第8話 この物語は、史実を否定しない
「ただ否定するだけでは足りません」
ジャンヌは言った。
「『本能寺で終わらなかった』と書くだけでは、修正史に弾かれます。なぜなら、それは現在の歴史と矛盾するから」
「じゃあ、信長さんを救えないじゃないですか」
「いいえ」
ジャンヌは俺を見る。
「貴方が書くべきなのは、事実の否定ではありません」
「事実の否定ではない……」
「本能寺で終わったとされた信長が、それでも現代で何を選ぶのか。そこを書くのです」
俺は画面を見た。
――織田信長は、本能寺にてその生涯を終える。
この一文そのものは、消えない。
なら、消すのではなく。
その先に、別の文を繋げる。
俺はキーボードに指を置いた。
信長が隣で見ている。
佐伯さんが息を止めている。
黒川さんが小さくメモを取っている。
ジャンヌが、祈るように目を伏せている。
俺は、文の続きを打った。
――織田信長は、本能寺にてその生涯を終える。
――そう、記録には残された。
画面がちらついた。
警告のように赤い線が走る。
それでも、文は消えなかった。
俺は続ける。
――だが、炎はすべてを焼き尽くしたわけではない。
――名を削られ、姿を変えられ、男の武将として記録に閉じ込められても、彼女の中にあった獣の血と魔王の誇りは、消えなかった。
信長が息を呑んだ。
俺の指は止まらなかった。
――これは、本能寺で終わったはずの魔王が、現代の戦場で再び自分の名を選び直す物語である。
その瞬間、画面の赤い線が止まった。
ファンの音が大きくなる。
PCが異様に熱い。
だが、文は残っている。
消えていない。
佐伯さんが、ぽつりと言った。
「通った……?」
「たぶん」
俺は息を吐いた。
「修正史の文を否定しないで、その上にイベントシナリオとして接続したら、通ったみたいです」
「そんな裏技あるの?」
「知りません。今やりました」
「宮田くん、怖いことするね」
「俺も怖いです」
信長は画面を見つめていた。
しばらく何も言わなかった。
彼女の表情は、読みにくかった。
怒っているのか、呆れているのか、それとも。
「……貴様」
信長が口を開いた。
「私を、本能寺から逃がすのではないのだな」
「はい」
俺は答えた。
「本能寺で終わったことにされたあなたが、それでも現代で何をするかを書くつもりです」
「私の死を、なかったことにはせぬ」
「できません。たぶん、したら弾かれます」
「正直だな」
「でも」
俺は信長を見る。
「本能寺で終わった人としてだけは、書きません」
信長は、俺を見返した。
それから、小さく笑った。
「腹立たしい」
「すみません」
「私を勝手に終わらせぬと言いながら、私の終わりを消さぬとは」
「はい」
「だが」
信長は画面に視線を戻した。
「悪くない」
その言葉で、少しだけ肩の力が抜けた。
黒川さんが静かに言う。
「この方向なら、イラストも変えるべきです」
「どう変えます?」
「本能寺の炎を背負わせるだけではなく、炎の向こう側を見ている構図にします。過去の終わりではなく、次の戦場へ踏み出す絵です」
「いいですね」
「耳も少しだけ立てます」
「耳は必要ですか」
「必要です」
黒川さんは即答した。
「耳は、修正史で削られた本来性の記号です。軽く扱わず、誇りとして描きます」
信長が黒川さんを見た。
「貴様、わかっているではないか」
「ありがとうございます。では、耳の可動資料を」
「後だ」
「承知しました」
佐伯さんが、少しだけ笑った。
「なんか、チームっぽくなってきたね」
「世界史相手のチームですけど」
「そこはできれば忘れたい」
その時、高橋さんがもう一度声を上げた。
「あれ、SNSプレビュー戻りました」
「本当ですか」
「はい。さっき文字化けしてた告知文、今は正常に出てます」
高橋さんの画面には、予約投稿が表示されていた。
――三周年限定SSR《獣血天魔・織田信長》登場。
――本能寺の炎を越え、魔王は新たな戦場へ。
ただし、その下に、勝手に一文が追加されていた。
――この物語は、史実を否定するものではありません。記録の中で終わったはずの彼女が、現代で再び名を選ぶ物語です。
佐伯さんが俺を見る。
「宮田くん、これ書いた?」
「書いてません」
「じゃあ誰?」
俺は信長を見る。
信長は首を横に振る。
ジャンヌは微笑むだけだった。
「活史修正の初動かもしれません」
ジャンヌは言った。
「貴方の書いた物語が、修正史に否定されずに接続された。その結果、世界がほんの少しだけ、信長の存在を受け入れる余地を作った」
「余地……」
「はい。まだ小さなものです。けれど、確かにできました」
俺は画面の一文を見た。
自分が書いた覚えはない。
でも、自分の書いた文から生まれた言葉のように見えた。
信長がこの時代で戦うための、最初の足場。
そんな気がした。
その直後、社内チャットに通知が連続で流れ始めた。
高橋さんが目を丸くする。
「待ってください。ティザー画像、社内確認用に限定公開しただけなのに、反応が来てます」
「どこから?」
「テストユーザー用のクローズドコミュニティです。まだ数十人しか見てないはずですが……」
画面には、短いコメントが並んでいた。
――今回の信長、雰囲気すごい。
――ただの猫耳ネタかと思ったら、なんか泣きそう。
――本能寺の先へ、ってタイトル良すぎる。
――この信長、消さないでほしい。
――三周年、楽しみにしてる。
信長は、コメントを見ていた。
目を細め、難しい顔をしている。
「これは何だ」
「ユーザーの反応です」
「まだ実装していないのだろう」
「はい。先行公開を見た一部の人たちです」
「この者たちは、私を知っているのか」
「知らないと思います。あなた本人のことは」
「では、なぜ」
信長は、画面のコメントを指差した。
――この信長、消さないでほしい。
「なぜ、こう言う」
俺は答えに詰まった。
ジャンヌが、静かに言った。
「人が何かを想像し、語り、描き、愛するとき、それは世界に認識の重みを与えます」
「認識の重み……」
「はい。たとえ作り手が売上目的であっても」
俺に刺さった。
「誰かが物語を受け取り、信じ、好きになる。その感情は、世界を支える力になります」
信長は黙っていた。
画面のコメントを、ただ見ていた。
その横顔が、さっきより少しだけ柔らかい気がした。
「……私を知らぬ者たちが」
信長はつぶやいた。
「私を消すなと申すか」
「はい」
俺は答えた。
「たぶん、それがヒスガルの力です」
「ガチャの力ではなく?」
「ガチャも含みます」
「台無しだな」
「運営なので」
信長は小さく笑った。
その時、PC画面の隅に、見慣れない通知が出た。




