第7話 九尾は、放っておけない
黒川さんが、伏せていたタブレットを持ち上げた。
「では、現段階では狐形態の資料だけ詰めます」
妲己が見る。
「絵描き」
「はい」
「何を描く」
「今、目の前にいる妲己さんです」
「妾を観察するのか」
「必要な範囲で」
「嫌じゃ」
「では、無理には進めません」
黒川さんは淡々と答えた。
妲己が一瞬だけ目を細める。
「九本の尾の形状と、狐形態の体格。許可が出るまでは、そこまでにします」
「人の姿は描かぬのか」
「まだ実物を見ていませんので」
「そなたらが勝手に作ったものがあるじゃろう」
「あります」
「それでは駄目か」
「本人がいる以上、想像を優先する理由がありません」
黒川さんは人型ラフを閉じた。
「必要になった時に、改めて確認します」
「職人気質じゃな」
「仕事ですので」
「それも便利な言葉じゃ」
妲己は鼻を鳴らした。
佐伯さんが話をまとめる。
「じゃあ、今日はここまでにしようか」
「そうですね」
俺も頷く。
「過去の理由は、本人が話したくないなら追わない」
「はい」
「イベントの軸は九尾のまま」
「はい」
「傾国の美女だけには戻さない」
「そこも」
光秀が内容を書き留める。
「本人監修については、継続検討とします」
「妾は監修すると言っておらぬ」
「なので、検討です」
俺が答える。
「宮田」
「はい」
「そなた、しつこいな」
「仕事なので」
「またそれか」
妲己は、机の上で小さくあくびをした。
話は終わった。
少なくとも、俺はそう思った。
妲己が机の端から飛び降り、狐のまま軽い音を立てて床へ着地した。
「妲己さん?」
「何じゃ」
「どこへ?」
「帰る」
「どこに?」
妲己が止まった。
「知らぬ」
「外へ出るなら、せめて現代のことを少し――」
「要らぬ」
「でも、交通ルールとか」
「見ればわかる」
「わかりませんよ」
「そなたらより長く生きておる」
「年齢の問題じゃないです」
妲己はこちらを振り返る。
赤い目。
その後ろで、一本の白い尾が揺れた。
「宮田」
「はい」
「少しくらい、妾を放っておけ」
俺は足を止めた。
「……わかりました」
一拍。
「ただ、本当に外へ出るなら最低限――」
「しつこい!」
一本の尾が、ぴんと立った。
次の瞬間、白い影が走った。
「え」
佐伯さんが声を上げる。
妲己は床に落ちた企画書の影へ飛び込んだ。
影が揺れ、白狐の輪郭が薄くなる。
「影を使います!」
ジャンヌが声を上げた。
「狐!」
信長が手を伸ばす。
だが、間に合わない。
妲己の身体は床の影を滑るように走り、ドアの下へ落ちた細い影をそのまますり抜けた。
「まずい」
佐伯さんが立ち上がる。
「追います!」
俺たちは会議室を飛び出した。
廊下の先を、白い狐が走っている。
何人かの社員が振り返った。
「あ、白い……」
「撮らないでください!」
高橋さんの声が飛ぶ。
もう対応に入っていた。
「さすが高橋さん」
「感心してる場合じゃないよ!」
佐伯さんが叫ぶ。
妲己は非常階段の扉の影を抜けた。
俺たちも飛び込む。
「妲己さん!」
白い狐は階段を降りなかった。
手すりへ、ひょいと乗る。
「そこ、四階――」
飛んだ。
「ええ!?」
白い狐が階段の中央を真っすぐ落ちていく。
四階。
三階。
二階。
一階。
そして、軽い音。
着地した。
「……」
俺たちは上から覗き込む。
妲己が何事もなかったようにこちらを見る。
そのまま、一階の扉の影へ消えた。
「四階からですよね」
「考えない方がいい」
佐伯さんが言った。
「追いますよ!」
俺たちは普通に階段を駆け下りた。




