21紙屑に宿る命と辺境の娯楽。パラパラ漫画クリエイターになる
水滴が彼女の頬とドレスに飛び散る。
「あはは!冷たくて気持ちいいよ?」
「このっ……ふふ!王太子妃に水をかけるなんて、不敬罪で……もうっ!やられっぱなしは癪に障るのに!ふふっ」
なんと。ソノアが噴水の水を両手ですくい、ルカスにかけ返したのだ。水しぶきの中で二人の笑い声が弾ける。
「……信じられん、光景だな」
ディートリッヒが目を見開いている。無理もない。高慢な王太子妃が泥と水にまみれて笑っているのだから。
「あの子もまだ子供だったってこと。鎧を脱げば負けず嫌いな女の子」
口元を緩めた。王都では決して見せなかった本当の笑顔。皮肉にも軽蔑していたはずの辺境で花開こうとしている。ひとしきり遊んだ後、二人はテラスの下まで戻ってきた。ソノアの髪は乱れ、ドレスの裾は泥だらけだったが瞳は驚くほど澄んでいた。
「見てなさい、生意気なチビっ子を次は絶対に負かしてやるんだから」
息を切らして叫ぶ妹に肩をすくめて答えた。
「ごきげんよう泥んこ王女様。随分とワイルドな視察だったみたいね。お風呂の準備をさせておくから風邪を引かないようにね?」
「な、い、言われなくてもそうする」
ソノアは顔を赤くしてそっぽを向いたが、繋がれたルカスの手はまだ離そうとしなかった。辺境の地は、訪れる者の心の殻を優しく、時に強引に剥がしてしまう不思議な場所なのかもしれない。
泥遊びの余韻が残る午後。着替えを済ませて少し落ち着いたソノアとルカスを執務室に招き入れた。机の上には領地運営で出た不要な書類や、書き損じた羊皮紙が山積みになっている。
「……何よこれお姉様、辺境暮らしが長すぎてついにゴミ集めが趣味になったの?」
ソノアが眉をひそめて、山積みの紙屑を指差した。
「ふふ、失礼ね。ゴミではなく可能性の欠片よ。審美眼のないあなたには廃棄物に見えるでしょうけど〜」
鼻で笑うと同じ大きさに切り揃えて端を紐で綴じた、小さな紙の束を手に取った。現代知識という名の前世の遺産を少しだけ拝借した、即席の娯楽道具。
「ルカス、ソノア。瞬きせずに見ていなさい。鈍い動体視力でもこれなら追えるかもね」
親指で紙の端を弾き、パラパラと勢いよく捲った。
「わあ……すごいっ!棒人間が走ってる!すごーい!」
ルカスが声を上げて身を乗り出した。紙の上に描かれた単純な棒人間が捲る速度に合わせて滑らかに走り出し、最後には派手に転んで星を散らす。
「は、な、何今の!?絵が……う、動いたわよ!?魔術?それとも何かの呪い?え、なんなのっ」
ソノアが驚愕のあまり椅子から立ち上がった。扇子を落としたことにも気づいていない。
「えー、呪いなわけないでしょ。パラパラ漫画というの。人間の目が持つ錯覚を利用した安上がりで最高に知的な遊び。複雑なバランス感覚が必要だから少し難しいかもしれないけれど」
「ななな、なんですって!?私を誰だと思ってるの。単純な絵を描けないはずがない」
案の定、ソノアの負けず嫌いに火がついたらしい。二人に白紙の束と炭ペンを渡し、作り方を伝授し始めた。
「基本は少しずつ動きをずらして描くこと。前のページの絵が透けて見えるくらい薄い紙なら最高なんだけど、廃棄書類でも十分よ。ほら、足の角度を一段階ずつ変えていく」
「こう?次のページはもっと足を上げて……っと」
ソノアがこれまでにないほど真剣な表情で、紙に向かっている。ルカスも舌を少し出しながら、一生懸命に棒人間を描き込んでいた。
「できた!見て。僕の棒人間はジャンプして鳥になる」
ルカスがパラパラと捲ると拙いながらも力強い動きで棒人間が大空へ(紙の端へ)と消えていった。
「ルカスの想像力は部屋の天井よりも高い。素晴らしいわ」
「お姉様私のも見てちょうだい」
ソノアが自信満々に差し出した束を捲ると、そこにはドレスを着たと思われる棒人間が、優雅にカーテシーと呼ばれるお辞儀をしていた。動きは滑らかで驚くほど正確。
「嫌味なほど器用ね。あなたのそ執念深さが、こんなところで役に立つなんてね」
「え、と、当然よ!でも……不思議。紙屑が自分の手で命を吹き込まれたみたいに動き出すなんて……凄いわ」
ソノアは自分で描いたパラパラ漫画を何度も捲り、満足そうに目を細めた。王宮の豪華な劇場で見る劇よりも、自分で作ったこの粗末な紙の束の方が彼女には輝いて見えているようだった様子を、入り口で書類を持ったまま立ち尽くしていたディートリッヒが見守っていた。
「退屈という言葉を知らぬようだな」
「あなたいつからそこにいたの。暇ならあなたも描いてみたらどう。あなたの描く棒人間は鉄板みたいに硬い動きをしそう」
ディートリッヒは毒舌を受け流すと机に置かれたソノアとルカスの作品を手に取り、一回、二回と丁寧に捲った。
「ほう、悪くない。領地の子供たちにも良い娯楽になるかもしれんな」
「名案。紙屑なら山ほどあるし、炭一本でできるし。辺境の教育カリキュラムに組み込もうかな」
笑うとソノアがハッとしたように顔を上げた。
「……ねぇ、お姉様。王都に持って帰ってもいい?息苦しい王宮にもこういうくだらない遊びが必要だと思うのよ」
ソノアの瞳には冷笑ではな新しい風を求めているような光があった。
「いいわよ。ただし、私が考案したってちゃんと宣伝しなさい。ロイヤリティはしっかり請求するから」
「相変わらずがめついわね!」
ソノアはそう言いながらも、大切そうにパラパラ漫画を懐に仕舞った。




