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渇きの境界線  作者: すずはる


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3/12

見えない戦争

第三章です!

 軍情報局特別選抜試験は、地下施設で行われた。

 窓はない。

 時計もない。

 白い壁と白い照明だけが続く閉鎖空間。

 時間感覚を奪うための施設だと、シオンはすぐ理解した。

 受験者は十二名。

 全員、軍学校上位成績者だった。

 誰も喋らない。

 空気が重い。

《視線分析開始》 《精神安定率測定中》

 スマートコンタクトの表示が切り替わる。

 監視されている。

 いや、この国では常に監視されている。

 それが当たり前だった。

 やがて、正面モニターへヴェルナー少佐が映し出された。

『諸君らは優秀だ』

 低い声が空間へ響く。

『だが、優秀な兵士など山ほどいる』

 映像が切り替わる。

 爆破された送水施設。

 燃え上がる輸送車。

 混乱する市民。

『国家を勝利へ導くのは、“見えない戦争”だ』

 諜報。

 潜入。

 情報操作。

 暗殺。

 敵国の内部を壊すこと。

 それが情報局の仕事だった。

『敵を撃つだけなら誰でもできる』

『だが、敵が何を信じ、何を恐れ、何に怒るのかを操れる者は少ない』

 シオンは静かに映像を見つめていた。

 少佐の言葉には妙な説得力があった。

 戦争は銃だけではない。

 情報も武器になる。

『戦争において最も効率的なのは、“敵を敵のままにしておくこと”だ』

 その言葉を聞いた瞬間、一部の受験者がわずかに顔を上げた。

 少佐は続ける。

『憎しみは国家を団結させる』

『恐怖は人々を従わせる』

『敵がいる限り、国民は国家を必要とする』

 シオンはその意味を完全には理解できなかった。

 だが、強い言葉だと思った。

 映像が消える。

 試験開始。

 最初の課題は尋問耐性だった。

 暗室。

 強い照明。

 大音量ノイズ。

 睡眠妨害。

 時間感覚剥奪。

 質問。

 罵倒。

 誘導。

 シオンは淡々と耐え続けた。

《精神安定率:91%》

 数値が表示される。

 周囲では脱落者が出始めていた。

 叫ぶ者。

 泣く者。

 怒鳴る者。

 だがシオンは無表情だった。

 昔から感情を外へ出すのが苦手だった。

 だから軍では評価された。

 次の試験。

 仮想潜入シミュレーション。

 AR空間へ都市映像が展開される。

 敵国アストラ共和国第七居住区。

 雑踏。

 市場。

 歩く市民。

 その中からターゲットを特定し、情報を盗み出す。

 失敗すれば即終了。

 シオンは周囲を観察した。

 人の流れ。

 監視カメラ。

 巡回ルート。

 視線。

 呼吸。

 癖。

 情報を整理していく。

《最適侵入経路を表示》

 コンタクトが補助線を描く。

 シオンは迷わず進んだ。

 結果。

 最短記録更新。

 試験官たちがざわめく。

「異常に冷静だな……」

「迷いがない」

「感情反応が薄すぎる」

 シオンは何も答えない。

 褒められるたびに、胸の奥が少し軽くなる。

 認められる。

 必要とされる。

 それが彼にとっての安心だった。

 試験終了後。

 受験者たちは待機室へ集められた。

 静かな部屋。

 重苦しい空気。

 やがて一人ずつ結果が通知されていく。

 落選者は無言で退出していった。

 残ったのは三人。

 シオン。

 レオ。

 そしてもう一人、小柄な少女兵士だった。

 ヴェルナー少佐が直接部屋へ入ってくる。

 軍靴の音。

 張り詰める空気。

「諸君らは合格だ」

 レオが小さく息を吐く。

 だが少佐は続けた。

「だが勘違いするな」

 その目は冷たい。

「情報局は英雄ではない」

「我々は国家のために、“必要な汚れ仕事”を行う」

 部屋が静まり返る。

「時には民間人を利用する」

「時には情報を捏造する」

「時には、戦争を続けるために動く」

 一瞬。

 シオンは違和感を覚えた。

 戦争を続ける?

 なぜそんな必要がある?

 だが少佐は当然のように話を続ける。

「平和とは不安定だ」

「敵が消えれば、人間は内部へ不満を向け始める」

「国家を維持するには、“外敵”が必要になる」

 レオがわずかに眉をひそめる。

 しかし誰も口を挟まない。

「諸君らはこれから、国家の秩序そのものを守る」

 少佐はゆっくり三人を見回した。

「そのためなら、何でもやれ」

 沈黙。

 シオンは真っ直ぐ前を見ていた。

 少佐の言葉を理解しきれてはいなかった。

 だが一つだけ分かる。

 この国は、自分たちを必要としている。

 それが誇らしかった。

 施設を出る頃には夜になっていた。

 都市上空を巨大広告ドローンが飛んでいる。

『祖国に感謝を』

『水を守る兵士たちへ敬意を』

 街では人々が普通に笑い、食事をし、買い物をしている。

 そのすぐ隣で、軍用車両が走っていた。

 シオンはふと立ち止まる。

 駅前モニターに戦況速報が流れていた。

『北部戦線にて死者五十四名』

 だが周囲の人々は誰も立ち止まらない。

 恋人同士が笑っている。

 子どもが菓子をねだる。

 老人がニュースを見ながら夕食を食べている。

 死が風景になっていた。

 戦争はもう“非日常”ではない。

 呼吸みたいに、この社会へ溶け込んでいる。

 シオンはぼんやりと、その光景を見つめた。

 もしこの戦争が終わったら。

 この国はどうなるのだろう。

 そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。

 だがすぐ消えた。

 考える必要はない。

 自分は兵士だ。

 国家の命令へ従えばいい。

 それだけでいい。

 空を見上げる。

 灰色の空。

 雨は降らない。

 ただ、監視ドローンの赤い光だけが静かに瞬いていた。


今回は試験から潜入活動が始まるまでを書きました。

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