの目で」


 サムは、ネルを見た。ネルは、ふんと鼻を鳴らした。


「あたしは目がいいんだ。あんたと違ってな」


 そらそうだ。お前はそういう訓練を受けている。張り合うきはねぇよ。

 ジェンタは、人の目の届かないところを見る。なら、あの男はもう知っている。あの娘の背中には、見えない何かがついている、と。

 生かして帰せば、それが雇い主に届く。次は、見えない盾ごと割りにくる手で来る。


 掟だけなら、鴎亭は北の庭だ。北の顔役に話を回して、北の流儀で片づけさせればいい。

 メグ様のことだけなら、明日からそばを離れずに、しばらく様子を見る手もある。

 だが今度の連中は、その両方だった。この街の人間を殺し、メグ様に手を出した。北に任せれば、連中が何をどこまで見て、誰に伝えたのか、確かめようがない。様子を見ているあいだに、見たものは雇い主に届く。知られた守りは、対策される。次に守りにくくなる事は明らかだ。

 俺たちの手で、今夜のうちに、ジェンタを割る。


「今夜のうちに片づけるわ」


 ドロシーが言った。


「ネル。あんたは、犯罪捜査部へ走りなさい。部長に、夜明け前に北の外れの鴎亭へ人をよこして、って。荷車と、口の堅い部下を。用件は、あたしの名前で」

「はい、姐様!喜んで」

「それと、自警団の触れは、ヘイムの名前で出しておいて」


 ヘイムが、黙って頷いた。

 南の自警団には、顔役が何人かいる。ヘイムはその一人だ。ラスト・コールの札が「貸切」に変われば、ほかの顔役たちも察して、今夜の夜回りを南の内側へ引っこめる。


 旧市街の自警団は、建前の上では、住民が自分の身を自分で守るための寄り合いだ。犯罪捜査部は、霊災対策課に人も予算も吸われて手が回らないぶん、自警団の「自衛」には、ある程度目をつむってきた。ヴァーレの討ち漏らしにしろ、人間の揉め事にしろ、旧市街では、自分で片づけられない者から死んでいく。役所も、それを知っている。ただし、殺しは滅多に起きるものではない。

 

 今回のような他国の不穏人物の殺しは、見過ごされる可能性が高い。公安が表で裁けない他国の間者を、旧市街が闇で片づける。役所にとっても、悪い話ではない。もちろん、そんな取り決めは、どこの書類にも載っていない。知っているのは、犯罪捜査部の部長と、そのごく限られた部下と、部長とひそかに通じている上のほうの何人かだけだ。


 大した治安維持のやり方だ。ただ、俺たちがやらなければ、旧市街に被害が出る。自分の命は惜しいが、この街を守るという意味では誰かがやらねばならない。たまたま、俺たちが戦う技術を持っていた。それだけのことだ。つかわずに隠れていられるほど、強い心を俺たちは持っていなかった。


「あたしは西の組を通して、北に話を通してくる」

「北にか」

「当たり前でしょう。鴎亭は、北の庭の内側よ。黙って北の庭で花火を上げてごらんなさい。明日から、北と東と南で戦争になるわ。最も避けたい展開になる」


 ドロシーは、ナプキンを指で弾いた。


「よその国の犬が、自分の庭で勝手に飼われてたなんて、建前上は北の連中だって面白くない態度をとらざるを得ない。話が通ったら、そのまま鴎亭の裏で落ち合いましょう。通らなかったら、今夜は無し」

「通らなかったら、どうする」

「通すのよ。落とし前はつけてもらう」


 ドロシーは立ち上がり、黒い外套の襟を立てた。ネルが扉を開ける。

 出ていきざま、ネルがサムの横で足を止め、ぼそりとつぶやいた。


「姐さんに傷ひとつでもつけてみろ。あんたの盾ごと、叩き割ってやる」

「分かってる」

「分かってねぇから言ってんだよ、ぼんくら」


 扉が閉まった。


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