20王太子妃の意外な才能と仮初めの休戦と高貴な散歩と素朴な泥だらけの靴
懐柔は見事に功を奏したようだった。夕食後、城のサロンで食後の茶を楽しんでいた。そこには信じられない光景が広がっている。
「ちょっと、そこじゃないわ。土台がグラグラしているじゃない。もっと重心を考えなさい」
「はーい、ソノアお姉さん!すごい、倒れない!」
床に広げられた絨毯の上で、なんとソノアがドレスの裾も気にせずルカスと積み木に熱中しているのだ。扇子を放り出し、真剣な眼差しで木のブロックを吟味している。
ティーカップを傾けながら様子を呆れたように眺めた。隣に座るディートリッヒも書類に目を落としながらも、時折信じられないものを見る目で二人を見ているほど。天変地異?
「……王太子妃ともあろう方が、床に這いつくばって積み木遊びとはね。中央の貴族たちが見たら、卒倒するんじゃない?」
私が毒づくと、ソノアはブロックを積みながら鼻を鳴らした。
「失礼ね!こ、これはその、視察の一環よ。辺境の教育玩具が王家の基準に達しているかチェックしているだけ。それにしても積み木のバランス、悪くないわね」
器用にアーチ型のブロックを積み上げ、複雑な塔を作り上げていく手つきは繊細で驚くほど集中していた。
「見て!ソノアお姉さん お城作るの上手なの!」
ルカスが目を輝かせて報告してくる。
「伊達に堅苦しい王宮で息を詰まらせて生きているわけじゃないのね。バランス感覚だけは養われたのかしら」
皮肉に、ソノアの手がピタリと止まった。崩れかけたブロックを指で支えながら、ポツリと漏らす。
「……そうよ。王宮なんて少しでもバランスを崩せば、すぐに足元から崩れ落ちる。誰が味方で誰が敵かも分からない。一瞬も気が抜けない場所よ」
刺々しさよりも深い疲労の色が滲んでいた横顔は、知っている傲慢な妹ではなく重責に押しつぶされそうな一人の少女のように見えた。
部屋に一瞬の沈黙が落ちる。ルカスだけが無邪気にブロックを運び続けていると、ディートリッヒがページをめくる手を止めた。
「……息抜きが必要なら少しは滞在を延ばしても構わん」
不器用な提案にソノアはハッとして顔を上げた。
「へ、な、何を言ってるの?誰がこんな田舎に長居なんて!忙しいの、次期王妃として」
「ふうん。素直じゃない。顔に帰りたくないって書いてあるし。まあ、あなたの神経質な性格なら辺境の熊でも相手にしていた方が気楽でしょ」
追い打ちをかけるとソノアは悔しそうに唇を噛んだが、言い返す言葉が見つからないようだ。その時、ルカスが完成した積み木の城の天辺に木製の馬を乗せた。
「できた!王子様の馬」
ソノアはそれを見てふっと肩の力を抜いた。
「……王子様、ね。本物の王子様はこんな木の馬みたいに素直じゃないわ」
呟くとルカスの頭をくしゃりと撫でた。
「悪くなかったわ……ルカス、と言ったかしら。相手をしてあげた褒美に明日、もっとマシな積み方を教えてあげる」
「うん約束!」
ルカスと指切りをするソノアの表情は、王都で向けた憎悪の表情とは別人のように穏やか。
「はあ。どうやら、嵐は一時的に去ったようね」
ため息をつくとディートリッヒが耳元で囁いた。
「……お前の妹にしては見所があるかもしれん」
「いやいや、褒めても何も出ない。性悪さは我が家の家宝みたいなものだから」
返したが胸の奥には少しだけ安堵が広がっていた。
翌朝、城の庭には珍しい光景が広がっていた。
「待ちなさいルカス!そんなに走ったら、ドレスが汚れてしまう」
「早く早く!ソノアお姉さんあっちに凄いの」
王太子妃ソノアが裾の長い豪華なドレスを片手でたくし上げ、ルカスに手を引かれて庭を小走りに進んでいるのだ。
顔には信じられないという驚愕と、楽しげな紅潮が浮かんでいる。テラスからその様子を眺めながら、優雅にモーニングティーを啜った。
「潔癖症のソノアが土の上を歩くなんて。明日は槍でも降るんじゃないかしら」
「……楽しそうだな」
隣に立つディートリッヒが、珍しく穏やかな声で言った。彼もまた光景に目を細めている。
「ルカスの勢いに負けただけ。あの子一度走り出したら止まらないものねえ」
庭ではルカスが大きな木の根元で立ち止まり、ソノアに何かを指差していた。
「見て!今朝見つけたんだ。リスさんの家族」
木の幹の洞から小さなリスが顔を出していた。ソノアは最初、ビクッと身を引いたがリスが木の実を頬張る姿を見て、恐る恐る近づく。
「野蛮な獣かと思ったけれど、意外と愛嬌がある顔をしてる」
「可愛いでしょ?父上が教えてくれたんだ。静かに見ていれば逃げないって」
得意げに言うとソノアはしゃがみ込み、じっとリスを見つめた拍子に、磨き上げられた靴が土で汚れたが気づいていない。
「王宮の庭園にはこんな生き物はいない。いるのは手入れされた孔雀と、愛想笑いを浮かべた人間だけよね」
ソノアがぽつりと漏らした言葉は風に乗って耳にも届く。背中は王都で見せた虚勢を張ったそれとは違い、小さく自由に見えた。
「……ここには彼女を縛るものがないからな」
ディートリッヒが考えを読んだように呟いた。
「ドレスの汚れも世間体もここでは誰も気にしない。あるのは土と風と無邪気な子供だけなのよね。いいところ」
カップをソーサーに置くと、手すりに寄りかかった。
「ソノア、少しは息がしやすくなった?」
独り言に答えるように庭からソノアの驚いた声が上がった。
「きゃっ!ちょっとルカス何よこれ。冷たい!」
見るとルカスが庭の小さな噴水に手を突っ込み、ソノアに水をかけていたのだ。




