22震える糸と壁に耳あり。えへへ、大好きです父上!
パラパラ漫画で命を吹き込む悦びを知ったソノアとルカスはそれからというもの、暇さえあれば紙屑に棒人間を描き殴っていた。二人を見守りつつ、次の可能性を机に並べる。
「……お姉様今度は何?紙の筒と麻糸で何を?」
ソノアが炭ペンで汚れた指先を気にしながら尋ねてきた。
「そんなに身を乗り出して。興味がないならあっちでルカスと棒人間を転がしていればいいじゃない。これは声を盗むための魔法。……もっとも魔法なんて不確かなものより信頼できる物理法則に基づいているけれど」
底に小さな穴を開けた紙の筒を二つ用意し、その間を長い麻糸で繋いだ。
「ルカス、筒を持って廊下の角まで行ってごらん。糸がピンと張るまで止まっちゃだめ」
「わかった!探検隊みたいだねえ」
ルカスが嬉々として筒を抱え、廊下へと消えていく。糸が床を這い、扉の隙間を通ってピンと張ったら手元の筒をソノアに差し出した。
「いい?その筒を耳に当てて。ただし、あまりの衝撃に椅子から転げ落ちないように気をつけること」
ソノアは半信半疑のまま筒を耳に押し当てた。廊下に向かって、もう一つの筒にそっと口を寄せる。
「……ソノアの今日のドレス、昨日より三割増しで派手ね」
筒を通して声を送るとソノアが「ひゃっ!」と短い悲鳴を上げて飛び上がった。
「な、何!?今耳元でお姉様の声が……声!廊下の角にいるはずなのにどうして!」
「あはは!ソノアお姉さん聞こえた?僕の声も聞こえる?」
遠くから筒を通したルカスのくぐもった、けれどはっきりとした声が響く。ソノアは驚愕に目を見開き、何度も筒を覗き込んだ。
「信じられない……糸が声を運ぶなんて。これがあればどんなに離れていても……」
ソノアは夢中になってルカスと秘密の会話「今日の晩御飯は何かな?」「クッキーが食べたいわ」といった王太子妃らしからぬ内容を繰り返していた。
見届け、ディートリッヒが執務室の入り口から観察しているのに気づいて、ニヤリと笑う。
「どうディートリッヒ。軍の伝令に使うには少し心許ないけれど城の中での秘密の通信にはうってつけだと思わない」
ディートリッヒは歩み寄り、糸を指先で軽く弾いた。
「震えている……震動か。壁や扉があっても糸さえ繋がっていれば声は届く、というわけか」
「重要なのは隣の部屋の聞き耳を立てている輩には、何も聞こえない」
ソノアがハッとしてこちらを見た。
「ソノア、王宮には常に耳があるのでしょ?扇子で口元を隠しても、読唇術を使う者はいるけど、筒に向かって囁く声は糸の先にいる者にしか届かない。秘密を守る盾になる」
筒を握りしめたまま沈黙した。脳裏には王都での張り詰めた人間関係や、誰を信じていいか分からない孤独な日々が浮かんでいるのだろう。
「……お姉様本当に……嫌なところに気がつく」
ソノアは瞳に感謝に似た光を宿していた。
「最高の褒め言葉として受け取っておく。ルカス。ソノアお姉様にもっと秘密の暗号を教えてあげたら?王都へ帰った時に少しでも長生きできるように」
「うん!ソノアお姉さん次はもっと遠くまで行ってみるね」
賑やかな笑い声が城に響く中、ディートリッヒが隣でポツリと漏らした。
「お前が王都にいたなら今頃、王座の主が変わっていたかもしれんな」
「ふふ、あんな空気の悪い場所お断り。私は辺境であなたの不器用な顔を拝みながら、紙屑を弄んでいる方がずっと性に合ってる」
ディートリッヒの服に付いた糸屑を乱暴に払った。平和な、あまりにも平和な辺境の午後。
*
ソノアが自室で王都密談用ネットワークの構想を練りながら糸電話を自作し始めた頃、こちら辺境伯家でも、もっと平和で、もっと不器用な通信が始まろうとしていました。
執務室の机に向かい、眉間に皺を寄せて難しい顔で書類を検分しているディートリッヒ。背後から音もなく近づき、耳元にそっと紙の筒を突きつけた。
「……何の真似だフロラティア」
「反応が遅い。刺客だったら今頃あなたの首は三回くらい飛んでる。朴念仁。これを持って。仕事の邪魔をしてあげる」
無理やり彼の大きな手に筒を握らせると、自分はもう一方の筒を持って部屋のドアを閉めた。廊下には今か今かと待ち構えていたルカスが、目を輝かせて立っている。
「フロラティア様ー。準備できた?」
「ええ。岩石みたいに頑固な男をあなたの声で少しは柔らかくしてみたらいいわ」
ルカスに筒を渡し、少し離れた廊下の突き当たりまで彼を案内。糸がピンと張り、緊張感が漂う。
ディートリッヒは執務室内で、手渡された紙屑と糸の塊を困惑した表情で見つめた。しかし、筒の中から小さな弾むような声が響いた瞬間、動きが止まる。
「……父上?聞こえますか?」
ディートリッヒは少し躊躇った後、恐る恐る筒を口元に寄せた。
「……ああ。聞こえている」
「わあ!すごい!本当に父上の声だ!あのね、父上。秘密のお話があるんです」
筒を通したルカスの声は直接聞くよりもどこか親密で、特別な響きを持つ。ディートリッヒは椅子の背もたれから体を離し、真剣な面持ちで筒に耳を当てる。
「今日ねお庭で赤い石を見つけたんだ。それを磨いたら、フロラティア様の瞳みたいに綺麗になったの。明日父上にも見せてあげる」
「……そうか。楽しみにしている」
「それから……えへへ、大好きです父上!」
最後の一言にディートリッヒは目を見開き、顔をわずかに赤く染めた。
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