三 膨らむ権限、痩せていく組織
二年後の2020年、藤原は業務部長にまで昇進していた。
その出世を支えたのは、菱型製作所の会長職に就いていた福水の存在だった。福水は創業時からグループを支えてきた人物であり、社内でも大きな影響力を持っていた。
藤原は、その時々の力関係を読むことに長けていた。
自分を引き上げてくれる人物がいれば、その人間を立てる。相手が何を望んでいるのかを察し、必要以上に反論しない。自分の意見を通すことよりも、まずは相手の信頼を得ることを優先する。
そうして、藤原は短期間で待遇を引き上げていった。
業務部長という肩書きは、社内での立場を大きく変えるものだった。
業務部は、総務、人事、経理、購買、営業など、会社の運営に関わる幅広い業務を担う。製造部門のように直接製品を作るわけではないが、予算や人事、社内規程を通じて、会社全体に影響を及ぼす部署である。
藤原は、その業務部を自分の足場にしていった。
部下に仕事を任せる一方、重要な判断は自分のもとに集めた。会議では自分の意見を先に述べ、異論が出ると厳しい口調で問い返した。自分に賛同する社員には仕事を任せ、反対する社員には距離を置いた。
そのやり方は、次第に人事にも及んでいく。
藤原は、自分にとって扱いやすい人材を好待遇で採用するようになった。経験や実績だけでなく、自分の考えに同調するかどうかを重視しているように見えた。
一方、従来から会社を支えてきた社員たちの中には、藤原のやり方に疑問を持つ者が増えていた。
長年の経験を持つ社員が意見を述べても、藤原は素直に聞こうとしない。仕事の進め方について説明しても、「昔からそうしているだけでしょう」と片づけられる。
現場には、現場なりの事情がある。
プレス工程であれば、金型の状態や材料の特性、機械の能力を考慮しなければならない。溶接工程では、製品の形状や溶接条件によって品質が左右される。塗装工程では、前工程の傷や油分、季節、気温なども不良の原因となる。
こうした事情は、机上の数字だけでは判断できない。
しかし、藤原は自分が理解できないことを、重要ではないことのように扱う傾向があった。
「そんなに難しい話ですか」
「もっと簡単に考えればいいでしょう」
「現場で工夫すれば何とかなるはずです」
その言葉を聞くたび、現場の社員たちは口を閉ざした。
やがて福水も、高齢を理由に会長職を退くことになった。
藤原を引き上げてくれる有力者は、これでいなくなった。年齢から見ても、すぐに役員へ登用される可能性は低い。役員人事は株主総会の決議を経る必要があり、藤原の思惑どおりに進む状況ではなかった。
しかし、彼の出世欲が収まることはなかった。
藤原は、製造部長と業務部長から報告を受け、必要な部門へ指示を展開する役割が必要だと主張し始めた。部門ごとの判断では会社全体の効率が悪い。部門を横断して管理する立場が必要だというのである。
そして、その役割を担うために「総括部長」という新たな身分を設けるよう、小木社長に働きかけた。
結果として、藤原には役員と同格の給与が認められることになった。
総括部長という肩書きは、他の部長とは一線を画すものだった。部長たちの上に立ち、各部門を統括する。少なくとも藤原自身は、そのような位置づけを望んでいた。
その肩書きには、他の部長と同列に置かれることを嫌い、自分が一段上の存在であると示したいという、藤原の自尊心がにじんでいた。
一方、小木社長の考えは違っていた。
小木は、藤原を将来の役員、ましてや後継社長とするつもりはなかった。
あるとき、藤原が将来の社長になるのかと尋ねられた小木は、明確にこう答えている。
「無責任なことを言ってはいけない。彼に製造を見ることはできない。それは君もよくわかっているだろう」
小木の言葉は、ある意味で正しかった。
菱型製作所は製造会社である。営業や管理の経験だけで、会社全体を理解できるわけではない。工場の生産能力や設備の維持、品質管理、人員配置など、製造業の経営には専門的な判断が欠かせない。
藤原には、その経験がなかった。
小木自身も、そのことは十分に理解していた。
それでも、小木は藤原の権限を抑えようとはしなかった。
藤原を表に立たせれば、自分は面倒な社内調整を避けることができる。社員からの不満や反発を受けるのも藤原である。小木は社長としての立場を保ちながら、藤原に実務を任せているつもりだった。
だが、その関係は次第に逆転していった。
藤原は、社長が自分を信頼しているからこそ、自由に仕事を進められるのだと考えるようになった。小木が明確な指示を出さないことを、自分への全面的な委任だと受け止めていたのである。
小木は藤原を利用しているつもりだった。
藤原は小木の後ろ盾を得ているつもりだった。
二人の思惑は違っていたが、その曖昧な関係が、結果として藤原の権限を膨らませていった。
その間にも、藤原は中途採用で自分に忠実な人材を好待遇で迎え入れていった。異論を唱えず、自己主張をせず、藤原にとって扱いやすい人間たち。
そうした人材が周囲に増えるにつれ、組織の空気は変わっていった。
会議で反対意見が出なくなった。部門間の調整は形だけになり、現場からの報告も必要最低限のものになった。社員たちは、自分の意見を述べても状況は変わらないと考えるようになっていた。
会社全体の水準は、徐々に低下していった。




