二 創業者の死と、新しい後ろ盾
2018年10月9日。グループの創業者であり、菱型製作所を含む各社を率いてきた高山勝也が、九十三歳で亡くなった。
高山は、一代でグループを築き上げた人物だった。会社の創業から成長までを自らの手で切り開き、強い影響力を持って各社をまとめてきた。グループの経営において、高山の存在は絶対的だった。
その高山が亡くなったことで、グループの力関係は大きく変わることになる。
後年、藤原は「死の間際に、会社を任せると言われた」と周囲に語ることになる。だが、当時の高山はかなり衰弱しており、見舞いに訪れた客の誰に対しても、似たような言葉を口にしていたという。あの言葉にどれほど明確な意思が込められていたのか。真相を知る者はいない。
創業者の死によって、グループのオーナーの座は一人息子の高山鉄也へと移った。
鉄也は五十歳。医師であり、大学病院内で医院長を務めていた人物だった。医療の世界で自らの仕事を築いてきた一方、父が長年経営してきた製造業の現場には、ほとんど関わってこなかった。
父親の死によってグループの資産を受け継いだものの、製造会社の経営については、当初それほど強い関心を持っていなかった。各社の社長が日々の業務を進めているのであれば、当面はそれでよいと考えていたのである。
藤原は、この変化を自分の立場を強める機会と捉えた。
創業者という絶対的な存在がいなくなった今、次のオーナーに近づくことができれば、自分の発言力をさらに高められる。藤原はそう考えたのかもしれない。
彼は、新オーナーの高山鉄也に積極的に近づいていった。
グループの会合では高山のそばに立ち、食事の席では相手の話を熱心に聞いた。高山が製造会社について質問すれば、藤原は自分が分かる範囲で説明した。会社の細かな事情についても、何かと報告を持ちかけた。
「高山さんのお考えは、よく分かります」
「やはり、会社を変えていくにはトップの判断が必要です」
「私も、何かお役に立てることがあればと思っています」
藤原の態度は、実に分かりやすかった。
高山も、当初はそんな藤原をかわいがった。自分と年齢が近く、積極的に話しかけてくる。父親の時代からグループに関係していたという安心感もある。製造業について詳しくない自分に対して、何かと説明してくれる藤原は便利な存在でもあった。
藤原は、その信頼を背景に、社内での発言力を強めていった。
一方で、藤原の態度は少しずつ変化していった。
入社当初は周囲に気を遣っていたが、次第に自分の考えを押し通すようになった。会議で異論が出ると、相手の意見の内容よりも、なぜ自分の考えに従わないのかという点を問題にした。
「それは、私の指示と違いますよね」
「どうして、言われたとおりにできないんですか」
「もっと全体を見て仕事をしてください」
藤原は感情を表に出すタイプだった。自分の思いどおりに進まないと、声が大きくなり、相手の説明を最後まで聞かないこともあった。
社員たちは、次第に藤原との接し方を変えていった。
余計なことを言わない。反対意見を出さない。必要な報告だけをする。
それは、藤原を信頼していたからではない。面倒なやり取りを避けるためだった。




